驚異の架空都市36編! 想像の中で迷子になる『方形の円 偽説・都市生成論』

架空の都市に思いを馳せたことのない人類などいません!

ヒトの想像力はいつだってあり得ざる都の姿にその翼を羽ばたかせてきました。古くはアトランティスにムー大陸、歴史的にはプレスター・ジョンの国。創作物としても『指輪物語』のミナス・ティリスやオスギリアス、クトゥルフ神話のアーカムにインスマス、新しいところではバットマンのアーカム・シティやエヴァの第3新東京市、禁書シリーズの学園都市……例を挙げればきりがありません。ちなみに私は学園艦が好きです。

つまり人類は架空都市が大好き! であればこちらの小説『方形の円』は我々人類の脳髄を捕えて離さないこと間違いなしです。

何しろ、架空の都市が36編も詰まった本なのですから。マジでヤバい本です。

架空都市をめぐる大冒険

キメキメに極まった偽説

この本の魅力を一言で説明するならば、その”偽説”ぶりでしょう。
まずはこの引用をみてください。どちらも『方形の円』に収録された2つの都市に関する序文の一部です。

 ……モートピアは膨張真っ最中の都市だ。だが、それはそもそも都市と言えるのだろうか?
 およそ直径100キロメ ートルの円形を想像されたい。この円の円周を構成しているのは 、ぎっしり並んだおよそ10万台の巨大な一種のコンバインのような機械で、それがゆっくりと外側へ進んで行く。中心から遠ざかるにつれて、隙間ができてくると、別の巨大機械が出てきて前線に並ぶ。他ならぬこの完全自動化移動工場の役割は、進撃準備である。

(「モートピア モーター市」より)

「すごい!」とリチャードは小手をかざして叫んだ。「もっと近づいてあのご立派な方々の宝倉をちょっと調べてもわるくないでしょうな 」
 プリンス・ヘンリーは口を開かなかった。赤いライオンを中央に縫い取ったオレンジ色の旗の翻る都城のごつい堡塁の列を一望の下に見て取った。城壁の厚さ、環濠の深さ、城門の堅固さを値踏みした。狭間、銃眼、石落としの後ろに隠れた危険を嗅ぎ分け、戦闘員数を見積もり、攻城戦の場合の力関係、成否を測った。

(「クリーグブルグ 戦争市」より)

全く空気感の異なる架空都市が並列しているこの感じ!

「モートピア」――おそらく「moto」+「utopia」の造語ですね。こちらはその名の通り機械的に拡張を続けるいつの世とも知れないSF的な世界を示し、一方の「クリーグブルグ」はまるで百年戦争期のイングランドのような時代感で都市の物語が幕を開けます。共通するのは、人類の過去/現在/未来において、語られたかも知れない架空の都市である部分。「クリーグブルグ」などは典型的で、まるで我々の知る英国史の中にありそうな、しかし決してあり得なかった幻想です。

何しろこの本の副題は『偽説・都市生成論』。いかにもありそうで、しかしあり得なかった偽の歴史がバンバン出ます。歴史に詳しい必要はありません。雰囲気は向こうから勝手にビシバシ伝わってきます。

ある時はギリシア神話のような世界で。ある時は発展途上の近代を舞台に。ある時は科学技術の発展した近未来的な時代で。そして、似てはいても決して人類史にはあり得なかった異なる場所で。そんな錯乱した異聞の歴史の中で、36もの架空都市が揺蕩っているのがこの本『方形の円』なんです!!!!!

