「日本におけるネカマの歴史は古く、最も古いものでは紀貫之」……そんな冗談がネット上に見られますが、近代文学界きってのネカマといえば太宰治と言えるでしょう。
もともと、〈「私」が読者に語る〉という、一人称語りの文体を得意とする太宰治ですが、女性が独白する作品、つまり〈女語り〉による作品が多いことも特徴の一つです。
ペンネームに〈太宰治〉を使い始めたころから数えると、作品総数(「もの思ふ葦」をはじめとするエッセイ、あるいはそれに近いものは除きます)141作に対して、16作が女語りによるものであり、太宰治の作品のおよそ一割を占めています。
太宰治の女語りの作品が数多く収録されている書籍として、角川文庫版『女生徒』があります。ここでは少し古い版になりますが、1998年版のものを参照しています。
同書の「解説」で、小山清氏は次のように言及されています。
これらの、女の物語には、太宰治という作家の、いろんな時期の心の投影が色濃く出ていて、その意味からも、この本は、太宰文学愛好者にとっては、珍重されるべきものであろう。
作者である太宰治の「いろんな時期の心」が、作品を媒体として確かに見えてくるかと聞かれれば、それは太宰治その人にしか知りえません。しかしながら、太宰治が様々な時期に〈女語り〉による作品を発表していることもまた事実です。
そして、太宰治の「いろんな時期」の作品が、女性独白文体という一本の軸によって集められている角川文庫版『女生徒』は、「太宰治の作品をいろいろ読みたい」「女性独白文体の作品を知りたい」という人にはもってこいの作品集であると言えるでしょう。
ここでは、引用した小山清氏の言葉を足掛かりに、様々な時期の〈女語り〉による作品を読んでみようと思います。角川文庫版『女生徒』収録の三作品を紹介していくとともに、同時期の他作品をのぞき見することで、太宰治の「色んな時期の心」を少しだけ伺い知ることができるかもしれません。
太宰初の女性独白文体「燈籠」
『若草』第13巻10号(1937年)に発表された『燈籠』。太宰治がはじめて全編を通し女性独白文体を採用した作品です。
ある事件を境に、近所中から白い眼で見られるようになってしまった語り手、さき子は、事件の少し前から「今夜」までを回想します。
言えば言うほど、人は私を信じて呉れません。逢うひと、逢うひと、みんな私を警戒いたします。ただ、なつかしく、顔を見たくて訪ねていっても、なにしに来たというような目つきでもって迎えて呉れます。たまらない思いでございます。
この作品が発表された1937年は『二十世紀旗手』(『改造』第19巻第1号)と『HUMAN LOST』(『新潮』第34巻4号)が発表された年でもあります。周囲の人々から疎外されていく語り手というのは、三作に共通のモチーフでしょう。
また、『晩年』の頃とは打って変わって、聖書の言葉の引用が増えています。この時期に聖書を読んでいたことは、作品や書簡にも語られており、その影響は『燈籠』にも大きくあらわれているのです。
――いいえ、はじめから申しあげます。私は、神様にむかって申しあげるのだ。私は、人を頼らない。私の話を信じられる人は、信じるがいい。
「神様にむかって」、「私」の事を「申しあげる」という宣言によって始まったさき子の語りは、「電燈」によって喚起される明るさ、そして「美しさ」の中で終結します。
私たちの幸せは、所詮こんな、お部屋の電球を変えることくらいのものなのだ、とこっそり自分に言い聞かせてみましたが、そんなにわびしい気も起こらず、(中略)私たち親子は、美しいのだ、と庭に鳴く虫にまでも知らせてあげたい静かなよろこびが、胸に込み上げてきたのでございます。
聖書の影響を念頭において本作を考えるとき、この「神様にむか」う独白と、「電燈」の明るさは対応していくと言えるでしょう。
「マタイによる福音書」には、「ともし火」を「燭台の上に置く」ように、「あなたがたの光を人々の上に輝かせなさい」という教えがあります。さき子の「神様にむか」う独白は、「電燈」の光を「静かなよろこび」として受け入れることによって、報いられたのです。
見え隠れする作者の影「十二月八日」
『婦人公論』第27巻第2号(1942年)に掲載された『十二月八日』は、第二次世界大戦が開戦したその日のことを記した主婦の日記という形です。
今日の日記は特別に、ていねいに書いて置きましょう。昭和十六年の十二月八日には日本のまずしい家庭の主婦は、どんな一日を送ったか、ちょっと書いておきましょう。
この作品には「主人のお友達の伊馬さん」、「園子(今年六月生れの女児)」をはじめとする、太宰治の家族や友人が多数出演しています。「まずしい家庭の主婦」による日記という形式を取りつつ、他でもない作者である太宰治自身を演出して見せるのが、本作の面白い所です。
