カンヴァス(肉体)に刻まれたことば(傷)/読書案内 千早茜『あとかた』を読んで

この世界に実体として存在している己の肉体について、ふと立ち返り考えたことはあるだろうか。

私たちの身体はひとつの個体として、漂う時間の中で常に定位置を保ちながら留まっている。
存在する実体、という面では不動だが、経過する実体、という言い方に変えれば、その身体は時間ごとに変化していく。
つまり一秒毎に私たちの身体は、緩やかに変わり続けているということだ。

産まれたての頃の自分の皮膚と、現在の皮膚を交互に思い浮かべた時、より自発的に甘い匂いをさせている方、硬い・柔いの区別など、考えればすぐに分かるだろう。私たちは同じ実体をもってして時間の中を生きることは出来ない。産まれた瞬間から老いのカウントダウンは始まり、命の終わりという名の消失点に近づいていく。皺の出来た皮膚をなぞれば、自分の命に与えられた時間は終わりから数えた方が早いことに気づく。
己の身体、という、自分自身にとっていちばん身近に触れることの出来る実体こそが、最も近しい限定的な存在、ということも出来る。

そんな肉体というものに、たとえば裂傷だったり、痣が出来たとする。傷は出来たての頃、ひどく腫れ、あるいは出血して痛みを伴う。痛み、という記憶が、傷を仲介して自分の心にインプットされる。感情に直接語りかけてくる、強烈な「ことば」として機能してくるのだ。
しかしその「ことば」は永遠のものではない。肉体が肉体としての機能を正常に果たそうとするがゆえに、傷は時間の経過により癒えていってしまう。
「ことば」は段々薄れてきて、やがて完全に聞こえなくなる。どんなにその傷を愛していたとしても――愛する人間によって故意に傷つけられた場合――その愛の証は、いつか消えてしまう運命にある。

刹那的なカンヴァス(肉体)に刻まれたことば(傷)、というテーマを巧みに文章化しているのが、千早茜著『あとかた』の中に収録されている「ほむら」という短編だ。

主人公の「私」は結婚を目前に控える女性。ある日、知人の紹介により一人の男と出会う。既婚であるにも関わらず、男は主人公と何度も逢瀬を交わす。決定的ではないが確かに自分にまつわる事を知っているかのような謎めいた仕草と口ぶりで、「かたち」に縋らず、追い求めず、されど巧みに誘い、主人公を腕の中に抱く。
彼の存在に、次第に翻弄されていく主人公。やがて身体を重ねるようになった二人はある日の夜、互いの身体に「痕」を付ける。

私たちの火は結局何も遺しはしなかった。
何かをかたちづくることも、生み出すこともなかった。

だけれど、自分の中には今でも「痕」がある。消えてしまったのに消えない「傷」が――。

「傷」とは、一種のインプットであると捉えられる。それも、時間の限定されたものだ。
私たちの身体は、傷を負ってもいつか癒える。だから表面上、永遠に傷を宿すことは出来ない。けれど身体にインプットされなければ、引きずる事のなかった思いがそこに刻み付けられる。
何もなかった状態へと緩やかに戻っていく身体を引き止めるのではなく、癒えていく傷を眺めながら、傷を刻んだ相手のことを何度も思い出す。

そう思えば、限定は非限定になるのかも知れない。インプットを繰り返し呼び起こすことが出来るからだ。
しかし、傷はすでに無い。目に見える「かたち」として再生させることは、二度と出来ない。それこそが胸を締めつける刹那、と呼べるものなのではないだろうか。

「かたち」に縋ることは、人間の理性に近い部分に欲求の源泉がある、とも考える。誰か他の人間と、触れば確かに噛み合っていたり、繋ぎ合わさっていたりしないと不安になる。それが人間の営みでいう、結婚という事に結び付くのだと思う。

その反面、実体のないものにどうしようもなく惹かれてしまう一面も持っている。その二つの欲求は、パラドックスのように相互的にはたらく。
二面に分かれた人間が二人、四面鏡のようになって互いを見つめ、そしていつか消えてしまうと分かっている「痕」を残し、その「痕」を残したまま男は命の終わりを迎え、主人公は結婚という「かたち」を整えていく。
それぞれ異なった結末を迎える男女、ふたりが身体に刻み付けた「痕」がそれぞれどんな結末を迎えるのか――。ぜひ最後まで読んで、痛みが失われることの儚さと、それでもなお後引く熱を感じて欲しい。
愛したゆえに出来た傷、というものは、実体としての身体を苦しめることになるだろうし、同時に、その身体を一生抱えて生きていかなければならない人間の強い記憶になりえるかもしれない。

傷はいつか消え、失われていく。それを「あとかた」と呼ぶ。跡形もなく、の意だ。
あとかた――そこには確かに傷があり、泣くように滲み、疼く瞬間があったのだ。

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ABOUTこの記事を書いた人

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1992年生まれ。日本大学芸術学部文芸学科を卒業後、フリーライターとして活動のかたわら創作小説を執筆。昨年度、文学フリマにて中編小説『愛をくれ』を発表。自身の生きづらさを創作に昇華することを目標とする。