夏に読みたい 酷暑を底冷えさせる「鳥肌」小説

小説を読んで背筋が凍り、鳥肌が立った経験はあるだろうか。ページを繰って、そこに描かれた情景を想像しながらふと腕元を見やると、細かい点状の突起がびっしり皮膚一面を覆っている。まるで体毛をむしり取られた鳥のようで、おもわずギョッとしてしまう。すると体中を凍てつくような冷感が駆けめぐる。このような体験をすることは、読書においてめずらしいことではない。とりわけ恐怖小説に多いが、美しい描写や感動的な場面に出会ったときにも鳥肌は立つ。江戸川乱歩「押絵と旅する男」(『新青年』博文館1929年6月)の書き出しは魚津の「蜃気楼」をながめる場面にはじまるが、その妖美な風景描写に圧倒され、鳥肌が立ったことがある。富山に行ったことも、蜃気楼をみたこともないのに、したたか感動にうたれた記憶はいまでも忘れられない。

江戸川乱歩から今日の流行作家にいたるまで、怪奇小説には人を惹きつけてやまない魅力がある。そもそも人間は虚構のなかに恐怖を欲する生き物なのだ。梅雨を迎えると陰鬱な和製ホラーが封切られ、盛夏のころに稲川淳二がろうそくの火を消すのも、古くは江戸時代の「四谷怪談」から続く風物詩だろう。ホラー映画や怪談に限らず、勧善懲悪の「忠臣蔵」にしろ、幼児に読ませる「カチカチ山」にしろ、大団円に収束する過程はグロテスクな残酷描写に彩られている。

今回紹介するのは筒井康隆、曾野綾子、葉山嘉樹が書いた作品。取り上げる作品には幽霊もゾンビも登場しない。しかし、それらが描きだす逃げ場のない恐怖は、不思議と今日のホラーに近い性質を持っている。

筒井康隆「母子像」

SF御三家に数えられる大家であり、ジャンルにとらわれず小説の境界を自在に縦断する筒井康隆。禁煙ファシズム、権力を持ったPTAや人権団体、マスメディアによる暴力といった数々の未来を揮毫した予言者でもある。遡ってみれば江戸川乱歩の推薦によって登壇した作家であり、優れた怪奇小説の書き手としても名高い。その怪奇小説には、超自然現象が持ち込まれる。超自然現象の描かれ方も、ファンタスマゴリやポルターガイストといったオカルトではない、視覚的な効果を担ったSFやシュルレアリスムの手法が用いられている。はじめに紹介する「母子像」(『別冊小説新潮』1969年初夏号)は、ホラーとSFを融合させた怪奇小説だ。

主人公の「私」は若い歴史学者。学生運動の激化によって大学講師を辞め、深閑とした一軒家の書斎にこもって仕事をしている。妻の「三和」は赤ん坊を産んだばかりで、赤ん坊の泣き声は私を苛立たせた。大学書庫からの帰途、玩具店に立ち寄った私はシンバルを叩くサルの玩具を買う。茶色いサルの群れに紛れ込んだ真っ白なサルだった。赤ん坊はこのサルを気に入った。ある時、サルを掴む赤ん坊の腕が霞んでいるように見えたが、目の疲れだろうと思った。いつものように帰宅すると、妻と赤ん坊の姿がない。あの白いサルもない。ふと赤ん坊の泣き声とシンバルを打ち鳴らす音が聞こえてくる。家中を探し回った私は、暗い書庫の本棚にぼんやり宙に浮かびあがる赤ん坊の背中を見る。警察に相談するが荒唐無稽な怪奇現象については話せない。仕事も手につかず、飯も喉を通らなければ、眠ることもできなかった。真夜中にガラス越しに庭を見つめると、暗い木立の影に赤ん坊を抱いた妻の姿がゆらめいた。思わずバルコニーに飛び出した私は、妻とともに消えていく赤ん坊の姿を見る。赤ん坊の手にはあの白いサルが握られていた。私はこのサルを掴み取った。このサルが作りだす亜空間に手を伸ばして妻の足首に触れ、現世に引きずり戻そうと試みる。しまった、サルを離すのが早すぎた。亜空間に引き裂かれた首のない母子が宙から落ちてきた。ある晩、切断された首から上が庭に浮かびあがるのを私は見た。眠る赤ん坊を抱いて頬を寄せる妻。ふたりの姿は名画の「母子像」のように美しかった。