架空の都市に関する幻想的な小説という意味では、カルヴィーノの『見えない都市』に似ていて、架空の歴史をまるで事実であったかのように語るという意味では古川日出男『アラビアの夜の種族』に似ていて、無数の奇妙な国を巡るという意味では時雨沢恵一『キノの旅』に似ていて、そしてきっとそのどれにも似ていません。

この本がもたらす奇妙な読書体験は、本の中に迷い込む旅人の目線みたいなもんです。非常に短い文章でテンポよく語られる都市の行く末を読み解く時間は、それ自体が呪術的な体験です。その意味では、私はこの本をフレーザー『金枝篇』のような、”実在する魔術書”の一冊だと思ってます。あるいは呪術書。やばいやつです。

ものすごい勢いで滅ぶ都市

この本のヤバさを端的に表すならば、「単位ページ数あたりの人死に量」でしょう。

何しろ、本全体としては合計186ページしかない本ですよ? その中に36都市が収まってる訳ですよ。単純計算で一都市あたり約5ページ強しかありません。しかも本当は186ページ中には著者まえがきとか訳者あとがきとか解説とか書誌情報とか云々かんぬんが入っちゃってて、つまり一都市あたりに割かれるページはもっと実際もっと少なくなる訳で。

すなわち、だいたい5ページ以内に都市が成立して滅びます。

つまり物凄い勢いで人が生まれ、人が死ぬ。下手すると一回滅んだ都市が再生してまた滅んでまた再生して滅んだりする。哀れな都市住民たちは一行にも満たない間にバッタバッタと死んでいくのです。各種エンタメでは「人が死ぬのが面白い」などと言われることもありますが、その説に照らせばまぁ『方形の円』の人死に指数も相当です。歴史って残酷だね。

もちろん、全ての都市が滅ぶ訳でもなければ、人が死なない都市もあります。あるいは人でないモノの都市であったり、最初から人が一人も住んでいない都市もあったり。架空都市のバリエーションも豊富ながら、その語り口も多彩です。一人称的な目線で語られる都市もあれば、断片的な伝聞情報のみが伝わる謎の都市まで、飽きるということがありません。

とはいえ、まぁ半数くらいの都市は豪快に滅んでるんじゃないかなという気がします。

個人的にお気に入りなのは「凱歌市トロパエウム」。未開の密林を切り開く都市の成立に始まり、これでもかこれでもかと自然災害に見舞われ何度も何度も滅びながら幾度となく再生を続ける不屈の都市です。都市住民の死者数もおそらく作中ナンバーワン。その豪快な滅びっぷりが見ものですが、滅びに隠された世界の秘密もまた見ものです。ぞっとする謎解き感と爽やかな読後感が得られるオススメの都市ですね。この本を立ち読みする方にも、最初に訪れてほしい都市です。

ルーマニアから飛んできたヤバイやつ

40年前の大検閲を生き延びた奇跡の一冊

これまたウルトラびっくり情報なのですが、2019年6月末に出たばかりのこの本、40年以上も前にルーマニアで書かれたものなんですよ。

40年前。ルーマニア。地理と世界史が苦手な私は「そもそもルーマニアってどこ?」って感じだったのでGoogleで調べたことをドヤ顔で語りますが、当時のルーマニアといえば共産主義真っ盛りの「ルーマニア社会主義共和国」というバリバリの一党独裁国家だったみたいです。

いわゆる「文化革命」が吹き荒れ、表現という表現は検閲され圧殺されるすごい時代、そんな中1971年に完成した初稿は当然めちゃくちゃ検閲されます。著者ギョルゲ・サルルマン氏によるとこんな感じ。

いくつかの出版社は私の原稿を黙って突き返すか、または根本的に書き換えろとか、社会主義ル ーマニアの輝かしい都市を、人類の黄金の未来の光輝に満ちたコミュニズムの砦を描写する楽天的な章を多数追加せよなどと求めてきた。

(フランス語版あとがきより)

うん……まぁ……凄えっすね……。

そんな検閲&検閲を生き延び、それでもなお人々の心を捉えて話さなかったのがこの本なのです。時代が変わる度に改稿され、翻訳され、そして時を経てついに日本語訳されたこの一冊。本の内容もさることながら、この本が日本に届くに至るまでの物語もまた味のあるもの。

