すなわち我々はゴリラである ――詩、歌、音楽。我々はなぜリズムある文章に惹かれるのか?

突然ですが私は歌が好きです。音楽が好きです。だからって合唱部に所属したこともなければ吹奏楽部に所属したこともない、部活は体育会系一筋で育ってきたいうなればゴリラプロパーが私な訳ですが、そんなゴリラな私ですら夜な夜なシャワールームで音痴なアニソンを大声で響かせては近隣住民の不安を煽る程度には歌が好きです。

そう、歌と音楽が大好きなんです。
お気に入りのアニメのオープニングを流せば問答無用でテンションは上がるし、劇中BGMを鳴らせばほろほろと滂沱に顔面を濡らします。

でも……『Grand symphony』にあわせて踊り狂いながら、ふと不思議に思うのです。

 

どうして我々はこんなに、歌と音楽が好きなんだろう?
どうして、たかだかリズムのあるだけの単語の集まりに対して、こうも心を動かされるのだろう?

韻を踏んだ詩は、あえて言ってしまえばリズムがあるに過ぎない短文に過ぎません。短歌も俳句も、音楽に乗せる歌詞だってそうです。ただそれだけの言葉の集まりに過ぎないものが、しかしいつだって我々の心を掻き立てて止みません。「くやしい! でも感激しちゃう!」といったところです。

おまけに時代も場所も問わず、人類の文化には必ずリズム構造を持つ言語が存在するのです。人類は太古の昔から、歌や詩や音楽に惹きつけられてきたのです。どれだけ人類はうたに弱いのでしょう……。

そう考えて調べてみると、考古学者スティーブン・ミズンのHmmmmm仮説にいきあたりました。
なぜ、我々はこれほどまでに歌や音楽――リズムがあるに過ぎない文章――を特別に愛してしまうのか? その回答を、誤解を怖れず私なりに解釈するならば、

――我々がゴリラだからである!!!

ということになるかもしれません。

どうしてこうなった。

そのヒントは、ネアンデルタール人にありました。

 

まだゴリラだった頃の我々よ

「最初の言語は単純で整然としたものであるよりさきに、歌うような情熱的なものだったのである」

――ルソー『人間不平等起源論』より

「現存在が根底に於て『詩人的』であるとは、…(中略)…いさおしではなく賜物である」

――ハイデガー『ヘルダーリンと詩の本質』より

いかめしい哲学者がこんな言葉を残しているように、人間と歌(詩)との関係はいつだって関心事だったのです。

そして時は流れ、チョムスキーの生成文法理論を契機として、言語の進化と起源に関わる研究が活発化したのが20世紀半ばのこと。いわゆる認知革命を経て、進化言語学という分野は人間そのもの探求として一気に花開きました。進化言語学とは、言語学、認知科学、生物人類学、考古学など多くの学問領域に跨り、いわゆる“文系”的なアプローチから“理系”的なアプローチまで幅広く包括する学際的な分野です。

そんな進化言語学の研究成果の一つに、「なぜ我々はこんなに歌が好きなのか」に対するヒントがありました。

それがこちら。スティーブン・ミズン著、
『歌うネアンデルタール 音楽と言語から見るヒトの進化』

表紙がキュートなゴリラなのがやたら印象的ですが、内容はガチガチにアカデミック。
この本の著者ミズンは、もともとは考古学者です。しかしこの本が扱うのは進化言語学、すなわち彼もまた考古学的な手法だけでなく、多彩な角度から論証を行っているのです。

ミズンの研究によれば、ホモ・サピエンス以前の人類は、言語と音楽の共通の先祖であるコミュニケーション体系を持っていたとされます。

ホモ・サピエンス以前の人類……すなわちややゴリラな時代の人類においては、言語と音楽が未分化だったということです!