「母子像」はその怖さもさることながら、幻想的で美しい小説である。この作品には構成美の要素がいくつもあり、それらが視覚的な恐怖をつくりあげる。同じ方向性の作品に「遠い座敷」(『海』1978年10月号)がある。「遠い座敷」が改行を省いた文章構成と連動するように拡張していく空間の恐怖を描くのに対し、「母子像」は蜃気楼のように出没する亜空間がもたらしたスプラッターという断絶の恐怖を描く。

語り手は「静かで陰気な家」と「暗い部屋」の〈黒〉と「白い布地で作られ」た「サルの白子」「妻の白い指さき」私の蒼ざめた顔の〈白〉を中心に、暗い家に浮かびあがる〈黒白のコントラスト〉を描き、静寂の空間に響きわたる「赤ん坊の鋭い、冴えた泣き声」や「かしゃん、かしゃんと」「ヒステリックに打ち鳴らす」「シンバルの音」を挿入して、色彩と音響の恐怖を掻きたてる。こうした技法は、18世紀末に流行した〈ゴシック〉とよばれる古典的ホラーの様式を踏襲したものだ。

 この部屋にある家具は、茶箪笥とテレビと卓袱台だけである。その他には、部屋の隅に赤ん坊の小さな布団が敷いてあり、ピンクとグリーンの花模様の可愛い掛布団はまくれあがっていた。その上には、妻が外出する際いつも赤ん坊に着せているライト・ブルーの小さなハーフ・コートが投げ出されている。枕もとには、おしゃぶりと白いクマ人形がころがっていた。

茶や赤の〈暖色〉がピンクとグリーンの〈中性色〉に切り替わり、ライト・ブルーの〈寒色〉を経て〈無彩色〉の白に辿りつく優れた色彩表現であり、同時に形骸と化した生活感が〈廃墟〉のような印象をかもす。視覚的な演出は色彩感だけではなく、超自然現象の表現にも貫かれる。

 ふたたび中央の通路を覗きこんだ時、私は、その通路の中ほど、床上二メートルほどの宙に浮かび、ぼんやりとかすんだ赤ん坊のうしろ姿を見た。はっと息をのんで立ちすくんだ瞬間、赤ん坊のからだはかげろうのようにゆらめき、まるで一枚の絵のように平面的な感じになって、何かにひっぱられるように、書棚の中へ吸いこまれて消えた。ぎっしり隙間なく詰まっている筈の、本と本の間へ、煙のように、ゆらめきながら消えていったのである。それはちょうど、タバコを喫っている人間を撮った映画のフィルムを逆回転させた時に、その人間の口へ吸い込まれていく煙の動きそっくりだった。

超自然現象によって消失する立体感や曖昧になる距離感、それらが絵画的なイメージに結びつく先行テクストに「押絵と旅する男」がある。

 蜃気楼とは、乳色のフィルムの表面に墨汁をたらして、それが自然にジワジワとにじんで行くのを、途方もなく巨大な映画にして、大空に映し出した様なものであった。/遙かな能登半島の森林が、喰違った大気の変形レンズを通して、すぐ目の前の大空に、焦点のよく合わぬ顕微鏡の下の黒い虫みたいに、曖昧に、しかも馬鹿馬鹿しく拡大されて、見る者の頭上におしかぶさって来るのであった。それは、妙な形の黒雲と似ていたけれど、黒雲なればその所在がハッキリ分っているに反し、蜃気楼は、不思議にも、それと見る者との距離が非常に曖昧なのだ。(江戸川乱歩「押絵と旅する男」(『新青年』博文館1929年6月))

「母子像」も幻想文学の系譜に数えられる怪奇小説であるが、後半からSFの想像力を持ち込んで清新な物語に転じていく。白いサルは「現実の世界」から「消える空間」の扉を開くキーアイテムであるが、物語をホラーからSFへと切り替えるキーポイントでもある。「母子像」は〈起承転結〉の構成が明確に設定されたテクストであり、サルを買うのが〈起〉、超自然現象が〈承〉、首の切断が〈結〉だとすれば、〈転〉はサルによって導かれるSF的な探求である。このサルを「私」がとり戻した瞬間SF色が強まっていく。

