ヴァージニア・ウルフからはじめるフェミニズム批評入門ブックガイド

近年、フェミニズムの影響を受けたフェミニズム文学が注目を集めています。『文藝』の特集「韓国・フェミニズム・日本」や「覚醒するシスターフッド」は大きな話題を呼んで17年ぶりとなる異例の重版・増刷となりましたし、女性が統治する伝統を持つ島を描いた李琴峰『彼岸花が咲く島』は芥川賞を受賞しました。

加えて、フェミニズムの影響はこういったフェミニズム文学のみに限られません。フェミニズム批評の視点で、古典文学をはじめとした多くのコンテンツが新しく読み解かれ始めています。

今回の記事では、フェミニズム文学を読み解いたり、フェミニズムの視点で文学作品などのコンテンツを批評したりするために読んでおきたい入門書をいくつか紹介します。

フェミニズム批評とは何か

フェミニズム批評とはフェミニズムやジェンダー/セクシュアリティの観点から文学作品などのコンテンツを批評することです。

まずこのフェミニズム批評というものがどういうものか知りたければ、北村紗衣『お砂糖とスパイスと爆発的な何か 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』を手に取るのをおすすめします。軽妙なエッセイテイストで読みやすいこの本には、現代文学から古典文学まで、小説から映画まで、フェミニズム文学と呼ばれるものからそうでないものまで、幅広く様々な作品の批評が収録されています。

この本によると、フェミニズム批評は、これまでの批評が実は男子文化だった、というところに立脚しています。つまり、私たちは男性中心的な社会に生きていて、性別や性的指向を問わず、知らず知らずのうちに男性中心的なものの見方を身に着けてしまっていますが、それを打ち破る方法がフェミニズム批評なのです。

フェミニズム批評の理論的な流れ

フェミニズム批評の大きな流れは大きく4段階に分けることができます(注1)。

注1:エレイン・ショーウォーター『新フェミニズム批評』(1985)では3段階としていますが、古い本なので最新の潮流も含めて4段階としました。また、ここでは段階をおって進歩していくということではなく、単にざっくりと年代ごとに変わってくるフェミニズム批評の傾向として段階を捉えています。

まず第1段階では、文学における女性嫌悪が問題視されました。フェミニズム批評の源流は、1960年代後半以降のラディカル・フェミニズムだといいます。ラディカル・フェミニズムは女性への抑圧は単に法的・経済的なものだけでなく、文化的・心理的なものでもあると主張しました。ここではじめて、これまでの多くの文学作品が男性中心的な価値観に基づいていたという問題意識が生まれたのです。

次に第2段階では、文学史から排除され、長い間埋もれていた女性作家の再発掘が行われました。この潮流は「ガイノクリティシズム」と呼ばれ、シャーロット・ブロンテなどの女性作家に焦点が当てられました。80年代以降には、さらにこれにブラック・フェミニズムやポストコロニアル・フェミニズムなどの影響が加わり、西欧白人以外の女性作家の発掘も進みました。

さらに第3段階では、「女性的なもの」が言語などのシンボル体系の中で抑圧されてきた様が考察されました。ポスト構造主義の流れを汲むレズビアン・フェミニストたちは男性中心の意味機構の外部に女性的な言語(エクリチュール・フェミニン)を形成することを唱えます。さらには、従来女性に割り振られてきた倫理思想である「ケアの倫理」が、従来男性に割り振られてきた倫理思想である「正義の倫理」に対して、劣ったものとして扱われてきたことが指摘されました。

ついに第4段階では、「女性」という主体すらも権力構造に組み込まれているとして批判されるようになります。90年代になると、ジェンダー規範の攪乱などを分析するクィア理論が発展し、文学作品の読解から人々のセクシュアリティがいかに言説/権力と歴史的な文脈によって構築されているのかなどといった分析にまで踏み込みました。

こうした理論的な理解から入りたい場合は、三原芳秋、渡邊英理、鵜戸聡=編著『クリティカル・ワード 文学理論』を読むのがよいでしょう。この本は総覧的な文学理論の教科書でありながら、フェミニスト批評の理論に多くの紙片を割いています。

それでは、こういったフェミニズム批評を用いて、いま様々な論者がどのように文学作品を読み解いているか、ひとつ事例をみていきたいと思います。

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フェミニズム批評事例:ヴァージニア・ウルフにおける「家庭の天使」

