異世界脳みそ転生SF 酉島伝法『宿借りの星』レビュー

普段は読み味さっぱりなラノベばかりを脳に直接注入している私ですが、たまには珍味を食べたくなることがあります。並の珍味では満足できません。朝からカツカレーうどんを流し込むような、アブラマシマシ重逆バトバト範サブオックス的な、ギトギトにドギツく、でもちゃんと美味しいやつが! 食べ! たい!!

 

 

そんな作品ある訳ないやろ。

――残念ながらあります。あったか。あったんならしょうがない。

 

 

とんでもない語彙力でぶっ飛んだ異界を描くことに定評のある酉島伝法先生の初長編。
『宿借りの星』のご紹介です。

酉島伝法先生といえば『皆勤の徒』で第34回日本SF大賞を受賞したことで有名なSF作家です。独特すぎる語彙表現によってネバネバした臓物の臭い漂う異様な世界が描かれ、人によっては読み解くのが困難とされた『皆勤の徒』。
しかし今回紹介する『宿借りの星』は、『皆勤の徒』で見られた叩きつけるような異界感をそのままに、圧倒的に読みやすくなっているのが特徴です。つまり全人類におすすめ。

そんな本作の魅力は
・人類を滅ぼした昆虫型生物達の生き様
・無様なまでにしぶとい地球人類の生き恥

の二点です! 昆虫型生物と生き残りの人類、どっちを応援したらいいのか悩む、いやどっちも応援したくなる、そんな物語の一端を紹介いたします。

「いつか共にヒトを滅ぼしましょう」

物語は、昆虫型の攻性生物の視点で幕を開けます。この昆虫たちは、かつて我々人類と戦い、そして滅ぼした生物たちの子孫です。既に地球人類は「悪い子は卑徒(ヒト)に食べられちゃうぞ」みたいなニュアンスで語られる、過去の存在となっています。

端的にこの世界観を表しているのが、この昆虫社会における挨拶。
「いつか共にヒトを滅ぼしましょう」
この言葉は「さようなら、また会いましょう」を意味します。彼ら昆虫型生物は根本的に戦闘民族であり、人類を滅ぼすことをこそ本義とした文化を形成したことが分かります。こうした慣用句一つとっても、生々しい肌感覚が伝わってくるかのよう。

そんな昆虫型生物達が作る社会は、如何なるものなのか。圧倒的な語彙で描かれる別様の世界は、本作の見どころの一つです。

ムスカになっちゃう、癖になる文章

 (せい)なる御侃彌(おかんみ)の一柱であるオラツラワ様の心窩から、厄霊避けの事無霧(ことなぎり)が絶え間なく湧き出しており、半侃(はんかん)ほどの距離しか見通せないのだ。脚搬(きゃはん)の筋ばった長い脚の動きが、霧をゆるりとかき乱している。荷橇の上では、マガンダラの背丈の三倍ほどもある分祀心臓――第十七だったか第十八だったか―― が膨縮を繰り返していた。

――(中略)――

 俱土(くに)では、いつも四つの御手をついて前屈みに坐っていた。盃衆(さかずきしゅう)叉場(しゃば)御膝元(おひざもと)に集まって、どうやってお運びするのかを話し合っていたとき、オラツラワ様が脊中(せなか)から八(さお)旌器(せいき)を突き出しながら自ら上體を起こし、四本の御脚(おみあし)で立ち上がりはじめたので誰もが呆然とさせられた。前後に四つずつ眼のある御頭が遠ざかって、上體の厚みに遮られて見えなくなると共に、大地から次々と導管が引きずり出されて斜めに突っ張り、ときには千切れて宙にのたうった。露わになっていく御股にも眼があることを、このとき俱民たちは初めて知った。御侃彌(おかんみ)には四十八眼があると言い伝えられているが、まだすべては明らかになっていない。

――「前編 咒詛の果てるところ 第一章 咒漠」より

読めな……読めな……いや読める!

