社会人から文学を研究する大学院生になった私の二年間

「大学院」と聞くと、実家が太い学生が選ぶ進路だとか、自分の行くべき場所ではないような気がするだとか、そういう印象を持つ方が少なくないのではないかと思います。

学部を卒業した大学にもあるはずなのに、進路として選択せず、一度就職してしまうと余計に遠ざかっていく大学院。ここでは、一度就職した私が大学院生になるまで、そして大学院生になってからの二年間を洗いざらい話すことで、大学院進学を迷っている方の背中を押すことが出来ればと考えています。

そうだ 大学院、行こう。

進学を決めたのは、大学卒業から1年半が経った、2018年の夏。

卒業後も、平日休みをいいことに学校に遊びに行っては、指導教授や後輩と文学についてさまざまな話をしていました。ある日のゼミ終わり、「後輩の指導のお礼に」と指導教授がランチに連れて行ってくれたのです。

その日までは、退社と進学という選択肢は、考えたこともありませんでした。ところが、書きたかった論文の話や、作品について考えていることなどを話すうちに、「大学院に行きたい」という考えが強くなり、帰宅する頃には、資料を取り寄せていました。

志望校として狙いを定めたのは、母校の大学院です。中堅の小規模大学に慣れ親しんでいるからこそ、規模の大きな大学で、沢山の院生と関わるのは大変そう、と進学を考え始めてすぐの段階で、不安を抱きました。

職場を辞めて、見知らぬ人たちの間で一から論文を書き始めるというのは、ものすごく難しいことのように思えたのです。その点、学部の四年間を過ごした母校なら、気心の知れた教授が居て、図書館の使い勝手もマスターしています。のびのびと学問に没頭できると考えての選択でした。

社会人経験を活かした受験

学部からストレートで進む場合の大学院入試、あるいは大卒であることだけが出願の条件になる場合の大学院入試は、ほとんどの場合において、専門知識と英語の長文読解が出題されます。大学院進学の決意を固めたのは7月半ばなので、次の試験は2月ごろ。2019年の入学を目指そうとすると、もう半年と少ししかありません。

英語はどちらかと言うと苦手なほうですし、毎日朝から晩まで働いていたので、勉強をしようにも充分な時間を確保できません。そこで、2019年の入学を諦め、社会人特別入試を利用することにしました。

社会人特別入試とは、読んで字のごとく社会人のための入試制度。大学が設定している勤務年数を超えていれば、入試の一部が免除になったり、入試の内容が小論文と面接のみになったりと、難易度が少し下がる制度です。入試の形式や、課される勤続年数については、志望する大学院によってさまざまなので、進学を検討中の方は詳しく調べてみることをおすすめします。

私の母校では、「入学年度までに社会人経験3年以上」が必要でした。つまり、2017年入社なので、最短で2020年の入学を目指すということになります。試験があるのは、毎年秋。受験を決めたのは2018年の夏だったので、入試までは1年2ヶ月の時間ができました。
 
試験内容は専門知識に関する小論文と面接。私の場合は太宰治が専門なので、太宰治についてどういった研究がなされてきたか、そして私自身は今後どういった研究がしたいのか、これを考えることが受験勉強になります。

受験科目に英語がないこと、受験までの期間を十分に取り、仕事をしながら休日は勉強に励んだことで、入試に向けた準備が無理なくできました。

また、この1年間で太宰治の先行研究や、文学理論の導入書など、日本文学系の研究書をたくさん読み漁りました。もちろん、受験勉強の一環ではありましたが、今になって振り返ってみると、この勉強が修士論文を書く際に大いに役立ったと思います。専門知識だけに集中できることは、社会人特別入試の大きなメリットです!

