2022年4月に堂々完結した野田サトル『ゴールデンカムイ』。
本作は、日露戦争の復員兵・杉元とアイヌの少女・アシリパが、アイヌの遺した莫大な金塊を求めて北海道を駆け巡るサバイバルバトル漫画です。
「和風闇鍋ウエスタン」のキャッチコピー通り、毎巻の如く強烈な個性を持った脱獄囚が登場すること、北海道の大自然が育んだグルメを堪能できることでも話題になりました。
そんな『ゴールデンカムイ』は、以前からドストエフスキー作品との親和性が指摘されており、Togetterには「#ドストエフスキー原作の金カムにありがちなこと」と題されたツイートまとめまでできています。
今回はドストエフスキーの代表作『カラマーゾフの兄弟』を例にとり、『ゴールデンカムイ』との親和性を考察していきます。
※『ゴールデンカムイ』および『カラマーゾフの兄弟』のネタバレが含まれますのでご注意ください。
ゾシマ=鶴見中尉?聖なる父の洗脳が解ける時
『カラマーゾフの兄弟』は、強欲で好色な父親・フョードルと三兄弟の確執を描いた文学作品です。
翻って、『ゴールデンカムイ』にも圧倒的な父性を持った人物が登場します。ラスボス、鶴見中尉その人です。
鶴見中尉はある目的の為に、権謀術数を張り巡らして有能な人材を引き抜いていきます。
子どもたちを抑圧するフョードルに比べれば、鶴見は聖人のように映ります。同じ父でも二人は正反対です。
突出したカリスマ性を備えた人物として描かれている鶴見。『カラマーゾフの兄弟』の登場人物の中ではフョードルと比較するよりも、三男・アレクセイの師である高僧ゾシマと比べた方が本質を掴みやすいかもしれません。
ゾシマはとても徳が高い聖職者で、遠路はるばる会いに来る信者が絶えませんでした。アレクセイもゾシマを心から信頼し、家族の問題を相談しています。
アレクセイがゾシマに向ける崇拝めいた信仰心は、『ゴールデンカムイ』に登場する鯉登少尉が、鶴見中尉に向ける感情に似ていました。
作中で、ゾシマはアレクセイに看取られながら息を引き取ります。人々はゾシマの遺体が奇跡を起こすのではないかと期待するも、棺から漂い出した異臭に幻滅。
アレクセイもゾシマが自分と同じ、腐りゆく肉体を持った人間だった現実にショックを受けますが、盲目的な信仰心を見直す機会を得ます。
引き抜きの過程で、鶴見は鯉登に洗脳を施していました。しかしその洗脳は物語終盤で解け、自分の意志で鶴見のもとを離れていきます。
二人に共通しているのは、完璧な父の幻想が一度砕かれたあと、その狡さや汚さを受け入れ歩き出したこと。
両名とも血縁上の父親は存命ですが、アレクセイの実父は早い段階で息子たちの養育を放棄し、鯉登の父親は父である前に軍人の務めをまっとうせんとする堅物でした。
だからこそアレクセイと鯉登は、自分の行くべき道を示してくれた理想の父に心酔したのではないでしょうか?
