チャット小説の可能性について

アイキャッチイラスト:櫁(しきみ)さん

チャット小説、チャット風小説、チャットノベル、チャットフィクション、トークノベル、セリフSS……。

呼称はいろいろありますが、これらはLINEのようなUI(デザイン)でストーリーが展開するアプリ作品群です。

細かい前提については割愛して、私がいまこのアプリ作品群について考えていることを共有いたします。

ジャンルとしての可能性

すでに知らないかたも増えたかと思いますが、かつて「ケータイ小説」というジャンルがありました。フィーチャーフォンで読み書きする“閉じた”小説で、改行が多く、「ぅちゎ思ぃ出した」というライトな文体で流行しました。実話をもとにすることが多く、少女漫画風で、悲劇イベント(事故、病気、死、妊娠と流産、いじめと裏切りなど)の組み合わせで作品を作るのが王道です。

それに対してチャット小説は、大型掲示板で流行ったホラー話の変奏や、ケータイ小説で流行ったプロットの焼き直しが主流です。いまでは独自の面白い作品がいくつか出てきていて、ひとつのジャンルとして確立しそうな感じもありますが、作家の参入がこれからも望めなければ、ケータイ小説のようなテンプレを擦り続ける道をたどると思います。

逆に作家の参入があれば、ジャンルとしてひとつ確立するかなとも思います。そのあたりは四章に譲って先に進みましょう。

チャット小説は「文芸」になりうるか?

文芸としての可能性

かつて「携帯電話」というマテリアルが文芸に入ったことで、どこでも突然の会話が生じ、ストーリーが展開しやすくなりました。

それまでは、会話が発生するためには“出会う”必要があったわけですが、携帯電話はその必要をなくします。

しかし、ケータイ小説でも、携帯電話は手段でしかありませんでした。

チャット小説では、スマホのチャットが(手段ではなく)形式になります。そして、さらにそこからもはみ出そうとしているのです。

チャット小説は、ぱっと見だと「台本」や「脚本」だと思われがちですが、しっかり小説的なピッチで書かれている作品もあって、そういう作品を求めているアプリレーベルもあります。こういうレーベルがお金を出して、小説のピッチで書ける作家に依頼することで、文芸としてのクオリティは保たれていくでしょう。

チャットを脱社会化する

では、文芸としてのクオリティとはなにか。

小説というものが「社会化されなかったもののための言語」(少数派のための言語)だとすれば、チャット小説は「社会化されたチャット(友だちとのLINE)の内部でチャットを脱社会化する小説」とも言えるでしょう。

チャット(LINE)という若者にとってリアルな社会を、チャットのなかで再構築・再定義するのがチャット小説だと考えれば、ひとつの文学的な試みとして面白いと私は思います。

ただそれだけではいまの十代に瞬間的に訴えるだけになりかねません。それ以上の文芸的な価値をチャット小説に求めるというのであれば、新たな価値を作家や編集者、レーベル、読者、批評家が語り合わねばならないでしょう。

そのたたき台として、この記事が1ミリでも役立てばうれしいです。

小説的なピッチに落とし込む

ケータイ小説の系譜としてある「悲劇のテンプレ」は、どうしてもピッチを早めます。ユーザー読書体験というよりは、ユーザー悲劇体験になっているところに、いつか飽きが来ます。というか、ケータイ小説と2ちゃんねるがかつての愛読書だった私の場合、チャット小説黎明期の作品はものの数日で飽きました。データ的にも、圧倒的に(2ちゃんやケータイ小説に触れてこなかった)十代のユーザーが多いです。

これから飽きさせないためには、ある程度、ガワの部分でセンセーショナルなものを用意しながらも、しっかり読み応え(読書体験)があるような作品が主流になるように作品数を調整していかなければなりません。「出版社から出ている小説とほぼ同等のものが、スマホで無料(or 微課金)で読めますよ」となれば、いまの時代はそちらに軍配があがるはずですからね。

