『サムライガール』
そのタイトルを見て、アメリカ発『武士道シックスティーン』のライトノベル版のようなものだろうかと思い、手にとった。全6巻シリーズ構成。全て読んだ。
正直なところ、1巻から突っ込みどころ満載である。 他の読者はどう思っているのだろう。検索すると別作品がヒットしてしまった。そして日本版Wikipediaには記事がない。 やっとアマゾンで見つけたがレビューは酷評と高評価に真っ二つに別れていた。 なぜこのようなことになったのか。
日本で酷評が出た理由について考察する。 主人公は、日本でも有数の資産家の養女、ヘヴン。 家のため資産家の跡取り息子テディと政略結婚をすることになる。 嫌だが仕方ないのか。そう思いながら臨んだ式でヘヴンは何者かに襲撃される。 父やテディも守ってくれず、さらには慕っていた兄まで亡くしてしまう。敵味方が判別できず、ヘヴンは一人その場を離れ、謎を解き明かすことを誓う。 筋書きとしてはこのような形である。 平穏に暮らしていた主人公かある日を境に大きな流れへ巻き込まれていく。 王道であると思う。
ではなにが酷評へ向かわせたのか。 大きく分けて三つだ。
舞台設定 物語は現実世界のアメリカと日本である
話中には実際の地名や映画のタイトルも何度か出ている。 しかし同列に「サムライ」や「ニンジャ」といった架空の概念を表す言葉も登場する。
作中での 「サムライ」は、自己を律する強い人間、と比喩的に捉えることが可能だ。 まずは力をつけたいと願うヘヴンは兄の友人であるヒロを頼り教えを乞う。 ここで、心構えと空手を教わる。また、サムライになるための修行をするというくだりもある。
一方、ニンジャは実際に作中に登場している。 サムライガールの世界では、ヘヴンの結婚式の襲撃はニンジャの仕業、という認識になっているのだ。 それはヘヴンだけの認識ではない。話中に何度か新聞記事が出てくるのだが、そこの記事で「ニンジャに襲撃!」と書かれているのだ。
「ニンジャは今もいる」海外は6割、日本も3人に1人が信じる―グローバル調査 にて、海外では「忍者はいる」との回答が6割を越えたとある。
日本における魔法使いと同じく、それだけニンジャはメジャーな存在だといえるのかもしれない。また ニンジャが登場したことが、アメリカではヒットした理由と言えるかもしれない。 しかし実際の「忍者」に対する認識が確立している日本では「ニンジャが襲撃、現代日本やアメリカで?」となってしまうだろう。
ここで、大ヒットしたハリー・ポッターシリーズと比較してみよう。 ハリー・ポッターシリーズにはたくさんの魔法使いが登場するが、非魔法使いたちの暮らす世界では存在しないものとして認識されている。
しかし、作中では魔法界の描写が主で、現実世界の地名が出てきても単に場所を意味する記号に終始している。 非魔法使いに気づかれないように暮らしているので、魔法使いが魔法界でわらわら登場してもおかしくない。
『サムライガール』でも、現実世界に似せた架空の世界、例えばニンジャが職業として成立していたり、日本といえばサムライとニンジャの聖地!というような描写があれば違和感が軽減されたかもしれない。
サムライガール、ニンジャは大っぴらに襲撃しないと思うのだ。 そして作品中のニンジャ達、作中では殺し屋の側面が強い(出ていないだけで情報収集もしているかもしれないが) さらにはヘヴンの環境も疑問が残る。 彼女は家族を下の名前で呼ぶ。親や兄もだ。 日本では兄はともかく親の下の名前を呼ぶことはないだろう。
また、資産家の令嬢だからか家庭教師がついているのだが、これまたアメリカ人の同じ年頃の女の子である。 資産家の令嬢に、同じ年頃の家庭教師をつけるだろうか。 ただ、ここまでだったら現実世界をベースにしたフィクションということで読めた気がする。 物語なのだから、多少の設定に疑問がついても話の都合と割りきればいい。
主人公の行動
主人公のヘヴンは19歳の女の子だ。事件前は絶対的な権力者である父に従っていたが、育ての母曰く「実は陽気」な性格。 おしゃれは楽しみたいし、友達だって作りたい。 嫌なことがあったらクラブに行って、踊って飲んで楽しんじゃおう。
……ちょっと待ってください。 あなたは自分の状況をわかっているんですか。
式場から逃亡後、兄の友人であるヒロを頼って彼の一人暮らしの家に転がり込みました。未だ襲撃した陣営や目的は分からないまま。 挙式はロサンゼルスで行っており、他に頼れる人はいません。友人もいません。 よし、男の一人暮らしに女物の服はないから買いに行こう。どうせならおしゃれもしたい。これはまだわかる。 友達がほしい。助けてくれた一回会った女の子に会いに行こう。よくいえば積極的。嫌な見方をすればまだ追われているのに出かけるか!? 踊って飲んで楽しむ。……現実逃避の極みではないか。
共感できない私は冷たいのだろうか。いや。 彼女は登場人物の多くからたしなめられたり怒られたりしている。ハリー・ポッターとの決定的な違いは関わる人物達の厚さだ。 ハリーは学校に通っているので、お目付け役の先生や意地悪な事務員、仲がいい職員に仲間やチームメイトと周囲に恵まれている。まずいことをしそうになったら誰かがたしなめたり止めたりすることができる。
一方でヘヴンの周囲にいる人物は流動的だ。 師であり微妙な立ち位置にいるヒロはヘヴンの心を大きくかき乱している存在である。 恋敵はいわずもがな仲良くなれないし、家族や婚約者も信用できないので論外。家庭教師はアメリカにいるはずだが住所と連絡先は分からないので除外。 ハリーポッターと比べてもハードモードである。 孤独に等しく、自暴自棄になってもしょうがないのでは。 そう思ってもよかったかもしれない。主人公の感情を知るまでは。
主人公の心情描写
主人公の心情は、一言で表すとジェットコースター並みに激しく変わる。 ヘヴンは非日常と日常の場面が切り替わるなかを生きている。 謎の襲撃者と戦ったかと思えば恋愛で満たされない思いに悩み、追っ手から逃亡し、かわいい服に夢中になる。 読者、切り替えそんなすぐにできない……。
さらに言えば巻を追う毎に主人公が打算的、利己的になる。逃亡を効率的に行うためだが、結果的に彼女に関わる人物たちはほぼ例外なくなんらかの被害に遭うのだ。
まとめ
イラストはふんだんに掲載されている。キャラクターもたっているのでライトな読書としてぴったりだろう。
ジェットコースターのように目まぐるしく変わる心情描写の研究にも最適だ。 読み進めるだけでなく作品を好きになるには主人公に共感できるか、感情移入できるかかもしれない。
みなさんも、ぜひ手にとってみてはいかがだろうか。