ウィリアム・シェイクスピア。イギリス・ルネサンス演劇を代表する人物である。
華々しく詩的な台詞回しと、容赦なく襲い掛かる悲劇、繊細な心情表現が魅力の劇作家。名前や映像作品は見たことがあっても読み物として読んだことは無い、一度は読んでみたいけど何から読めばいいのか分からない、という方も多いかもしれない。
そこで今回は、シェイクスピアの「四大悲劇」と呼ばれている4作品、そして『ロミオとジュリエット』、『リチャード三世』の計6作品をおすすめさせてほしい。
この記事の目次
止められない負の連鎖「四大悲劇」
復讐と美しき破滅『ハムレット』
美青年で頭のいい王子『ハムレット」』、父を殺した者への復讐を遂げるまでと破滅を描いた作品。
復讐は何も生まない、というのはよく聞くが、この物語の中では「破滅」を生み出している。復讐を遂げるために狂ったふりをするハムレットは、恋人を失い、殺すつもりの無かった人を殺し、最後には自分の命も失う。ハムレットが自分の心情を独白する場面がいくつか出てくるが、悲しみや怒り、戸惑い、諦めなどネガティブな感情が凝縮されていて痛々しい。この絶妙な心情の揺らぎや葛藤、そして多くの血が流れるのにもかかわらず、なぜか美しさを感じる不思議をぜひとも感じ取ってほしい。
身勝手と不条理『リア王』
年老いた王「リア」と、その三人の娘たちとの間で起こる戦いを書いた作品。
リアは平穏な余生を過ごすために領地を娘たちに分配する。リアが喜びそうな言葉だけを並べ立てた長女と次女には喜んで領地を与えるが、言葉より行動を大切にするという三女には領地を与えずに追い出してしまう。その結果、長女と次女に裏切られ、平穏な余生を過ごしたかっただけのリアは悲惨な結末を迎える。「悪者は報いを受ける」といったようなスカッとする物語と思いきや、戦いは思わぬ方向に向かい、リアルな不条理さと救いようのない悲劇に圧倒させられる。後味の悪い話が好きな方におすすめ。
連鎖する嫉妬『オセロー』
非の打ち所がない将軍「オセロー」が、信用している男「イアーゴー」の言葉で嫉妬に狂い、過ちを犯すまでを書いた作品。
イアーゴーはオセローに対して一方的に恨みを持っている。口が上手いイアーゴーは、オセローに「妻が不倫をしている」と思い込ませようと企む。イアーゴーを信頼しているオセローはまんまとその罠にかかり、徐々に疑念を募らせていく。イアーゴーの巧妙さは、何と言っても「はっきり言わない」ところに出ている。嘘をついてしまうのではなく、あくまで疑念を抱かせるだけ。最終的に結論を出すのはオセロー自身なのだ。惚れ惚れするほど徹底したイアーゴーの巧みさ、そして何も知らないまま巻き込まれていくオセローへのもどかしさがたまらない。
欲望と弱さ『マクベス』
魔女の予言を信じた「マクベス」が王位に就くまでと、破滅までを書いた作品。
マクベスは「いずれ王になる」という魔女の予言を信じ、妻と共に王を殺す。予言通り王になるマクベスだったが、自分の地位がいつか無くなるという恐怖でさらに過ちを重ねていく。このマクベスという登場人物の一番の魅力は「弱さ」だ。王を殺す際には怖くなり、妻に説得されてようやく行動する。最後の最後まで予言だけを信じ、魔女を頼り、自分で決定を下さない。そして、最後は信じていた予言に思わぬ仕方で裏切られる。方向さえ間違えなければ優しい人でいられたのではないかと思わせる主人公には、読者の心を掴んで離さない引力のようなものがあるのだ。
人間の心を覗き見できる他のおすすめ作品
叶わぬ恋が生む悲劇『ロミオとジュリエット』
ロミオとジュリエットの悲恋を書いた作品。「ああ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの」という台詞でお馴染みの名作だ。
ジュリエットは、ロミオではない人との結婚を決められてしまう。望まない結婚から逃れるため、ジュリエットは毒を飲んで死んだふりをすることにする。そこにロミオが戻ってきて、本当にジュリエットが死んだと勘違いする。ロミオの家とジュリエットの家が長い間対立状態にあったために起こった悲劇。ただ恋をした相手と結ばれたいと願っただけなのに、それが許されなかったためにドミノ倒しのごとく悲しい結末へと向かってしまう。「恋」というものの持つ大きな力の前に、人間は全くの無力であることを痛感する作品だ。
自惚れと絶望「リチャード三世」
「グロスター公リチャード」が王位に就き、そして死ぬまでを描いた作品。
シェイクスピア作品の中でも群を抜いて「悪人」とされるリチャードだが、読者はなぜかリチャードのことを嫌いになれない。彼は王位に就くため、邪魔者を容赦なく殺し、未亡人になった女性たちを口説き、自分のものにしていく。そこだけ聞けば悪人であることに間違いは無いのだが、彼は同時に「醜い男」なのだ。見た目へのコンプレックスを抱え、成功するたび調子に乗り、我に返って絶望し、そして悪い行いの報いを受ける。あまりにも堂々とした「人間らしさ」に、王位を求めたことのない私たちでさえ、感情移入してしまうのである。
なぜ戯曲を「読む」のか?
シェイクスピア作品は、映像化されたり舞台化されたりしている。もちろんそれを映像として観るのも楽しいのだが、同時に作品自体も読んでほしい。楽しみ方は人それぞれだが、個人的には、「自分で勝手にキャスティングをする」という楽しみ方が面白いと思っている。
小説の場合、「地の文」と呼ばれるナレーション部分も多く、頭の中で映像化するのは少し難しい。が、シェイクスピア作品は戯曲であるため、ほとんどが台詞のみで構成されている。そのため、「この人物はあの人が演じると似合うんじゃないか」や「この台詞はあの人の声で聴きたい」というように、自分好みの“舞台"を頭の中で勝手に上演することも比較的容易なのだ。
まとめ
シェイクスピア作品は、小説とも少し違った戯曲形式の読み物であるため読むのに慣れは必要だが、人間の欲望や葛藤を丁寧に描き出している。読み物として非常に面白いので、この記事を読んで作品を読み、ファンになってくれる方がいれば嬉しい。