ミズンの研究は、ネアンデルタール人のコミュニケーションを分析することで、前言語的なコミュニケーションのありようを明らかにしています。このネアンデルタール人にこそ、歌と音楽にまつわる人類の秘密があったのです。

まとめ

・人間と歌との関係は、長らく不思議の一つだった
・ホモ・サピエンス以前の人類に、人間が歌に惹かれるヒントがある

ゴリラ寄りの非ゴリラと非ゴリラ寄りの非ゴリラ

「ネアンデルタールの社会についてわれわれが知っていることといったら、移動するマウンテン・ゴリラと大差ないものということだけじゃないの」

――アーロン・エルキンズ『洞窟の骨』より

ネアンデルタール人といえば、類人猿の中では野蛮!けだもの!野獣!というイメージの、現生人類とは別の種族と信じられてきました。まあつまりゴリラだと信じられてきた訳です。
しかし、近年の研究では、現生人類の一部はネアンデルタール人の遺伝子を継いでいるということもわかってきました。一部のネアンデルタール人は、人類と交雑していたのです。

いってみれば、我々にはゴリラの遺伝子が混じっていると言っても過言ではない訳です!!!!(※違います)

逆にいえば、ネアンデルタール人は決して野獣な先人ではないのです。むしろ、高度なコミュニケーション能力をもっていたということが分かってきました。

つまりはネアンデルタール人はゴリラか非ゴリラかでいったら実際はゴリラ寄りの非ゴリラだった訳ですが、そんなことよりも大事なのはネアンデルタール人のコミュニケーションです。ややゴリラなネアンデルタール人は、言語能力をもってはいませんでした。

言語を持たないネアンデルタール人は、いったいどのようにしてコミュニケーションを取っていたのでしょうか。

まとめ

・ネアンデルタール人はややゴリラ
・ややゴリラだが、ネアンデルタール人は高度なコミュニケーション能力をもっていた

ややゴリラ時代のコミュニケーション

ネアンデルタール人は、豊かな感情表現とコミュニケーションを持っていたとされます。言語を持たない筈の彼らが、高度なコミュニケーションを取っていたなどにわかには信じられませんよね。言語を用いない彼らは、いったい何を使って互いの気持ちを通わせていたのでしょうか。

その答えが「歌」です。

ミズンによれば、彼らネアンデルタール人は言語の代わりに「歌」を用いてコミュニケーションととっていたというのです。

ネアンデルタール人のコミュニケーション方法は、Hmmmmmと呼ばれる歌声でした。Hmmmmm とは、Holistic(全体的)、multi-modal(多様式的)、manipulative(操作的)、musical(音楽的)、mimetic(ミメーシス的)の頭文字をとったミズンの造語です。

最初は唸り声や身振り手振りに過ぎなかった人類の音声レパートリーですが、集団生活を営む過程でその種類を増やしていき、結果的に前言語的なHmmmmmを形成したとされます。言語や歌のご先祖様にあたるものといえるでしょう。
このHmmmmmには単語も文法もありません。例えば「鹿を狩りに行こう」「馬を狩りに行こう」といった一塊のフレーズとして意味を持ち、「鹿」「狩り」「行く」等というように単語に分解することはできないし、「鹿と馬」というように単語と単語を組み合わせて別な意味を作り出すこともできません。

単語も文法ももたないHmmmmmには、しかしリズム、メロディ、音色、ピッチがあり、豊かな感情表現が可能だったのです!

Hmmmmmは、必ずしも楽器や伴奏は伴いません。その意味ではアカペラ、あるいは詩にも似た表現といえるかもしれません。まるで詩を詠うようにコミュニケーションしていたなんて、なんともロマンチックな話です。

発掘された頭蓋、舌骨、さらには化石に残留した舌下神経管から、ネアンデルタール人は現代のホモ・サピエンスよりも高い音楽能力を持っていたと推察されています。彼らはほぼ全員が絶対音感を有していたのだとか!

さらに興味深いことに、このHmmmmmという音楽的なコミュニケーションには、「われわれ感」「結びつき」を促進する機能があるといいます。これはより大きな集団を形成し、気候変動を生き抜くには必要な「進化」であったとも捉えられます。

なかでもネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスよりもずっとこのHmmmmmを発達させたとされています。つまり、ネアンデルタール人は感情表現に特化したコミュニケーション方法として「歌」を歌って生きていたのです!