近年フェミニズム批評において再注目を集めているのが、20世紀モダニズム文学の旗手・ヴァージニア・ウルフです。

バイセクシュアルでフェミニストだったウルフも、ずっと自分の心の中のある幻と戦ってきたといわれます。それは「家庭の天使」という言葉でした。この言葉は、家庭内で妻や母の役割を果たす女性を褒め称える言葉であると同時に、女性が自分で考えて行動をしようとする時にのしかかってくる社会的抑圧でもあったのです。

小川公代『ケアの倫理とエンパワメント』では、この「家庭の天使」というキーワードについて、第3段階の流れを汲む批評を展開しています。「家庭の天使」に「ケアの倫理」という新しい意味を読み取ったのです。先述のように、「ケアの倫理」とは、従来女性に割り振られてきた倫理思想であり、文脈や人間関係を重視するものです。この「ケアの倫理」は、従来男性に割り振られてきた抽象的で普遍主義的な「正義の倫理」に対して、劣位のものとされてきました。

小川氏によると、ウルフ『灯台へ』ではヒロインのラムジー夫人が「ケアの倫理」の体現者である「家庭の天使」として描かれています。一方で、この作品に登場する画家リリー・ブリスコワは、ラムジー夫人に同性愛的に惹かれつつも、同時に彼女のふるまいに反発します。リリーは「家庭の天使」という「女らしさ」と精神的自立という「男らしさ」との間を揺れ動いているのです。ウルフ自身はこのリリーに自分を重ねていたのではないか、というのが小川氏の考えです。

そんなウルフが理想としたのは「両性具有」でした。その「両性具有」こそ、ウルフ『オーランドー』に描き込まれているものだと小川氏はいいます。この小説では、400年近く生きる主人公・オーランドーは感傷的で中性的な美少年として成長しますが、30歳(実際には100歳近い)の頃に深い眠りから目が覚めると女性に変わっています。オーランドーのように、「家庭の天使」という「女らしさ」に加え、自立などといった「男らしさ」を兼ね備えた(また双方の負の部分からも逃れた)「両性具有性」を持つことこそ重要だとウルフは考えたのではないかと、小川氏は読解します。

一方、平林美都子『女同士の絆 レズビアン文学の行方』では、同じ「家庭の天使」について第4段階にも位置付けられるような読解をしています。平林氏はウルフ自身を主人公のひとりとしたカニンガム『めぐりあう時間たち』とその映画版の分析を行います。この両作品は、ウルフ『ダロウェイ夫人』が下敷きになっており、『ダロウェイ夫人』を執筆するウルフ、20世紀半ばのロサンゼルスで『ダロウェイ夫人』を読むローラ・ブラウン、20世紀末のニューヨークでミセス・ダロウェイとあだ名を与えられたクラリッサ・ヴォーンの3人を主人公とした時空を超えた物語です。

この3人ともが「家庭の天使」という性役割の束縛を感じており、作中ではそれが「病」として表象されています。それに対して、その束縛からの解放は欲望の表出としての同性間のキスの行為として表象されていると平林氏は分析します。

このように、ヴァージニア・ウルフの作品における「家庭の天使」ひとつとっても、様々な批評の可能性があります。

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おわりに

ここまで、フェミニズム批評の定義や理論、さらには代表例としてヴァージニア・ウルフ論を紹介してきました。

欧米の理論や事例を多く紹介しましたが、もし日本のフェミニズム批評について知りたければ、駒尺喜美,高良留美子,富岡多惠子,三枝和子,水田宗子,黒澤亜里子,関礼子,藤本由香里,阿木津英ほか『新編 日本のフェミニズム11 フェミニズム文学批評』を読むとよいでしょう。この本では、日本のフェミニズム批評の歴史的な展開を見渡したうえで、フェミニズム批評とは「歴史的概念」となりつつあると論じています。たしかにフェミニズム批評という言葉を聞く機会は80~90年代より減ったかもしれません。しかし、フェミニズム批評を読んではっとさせられる私たちは、実はいまだに男性中心主義の檻の中にいるのではないでしょうか。そんないまこそ、女性という主体すらも越えつつつある、このフェミニズム批評が必要とされているのだと思います。

みなさんもぜひここで紹介された本を読んで、どんどん男性中心主義の檻を壊していきましょう!

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