この頃には、『正義と微笑』(錦城出版・6月刊行)のほか、『恥』(『婦人画報』455号)、『新郎』(『新潮』第39巻第1号)といった、太宰治自身を思わせる登場人物を描いた作品も多く残しています。
『新郎』もまた、〈「私」が読者へ語る〉という一人称語りの形式ですが、『十二月八日』とを見比べると、面白いことが見えてきます。
- 家の者達にも、めっきり優しくなっている。
- 外へ出ても、なるべく早く帰って、晩ごはんは家でたべる事にしている。
(『新郎』・『太宰治全集4』)
- でも亀井さんのご主人は、うちの主人と違って、本当に御家庭を愛していらっしゃるから、うらやましい。
- どうも、あんなに、そそくさと逃げるように外出した時には、たいてい御帰宅が遅いようだ。どんなにおそくても、外泊さえなかったら、私はへいきなんだけど。
(『十二月八日』)
どちらの作品も、昭和16年12月8日を舞台とする作品ですが、夫の目線から描かれる『新郎』と、「主婦」の「日記」の形式を取る『十二月八日』では、夫の自己評価と妻による夫への評価が対照的です。
もちろん、ここに描かれる人物が〈太宰治〉であることは明言されていません。一方で、太宰治の一人称語りの作品が、つねにわれわれ読者に〈太宰治〉その人を想起させる性質であることも明らかです。この時期の太宰治は、他者の視点による自分を、自分で書いて見せることを試みていたのかもしれません。
家庭と道徳を描く「おさん」
『おさん』は、『改造』第28巻第10号(1947年)に発表されました。夫婦の間のある事件を、妻の一人称によって語る作品です。作品は三章に分かれていて、夫の最近の行動、浮気の発覚、夫の死が描かれます。
この頃の太宰治の関心は、家庭と道徳にあったようで、『父』(『人間』第2巻第4号)、『斜陽』(『新潮』第44巻第7号―第44巻第10号)などにその片鱗が窺えます。
『父』は〈「私」が読者に向けて語る〉という一人称語りの短編です。『おさん』は妻の視点から、夫の行動について書いています。こちらも『十二月八日』と『新郎』のように対照的な作品です。
父はどこかで、義のために遊んでいる。地獄の思いで遊んでいる。いのちを賭けて遊んでいる。
(「父」・『太宰治全集8』)
夫はどうしてその女のひとを、もっと公然と楽しく愛して、妻の私まで楽しくなるように愛してやる事が出来なかったのでしょう。地獄の思いの恋などは、ご当人の苦しさも格別でしょうが、だいいち、はためいわくです。
(「おさん」(三))
面白いことに、『父』での独白が『おさん』で相対化されていくことが分かります。
夫が「地獄の想い」でいることを、「はためいわく」と一刀両断する妻。一見すると、芸術家の夫と、それを理解しない俗物の妻というよくある構図に当てはめることも出来そうですが、『おさん』では妻と夫を重ねてみることも可能です。
「正しい人は、苦しいはずがない。(中略)どうして、君たちは、そんなにまじめで、まっとうなんだろうね。(後略)」
(「おさん」(三))
ごまかしだって何だってかまわない、正しい態度で無くたってかまわない、そんな、道徳なんてどうだっていい、ただ少しでも、しばらくでも、気持の楽な生き方をしたい、(後略)
(「おさん」(三))
夫の浮気を、「ごまかし」てでも、「楽な生き方」を望む妻。作品の終盤では、浮気を責めるよりもむしろ、夫の不完全な「革命」に対する呆れに焦点を当てています。
先ほど、例として芸術家の夫と俗物の妻を挙げましたが、ここではむしろ、夫の苦悩の方がが矮小化され、批判されるべき対象になっています。近代文学では定石ともいえる、思想に破滅していく男性とその無理解な妻という構図が転覆されていくのです。
おわりに
『燈籠』『十二月八日』『おさん』を、その周辺の作品と共に紹介してみました。今回はきっと紹介するまでも無く読まれている『女生徒』『ヴィヨンの妻』『斜陽』を避けました。太宰フリークの方には物足りないかもしれませんね。
川端康成が『女生徒』を称賛したことからも分かるように、太宰治は女語りが非凡に上手い作家です。
また、紹介してきたように、太宰治の作品は、同時期に発表された作品が大いに影響を及ぼしあって成立しています。「これは!」と思った作品があれば、その時期の別の作品を読んでみることも、新たな発見に繋がるでしょう。
太宰治の作品をあまり読んだことがないという方も、散々読んだという方も、新たな視点で読んでみると、これまでとは違った面白さが見つかるかもしれません。
(本記事では、〈女語り〉による作品の引用を『女生徒』(角川文庫・1998年)、その他の作品を『太宰治全集』(全12巻+別巻1・筑摩書房・1989ー1992年)により、旧字旧仮名遣いを新字現代仮名遣いに改めています。)