 世界ーーそう、そこはあきらかに、この私のいる現実の世界ではない筈だ。ではいったい、どんな世界なのだ。そして、その世界とこの世界の境界は、出入口は、もしくはふたつの世界をつなぐ空間は、どこにあるのだ。また、どうすればその世界へ入れるのだ。どうすればこの世界へ入れるのだ。どうすればこの世界へ、また戻ってくることができるのだ。/私はまた、サルを眺めた。/このサルだ。このサルが、今、この現実の世界にある、ただひとつの、あの消える空間へ私をつれて行ける可能性を持った物体なのだ。/「さあ、つれて行け。私を、妻と赤ん坊のいる世界へつれて行け」

仮説的推論によってサルの正体をあばき、未知なる空間に接近していく過程はSFであり、ホラーとSFを縦断して物語は進行する。空間のスプラッターにも疑似科学的な根拠が用意され、最終的に首のない母子というホラーの構図に回帰していく。末尾で赤ん坊も「アルビノ」であったことが明かされるが、冒頭でサルを「白子」と書き、ルビを「アルビノ」と振るあたり、ぬかりない。ゴシック小説を今日のSFやホラーの源流と見做す説があるが、ともすれば「母子像」は双方を先取りした先駆的なテクストであるといえる。近年、著者の回顧録で「母子像」にも直木賞候補の打診があったエピソードが語られた。むろんSFやホラーを三流小説と位置付けていた同時代の文壇をかえりみれば、筒井が応じなかったのはやむを得ない。

【参考文献】筒井康隆「解説・編集後記」(『異形の白昼』集英社文庫1986年4月)。加藤耕一『「幽霊屋敷」の文化史』(講談社現代新書2009年4月)。筒井康隆著、日下三蔵編『筒井康隆、自作を語る』(早川書房2018年9月)。

曾野綾子「長い暗い冬」『木枯しの庭』

今日的には保守派の政治家として知られる曾野綾子。しかしここでは優れた手腕をもった作家として紹介したい。大学卒業時に発表した「遠来の客たち」(『三田文学』1954年4月号)が第31回芥川賞候補になる。これは進駐軍接収のホテルに勤める19歳の「波子」の日常を切り取った短編で、親切な米兵とのやり取りのなかにも「敗戦」の感傷が立ちあがる描写にリアリティーがある。このときの対抗が「原色の街」(『世代』1951年12月)が留保された吉行淳之介「驟雨」(『文學界』1954年2月)であったことや、「まだ若いから」という一点の口実によって見送られたことは芥川賞史に残る悲劇であろう。結局、曾野が芥川賞を取ることはなかった。今でも続いている芥川賞の悪習である。

曾野文学の特色として〈仄暗い日常性〉〈蕭条とした風景描写〉〈偏執と諦観を抱く人物像〉があげられる。つまり、ホラーとの親和性が高い。

有名なホラー小説に「長い暗い冬」(『別冊宝石』1964年2月号)がある。筒井康隆『異形の白昼』(集英社文庫1986年4月)に収録されたことで知られるが、編者の筒井は「背筋を戦慄が駈けのぼった。怖いこともさることながら、悲しいし、可哀そうだし、残酷だし、まったくこんなストーリイを生み出す作者は、どんな頭をしているのかと考え、夜、眠れなかった」という。「長い暗い冬」は、予測不能な結末が読者を戦慄させるサスペンス調の怪奇小説だ。

商事会社に勤める主人公「石山」は、濃霧に覆われた北欧の洋館で七歳の息子「光之」と暮らしている。単身赴任中に部下と妻「紅美子」が不倫心中したため、光之を移住させたばかりだ。光之のことは家政婦に任せっきりである。光之はいつも「無表情」で、この父子家庭に会話らしい会話はない。光之は薄暗い暖炉の前で延々と「カチカチ山」を読みふけっている。そんな息子と一緒に暮らしていると石山は息がつまった。彼の姿や体臭は死んだ妻を思わせた。石山を案じて日本から親友の精神科医「柳井」が訪ねてくるが、光之は何の反応も示さずいつものようにカチカチ山を読んでいる。柳井に挨拶するよう呼びかけるが、光之は体をぐらぐらと揺らすだけで顔をあげようともしない。本を取りあげてみても、本があった床をじっと見つめているのだった。

