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『悪文』との付き合い方に悩んでいます

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コユキ Snake (3,090 ポイント) 1/18 質問 執筆
コユキ 1/18 編集
上手く表現する題が思い付かずに曖昧でごめんなさい。

『悪文』にならないように、ということを気にしすぎてしまいます。
けれど色んな方の文章を読むと、悪文の要素を備えていても魅力的な文章は魅力的だと思います。
なので、どこまで気にすればいいのか? という点において悩んでいます。

悪文と言っても一概には言えず、色々あることも承知です。
自分自身もよくわかっていないので、間違っている可能性も高いです。
ジャンルによるところも大きいと思いますが、それぞれの分野の個人的なお話も聞いてみたく思ったので、小カテゴリーは設定しませんでした。(自分自身が現在執筆しているジャンルはライトノベルが近いです)

こちらで、色んな方のご意見を伺えればと思いました。
よろしくお願いします。

1:明らかに悪文とされる要素
2:個人的に、悪文だと感じる要素
3:プロを目指した時、選考で悪文だと判断されて弾かれそうな要素

4:『自分が、悪文かなと思って気にしてしまうこと』を書きました。
○=問題ない △=人による、どちらとも言えない、なんとも思わない ×=悪いと感じる
と、記号を付けていただけたら嬉しいです。

読点の多用
ダッシュの多用
強調カッコの多用
三点リーダの多用
指示語の多用
空行の多用
時間経過、場所移動以外の空行(強調など)
言葉の重複(足早に足を進めた、下り階段を下りた)
近い場所に表現の重複がある(彼が言ったので、私も言った。)
連用中止形の後に読点をつけないで言葉を続ける(一礼し踵を返す)
作品中で表記のぶれがある(いた/居た、なおす/直す)

回答 1

0 支持
和菓子 Owl (5,500 ポイント) 1/18 回答
コユキ 1/20 選択
 
ベストアンサー
※以下の内容は、「ごめんですが、私には悪文がわかりません」という能力不足を埋め合わせるための、言い訳のような回答です。いろいろ言っとりますが、やはり私には悪文がわからんのです。
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 悪文というのは、読者様各位における「美意識」と「マナー」(立場)と「気分」の問題だと存じます。たとえばセンター試験でおなじみの「小林秀雄」と「鷲田清一」ですが、どちらも悪文だと言われます。このふたりのどちらかが出てきたときの平均点は、たしかに低かった記憶があります。大江健三郎も「テストに小林秀雄なんか出題するな!」とぎゃあぎゃあ言ってましたね。
 主語と述語が遠いとか、言い回しがきついとか、出てくる概念が抽象的とか、論理の飛躍が多いとか、まあいろいろ言われるわけですが、基本的には読者であるところの「高校生」や「塾講師」にとって読みにくいから悪文なのであって、そのほかのひとたちにとってどうだという話ではありません。私にとってみれば、あれぐらいの飛躍で読みやすいですが、やはり高校のときは読解に苦戦した気がします。
 小林も鷲田も「センター試験で出題されるために」書いているわけではないので、こういうことが起こるのです。読者じゃないやつが読むから悪文となるのです。
 ここで私が、ポーランド語で回答したら――たとえその文体がシンボルスキのように美しいものだったとしても、ポーランド語の文法を完全にモノにしていても、コユキさんの聞きたかったことがパーフェクトに書かれていたとしても――悪文となってしまうと思います。もちろんコユキさんの美意識がポーランド語やシンボルスキに向いていれば、それはたちまち良文に早変わりするのでしょうけれど、ここでは日本語で質問されている以上、日本語で回答を書くのがマナーだと思われます。
 よく言われる「用字」や「禁則処理」も、そういうマナー(編集ハンドブック)があるだけで、それがどうだというわけではありません。ツイッターで最後に句点をつけないのもそこそこふつうのことです。詩を読んでいて信じられないところで改行されることもありますが、詩であるということだけで肯定できてしまいます。むかしは台詞括弧も句点で終わっていましたが、いまそれをやると気持ち悪くて、悪文になってしまうでしょう。
 そもそも古典の授業に出てくるような日記は、とにかく主語がなくて――日記なので当たり前ですが――読みにくいから私にとって悪文ですし、「いたづらに」と言われて「悪戯のことちゃうんかい!」ってなるので紛らわしいから悪文です。三次方程式の解の公式は、もはやぜんぜん理解できないので悪文です。迷惑メールを判断してくれているベイズ定理もわからないので悪文です。コピペしただけのプログラミングコード(スパゲティコード)も"私が修正できないので"悪文です。
 ことばの重複に関する話もありましたが、たとえば「犯罪を犯す」を重複だとするひとは、「罪を犯す」に直してしまいます。意味が変わっていることに無頓着なんですね。「犯罪」と「罪」がまったくちがうことばだとわかっているひとにとっては悪い修正、悪文ですし、とにかく重複が嫌いな至上主義のひとにとっては良い修正、良文となります。
 まあ、こんなことを一つひとつ言い始めたらキリがないので終わりにしますが、「悪文かどうかの裁量は読者にある」とする考えを、私は支持しております。なので、私は、悪文の修正に関して編集と校正に丸投げしていますし、私が編集や校正をやるときは、読者の意見を必死に見聞きして、情報収集をして、想定される読者にとって無難になるよう心がけております。
 それでも想定できなかった読者が読むことはあり得ますし、作家側に修正能力がなくて――編集側にディレクション能力がなくて――、悪文を修正し切れないこともあり得ます。百年後の読者が読んでも「問題ない」文章なんて、そもそも理想論すぎて、私は辟易としてしまうのですが。
 ですので、長くなりましたが、(1)コユキさんの読者はだれか/そのひとの美意識・マナー・立場・気分にはどのような傾向があるか、(2)それを見抜くだけの能力をもった編集・校正がコユキさんについているか、(3)修正すべきこととして挙がってきた点を解決するだけの能力がコユキさんにあるか、という三点が「悪文との付き合いかた」の現実的な問題点ではないかと存じます。
コユキ Snake (3,090 ポイント) 1/20 コメント
和菓子さん、こんにちは。

仰って頂いたことになるほど…! と頷いています。
(1)については気にかけようと努めており、また断じることが難しいふわっとしたものだと認識しています。
(3)については、(2)さえはっきりしていれば自分自身で頑張るところだと思っています。

ですので(2)への不安が、今回の質問に繋がったような気がしました。
出版社によっては校正・校閲が居らず編集さんが担当なさる場合もあって、ピンキリだと感じています。
趣味や応募作品であればなおさら、(2)を助けてくれる他人の存在がありません。
自分の文は自分で整えないと……という思いが、悩みと不安に繋がっていたのだと思います。

自分が(2)をしっかりと知り、そのうえで『書く自分』と『整える(2)の自分』を持てれば、『書く自分』はのびのび書けばいいのかも知れませんね。
お恥ずかしながら編集ハンドブックを持っていませんので、まずはそこから買ってみたいと思います。
そして、それ以上のことは(気を配りはするけど)大きく悩みすぎないように努めますね。

意味が変わっていくことに無頓着、についてもはっとさせられるお言葉でした。
形式については必要以上に怯えず、言葉の意味や、お話をこそ大切にしていきたいと思います。
ありがとうございます。
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