『なんとなく言語学』は、本田謙介、田中江扶、畠山雄二の三氏による共著です。
noteで「なんとなく言語学」というシリーズで連載が行われていて、その中からいくつかの話題を選び、それらに説明をつけたものが本書になるようです。
僕は、2025年5月に『自然言語演習 日本語篇』という同人誌を制作しました。これは、日常の中で収集したことばの謎について、不真面目に対峙して、風呂敷を広げるだけ広げておいて、途中で問題を投げ出すという本です。
また、それと同時に、「自然言語狩り」という連載をnoteで始めました。これは、『自然言語演習 日本語篇』第2号の準備として、ことばの謎を収集して鑑賞してみようという企画です。
そんな折に、この『なんとなく言語学』という本の情報を入手しました。一体どういうことが書かれているのかと覗いてみれば、たとえば「大型犬用カート」という文字列があった時に、この中の「犬」と「けん」と読むのか「いぬ」と読むのかで意味が異なっており、その原理を説明してくれるらしい。そして、そういう話題が35例も取り上げられているらしい。
本書のキャッチコピーは「この本を読めば、あなたもちょっとした言語学者になれる」です。ちょっとした言語学者、なりたい! というわけで、読んでみることにしました。
日常にあふれることばの謎を、コンパクトかつ平易に解説
本書は、これまで言語学や日本語学に触れたことがない方を対象に書かれているようです。そのため、説明の中に専門用語がほとんど出てきません。「語幹」だけはやや言語学的な用語だなと感じましたが、語幹がどういったものかについても、本書の中で繰り返し説明されます。
また、構成がコンパクトで読みやすいのも非常に良いですね。各章は見開き4ページ程度で書かれているので、飽きることなく読み進めることができます。
取り上げられている話題としては、統語論的・文法的な話題が多めです。統語論といえば、中村明裕氏の「頭が赤い魚を食べる猫」が有名です。下記の図におもしろさを感じる方であれば、きっと『なんとなく言語学』もおもしろく読み進めることができると思います。
こんばんは。「頭が赤い魚を食べる猫」の考案者です。最近「頭が赤い魚を食べる猫」を再びツイッター上で話題で話題にしていただけているようなので、再掲しておきますね。 pic.twitter.com/hZLOBMOtW3
— 中村明裕 (@nakamurakihiro) February 21, 2020
次に多いのは音韻論的な話題でしょうか。たとえば、「もう帰るわ」という発話について、男性が言う場合と女性が言う場合ではイントネーションが異なることなどが取り上げられています。
日常で用いられることばを対象とした本書は、小説をはじめとして文章を書くことが多い方にも役に立つでしょう。日本語の性質に敏感になることは、読みやすい文章を書くための一助となるはずです。
ラ抜き言葉は存在しない?
本書を読んでいて特に面白いと感じたのは、「ラ抜き言葉」は存在しないと断言しているところです。以下、第9章「「ラ抜き」と「レ足す」」からの引用です。
つまり、「ラ抜き言葉」とは「ラが抜かれているように見える」という、ある種の《幻想》だったのです。
なぜ「ラ抜き言葉」は存在しないのか? たとえば、「食べれる」ということばを例に取ると、これは「tabe-re-ru」と3つの要素で構成されています。「tabe」は語幹、「re」は可能を表し、「ru」は現在を表す。これで完結しているので、そもそも「食べれる」に「ら」が入る余地はないというのです。
詳しくは本書を参照しただければと思いますが、個人的には10年くらい前から「ラ抜き言葉」について考えていて、「ラ抜きがあった方が可能と受け身を区別できて便利」とか、「ラ抜きがあっても意味が伝わるのであれば、経済性の観点からは優れた表現だと言える」みたいなことを思っていたので、まさか「幻想」と断言されるとは……という気持ちです。
「昨日歯に詰めたものが取れた」——曖昧文の世界
この本でもうひとつ特におもしろいと感じたのは、「曖昧文」の存在です。
第15章「詰め物はいつ詰めた?」では、次のような例文が登場します。
「昨日歯に詰めたものが取れてしまった」
この文章には、2通りの解釈があり得ます。
まず第一に、「いつか分からないが歯に詰めたもの」が、「昨日取れてしまった」という解釈。
もう一つは、「昨日歯に詰めたもの」が「取れてしまった」という解釈です。
第一の方は、「昨日」ということばが「取れてしまった」にかかっています。もう一方は、「昨日」が「詰めた」にかかっています。
実際に話している場ではイントネーションやアクセントなどによって意味の違いを表現できるかもしれませんが、文章で見る限りは、上記の文でどちらの意味を表すのかが分かりません。こういったタイプの文章を「曖昧文」と読んでいるようです。
曖昧文は、文章を書く上では致命的になりえます。文の意味が一意に定まらず、読んだ相手に誤解を与えてしまう可能性があるためです。
『なとなく言語学』には、さまざまな種類の「曖昧文」が出てきます。また、曖昧文の曖昧さを避けるためのヒントも随所に登場します。
そのため、曖昧文の仕組みや性質を知りたいという方、曖昧文を避ける方法を知りたいという方は、ぜひ本書を読んでみてください。
まとめ
本書は、言語学に触れたことがない方でも、日常にあふれることばの謎を入り口として言語学的な問題と対峙できる、とても優れた本だと思いました。
ただ、入門書としては、これからさらに言語学について学びたいという方のための読書案内などもあった方が親切のような気もしました。まあ、別に「入門書」をうたっているわけではないので、これはこれで良いのかもしれませんが……。
浅学ではありますが、この本で取り上げられているようなことばの謎についてさらに勉強したいという方には、ひつじ書房から刊行されている日野資成『ベーシック 現代の日本語学』をおすすめしたいと思います。
音声学・音韻論・意味論・語用論・日本語文法・社会言語学など幅広い内容の基礎的な部分について触れられており、自身の興味のある領域を発見するのにぴったりだと思います。
また、ことばの謎については、言語獲得の過程を知るとさらにおもしろい観点が得られると思います。個人的におすすめしたいのは、今井むつみ・秋田喜美 『言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか』です。
さらに、手前味噌ではありますが、僕の書いた『自然言語演習 日本語篇』も、ことばの謎について興味がある方であれば、おもしろく読んでいただけるのではないかと思います。この本では、以下のような目次で、ことばの謎に対峙します。
- なぜ「料理師」と言わないのか? 「料理」と「調理」の違い
- 「明日は有給 / 有休を頂きます」 正しい略語はどっち?
- 我々は何を「立ち上げ」られるのか? 会社、パソコン、水槽
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