「君、この本を見たことはあるか?」/柳井は尋ねた。/「いや、しかしカチカチ山なら、僕は知っている」/石山はカチカチ山という発音をする時、ほんとうに自分の歯が鳴ったように思った。/「話の最後はどんなふうになっているか、知っているか」/「紅美子がいってた。おじいさん、首尾よくわるいタヌキをやっつけて、おばあさんのかたきをうちましたよ、と兎が言うところだろう。この頃の話はそうなってるらしい。くだらん、勧善懲悪趣味だけど」/柳井は黙って絵本を渡した。石山はふるえる指先でページをくった。兎がタヌキの背中に火をつける。トウガラシを塗る。泥の舟にのせて沈める。残酷な話ではあるが、別に変わったところはないではないか。/それから兎がおじいさんに報告に来る。おじいさんは泣いてよろこぶ……/その次のページにもう一枚、めくり残したようなところがあった。/「あはははは、いま、おまえさんのたべたのは、じつはおばあさんのにくさ。わたしはこうしてぶじなのさ。タヌキはこういいながら、にげていきました」/ページが落丁なのであった。最後に、またもや狸は、あざ笑いながら逃げ出して行っている。/静寂がぴりぴりと、石山の膚を刺すように感じられた。/「光之!」/彼は小さな声で呼んだ。/「光之」/しかし息子は、本もないのに、本を読んでいるような姿をくずさなかった。

 
親友の来訪によって調子が明るくなったのも束の間、物語は終わりのない残酷童話に溶暗する。語り手はナトリウム燈に浮かびあがる子どもの無表情や、濃霧に霞んだ暗い洋館の情景を織りまぜ、白夜の悪寒と恐怖を掻きたてる。つぎに石山をとりまく暗い心境を蕭条とした風景描写に連ね、柳井との会話を起点に家政婦のいる父子家庭の事情を明かしていく。頼れる柳井の存在は石山に安心感を与えたが、しかし柳井の闖入によって光之が「狂っている」という真実が暴かれてしまう。一家の深層に迫る柳井は〈明智小五郎〉のような探偵役であり、物語の構成はサスペンスに近い。結末に日本の童話を配すことで和洋折衷の怪奇小説に仕上がっている。「長い暗い冬」は底冷えする日常の戦慄を抉りとった名作だ。

〈家〉や〈家族〉を題材にとった曾野ホラーの集大成が長編『木枯しの庭』(新潮社1981年3月)だろう。これは日本文学の〈冬彦さん〉とでも言うべき小説で、日本ではめずらしいモルタル式の古い洋館で母親と同居する結婚できない男「公文剣一郎」の陰湿な日常を綴った怪作だ。母と息子を幽閉する洋館の鉄扉は「他者」を拒み、心の乾ききった「公文」と偏狭な母親「絹子」は互いに話を繕いながらリビングで食卓を囲む。絹子のつくる料理は味気なく、精神病者に手向けられた真っ赤なバラだけがこの食卓を彩る。公文は母親の偏愛を受けいれるため妻と別れて恋人を拒み、母親を蔑ろにする同僚「千知松」の息子を砂利置場で見殺しにしてほくそ笑み、教え子夫婦が性交渉している妄想をたのしむ。このような男でも、立派な学者の家系に生まれ、キリスト系の「聖約翰」大学で米文学の教鞭を執り、表向きは朗らかな紳士を演じるので周囲からの信頼は厚い。

「長い暗い冬」は「落丁」という〈落ち〉に収束するホラーであったが、『木枯しの庭』の恐怖は小説の構造それ自体にあるといえる。誠実な〈会話文〉と不誠実な〈地の文〉が生みだす不調和はすさまじい。
「千知松夫人」と出会った公文は「お通夜の日にもお葬式の日にも上れないで、本当に気が咎めていたんです」と挨拶をかわす。夫人は「いえ、もう先生には充分に、あの苦しい時に救って頂きました。わざわざ御自分でお車を運転して捜して頂けたなんてこと、進がもし生きてわかる年だったら、どんなに先生に感謝したかもしれないと思うんです 」と言い、その返礼に公文の家に行き「捻挫」した絹子の世話を焼きたいと申し出る。