本文以外にも、著者による「日本の読者へ」「私の幻想都市」「フランス語版あとがき」「スペイン語版まえがき」、英語版序文「πへの道」、日本語版訳者の「訳者あとがき」、『皆勤の徒』の酉島伝法先生による解説などなど、とにかく付録が豊富なのもこの本の特徴です。著者・訳者たちの口から語られる『方形の円』を巡る数奇な物語もまた一つのレイヤーとして楽しむことができちゃうのが、これまたこの本のやべーところですね。

訳者の思いが熱すぎる

この本はやたらと解説系が分厚いのが特徴だというのは先ほどお話した通りなのですが、そのいずれも熱量が半端じゃないことを強調したく思います。端的な例は、英語版への翻訳を担当したアーシュラ・K・ル=グイン氏の言葉。

 ある種の本が、読まれていない本が、効果を及ぼす。それは合理的ではなく、説明は容易ではない……(中略)……それらはただ見えている、そこにある。この本がある、書店か図書館の本棚、あるいはこの本のように私のデスクの上の山積みの中に。そうして明らかに「読んでくれ」とささやいているのが分かる。

(「πへの道」より)

見てください、この積本に対する偏執的なまでの感受性を。ここまで言語化はされずとも、本の虫である方ならば、多かれ少なかれこのような感覚を味わったことがあるでしょう。「まだ読み終わってない本があるのに、また別の本を買ったの?」なんて呆れられるのが我々です。そして、誰より積本が崩されることを熱望しているのは、まさにその本自身なんですよね。

読んでいない本が、読まれないままに存在感を増していく感覚。部屋の中に在るというだけで、思考のメモリを占有する実感。アーシュラ氏の、書物に対する熱情には共感を覚えずにはいられません。

そして、良くも悪くも、英語版訳者であるアーシュラ氏はルーマニア語が堪能ではありません。彼は本作を翻訳するにあたって、スペイン語版を英語版に翻訳するという重訳の形式を取らざると得ませんでした。

重訳!! その罪深さたるや!
当然、TOEIC300点の英語マスターである私ですが商業翻訳の経験はありません。しかし、私家翻訳だろうと何らかの日本語訳経験のある者にとって、原語を直接翻訳できないもどかしさは察するに余りあるものがあります。

書物に対して異様なまでの熱を見せるアーシュラ氏です、彼だって重訳という行いには忸怩たる想いがあったでしょう。彼は、英語版翻訳にあたってこう語ります。

 私は翻訳を愛する。私は愛のために翻訳するのだから。私は一個のアマチュアだ。私があるテキストを翻訳するのは、それを愛しているから、あるいは愛していると思っているから、そうして愛はより親身な理解を切望するからだ。

(「πへの道」より)

愛じゃん……。
アーシュラ氏は、この本が好きすぎるから。たとえ重訳になってしまおうと、少しでも多くの人にこの本を伝えたくて、己の愛に従うままに、英語版への翻訳を行ったのです。愛が重い。

そんな巨大感情をぶつけられまくりな本作『方形の円』ですが、日本語訳翻訳はちゃんとルーマニア文学専門家の先生が直接翻訳してくださっています。これはすげえことです。

かつて共産主義の検閲時代に産声を上げた本作が、巡り巡って日本語訳として我々の手元に辿り着いたこと自体が、一つの奇跡であり物語なんですね。人類、とにかくこの奇跡を読んでほしいです。

36都市に感染しろ

  • 人類は架空都市が好き
  • 36の都市を巡る旅人になれ
  • ルーマニアはすごい
  • 訳者のクソデカ感情が見もの

ざっくりまとめるとこんな感じですね。

独特すぎる構成と読み味、日本語訳に至るまでの物語、冗談みたいな訳者のクソデカ感情と、面白さが多層構造を為している本作。

あらゆる意味で最高なので、とにかく読んでほしいです。読んで貴方もアーシュラ氏になりましょう。

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