就職活動に失敗した私が織田作之助青春文学賞の四次選考を突破した話

どんな賞に応募しても一次選考落選という私が、四次選考を通過した賞がある。それが織田作之助青春賞だ。通過の通知が来たときは素直に嬉しかった。こんな私でも認められると思ったから。一方でほんの少しだけ、どうしようと思った。

織田作之助青春賞は、23歳以下が応募できる若者限定の賞だ。投稿作品は10000字までの短編小説と規定されている。応募するためのハードルは低い。

これを読んでいる方からお叱りを受けるかもしれないが、そこに送ったのは思い入れのある作品とか、文学賞に狙い定めて作った作品とか、自分が今まで温めていた作品でもなかった(ちなみに、そういう風に力をこめて書いたものは、軒並み一次選考で落選している)。

プロットなしに一時間と少しで書いて、修正も含めて三、四時間で仕上げた代物だ。一日で完結し、投稿作品は生まれた。自分の中でも最速で書き上げた物語。

私が投稿作品を書いたのは、書かなければ生きていけなかったからだ。
応募したのは、どうにでもなれという思いからだ。

絵本、児童書、ファンタジー。そんな読書遍歴を経て、小説を書きはじめて10年になる。今までの作品はファンタジーが主だった。投稿作はそれらを廃し現代社会を舞台にした。

具体的には、夢を追いかける主人公と、挫折の物語だ。高校生から社会人までの姿を、時系列をばらばらに書いた。

さて、作品を書いたときの私は、おそらく平常ではなかった。
冷房もつけず自室にこもり、スマホ片手に顔をぐちゃぐちゃにしながら文章を書いている。真夏に熱中症待ったなし。くらくらしたものの倒れてはいないのでオッケー。こういう描写も作品の中に入れた。実際に見聞きしたものは、落としこみやすいのだと思う。

どうしてこのような状態で書いていたのか。傷も塞がりかけた今だから言えるが、私は就職活動に失敗し、就職留年もしている。

当時は、メンタルと体にダイレクトアタックで辛かった。布団から出られない。食べられない。服を着替えるのも、誰かに連絡するためスマホを触るのも無理。就職活動も失敗続き。

そんな状況で泣きながら書いた。比喩ではなく、今の感情を書かないと死んでしまうとリアルに思っていた。

吐き出さないと。とにかく吐き出さないと。

誰に言ったらいいのか。誰に言っても嫌われてしまう。そんな感情を書くしかない。

暗くてみっともなく嫉妬していてどうにもならないどうにかしたい、どうしたらいい。

みんな大人になっていく。

諦めきれない私はバカなの?生きていくっていったいなんなの。認められるってどういうことなの。
そうやって書いた作品を織田作之助青春賞に応募したのは、些細なきっかけからだった。

私は趣味と実益を兼ね、新聞のスクラップを集めていた。
新聞各紙を毎日見ていると、文学賞の案内広告もたまに出ている。大学主催のものや、大手出版社の新設した賞だったり、いろいろだ。そこで織田作之助青春賞の小さな告知をみて、まだ体調がよかったときの私はそれを切り抜いた。

それが部屋に転がっていた。

無心に打ち込んだテキスト、字数もほぼほぼぴったり。作家になりたかったのだから、応募してみてもいいか。年齢的にもラストチャンスだ。
締め切りぎりぎりに出して、就職活動で参っていて、出したことは頭から飛んでいた。

ちなみに四次通過(書面)まで連絡は特になかった。

そのあと、書面で選外の連絡を受けた。授賞式のあとの懇親会参加の連絡もきたけれど(会費要で参加できるも書かれていたと思う)、心身の余裕がなかったので行かなかった。

結果として受賞しなかったのは残念だったと同時に少しだけほっとした。

人には見せたくない感情をたくさん書いた。

私の中にあったものを全力でぶつけた。

伝えたいけれど見られたくない。

そんな感情がないまぜになっている。

四次選考のあとは最終候補作選出と聞いていた。ただ、文芸誌に掲載された優秀作品と惜しくも選外になった作品リストを見ると私の作品はなかった。最終選考の前が五次選考で、そこで落とされたのだろう。その年の講評は、応募作品が全体的に暗い、といったようなことか書かれていたような気がする。もしかしたら、自分の感情を吐き出すツールとして、小説は機能しているのかもしれない。
だったら、悲しいときや辛いとき、死にたいときは、それを書いたらいいと思います。幸せなとき、楽しいとき、生きるって素晴らしいときも、書いたらいいと思います。
公開するか、自分だけのものにするかは別として。