恋は魔物、と誰かが言った / 読書案内 柴崎友香『寝ても覚めても』

東京のシンボルとしてお馴染みのスカイツリー、そこに隣接するすみだ水族館に行くと、ペンギンの群れが私たちを出迎えてくれる。メーンともいえる大きな展示スペースに棲むペンギンたちは、掲示物によるとそれぞれに関係性が確立しているらしい。誰と誰が元恋仲だとか、飼育員とは折合いが悪いだとか。
なんだか人間みたいだ、とおかしくなる。ペンギンも人と同じく難儀なのか。ガアガアと餌を求めて鳴く彼らから目を逸らし、少し離れたチンアナゴの水槽を見る。
すると、静かな時間の流れに騒がしかった心が落ち着いてくる。彼らの中には他の個体に我関せず、といったものもいるらしい。気ままに揺らめく姿は、私に不思議な安寧と静寂をもたらしてくれる。

そこに、高校生のカップルが手をつないでやってきた。暗がりを切って颯爽と揺れるスカート、少し前を歩く皺のないスラックス。ブレザーの制服を着た二人だった。

小さな声で何か話しながら、睦まじく寄り添い合って水槽を眺めていく彼らに、私は、ああ、と思わず呻いてしまった。

人間のほとんどは〝この時期〟を通過する。
通過するか、しないか。その二択だ。
恋をするか、しないか。
この場合の私個人の話は省くとして、今まさに恋をしている最中である彼らを見て思ったのだった。
彼らは瞬間を、せつなを生きているのだと。

◇◇

柴崎友香作『寝ても覚めても』は、一昨年に劇場公開された、今までの恋愛小説とは一線を画す異色の作品だ。

この作品には主に三人の人物が登場する。
〝同じ顔を持つ二人の男と、写真を撮る女〟だ。

趣味である写真を撮ることにも新鮮味が無くなり、惰性で会社に勤めながら平々凡々な生活を送っていた主人公・朝子。彼女の前に現れた、どこか掴みどころのない、けれども奇妙な魅力と包容力で朝子を惹きつけてやまない男・麦。彼との日常はある日突然過去のものとなり、麦は朝子の前から忽然と姿を消す。入れ代わりに朝子の元へ現れたのは、顔が麦と瓜二つの男・亮平だった――。

恋をすると前後不覚になり、正常な判断が出来なくなる、というのは有名な話で、脳に分泌される興奮物質であるドーパミンなどの影響がその一つ、という科学的な根拠がある。つまるところ恋をすると皆、一斉におかしくなる。突然、何も無かった荒野の一面に桜が咲き誇るがごとく、春の台風がやって来る。強烈なつむじ風と、視界を埋め尽くす花吹雪に困惑し、そうして行く先を見失ってしまう。

主人公の朝子は、亮平が麦に似ている、と信じて疑わない。まだ、彼――麦を愛しているからだ。けれど朝子の周囲にいる友人は「似ていない」と言う。

ああいう感じの色はどうやったら写真に写るのか考えた。

色、形、姿。目で見たままに、写真は写ってくれない。
ならば朝子が写真に撮った麦の顔は、本当に亮平に似ているのだろうか。
ファインダーを介さないで見た2人の顔を、同じだと思う朝子の感覚。
その感覚を誰もが正しいと思えないまま、物語は進行する。

「テレビって、ちゃんと写真に写ったっけ?」
「写るけど、目で見てるんとは違う感じ」
「なんで?なんで見たまま写らへんの?写真やろ?」
「なんでやろ」

テレビ番組と窓の外、写真と現実。
この物語の視点はしばしば二分化される。自分自身の目で見る光景と、そこから分離された目で見る光景だ。錯綜するまなざしのせいで、読者が正しいと思い追いかけた視点もぶれていき、最後には本当に麦・亮平という二人の男が、実像と、そこから逆さまに立つ虚像のように思えてくる。
二人の相違点が見当たらなくなってきてしまうところまで来て、ようやく彼らを知る朝子の視点で描かれた世界の不可解さに気づく。
そこから畳みかけるように迎えるラストは衝撃的であり、同時に私たちは恋という魔物の姿を目の当たりにする事となる。ゆっくりと物語を振り返った時、その魔物はずっと最初から虎視眈々とこちらを見つめ、歯牙をぎらつかせていた事を知る。
本作は読者をラストまで誘導させるための仕込みが非常に巧みな小説である。ゆえに、読後は茫然自失としてしまう。最後まで見届けてようやく気付くものがあるというのは、それだけ「信用してしまう」話者を描き切る作者の手腕があるからだ。

朝子は恋に落ちてしまった。それこそがこの物語の始まりであり、終わりでもある。瞬間毎に相手の〝造り〟と〝心〟を慈しんで、愛しただけ。その結果、人生を投げ出し、大切な友人を失った。その時間だけのために大きなものを喪失した朝子は、それでも悪びれず、悲しまず、放出されるままに感情を手放さない。

彼女の姿を追いかけ、小説を読了した誰もが口をそろえて言うだろう。
「恋とはおそろしいものだ」、と。

せつな的な感情で人生を狂わせていく恋という魔物のうわさは絶えない。
私のように水族館で若い学生カップルを見てその尻尾を見た、という人もいるだろうし、『寝ても覚めても』を読んだあと、魔物の正体見たり、と叫ぶ人もいるだろう。
魔物は常に潜んでいる。特に若い頃に現れるというけれど、年齢なんて関係なく、ずっと警戒しておくべきだ。
人は思いもよらない瞬間に、恋に落ちてしまう生き物なのだから。

何枚か水槽の中を写真に収めたけれど、やっぱり見たままには撮れない。誰かを好きになってみたら、写真を見て、ここは海の中だと錯覚できるだろうか。海水の生温さをふたりで感じて、それを生涯信じ抜けるほど〝おかしくなれる〟だろうか。
彼女の目に、彼は一体どんな風に写っているのだろう。
微笑む彼女のプリーツスカートが水槽の中で揺らめき、やがて見えなくなるのを確かめてから、私はそっと水族館をあとにした。

ABOUTこの記事をかいた人

安藤 エヌ

1992年生まれ。日本大学芸術学部文芸学科を卒業後、フリーライターとして活動のかたわら創作小説を執筆。昨年度、文学フリマにて中編小説『愛をくれ』を発表。自身の生きづらさを創作に昇華することを目標とする。