こんにちは、創作サークル綾月の雲鳴遊乃実です。
本題に入る前に軽く自己紹介をいたします。
私が初めて小説らしきものを書いたのは今から十一年前。中学生のときに、某大型匿名掲示板に投稿していました。その時点での読書経験はほぼ皆無。とにかく物語を綴ることを主眼に置いて、文字通り書き殴っておりました。
そのような荒れた書き方を反省し、もっと一般的な小説を書こうと思い至ったのが二年前です。お話のアイデアはいくつか溜っておりましたので、小説投稿サイトにちまちまとそれらのアイデアを昇華していきました。その活動の中で、たまたま批評を受ける機会がありまして、そのときに言われたのが次の言葉。
読みやすく、非常にまとまったよいショート・ストーリーであると思いました。
ただしまだ「よいショート・ストーリー」の範囲を越えておらず(中略)副島さん(筆者註:当時の私のペンネームは副島湯呑でした)は読みやすい文章を書く技術をお持ちなので、自己の内にある──自己の内にしかない、もしかすると他者とは分かりあえないかもしれない不定形なものを勇気を持って表出されることを期待しております。
「変化」を起こす
反省してみると、その頃の自分は自分の中にあるアイデア(トリックみたいなものです)を綴るのに精一杯で、それ以上の情緒は後回しにしておりました。
自己の内にあるものとは何か。直接それだけを考えてもなかなか捉えられません。それでは、自分が面白いと思うものって何だろう。読みたいもの、ひいては書きたいものとは、いったいなんだろう。
理屈をこねては打ち消して、長いこと右往左往しているうちに見つけたのが、「変化」という言葉。物語には必ず何かしらの変化が起こる。その、ドラマが自分の興味あることなんじゃないか。
この発見を足がかりに、物語を書くにあたり、まずは変化を大きくすることを考えました。「変化」には二通りあります。変化してプラスになるか、マイナスになるか。私はどちらかといえばプラスに終わる物語を書いてみたい。
そこで、
・主人公の立ち位置を思いっきり不幸なものにする
・大きなトラブルが主人公の身に降りかかる
など、とにかく主人公に大きな喪失を与えてみました。こうすることで、喪失を回復する物語が書ける。抽象的ではありますが、このプラス指向の考え方を念頭に置いてプロットを組みました。
「ありきたり」からの脱却
しかし、案外早くに行き詰まりました。
変化は確かにある。回復もする。でもその方法が、どうにもありきたりなものに思えたのです。
ありきたりなものは、一般的にも面白いとは思われないでしょう。ありきたりな物語とは、先が予測できる物語です。それを読み進めるというのは一種の確認作業のようなものなのではないでしょうか。もちろん、そのありきたりさが楽しいという物語もありますが、自作を読み返してみるとそのようなタイプの物語とはとても思えない。
ありきたりなものから脱するために、どうすればいいか。私は単純に、変化を予想外なものにしようと考え、ペンを片手にノートに向かい、そして頭を捻りました。一本道だったお話の筋道をこねくりまわし、枝分かれさせて、入り乱れさせて、思いつく限りの複雑さを描きました。その書き方で作られたのが、紙の本を執筆するようになった去年の十一月から、最近までの自作です。これはこれで、ある程度書けるようになったのではないか、とも思っています。
しかし、私はまだ満足しておりません。なにせこの創作スタイル、実際に取り組んでみるとものすごく時間が掛かるのです。
例えば、お話の中で何らかの変化の「前の段階」と「次の段階」を想定します。変化を予想外にするには、この「前の段階」と「次の段階」を全く別の、一見結びつかないようなものにすればいい。私はそう考えていたのですが、これを無理矢理こなしても、通して読むと違和感が生じるのです。
確かに変化は大きい、でも、不自然。その不自然を見抜くためにはどうしても途中で冷却期間が必要になります。直近の作品では、途中で丸々二ヶ月、何も書き足さずにおりました。
もちろん、時間をおけば不自然さに気づくわけで、趣味の創作活動だから気にしなくてもいい、という考え方もあるでしょう。
もっと速く書きたい
しかし私はもっと速く書きたい。なぜなら、何かを作るのには熱意が必要になりますが、その熱意が、時間を掛けすぎることにより冷めていくからです。完成形がいかに面白いと感じていても、いつまでも表出できないでいれば、やがてその面白さも、自分の中で食傷してしまうのです。
いかにして早急に不自然さを脱却し、変化を描けるか。私はまず違和感の原因について考えました。
各エピソードの繋げ方が無理矢理なものであったり、即席の事象ばかりで構成されていたりしたら、読んでいる人はご都合主義を感じるでしょう。ご都合主義の「ご都合」とは、作者の「ご都合」です。お話の中でこの「ご都合」が散見されるということは、その物語が創作物であるとアピールしているようなものです。読者からすれば、その「ご都合」を感じるごとに興ざめしていきます。これが違和感の正体です。
その違和感を脱却するためには、現実感が必要です。話の筋書き以外で深掘りすべきもの。私はそれをキャラクターだと考えています。お話の中にいるキャラクターの意志をなるべく突き詰めること。「彼らならこの場合きっとこうするだろう」「彼らはこのような行動はしないだろう」と、キャラクターの行動に説得力が増せば、いかに小説が虚構で満ちていても、行動が自然なものに感じられる。
たとえ客観的に見ればご都合主義でも、読んでいる間だけでもそのことを忘れられたら、物語を書く側としては大成功なのだと思います。
まとめ
後出しになってしまいますが、私はこの小説の書き方を完璧に熟しているわけではありません。
そもそも最後のキャラクターのくだりもごく最近になって閃き、今後実践してみたいと考えていることです。あくまでも一小説書きの意見として、お受けとりいただき、読者の皆様にはご自分に合った執筆スタイルで自由に創作されることを望みます。
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