本の処方箋~人間を辞めたい人へ~

悩める現代人のあなたに、薬の代わりに本を処方する『本の処方箋』

第二回目はズバリ、「人間を辞めたい」人への本です。

少し大げさな言い方をしましたが、誰しも一度は「人間を辞めたい」と考えたことがあるのではないでしょうか。煩わしい仕事や人間関係から抜け出して、別の生き物として生きたい。猫のように気ままに生きたい。動物園で飼われている動物のように、ただ生きてるだけで餌のもらえる生活がしたい。ナマケモノでいたい。いっそ無機物になれば何も考えずに済むかもしれない、等々。

もちろん、現実逃避的な理由からだけではなく、単純に犬が好きだから犬になりたい、蟻や蜂の社会性に憧れる、といった方もいるでしょう。しかし、今まで人間としてしか生きてこなかったあなた、はたして人間じゃない生き物の生き方を正しく想像できていますか?

そういった方々へ向けて、今回は二冊の本を処方させていただきます。こちらの二冊はどちらも同じ作家による小説なのですが、人間以外の生き方がとてもリアルに伝わる作品です。人間じゃないからこそ味わう甘味も辛味も、全て余すところなく描かれています。

こちらの物語を通して、改めて自分が成りたい存在について想像していただきたいと思います。彼らがどう生きて、どう死ぬのか。人間と比べて魅力的に思えるのか。今の自分の生活とどう違うのか。きっとその先に、自分の理想の生き方が垣間見えることでしょう。

「ジェニィ」(ポール・ギャリコ/古沢安二郎訳/新潮文庫)

ある日交通事故に逢ってしまった主人公だったが、ふと気付けば自分が猫になっていた。しかし、自分を可愛がってくれていたばあやも彼だということに気付かずに追い出してしまう。猫になって初めての街中で、人や車やボス猫からひたすら逃げ回ることに。そして、精魂尽きた少年は偶然にも一匹の雌猫、ジェニィに助けてもらった。猫としての生き方をジェニィから学びながら次第に惹かれていく主人公。人間から猫になった少年の生活を描いた物語です。

この主人公は、物語の開始早々から死にかけてしまうほどに追いつめられてしまいます。雨の中に突然放り出され、どう動くのか予想もできない人間の足に踏まれ、汚れた猫として傘で追い払われ、ようやく落ち着ける場所と思えばそれは車の下で突然轟音とともに動きだし、へとへとになり逃げ込んだ先はボス猫の縄張りで、そのボス猫に襲われる始末。

猫としていきていれば当たり前の事柄ですが、人間として生きてきた少年には猫の目線で見る全てがまるで別物でした。人間と比べて小さな身体や、大きな音が衝撃のように感じるほどの良い耳、なにより助ける必要の無いただの猫という存在になってしまったことが大きな違い。

そんな少年に、今作のヒロインである雌猫のジェニィが、猫としての生き方を丁寧に教えてくれます。しかし、猫としては当たり前のそれも、人間からして見れば驚くことばかり。なにせ、最も初めに覚えなければならない大切なこととして教えられるのが、身づくろいの仕方なのですから。

ただ身体を綺麗にする行為としか思えないそれが、話を聞けば聞くほど確かに最も重要なことだとわかります。この物語はもちろん人間が書いているはずなのですが、読み終わる頃にははたしてこの作者は猫ではなかろうか? と思ってしまうほどの、(たぶん)リアルな猫の生き様が描かれております。

気ままな猫に生まれ変わりたいと願う人は多いと思いますが、この物語を読んで改めて考えていただきたいと思います。猫としての人間との付き合い方や、他の猫との縄張りや雌猫を掛けた争い、別種の動物の恐怖等、おそらくは全く想像もしていなかった猫社会が見えることでしょう。たとえば、人間はお金を払えば船に乗れるが、猫は仕事をするからこそ船に乗せてもらえるのだ、といったことです。きっと今までほど猫は気ままな存在とは思えなくなるのではないでしょうか。

「雪のひとひら」(ポール・ギャリコ/矢川澄子訳/新潮文庫)

ある寒い冬の日の上空で、雪のひとひらという娘が大勢の兄弟とともに生まれました。彼女は自分が何者なのか、何者に作られたのかを考えながら地上へ降り立ちます。そして、世界の美しさを感じながら、地上へ降り積もり、雪だるまになり、流れる川になります。そうして出会った男性と恋に落ち、子供が生まれ、家庭を築き、試練を乗り越え、やがて家族たちとも離れ離れになります。一滴の雫もとうとう命の尽きる日が訪れ……一粒の雪を主人公にした、女性の一生を瑞々しく描いた作品です。

ここまで読んでお気付きでしょうが、主人公は雪のひとひら、たった一粒の雪の結晶です。いえ、雪の結晶として生まれた物と言った方が良いでしょうか。なにせ、地上に降ったあと、踏み固められて形が崩れ、雪だるまになり、更に解けて水の雫一滴になるのですから。そんな“雪のひとひら”を人間と同じような女性の感性を持った存在として、雲の中で生まれてから海の中で亡くなるまでを描いております。

さて、生まれ変わったら雪の結晶や雨の雫になりたいと思う人はどれほどいるのでしょうか? おそらく、ほとんどいないことでしょう。普通は動物、精々が植物までしか考えないのではないでしょうか? なにせ人間は動物です。生物です。有機物です。そこから無機物の、一滴の水に同じ人間性を想像するのはとても難しいことかと思います。

しかし、この物語では確かに一滴の水が、あたかも私たち人間と同じように哲学し、恋をし、美を感じ、家族のために戦うのです。

また、生まれてから周りの環境がどんどん変化し、どうしようもない現実にぶち当たることや、恋人との甘いひと時、子供の将来を想う姿など、自分も味わった過去(あるいは未来)がそこにはあります。物語を読み進めるうちに、雪のひとひらは自分ととても近い存在に思えて、彼女に友愛を感じるかもしれません。あるいは、彼女に恋をするかもしれません。それほどまでに彼女は、雪のひとひらは、人間らしく魅力的に描かれています。

この物語に触れると、きっと一滴の雨の雫や一粒の雪の結晶にも、自分たちと同じような人生があるのだと感じられるでしょう。そして、彼ら彼女らの苦労も、幸せも想像できるかもしれません。

まとめ

今回紹介した物語たちはいかがでしょうか? 人生とはなんて辛いのだろう。人間だから辛いのだ。よし、人間やめよう。そう考えてしまうのは普通なことだとは思います。

ただ、一生懸命生きているのは人間だけじゃない。どんな生き物も、あるいは生き物でなくともそれぞれの社会があり、それぞれの困難があり、そしてそれぞれの幸せがあるのだ。そう感じられないでしょうか?

そこには、人間となんら変わらない生活があるかもしれない。それは絶望的なことかもしれません。しかし、幸せそうに生きている猫や雪のひとひらを見かけたら、あるいは自分も同じように幸せになれるかもしれない。そう思えるのではないでしょうか? 「処方箋」としてこの本を薦める以上、そんな希望を抱いてもらえることを願います。

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四方を山々に囲まれた地でひっそりと物書き作業してる人。ライトな文芸好き。ちょくちょく都会に出て、アイドル(二次三次問わず)を応援してます。