まとめ

・ネアンデルタール人はHmmmmmという歌のようなコミュニケーション方法を持っていた
・Hmmmmmには単語も文法もないが、感情表現に特化している
・ネアンデルタール人は全員が絶対音感もち(すごい)

遺伝子に刻まれたゴリラが歌う

ネアンデルタール人は、一部が人類(ホモ・サピエンス)と交雑したという研究もあるものの、結局のところ「ホモ・サピエンスと共通の祖先を持つ、別の類人猿」と位置付けられています。ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは、異なる進化の道を辿った訳です(その結果、ネアンデルタール人は絶滅してしまったのですが)。

ネアンデルタール人が感情表現に特化したコミュニケーションを発達させた一方で、ホモ・サピエンスが発達させたものが「言語」でした。

ホモ・サピエンスの祖先は、ネアンデルタール人よりも未発達なHmmmmmを用いていたとされています。我々の祖先も、ネアンデルタール人よりも下手っぴかもしれませんが、歌を用いてコミュニケーションをしていたのですね。

へたくそな歌を歌っていたホモ・サピエンスは、いつからか歌ではなく言語を使うようになります。その境目には様々な説がありますが、多くの研究で4万~5万年前、集団生活を送る人類の人口密度がある一定のラインを超えた年代とされています。より大規模な集団生活を送るには、感情表現に特化した「歌」よりも、複雑な情報を伝達可能な「言語」が必要とされたといえるでしょう。

言い換えるならば、もともとは一体だった「歌」と「言語」が、5万年前の段階で別々のものとして分かたれてしまったのです。

「言語」は、「歌」ほど豊かに感情を表現できません。しかし代わりにより複雑な情報を正確に伝達することができます。
たとえば狩猟場面における実践的な指示は、単語と文法が存在する「言語」だからこそ可能なもの。より質の高い道具の作り方、農作物の育て方、さらには集団として生きるための作法やルールまで。「言語」の登場が、高度で複雑な情報の効率的な伝達を可能としたのです。

そして、深刻な気候変動をもたらした氷河期時代を、歌うネアンデルタール人は超えることができませんでした。「歌」を用いたコミュニケーションでは、氷河期を生き抜く強固な群れを形成できなかったのかもしれません。いずれにせよ、ネアンデルタール人は絶滅し、逆に言語を獲得したホモ・サピエンスは生き残ることができました。

ネアンデルタール人の高度な「歌」は失われてしまいましたが、しかしホモ・サピエンスの中にもHmmmmmの名残が遺されています。

歌や音楽は、宗教的な儀式とは不可欠です。それは、合理的で世俗的な領域ではなく、非合理的で超越的な領域を意識させるものでした。ホモ・サピエンスが超自然との対話に歌や音楽を用いたように、Hmmmmmの名残は、どうしようもなく音楽に惹かれ、心を揺り動かされる不可思議な性質として我々人類の中に残ったのです。

すなわち「歌」――詩、歌、音楽、すなわちリズム構造のある発話――は、我々が言語を用いる以前から豊かな感情表現の発露として用いてきたもの。脳の奥底、理性よりも深いところに居るゴリラに突き刺さるものだったのです。

もともとの疑問に立ち返りましょう。
なぜ、我々は詩・歌・音楽といった、リズムある文章に惹かれるのか?
それは、我々ホモ・サピエンスの祖先は「歌でコミュニケーションしていたから」といえるのかもしれません。

つまり私が音楽に惹かれてしまう理由は、私の遺伝子に刻まれたゴリラな部分が疼くということなんですね!!

オレが……オレ達が、ゴリラだ!!

まとめ

・ネアンデルタール人が歌でコミュニケーションしていたように、我々の祖先も歌でコミュニケーションしていた
・ご先祖様が歌が好きなゴリラだったので、我々も歌が好きになってしまうのはしょうがない

ゴリラメモ(総まとめ)

・どうして我々は、詩・歌・音楽といったリズムある文章に惹かれてしまうのか?
⇒我々の祖先が詩・歌・音楽に似たリズムのあるコミュニケーションをしていたから

・歌のようなリズムあるコミュニケーションとは何か?
⇒「Hmmmmm」と呼ばれる歌のようなコミュニケーション

・Hmmmmmは言語によるコミュニケーションと何が違うのか?
⇒Hmmmmmには単語と文法がない、一塊のフレーズ
リズム、メロディ、音色、ピッチがあり、極めて豊かな感情表現が可能

・私はゴリラ
⇒私の中に眠るHmmmmmの残滓が、リズムある文章に私を惹きつけるのだ