文系だってSFが読みたい!草野原々『最後にして最初のアイドル』

特殊相対性理論? ガンマ線バースト? コヒーレンス? 第一種臨界不測兵器? そんなこと何も分からないド文系だってSFが読みたい!

読みましょう。読めます。これを読めば、今日から貴方もドヤ顔でSFを読めるのです。

『ラブライブ!』の二次創作小説を原型としながらも数々のSF賞を掻っ攫った噂の問題作。

草野原々『最後にして最初のアイドル』

文系だってSFが読みたい!

コンプレックス、全開!

ずっと、コンプレックスでした。何しろかけ算は六の段で躓いたドドドドド弩底辺文系な私です。6×7とか正気の沙汰じゃない。

人前で「SFが好きです」なんてとても言えません。だって迂闊に公言して、気さくな理系の方に「きみSF好きなんだ!今月の米国科学アカデミー紀要読んだ? 逆相写像重合体の論文よかったよね」なんて話しかけられては即泣きます。夜毎お布団の中で隠れるようにSFを読む日々でした。

科学知識もなければ、物理学もちんぷんかんぷん。理系ネタは何ひとつわかりません。

私は雰囲気でSFを読んでいたのです。

ですが2018年も年の暮れ、そんな私の枕元に救世主が顕現しました!

第4回ハヤカワSFコンテスト《特別賞》。
第48回星雲賞日本短編部門。
第16回センス・オブ・ジェンダー賞《未来にはばたけアイドル賞》。

なんかよくわかんないけどとにかく偉そうな賞を引っさげまくって、しかもSFに詳しい人たちがマジギレしたりべた褒めしたり喧嘩してるやべーやつ。

草野原々『最後にして最初のアイドル』

でした。

アイドルがめちゃくちゃ刺さる

『最後にして最初のアイドル』、端的にめちゃくちゃおもしろいSF短編です。なんと2019年1月現在、kindle版で130円。ネギ一束より安いじゃん

もとは『ラブライブ!』の二次創作小説なのですが、ご安心ください。『ラブライブ!』どころかアイドルに対してすら微塵の知識もない私でも一気に3周読んじゃうくらい楽しめました。

加えてヤンデレ百合。宇宙的百合。残念ながら私には百合受容体がないのでそのへんのリコメンドは専門家に任せますが、女の子同士の愛が重いやつに弱い人にはバックスタブ気味に刺さると思います。刺され。

ではなぜ、この作品が底辺文系たる私の救世主足り得たのか?
それは重要なSFギミックの一つが、人文科学出身のネタだからです。

文系ギミックが、作中で重要な働きをするのですよ!!

「意識のダウンロード」仮説

作品世界の根幹を為す重大なギミック、その一つが「意識のダウンロード」仮説!

それは「知性体に意識などなかった」、翻せば「もともと人間に心などなかった」という大胆な仮説です。

いくら脳の構造を模倣しても、そこに心は生まれない。
いくら知性を高度に極めても、そこに意識は発生しない。
意識は、別様の文明からダウンロードされてはじめて生成するものなのだ。

ざっくり言えば「知性があれば心が生まれると思ってた?ざんねんでしたー」という話です。

いわゆる意識のハード・プロブレムや、AIは心を持てるか? という議論に両足を突っ込む話ですね。

作中でこの仮説が具体的にどう根幹を為すのかはネギ代金を払って確かめて頂くとして。めちゃくちゃ重要なこの概念、しかし本文中の扱いは僅か二行

私はkindle版で読んでるんで書籍版換算だと何行になるのかは分かりませんが、たぶん二行

クソ短い。

いえ、説明が最小限であることは著者の卓越した技量の証左です。加えて、この「意識のダウンロード」仮説こそ、人文科学出身のネタなのです。今こそ文系がドヤ顔で解説するべき時なのです。

この仮説を知っておけば『最後にして最初のアイドル』を3000倍深く楽しめるし、文系だって枕を高くしてSFを読めるって寸法。つまりこれはチャンスです。早速この元ネタを紐解いていきましょう。

実のところ、ここでは便宜的に「意識のダウンロード」仮説と呼んでいますが、元を辿ればこの議論は「二分心」、あるいは「バイキャメラル・マインド(Bicameral Mind)」と呼ばれるもの。

作者インタビューにて明言されている通り、ジュリアン・ジェインズの『神々の沈黙』が元ネタとなっています。

ジュリアン・ジェインズ著『神々の沈黙』

クソ分厚い。

それは前世紀のベストセラー、あるいは奇書珍書。
ジュリアン・ジェインズ著『神々の沈黙-意識の誕生と文明の興亡』(The Origin of Consciousness in the Breakdown of the Bicameral Mind)。

古い本で、原著の出版は1976年。動物行動学を修め、心理学・歴史学の講師として知られるジュリアン・ジェインズ。彼によれば、意識とは原因でも結果でもなく、「分泌物」「残り滓」に過ぎない――というのです。