セールスのほうに話が逸れましたが、悲劇テンプレでプロットを動かすのではなく、大きな展開のなかで登場人物の小さな部分を掘り下げていく作劇的なテクニックができる作家を集められるかどうかが文芸アプリ的な意味でのポイントになると思います。

アプリとしての可能性

コミュニケーションツールとの親和性

チャット小説の多くはアプリで執筆し、アプリで閲覧します。まずアプリということで毛嫌いする作家やユーザーもいますが、アプリだからこそ届く文芸もあるんですね。

その時代のコミュニケーションツールにどれだけ「癒着」できるか、というのは(作家にも編集者にも見下されがちですが)作品にとって非常に重要です。

たとえば、宇宙戦艦ヤマトの時代は大学などの「同人」、エヴァンゲリオンなら「2ちゃんねる」(現・5ちゃんねる)、そのあとは「ニコニコ動画」「ツイッター」「インスタグラム」「ユーチューブ」(+Vtuber)が出てきました。蛇足ですが、私の大好きな魔法少女まどか☆マギカは、「(特に第三話などで)じぶんが抱いた感想が正しいのかまったくわからない」という共感への熱望からツイッターとの相性がとてもよかったと思います。

インターフェイスという油断 

アプリだとスマホがインターフェイスになっているため“油断”するひとも多いでしょう。私の場合は、「朗読>>ノーベル文学賞受賞作品のハードカバー>>文庫>>電子書籍>>アプリ」の順番で遠く感じて“緊張”しています。

なんにせよ、チャット小説はアプリをつかったミニマムな読書体験を可能にしているんですね。ここは唯一無二のバリューだと思います。電子書籍(キンドル)は、紙の本が電子になっている以上のバリューがほぼないため頭打ちですが、チャット小説は電子書籍よりも「スマホ」という現代のインターフェイスへの適合率が高いです。

余談ですが、十年前、電子辞書というものを初めて購入して、その電子辞書内で名作を読めるという体験は当時とても新鮮でした。

チャットフィクションのジョブ理論

課金にはいろいろな種類があります。たとえば、

  • 勝つための課金→「pay to win」
  • シナリオを解除するための課金なら→「pay to play」
  • キャラ愛や作品愛、作家愛、ブランド愛、レーベル愛などを表現するための課金→「pay to love」

などがあるでしょう。ほかにもあるかもしれませんが、ひとまずこの三つ。

チャット小説にお金を出すとき、主に考えられるのは「pay to play」と「pay to love」だと思います。pay to playの場合に求められることは、手近な没入感と有意義な時間でしょうね。ソシャゲでは解決できないジョブを見極めて、それをどうやってチャット小説で解消するか。そこにどうやってお金を払ってもらうか。そこを編集者や作家自身が考えねばなりません。私的には「読書体験」だと思いますが、ここは話を膨らませません。

もうひとつの、いまはまだ弱い「pay to love」の道を拓けば、チャット小説にも活路はあります。ちなみに「ジョブ」というのは、クリステンセンの概念で、とても重要なので検索してみてください。

おそらく唯一の道、IP創出について

ケータイ小説は廃れたという話をしましたが、しっかりと映像作品・漫画作品になっているものもあります。『deep love』『恋空』『王様ゲーム』『Tokyo Real』『teddy bear』など聞いたことあるドラマもあるでしょう。

原作を用いたIP(知的財産)展開をすることで、ケータイ小説で作家をすることもできます。それが現代のかたちであれば、チャット小説を原作にしたIP展開ということです。この道をアプリレーベルがしっかり整備すれば、参加クリエイターは増えます。そうすれば必然的に質が上がります。

私としては「pay to love」の道として、IP展開はアリ寄りのアリだと思っているんです。スマホを開いてワンタップで読める「原作」ということなら、これからの時代、広く受け入れられていくでしょう。

さいごに

チャット小説の可能性について、ざっくりと見てみました。この記事をたたき台として、いろいろな議論が生まれればいいなと思います。

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