 あの男の細君にしちゃ上できだ、と公文は心の中で思った。もし今、自分がこの女を誘ってみたらどうだろう。お茶を飲むだけでなく、もっと積極的に、もっと意図的に……。息子を見殺しにすることより、むしろその方が、千治松の家庭を陰険に、破壊することができたかも知れない。子供は――生死がわからぬ間は、あの一家に、拷問のような状況を与えることができた。しかし、子供の死は長い拷問のあとにやって来たので、それは思いのほか、からりと受けとめられたようだった。(第11章「木枯しの庭」1部より)

作品の特徴は、顛末において淡々と進行する語り手にある。今日のサイコホラーを思わせるが、公文は生来のサイコパスではない。語り手は第1章で元妻「東鱗子」視点から見た公文の変化を、最終章で公文から見た母「絹子」の変化を、同一形式の叙述で伝える。並べてみるとわかりやすい。

 あの乾いた広大な中部アメリカの風土の中で見た公文は、 今の彼と、全く同一人物だったかと疑わしく思えるくらいのびのびしていた。彼はアメリカの生活に無理せずに同化できるたちらしかった。語学もできたし、車の運転もすぐ覚え、ブリッジもやり、ダンスも上手だった。公文は、いつも別れる時、アメリカ人のように、東鱗子にかなり濃厚な口づけをしたりしたが、鍵のかかった部屋の中にいて、東簸子を当惑させるような行動には決して出ない男だった。(第1章「拒絶する家」2部より)

 公文は、三十年前の母をふと、匂いのように思い出した。あの頃の母には、今の母と同一人物とは思えない、爽やかな身軽なものがあった。日本風の割烹着をつけると、却って不思議な気品を感じさせた。それはまだ老年に対する不安など一度も感じたことがなかった時代の母の若さから出た自信だったのだろうか。あの頃も母は《剣一郎、早く食べなさい》と公文をせき立てた。公文は一瞬年月をとびこえた夢を見ていたのであった。母は急に公文の中で、若く、毅然として、公文を庇護する立場に一瞬、生れ変ったように見えた。(第11章「木枯しの庭」6部より)

基本的には公文の三人称単視点〈背後霊形式〉で進行する物語であるが、前半に元妻「東鱗子」視点を持ち込むところに技巧がある。公文も絹子もかつては「身軽」で「爽やか」で「のびのびしていた」という客観的叙述が、恐怖の核心をつくからだ。変節のタームは異国で密やかに交わされた公文と東鱗子の〈婚儀〉であり、帰国後の輿入れによって不自然に癒合した母子の軛が明らかになった。曾野文学には『たまゆら』(講談社1959年11月)をはじめとして結婚や母子関係を掘りさげた小説が多いが、この作品ではそうしたテーマが開放的な〈茶の間〉からプライベートな〈リビング〉へ移行した近代国家の建築史に結びつく。公文の〈エディプス・コンプレックス〉は絹子が家庭内の発言権を掌握していたことに起因するが、家族的な義務や使命感といった社会性、個室の増設といった家族の建築史が、この母子関係をより複雑化してしまう。〈家庭〉という不可侵な領域には必ず〈家〉の人物を演じる役割が内包され、そこでは〈庭〉に向けたパフォーマンスも要求される。むろん家庭のなかで窒息している人間はこの母子に限らない。新型コロナウィルスの影響下で急増したDVやネグレクト、離婚といった問題には少なからず〈家〉の拘束力が働いている。

テクストは「あの世」や「黄泉の国」と形容される公文の内面と、世間体に守られた彼の外面の叙述を繰り返しながら、読者を奈落の底にたたきこむ。最後に読者が見るのは、母親はおろか自分すら信用していない公文の心に吹きすさぶ木枯しの風景である。その境地に誘うべく、公文家の「暗い玄関口」は「洞穴のように口を開いて闇をたたえ」つぎの来客を待ちわびている。

【参考文献】福田宏年「曾野綾子」(『日本近代文学大事典』第二巻、講談社1977年11月)。『芥川賞全集』第五巻(文藝春秋1982年6月)。中島河太郎、記田順一郎編『現代怪奇小説集』第三巻(立風書房1974年9月)。筒井康隆「解説・編集後記」(『異形の白昼』集英社文庫1986年4月)。西川祐子『住まいと家族をめぐる物語ーー男の家、女の家、性別のない部屋』(集英社新書2004年10月)。

葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」

治安維持法違反により検挙され、獄中で『資本論』を読み、出獄後に二児の死亡を知った葉山嘉樹。後に木曾の水力発電工事に従事する傍ら、雪の降る飯場で書きなぐった数枚の原稿が「セメント樽の中の手紙」になった。この衝撃的な短編は『文芸戦線』(1926年1月号)に発表される。前年に掲載された「淫売婦」と本作によって、葉山は同誌を代表するプロレタリア作家になっていく。

プロレタリア文学は〈蟹工船ブーム〉が醸成される2008年まで、共産党の文化政策に依拠した大時代な古典として退蔵されていた。しかし、この作品に限っては1960~80年代の高校教科書に掲載されてきたという教材史を持つ。バブル期には幽霊のように忽然と姿を消したが、近年、筑摩書房や大修館の教科書に蘇っている。また『現代怪奇小説集』第2巻(立風書房1974年9月)に選定されるなど、あたらしい受容も検討されてきた。同シリーズには曾野綾子「長い暗い冬」も収録されているが、怪奇小説と肩を並べても比類なき恐怖をたたえている。

舞台は大正末期、木曽川に連なる「落合ダム」の工事現場。「日当一円九十銭」で働く作業員「松戸与三」はセメント樽の中に「小箱」を発見する。箱の蓋には釘が打たれ、かたく閉ざされていた。11時間におよぶ仕事の苛立ちをぶつけるように踏み壊すと、ボロに包まれた「紙切れ」が飛びだす。そこにはこう書かれていた。

――私はNセメント会社の、セメント袋を縫う女工です。私の恋人は破砕機へ石を入れることを仕事にしていました。そして十月の七日の朝、大きな石を入れる時に、その石と一緒に、クラッシャーの中へ嵌りました。/仲間の人たちは、助け出そうとしましたけれど、水の中へ溺れるように、石の下へ私の恋人は沈んで行きました。そして、石と恋人の体とは砕け合って、赤い細い石になって、ベルトの上へ落ちました。ベルトは粉砕筒へ入って行きました。そこで鋼鉄の弾丸と一緒になって、細く細く、はげしい音に呪の声を叫びながら、砕かれました。そうして焼かれて、立派にセメントとなりました。/骨も、肉も、魂も、粉々になりました。私の恋人の一切はセメントになってしまいました。残ったものはこの仕事着のボロ許りです。

手紙の最後はこうだった。

 あなたが、若し労働者だったら、私にお返事下さいね。その代り、私の恋人の着ていた仕事着の裂を、あなたに上げます。この手紙を包んであるのがそうなのですよ。この裂には石の粉と、あの人の汗とが浸み込んでいるのですよ。あの人が、この裂の仕事着で、どんなに固く私を抱いて呉れたことでしょう。/お願いですからね。此セメントを使った月日と、それから委しい所書と、どんな場所へ使ったかと、それにあなたのお名前も、御迷惑でなかったら、是非々々お知らせ下さいね。あなたも御用心なさいませ。さようなら。 

作家、荒俣宏は「セメント樽の中の手紙」を「ホラー小説」と位置づけ、「当時プロレタリア文学は容赦のない残虐描写を通じて、まちがいなく現在のホラー小説と同じく恐怖と暴力を売りものにしていた(『プロレタリア文学はものすごい』平凡社新書2000年10月)」と書いている。しかしこれは現実の事故から着想を得た創作である。作品発表から一ヶ月前の朝刊には「十八日午前九時半芝区三田四国町二日本電気株式会社工場でセメント混入作業中の職工深田五郎(二六)は混入機にまき込まれて惨死した。『東京朝日新聞』1926年12月19日)」という記事が掲載されている。1933年5月11日の同朝刊には「十日午後七時頃深川区佐賀町一浅野セメント工場で作業中の丸木組人夫股義蔵(四三)は誤つてコークスを砕く機械に片足を巻きこまれ切断直に中原病院に収容の途中絶命した」とあり、プロレタリア文学が一掃されたあとにも同様の事故は多発している。手紙に綴られた「赤い細い石」や「呪の声」といった恐怖の表現は、松戸与三にとって身近なものだった。だから彼は手紙に綴られた恋人の声を自分の声のように聞き、ボロのにおいを自分の体臭のように嗅いだはずだ。ところが「さようなら」のあとは、このように締めくくられてしまう。