『神々の沈黙』が提出する議論は衝撃的なものでした。

人間に心などなかった

約3000年前までの人間に「意識」など無かった。

人は、「内心」の代わりに、頭の中に響く「神の声」が聴こえていた。

人は、脳内に響く神の声に従う自動的な存在だった……というのが、『神々の沈黙』における議論です。

ジェインズによれば、統合失調症をはじめとする精神障害において見られる幻聴症状、それは太古の人類において正常だった脳機能の名残。人々はそうした常に響く幻聴を「神の声」と認識していました。

すなわち、太古の人類は神と直接対話していたのです。

それはある種の錯覚ではありますが、しかし太古の人類にとっては紛れもない神の真言。であれば自我など生まれようもありません。何しろ、するべきこともやるべきことも神のご意志として脳に響き、その声に従うだけで良いのです。

ジェインズはエジプト、メソポタミアと古代文明の事例を検証しますが、中でも興味深いのは古代ギリシアの『イーリアス』。神の声が聴こえた最後の時代、ジェインズにとっての「神代の終わり」は古代ギリシアなのです。

古代ギリシアの大叙事詩として知られるこの『イーリアス』には、ことあるごとに神の導きが登場します。誰もが知ってる大英雄アキレウスを例にとっても、何をするにも神のお導き。神が怒ればアキレウスも怒り、神が示せば快刀乱麻、敵軍を一閃。神がうっかりすればアキレウス死亡……こうした描写は比喩でもなんでもなく、当時の人々の認識上の真実だった、とジェインズは解釈します。

意識なき時代の人類とは、すなわち神の奴隷でした。

▲怒れるアキレウス

文明から心をダウンロード

「神の声」響く心、それをジェインズは「二分心(バイキャメラル・マインド)」と名付けました。神の声と、その言葉に従う人間。人と神が脳内に同居するがゆえの二分。

では、いかにして人は「二分心」を経て「心」を獲得したのでしょうか?

答えは文明。異文明との接触・衝突が、人の脳に「意識」をもたらしたとされます。

第一に、人間は文字を発達させ、文明を作り上げました。文字と文明の力によって人類は大きな集団を形成できた集団が、数々の絶滅危機を乗り越えます。

同じ神を信奉し、脳内に同じ「神の声」を聞く人間の集団です。同じ「神の声」を聞いているが故に、未だ人類は自意識を持ちません。

第二に、そうして生き残った文明同士が出会います。そこで初めて、人類は「異なる神」「異なる言語」と出会います。

自分たちと異なる「神の声」を聞いているにも関わらず、異文明の人々は自律して動いている。その様を見て、「彼らは、自分で考えて動いているのではないか?」という疑問が生まれます。それこそが心の萌芽。

すなわち「自分に意識があるから、相手にも意識がある」のではなく、「相手に意識があるから、自分にも意識があるだろう」という想定から、意識が生まれたものとジェインズは仮説します。

ここで『最後にして最初のアイドル』の「意識のダウンロード」仮説に繋がります。異文明との接触によって、知性ははじめて主観的意識を手に入れるのです。

こうした異文明との衝突時代が約3000年前、ドーリア人侵入の時代。長い古代ギリシアの歴史を通じて、人々に意識が芽生え始め、神が沈黙を始めたのです。

もちろん、ジェインズの仮説は相当に古いもの。既に否定もしくは更新された知見の多くに論拠をおいています(たとえば、言語獲得の人類史はジェインズの想定よりももっと古くて長い)。現代の認知科学においてとても支持される仮説ではありません

しかし、当時の「心ある人類」を自明なものとしていた当時の思考に大きな転換をもたらしたのは確かです。

文系もでかい顔してSFを読もう!

何の話をしていたのでしょう。そう、『最後にして最初のアイドル』の話をしていたのです。たった二行の記述の裏側には、実はこんなお話が隠れていたのです。

『二分心』仮説を概観することが出来ました。これで今日から「アレ、元ネタの一つはジュリアン・ジェインズなんだぜ」って語ることができます。夢にまで見たSF語りが、堂々と!

『最後にして最初のアイドル』のおかげで、文系でもドヤ顔で「意識のダウンロード」仮説を論じることができるのです!

もちろん、ここで終わりではありません。例えば文系のマッドサイエンティストが出てめちゃくちゃ人を殺す『虐殺器官』とか、文系のマッドノベリストが出てめちゃくちゃ人を殺す『自生の夢』とか良さげですね。

文系SFに興味のある方は、ぜひこちらの記事もお読みくださいませ。

このへんを読んで文系コンプレックスを解消して、理系も文系もみんななかよくSF読みましょう。

そしてまずはとにかく『最後にして最初のアイドル』を読みましょう。ネギ一束の代金で貴方もアイドルです。理系とか文系とか、アイドルには関係ありません。

読んで、一緒にアイドルになりましょう。

俺が、俺たちが! アイドルだ!

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