見たことのない漢字とルビと造語の乱舞! この時点で食欲が抑えられなくなるタイプの人類は今すぐ本作を購入して即座にこの世界に旅立ちましょう。そうでない人類だったとしても、一見
「全然読めない!!」
という印象から徐々に
「読める……読めるぞ……!!」
心の中のムスカ大佐が湧き上がってくるのではないでしょうか。

それもその筈、異様な迫力の造語ですが、我々地球人類にも音として分かりやすい表現になっています。
たとえば「(せい)なる御侃彌(おかんみ)」とは、我々にも分かりやすい言葉に言い換えるならば「聖なる御神」に近い意味だし、「俱土(くに)」は「国」です。素直に読んでいけば意外とちゃんと咀嚼できる文章なんですよね。

そして「聖なる御神」の描写から分かる通り、この世界には神様が実在し、神様を中心に「俱土(くに)=国」が回っていることが分かります。
この御侃彌(おかんみ)であらせられるオラツラワ様というのがまたとんでもない存在であり、心臓が少なくとも17あり腕が4本脚が4本全身に目玉がありとにかく巨大……とかいうワクワク設定の塊です(言ってしまえば多脚多腕の巨神兵を想像すれば分かりやすいでしょう)。

このオラツラワ様こそが、かつて人類を滅ぼした不老不死の御侃彌(おかんみ)の一柱なのです!!

お前が虫になるんだよ!!

この昆虫型宇宙人たちは、生き神であるオラツラワ様を頂点とした複層的社会を形成しています。老いたオラツラワ様の治療を続ける護療団のソルカクァ蘇倶(ぞく)、命令や布告を共通語で各種族に伝えるムハラン蘇倶(ぞく)、門番役のィーグュンナ蘇倶(ぞく)、そして雑用兼食料役のラホイ蘇倶(ぞく)……それぞれ腕の本数も感覚器も違う、生まれ方も餌も言語も異なる多彩な種蘇倶が、それぞれの特徴を活かしながら共存しているのです。ちなみにもうお分かりの通り、「蘇倶(ぞく)」とは「族」、種族を表す言葉ですね。

そして、本作の大半で視点役を務めることになるマガンダラ君。彼は、オラツラワ様の俱土(くに)では支配階級となるズァングク蘇倶の(おとんな)です。六本の脚と全身の甲殻、そして下腹部に生えた大砲(これがなんと生殖器官なんですが)が特徴のイケメンです。


(画像出典元:東京創元社「酉島伝法『宿借りの星』キャラクター人気投票結果発表!」http://www.webmysteries.jp/archives/19756920.html)

見た目の通り、ズァングク蘇倶は戦闘に特化した種蘇倶であり、人類との奪還戦争では先陣を切って多くの卑徒(ヒト)を倒したとされています。つまりズァングク蘇倶の主人公マガンダラは生まれついての支配階級であり、横柄で乱暴な性格で鳴らし、そのことを少しも疑問に思いません。

ちなみに「(おとんな)」とは、男でも女でもない性別のこと。ズァングク蘇倶は地球でいうところのカタツムリのように男にも女にもなれるのですが、マガンダラは出世のために己の生殖器を改造し、大砲にしてしまいました。マガンダラは二度と男にも女にもなれない身体になった代償に、高い戦闘能力と社会的地位を手に入れた訳です(この辺の不可逆な身体改造にはめちゃくちゃフェチズムを刺激されますね)。すなわちマガンダラはそういうヤツでした。例えるならば出世しか興味のないサラリーマン、あるいは不器用で口下手な男。

しかしマガンダラは、些細なことから罪を犯し、俱土を追放されることになります。彼/彼女は超大型飛行生物「ドラットラムレ」のお尻の穴に詰め込まれるという羞恥刑を受け、危険な砂漠に廃棄(排泄)されてしまうのでした。

そんなお尻の穴から飛び出したマガンダラくんが、多彩な種蘇倶と出会い、旅をするうちに世界の秘密に出会っていく……というのが基本的な筋書きになります。世間知らずのマガンダラくん視点で描かれる昆虫社会は異様なまでのリアリティに満ちており、例えば食料とされるラホイ蘇倶、彼らは彼らなりの人生観を持ち、必死で生きていることをマガンダラは学びます。カースト制にも似た、それぞれの悲哀を感じさせる社会描写は白眉の一言。そしてどんどん内省的になり、過去の己を恥じるようになっていくマガンダラくんがめちゃくちゃカワイイのです。人類とは全く異なる生態の筈のマガンダラくんに、いつしか感情移入してしまう自分に気付くでしょう。 わたしが虫になるんだよ。

……ちなみに、巻末で解説を務める円城塔は「酉島伝法はこの世界を想像したり創造したのではなくて、ただ本当にそこへ赴き、見てきたままを書いている」のではないかと指摘しています。すっげぇ。それくらい生々しいのです。

余談ですが、上述のマガンダラくんイラストは酉島先生による直筆のモノ。なんと酉島伝法、SF作家である以前にイラストレーターでもあり、著者直筆の挿絵の数々が我々の想像力を助けてくれます。すげえ。