尾形はイワンの現し身?祝福されざる子の反逆論
『ゴールデンカムイ』の登場人物の中で、最もドストエフスキー的といわれているのが尾形百之助。
尾形は陸軍中将の妾の子として生まれるも、正妻に息子ができたことで父に捨てられた過去を持ちます。
成長した後は、正妻の子・勇作に激しい劣等感と嫌悪を抱き、戦場で抹殺しています。のみならず、実の父親を切腹に見せかけ殺害しており、作中屈指のサイコパスといえます。
そんな尾形の生き様は、『カラマーゾフの兄弟』に登場する次男・イワンとリンクします。
イワンと尾形は、二人とも「父殺し」の大罪を犯しています。尾形に至っては母親までも殺害しています。
イワンは自分で手を汚さず、使用人のスメルジャコフを実行犯にします。その時、イワンはスメルジャコフに、「神などいないのだから何をしたって許される」と神の不在を説きます。
尾形もまた、神の存在を信じていません。両者ともニヒルな皮肉屋で、厭世的な思想を持っているのも共通点だといえます。
「祝福された道が俺にもあったのだろうか」と、作中で何度もくり返す尾形。両親が愛し合って生まれた弟を尾形が妬むのと同様に、イワンも無邪気に神を信じる弟・アレクセイを疎ましがり、時には理論武装で否定しました。
ここにイワン=尾形、アレクセイ=勇作の図式が完成します。
アレクセイ=勇作は一点の曇りもない高潔な人格と善性の持ち主で、皆に慕われ愛されている弟です。一方で、血の繋がった兄であるイワン=尾形は、自分の生い立ちを呪い、神などいない世界の不条理を憎んでいました。
イワンの思想が端的に集約されているのが「反逆」の章。ここでイワンは、領主の戯れで犬をけしかけられた男の子や両親に折檻された女の子、敵兵にもてあそばれた赤ん坊を引き合いに出し、何も悪くない子どもたちがなぜ大人に虐げられなければいけないのか理解に苦しむ、と神を糾弾しました。
もしも子ども達の苦しみがだ、真理をあがなうのに不可欠な苦しみの総額の補充に当てられるんだったら、おれは前もって言っておく。たとえどんな真理だろうが、そんな犠牲には値しないとな
調和なんておれはいらない、人類を愛しているから、いらないんだ。それよりか、復讐できない苦しみとともに残っていたい。たとえ自分がまちがっていても、おれはこの復讐できない苦しみや、癒せない怒りを抱いているほうがずうっとましなんだ
まるで尾形(CV津田健次郎)の叫びが聞こえてくるかのようです。
世間的には次章の「大審問官」が有名ですが、ここは神学の知識がないと楽しむのが難しいです。一方で「反逆」は、虐待のニュースに胸を痛めた経験のある読者ならば、イワンの訴えに共感せざるを得ない普遍性を獲得していると思います。
いわばイワンは「祝福されざる子どもたち」の代弁者として、無関心で不感症な神に反旗を翻したのです。
そんなイワン=尾形に赦し(祝福)を与えたのが、人間の善性を信じ尊ぶアレクセイ=勇作というのも不思議な符号でした。
ちなみにこの赦しとは、自分自身を全否定する相手を全肯定する抱擁です。アレクセイは追加でキスもしていました。
尾形は壮絶な最期を遂げます。自殺が最大の禁忌なのを踏まえれば、あれこそ尾形が命を賭した、無慈悲なる神への反逆ではないでしょうか?
カラマーゾフ三兄弟父・フョードルは黄金に翻弄された男?
『ゴールデンカムイ』において、鶴見中尉と並ぶ「ヤバい父親」と見なされているのがアシリパの父・ウィルク。彼はアイヌの黄金を守る為、同胞すら欺き裏切り、数えきれない犠牲者を出しました。
ウィルクを筆頭に、本作には「ゴールデンカムイ」に取り憑かれた人々が多く出てきます。
もともとアイヌは黄金を神聖視していませんでした。仮に黄金に宿る神がいるなら、それは人の欲望が生み出した悪しき神(ウェンカムイ)……人々の運命を狂わせる、ゴールデンカムイに他なりません。
『カラマーゾフの兄弟』に登場する三兄弟の父親・フョードルは、金と女が大好きな俗物でした。故に息子たちに遺産を譲るのを渋り、好きな女には湯水の如く貢ぎ、全てを金で解決しようとします。即ち、フョードルは「ゴールデンカムイ」に魅入られ身を滅ぼしたのです。
それは鶴見も同じでした。彼は自らの野望を成し遂げる為金塊を欲し、部下の好意すら利用して憚りません。
ゴールデンカムイがもたらすのは身の破滅。結果、金塊への執着を断ち切れなかったフョードルは息子の手で殺害され、鶴見中尉は凄まじい死闘の末列車から落ちて行方不明となりました。
もしゴールデンカムイの呪縛から解き放たれていたら、彼等にも別の道が敷かれていたかもしれません。
まとめ
この記事で『カラマーゾフの兄弟』に興味を持った方には、比較的読みやすい亀山郁夫版がおすすめです。
『カラマーゾフの兄弟』は複数の出版社から翻訳されており、それぞれ一人称や文体が異なるので、このあたりは好みで選んでください。
岩波文庫版の時代がかった古風さ、新潮文庫版のハードボイルドさも素敵でした。及川由美の漫画版は『カラマーゾフの兄弟』への愛情が迸っており、耽美な作風が好きな方におすすめしたいです。
日本文芸社から刊行されている漫画で読む名作シリーズも、キャラが立っていて読みごたえがあります。