 松戸与三は、湧きかえるような、子供たちの騒ぎを身の廻りに覚えた。彼は手紙の終りにある住所と名前を見ながら、茶碗に注いであった酒をぐっと一息に呻った。「へべれけに酔っ払いてえなあ。そうして何もかも打ち壊して見てえなあ」と怒鳴った。「へべれけになって暴れられて堪まるもんですか、子供たちをどうします」/細君がそう云った。彼は、細君の大きな腹の中に七人目の子供を見た。

プロットは三部構成。〈与三の労働〉〈女工の手紙〉〈与三の家庭〉に分けられる。そのうち八割を手紙が占めるので、女工を主人公とする読みも支持されてきた。作品の特徴は、クラッシャーに破砕される人間の尊厳を描くと同時に、労働の被投性に籠絡される人間の宿命を描いたことにある。生産手段であるはずの機械によって、ひいては生存手段であるはずの労働によって、労働者の身体が拘束され、破壊されるという矛盾。そこには人間が労働のために作り出した機械と制度によって支配されているという逆転の構図が浮かびあがる。目の前の危機を察知しながらも、現場や会社から逃げだせない構造はまさしくホラーだ。松戸与三は手紙の言葉をたよりに労働の矛盾に気付き、衝撃を受ける。だが、彼には酒を飲んで怒鳴ることしかできなかった。「七人目の子供」を養うため、彼はこれまで以上に働きつづけるだろう。むろん返事など書けなかったはずである。この後につづいていく物語は、おそらく女工への返信ではなく、与三が育てた子どもたちが両親とまったく等しい暮らしを送っていくという話である。この意味において、七人目の子どもはクラッシャーに破砕された恋人の〈生まれ変わり〉であるといって差し支えない。七人目の子どもを見るラストは、無産者階級の再生産を象徴するものだ。つまり「セメント樽の中の手紙」は全員が主人公になり得るテクストなのである。人間と労働の関係性がこのような恐怖の連鎖を胚胎する限り、手紙の告発は〈コロナ災禍〉以降の今日にも聞き入れられるべきだろう。

【参考文献】中島河太郎、記田順一郎編『現代怪奇小説集』第2巻(立風書房1974年9月)。小野牧夫『国語、文学教育の研究』(秀英出版1985年4月)。浦西和彦編『人物書誌大系 16 葉山嘉樹』(日外アソシエーツ1987年1月)。浦西和彦「葉山嘉樹・人と文学」(『葉山嘉樹短編小説選集』郷土出版社1994年4月)。荒俣宏『プロレタリア文学はものすごい』(平凡社新書2000年10月)。楜沢健『だからプロレタリア文学ーー名文・名場面で「いま」を照らしだす17の傑作』(勉誠出版2010年6月)。

現代のホラー

恐怖や絶望、嫌悪感を誘発させるホラーには、かならず日常性が反映される。

有名な作品に〈不幸の手紙〉を〈呪いのビデオ〉に置き換えた鈴木光司『リング』(角川書店1991年6月)がある。続編『らせん』(1995年8月)では「山村貞子」の「呪い」が有機的なウィルスであると解明され、完結編『ループ』(1998年1月)では「コンピュータウィルス」や「クローン」の跳梁する仮想世界にまで発展していく。リングシリーズはホラーがSFに切り替わった好例であり、刊行年代を象徴する科学技術のパラダイム(クローン羊〈ドリー〉の誕生、感染型コンピュータウィルスの蔓延、2000年問題 )が確かな影を落としている。

一方、地下鉄サリン事件からまもなく上梓された瀬名秀明のデビュー作『パラサイト・イヴ』(角川書店1995年4月)はミトコンドリアの叛乱を描く。分子生物学というサイエンスの領域をホラーの形式で掘りさげた本作は、学会に通暁する研究者視点によって書かれたことで話題になった。主人公が亡き妻の肝細胞からクローニングした「イヴ」が人類に襲いかかるというプロットがリアリティーを損なわないのは、このとき隆盛を極めたDNA研究が〈神の領域〉に踏み込みつつあったからだ。ウニにはじまりサルに到達したクローン技術は、今日では人間を作りだすことも可能となっている。高度に発達したテクノロジーの底知れぬ恐怖は、同時代では終末論〈ノストラダムスの大予言〉と結びつき、科学とオカルトが併存する混沌とした世紀末空間を形成した。

