新人ライトノベル作家・森バジルの本棚 / 第1回 綿矢りさ『蹴りたい背中』 三並夏『平成マシンガンズ』

92年生まれの作家世代感

“世代感”ってある。
学校も違うし別に友達だったわけでもないのに、何かしらの共通の思い出があると一気に親近感が湧いてくるあの感じ。

ポケモンやデジモンを毎週欠かさず見てたり、64のスマブラでわいわいやったり、女子達がプリ帳とかプロフィール帳をかわいく仕上げてたり、初めて買ったCDがオレンジレンジのmusiQだったり、ハルヒを読んでうおーってなったり、pepsやモバスペで““ホムペ””を作ったり。
そんな、同世代同士であればだいたい通じる思い出たち。

そして、範囲を「小説家」に限定したとき。
小説を書き始めた頃に綿矢りさが芥川賞を最年少で受賞する姿を目の当たりにしたり。
三並夏が15歳で文藝賞を受賞しているのをみて衝撃を受けたり。

それが、僕の持つ“世代感”だ。
僕は92年8月生まれだが、同じくらいの世代の方で、綿矢りさと三並夏に影響を受けた小説家志望者は相当多いのではないだろうか。

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三並夏が2005年に15歳でデビューしたとき、僕は13歳、中学1年生だった。

三並夏は教えてくれた。
15歳でも、本は出せること。
すなわち、自分と年が2歳しか違わない女の子でも、本は出せること。

その事実は、なんとなく「まあ小説はまだ書き始めたばっかだし、デビューなんて先の話でしょ」と無意識に自分の中で線を引いていた当時13歳の小説家志望の中学生を一喝すると同時に、「最年少受賞」という美しい響きへと導いた。

若さという特典にはカウントダウンタイマーがついている。
限られた時間の中で、“若さ”という特典を持った状態で何かの功績を残すためには、間違いなく才能が要る。

だからこそ、僕は平成マシンガンズを手に取った。蹴りたい背中を手に取った。

盛り上がらない、美しい

綿矢りさ・三並夏と出会うまで、僕にとって読書とは、ハリーポッターであり、デルトラクエストであり、ダレンシャンだった。
要するに、エンターテイメント。個性豊かなキャラクターたちが、独自の世界設定の中で、手に汗握る冒険を繰り広げ、盛り上がる箇所が用意され、伏線が回収され、エンディングを迎える。

それが物語、それが小説だと思っていた。

他にも池袋ウエストパークやらブギ―ポップやらキノの旅やら、とにかくエンタメしか読んでいなかった僕は、起承転結、序破急、ジェットコースター的な緩急がある作品にしか触れたことがなかった。

だから、蹴りたい背中や平成マシンガンズを読み終えたときの最初の感想は「え、これで終わり?」だった。
何も解決してない、目に見えて盛り上がったシーンもない、ただ現実と同じ人たちが、普通に過ごしているだけの描写。
特に、平成マシンガンズについては、「マシンガンで敵と戦う女子中学生の話なのかな?」みたいな想定で読み始めてたので、なおさら驚いた。別に死神にブリーチみたいなバトル要素はないし、マシンガンは夢の中でしか出てこない。

創作物に面白さを感じるには、必要な素養がある。
純文学を読んで面白いと思うだけの素養が、僕にはまだ無かったのだ。

だから、最初は戸惑った。どこを評価されているのか分からなかった。

けど、何故だか何度も読んでしまった。

これは両作品に共通していたことだけど、一文が長くて読点の数も少なめの文章は独特のリズムで気持ちよさを感じさせてくれるし、学校や家庭の切り取り方、会話の表現、そして本文の端々から立ち香る主題は、少しずつ僕の中にゆるやかな快感をもたらした。

平成マシンガンズは、学校と家庭、両方に不調和を感じながら生きる朋美と、それらをぶっ刺す“死神”の存在を象徴的に出して、中学生にとってほぼ全てといっていいその2つの世界の生きづらさとくだらなさをため息みたいに描いていた。

蹴りたい背中は、ハツとにな川の単なる恋情とも言い切れぬ恋情を、低俗にも浅薄にもせず、流れるように、かつ10代の尖り方もしっかり保つ文章で描いていた。

何より、両作品とも共通して文章が気持ちよかった。長い一文を読点挟まず一気に読んでその修飾を頭に流していくのが、次第に快感になっていく。

純文学を読む素養を持っていなかった僕にも、確かにこの2作品は響いた。

作品は作品だけど。

作家と作品は分けて考えるべき、みたいな話は定期的に話題になるし、色んな意見が出尽くしている。いまさら議論するようなことではない。
その前提は踏まえた上で、僕自身は、書き手としては作家と作品は分けて考えてほしいという希望を持っている。
(見た目15歳の少女が何千回も殺される小説を書いてますが、僕にそんな願望があるわけではないし……)

だが、自分はそんな希望を持っていながら、僕はこの平成マシンガンズと蹴りたい背中に関しては、作者のプロフィール、とりわけ年齢を度外視して評することができない。
この作品たちは、僕にとって、15歳、19歳が書いた小説だからこそ価値があった。

最近、Twitterなどでよく「年齢で人を判断する人は信用していない」「年齢が下というだけでタメ口で話すのはマナー違反」「自己紹介で年齢は言わなくていいよ。興味ないから」「年齢が上っていうだけで敬語使うのは体育会系の悪習の系譜」というスタンスで発言している方を見かける。

それはもちろん一理あるし、実際年齢が下なだけでタメ口になるのは良くないなと思う。年齢で人を判断するのは良くない。

その上で、僕はあなたの年齢が気になる。世代感が気になる。僕と同じ、綿矢りさと三並夏に焦がれた経験があるんじゃないかって、同じ世代感を共有できるんじゃないかって思ってしまう。

自分より若い作家の活躍はやっぱり気になって横目で見てしまう。

そのくらい、15歳と19歳のインパクトは、僕の創作のオリジンだった。
最年少受賞という響きへの憧れが、僕のスタートラインだった。

26歳になっている以上、もう僕がこの先最年少で芥川賞や文藝賞をとることは、どうあがいてもできない。
時限式の価値は、リミットを迎えた。あっさりと。

それでも、あの頃の自分に失望されないように、たまに読み返しては「うおー」と内心叫んで創作への原動力を奮い立たせてくれる。
「平成マシンガンズ」「蹴りたい背中」は、そんな作品です。

ABOUTこの記事をかいた人

森バジル

第23回スニーカー大賞の優秀賞をいただいてデビューした兼業ライトノベル作家。92年生まれ。