入学したら学部生に戻った

さて、いよいよ4月を迎え、晴れて大学院生となった私は、指導教授に履修の相談をしました。そこで、こんなふうに言われたのです。

「この先生の講義と、この先生の講義は履修しなさい」
「あとは学部向けの授業を取りなさい」

そもそも、文学部の大学院とは論文を書くための場であって、講義が多いわけではありません。空きコマが沢山あるのが大学院生です。同じゼミに院生がいなかったので推測の域を出ませんが、学部生からそのまま大学院に進学した人は、空きコマを活用して修士論文の準備を進めていくのだと思います。

一方の私はといえば、学問からは3年もの間遠ざかっていましたし、修士論文の準備と意気込んだところで、何から始めていいのやら。

そこで、前期は文学部生としての感覚を取り戻す時間にすることを勧められました。学部生向けの、文学史や文学理論などの科目を受講したのです。一緒に受講している学部生たちへの解説をしながらおさらいすることで理解が深まり、大学の生活リズムにも慣れることができました。

文学史のテキストを購入し、学部1年生と同じ資料で勉強する。修士課程とはいえ、3年ぶりの1年生ということもあって、まるで大学1年生に戻ったかのような気分だったことを覚えています。

そこからはあっという間の半期でした。もともと下地がある状態ですから、吸収も早いこと早いこと。学部時代にはわからなかったことが分かる、なんて瞬間もたくさんありました。学部生と同じ講義を受講し、まるで一度学部生に戻ったかのような気持ちで勉強しなおす、ということは、とても大事なことだったと思います。

入試前に研究書をたくさん読んだこと、そして半期を学部生と共に過ごしたことで、ギャップを感じることは少なく、順調な滑り出しを切ることができました。

よく聞く就活問題

母校の大学院を選んだことで、当初の目論見通りにのびのびと論文を書き、ずっぷりと勉強をできた2年間。悲しいことにあっという間に過ぎていきます。

修了間近になると気になるのは、就職先でしょうか。文系院生の就職先が見つからないという問題は、数多く聞きます。とは言え、こちらは一度就職した身です。就活のイロハは叩き込み済みですし、転職求人も使える強みがあります。

また、修士課程卒業のメリットを存分に使うことで、よりサックリ決めることができます。

教員免許を持っている場合、修士課程を修了すると、第一種教員免許状が専修免許状にランクアップすることはご存知でしょうか。教員免許状があれば、まず教員になりやすいですし、塾の講師にも就きやすいでしょう。

一般企業については応募していないので詳しいことはわかりませんが、一度就職し、社会人経験があるということは思っている以上にメリットになるようです。

何より大切なのは、修士課程の2年間で自分を見つめ直すこと。私の場合は、大学院に進学したことで、一生勉強をしていたいな、という自分の希望を知ることができました。あの時、進学を決めていなければ、転職という可能性もあったかもしれません。仮に転職していたら、この希望には気づかないままだったでしょう。

一度社会人を経ているからこそ、自分がどのように生きていきたいのかを考えてみると、スムーズな就職活動が期待できます。

おわりに

紆余曲折を経て、修士の学位を手にした私ですが、在学中は「この選択は正解だったのか?」と思うこともありました。なんといっても当時は新型コロナウィルスが最も猛威を奮っていた時期。家に閉じこもることを余儀なくされ、目に見えた進歩を掴みきれないまま、パソコンに向かう日々です。

一方で、コロナ禍に救われたのもまた事実でした。バイトを探そうにも見つからず、通学の時間もなくなりました。そんな状態の大学生活を想像してみてください。ご飯、お風呂、睡眠時間を除く全てを、論文に注ぎ込むことが出来るのです。もちろん、奨学金をたくさん借りているので、これから先が恐ろしくはありますが……。

とはいえ、就職も世の中で言われるほど困りません。修了後の今となっては、「大学院に行ってよかった!」と言えます。

お悩み中の方は、大学院の資料を取り寄せるところから始めましょう。
 

記事を共有する

ABOUTこの記事を書いた人

アバター画像

1995年生まれ。修士(文学)。山か海が見えるところで暮らしたい。好きな色は緑色。大学院を卒業後、よりいっそう太宰治のことを考えている。