転生したら脳みそだった件

この異様な世界を少しずつ読み解いていくのも本作の楽しい作業ではあるのですが、今回はとにかく魅力的な設定を紹介したいのでちょっとずつ世界の謎をチラ見せしちゃいます。すなわちここから先はネタバレ注意のブラウザバック危険地帯です。

先述のマガンダラくん編は、本作の「前編」および「後編」のお話となります。その間に挟まる「海」編。そこでは、マガンダラ達の祖先やオラツラワ様に滅ぼされた人類の真実が明かされます。

リムが励記状態の中で、奥行きのない記憶を繰り返し体験していると、突如ラウンジが激しく揺さぶられ、戸口に現れたアフメットの姿が伸長しながら遠ざかっていき暗転した。拘束衣でも被せられたような擬脊体の身体感が戻ってきて、ンーネモワの消化系全体の痙攣を感じ取る。かつては警戒反応とみなされていたが、数々の状況照合によって調整され、いまでは絶望的な恐怖として伝わってくる。

――「海」より

結論から言って、人類は滅んでなどいませんでした。人類は極度の生物学的改造を経て、極小サイズまでその肉体を圧縮。他の生物種に潜り込み、文字通り寄生虫として生き延びていたのです。

遥かな宇宙開拓時代、とある惑星に入植した人類は、そこで我が物顔で文明を形成します。しかしいつしか、星そのものが人類文明に抵抗を開始。星はオラツラワ様ら生き神を生み出し、そして生き神が多様な種族を産み落とし、無尽蔵の物量で人類文明を圧倒したのでした。

その後の人類は先述の通り。他の生物の脳に寄生し、脳のメモリの一部を使って延々と自意識をリピートし続ける存在と成り果てました。脳容量の極めて小さい無脊椎動物に寄生した人類は、過去の僅かな思い出の数瞬を味わい続けるだけの、思考すらまともにできない矮小な存在でした。
しかし、食物連鎖のルールに従い、寄生虫もまた被食者から捕食者へと移動します。最初は魚類への寄生、次は魚類を食べる飛行生物への寄生……と人類は次々に宿主と変えながら、少しずつ少しずつ大きな脳容量への寄生を果たしていきます。

この次々と寄生主を乗り換えていく人類の生き汚さと言ったらありません。脳に寄生する関係上、人類の意識には多分に寄生主の感情が流れ込みます。鳥に食べられる魚類の恐怖、苦痛、そして死の感覚を味わいながら、人類は続々と別種族の脳へと”生まれ変わって”いくのです。

そして言うまでもなく、脳容量の増えた人類が思考することは、さらに大きな脳容量の確保であり、人類文明の再建です。もちろん、この星において最適な脳容量を持つのは、マガンダラ達昆虫種族。ここで人類の静かな戦いが始まる訳です。

幻想的な輪廻を繰り返す人類の描写はもちろんのこと、「記憶を再生するだけの装置」に成り下がった人類は、果たして人類といえるのか? という問いすら味わえる、異色の中編。とにかく読んでほしいポイントであり、ここまで読んだらもう後編まで一直線です。

神話と共存するということ

ここまで、「人類を滅ぼした昆虫型生物達の生き様」と「無様なまでにしぶとい地球人類の生き恥」を紹介してきました。前者は前編である「呪詛の果てるところ」に、後者は中編にあたる「海」に対応します。では後編は何が描かれるのか?

私は、後編の内容は「神話」であり、SFの真髄だと思います。

神様が実在する社会で、神様のために奉仕し、生きては死んでいく昆虫型生物たちの美しい生き様。同時に、昆虫型生物たちの社会と裏表になる形で生き延びる人類の生き汚さ。寄生虫として少しずつ昆虫型生物の社会を侵していく様は「人類がんばれ!」という気持ちと「人類こわ……」というアンビバレンツな葛藤を読者に投げかけます。

そして最後の最後に、我々は『宿借りの星』というタイトルの意味を理解することになります。最後の最後でタイトルの意味が分かる系の物語、好きでしょ? つまりこれだけエグみの強い物語に見えて、終わり方は極めて王道です。この作品は決して高尚な哲学書ではなく、めちゃくちゃ高品質なエンターテインメントなんです。全人類に安心して勧めることができる、めちゃくちゃ面白い物語なんです。

  • 人類を滅ぼした昆虫型生物達の生き様が美しい
  • 無様なまでにしぶとい地球人類の生き恥が愛おしい
  • 最終的に神話になるので最後まで美味しい

最高ポイントをまとめるとこんな感じ。

とにかく今すぐ貴方に読んでほしい、『宿借りの星』。一刻も早く読んで、わたしと一緒に虫になりましょう。

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