瀬名に続いて第四回日本ホラー小説大賞を受賞した貴志祐介『黒い家』(角川書店1997年6月)はサイコホラーであり、恐怖の演出に超自然現象や疑似科学を用いていない。そこには倫理観の欠如した女が保険金殺人を繰り広げる地獄絵図が描かれる。「サイコパス」という言葉を世に知らしめた本作は、新しいホラーの形態として人口に膾炙した。しかし、教師が淡々と不都合な人間を抹殺する『悪の教典』(文藝春秋2010年7月)のヒットに見られるように、サイコホラーは今日のホラーの主流と化している。日常の事件が貴志の世界観に歩み寄った史実と、サイコホラーの流行は無関係ではあるまい。幽霊ホテルで狂気に駆られる人間より、身近な隣人に凶器を振り翳す人間を描くほうが、恐怖の説得力ははるかに増す。血生臭い事件が日常を侵食していくなか、サブカルチャーでは京都アニメーションの作品を筆頭に〈日常系〉と呼ばれる癒やしのカテゴリーが確立される。海法紀光『がっこうぐらし!』(芳文社2012年7月~2020年1月)は、〈日常系〉の手法を逆手に取って、ロメロ『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968)さながらのゾンビアポカリプスを描く。震災以降はゾンビものに限らず人類の生存をテーマに掲げる作品が氾濫し、サバイバルや天変地異がリアルな表象になっていく。〈日常系〉は日常とは懸隔したユートピアであり、疲弊した人間のシェルターとして機能した。しかし、安全圏と思われた領域にまでホラーが食い込み、このカテゴリーに一旦の終止符を打ったのである。

安藤祐介『逃げ出せなかった君へ』(角川書店2019年3月)は「もう七年も前のことだが、あの夏のことは今でも鮮明に憶えている。/蒸し暑い深夜二時。外回りから戻ると、事務所の床に同期の死体が三つ転がっていた」という書き出しにはじまる。仮眠をとる同期社員の姿を「死体が三つ」と数える優れた比喩である。ところで、労働者の身体を「死体」と形容したテクストに葉山嘉樹「淫売婦」(『文芸戦線』1925年11月)がある。今日のプレカリアート文学と戦前のプロレタリア文学が同じ表現を用いたことは興味深い。「死体」と化した身体性が物語るのは、感情や思惟をないがしろにされ、打ち棄てられていった人間の記憶である。〈ビジネスホラー〉や〈クラッシャー上司〉という造語が飛び交う今日、労働もまたホラーの題材になり得る。ホラーイベントを手懸ける株式会社闇のホームページでは、幽霊屋敷と並んで『THE BLACK HOLIDAY』という体験型のブラック企業が紹介されている。逃げ場のない舞台を用意することがホラーを成立させる必定の条件であるが、人間を拘束して安全を脅かすブラック企業は、娯楽性の無いことを除けば多くのホラー作品に通底する構造を持つ。もはやホラーは恐怖の演出に幽霊もゾンビも必要としない。ホラーの舞台はオトラント城から、職場、家庭、学校といった日常のなかに移行していった。

おわりに

蓼食う本の虫の「読む」「知る」「書く」「考える」というテーマを軸に、新旧さまざまの怪奇小説やホラーを紹介した。どの作品にも逃げ場のない恐怖が描かれており、この夏にぴったりの小説になっている。涼感を求めてこれらの作品を読むのも良いし、コロナ禍の閉塞的な現況に重ねて読み替えるのも良いだろう。読むことはもちろん、知ること、書くこと、考えることも何かしらの抵抗につながっている。それは日常をおびやかす恐怖に対峙する力を秘めた、きわめて文学的な体験である。

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2015年、文学修士号取得。 クライアントの意向に沿って商業や美容に関する文書を作成するゴーストライター。生計を立てるためにビジネス文書を作成しながら、生きていくために好きな文学のことを書きたい。