酔っ払い太宰治―作品とお酒―

太宰治が描く登場人物たちは、とにかくよく飲む。失敗しても、美味しいと感じなくても、ただただ飲んでいます。

太宰権帥大伴の何とかって云ふ人が、酒の歌を詠つてゐたので、酒が好きだから、これがいゝつていふわけで、太宰。

関千恵子「太宰治先生訪問記」(『大映ファン』一九四八年・五月)

インタビューの中でペンネーム「太宰治」の由来を聞かれて、こう答えたというのだから、「太宰治」の由来についての真偽はひとまず置くとしても、「酒が好き」というのは事実でしょう。

さらに、よく目にする彼の写真も、お酒抜きには語ることが出来ません。洋装で笑顔を見せる太宰治。あの有名な一枚は、写真家の林忠彦が、銀座のバー・ルパンで酔っ払う太宰治に絡まれて撮ったものなのです。様々なエピソードが、筋金入りのお酒好きであったことを物語っています。

ところで、太宰治ファンの中には、「太宰が飲んだ!?リンゴ酒再現プロジェクト」を耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか。

青森県五所川原市「トキあっぷる社」代表・土岐 彰寿さんを筆頭に、小説『津軽』に登場した「リンゴ酒」を再現しようというこのプロジェクト。今年の三月に、ついに「リンゴ酒」が完成したそうです。

クラウドファンディングの返礼品として、筆者の手元にも「津輕」と「RASHO」が届きました。リンゴ酒再現プロジェクトの歩みを紐解く豪華な取材冊子、お礼状、同封された数々の特典に思わず心拍数が上がります。

太宰治が飲んだという「リンゴ酒」。何もせずに飲んでしまうのはもったいない、という想いがあります。自力で解像度を上げてから飲みたい。

そこで、「リンゴ酒」を飲む前の長い下準備に、太宰治とお酒の関わりを考える事にしました。太宰治の作品と、その作者自身にまつわる回想を読みながら、太宰治がお酒をどのように捉え、どのように書いたのかを確認し、太宰治とお酒を理解した上で、「リンゴ酒」の栓を抜こうではありませんか。

「酒」にまつわる三つの作品

〈太宰治とお酒〉と考えた時、作品リストを見るまでもなく、既にいくつかの作品が頭の中にひらめきました。まずは『酒ぎらひ』『禁酒の心』『酒の追憶』の三つです。

「酒」という字を表題に含むこの三作品。言うまでもなくお酒についての様々な思いが描かれています。まずはこれらの作品から、お酒に対する太宰治の基本的な姿勢を考えてみましょう。

私は、平常、家に酒を買つて置くといふことは、きらひなのである。黄色く薄濁りした液体が一ぱいつまつて在る一升瓶は、どうにも不潔な、卑猥な感じさへして、恥ずかしく、眼ざはりでならぬのである。

『酒ぎらひ』(初出:『知性』第三巻第三号)

近来私は酒を憎むこと極度である。いやしくも、なすあるところの人物は、今日此際、断じて酒杯を粉砕すべきである。

『禁酒の心』(初出:『現代文学』第六巻第一号)

私はその頃は、既に、ひや酒でも何でも、大いに飲める野蛮人になりさがつてゐたのであるが、しかし、七合くらゐで、もう苦しくなつて、やめてしまつた。

『酒の追憶』(初出:『地上』第二巻第一号)

タイトルからもうかがえるように、お酒についてさんざん悪し様に語るこの三作。「不潔」「卑猥」とそれそのものを非難し、さらに「酒を憎むこと極度」とその感情を訴え、酒豪を「野蛮人」と批判する。太宰治作品における「酒」というものは、常にマイナスイメージを喚起させる語によって語られます。

ところが、そこまで憎むお酒を、語り手達は飲まずには居られません。さらに太宰治は、その飲みの席の風景を、我々読者がその場にいると錯覚するほどの緻密さで描くのです。

〈語り手〉達は、同席者の挑発、友人からの快い誘い、きっかけは何であれ、グラスに手を伸ばします。

『斜陽』・『人間失格』、女性による酔っ払いへのまなざし

なぜ、お酒を蔑んでいてもなお、飲んで酔わずには居られないのか。その答えを知っているのは、どうやら太宰治が描いた女性たちのようです。

『斜陽』と『人間失格』は、いずれもお酒が作中で重要な役割を担う作品です。あまりに名高いこの二作が、お酒を印象的に描いていることも、「太宰治とお酒」という接続の契機となっているのかもしれませんね。

この二つの作品において、太宰治が酔っ払いに向けたまなざしが、女性の声によって語られています。

『斜陽』は、敗戦後のやりきれなさを全体に湛えた作品です。〈語り手〉であるかず子は、六年前に会った芸術家の上原を想い続け、ついに彼に会うために上京します。必死の思いで彼の足取りを追いかけ、ついに西荻窪の料理屋で再会するのですが、六年前の上原とは「違つたひと」のように様変わりしていました。

あなたは、その後もやはり、ギロチンギロチンと言つて、紳士やお嬢さんたちとお酒を飲んで、デカダン生活とやらをお続けになつていらつしやるのでせう。でも、私は、それをやめよ、とは申しませぬ。それもまた、あなたの最後の闘争の形式なのでせうから。

『斜陽』「八」(初出:『新潮』第四十四巻第十号)

ここで「あなた」と呼ばれているのは、芸術家の上原です。西荻窪の料理屋で、「やけくそみたい」にお酒を呷っていた上原について、かず子は「かうでもしなければ、生きて行かれないのかも知れない」と考えます。行き詰まりを感じつつも、それを「痛飲」にぶつけることしか出来ないことを、かず子は見抜いているのです。

上原の弱さや、行き場のない焦りの向かう先が「痛飲」すなわち「デカダン生活」であることを理解し、「痛飲」という行為を上原の「闘争」として位置づけます。

二つ目の『人間失格』は、〈語り手〉大庭葉蔵の手記として作品が展開されます。葉蔵は手記の中で、他者を理解することが出来ない、他者と関わることが出来ない、と語り続けます。彼は不可解な他者に対する恐怖から逃れる手だてとして、お酒を選ぶのです。

「カフヱ」の女給と心中未遂を引き起こした葉蔵は、別の女性・シヅ子の元へ転がり込みます。彼は酒代のためにシヅ子の着物を質入れしたり、外泊したりと、自堕落な日々を送るようになります。

「なぜ、お酒を飲むの?」
「お父ちゃんはね、お酒を好きで飲んでゐるのでは、ないんですよ。あんまりいいひとだから、だから、……」
「いいひとは、お酒を飲むの?」
「さうでもないけど、……」

『人間失格』「第三の手記 一」(初出:『展望』第三十号)

娘であるシゲ子に、葉蔵はなぜお酒を飲むのか、と問われたシヅ子。シヅ子は、葉蔵が持っている弱さを理解しており、それをお酒で誤魔化すことしか出来ないことを知っています。だからこそ「いいひと」だから好きでないお酒を飲むのだ、と結論づけています。

どうやら太宰治作品において、飲酒という行為は弱い者のよすがとして描かれているようです。飲み会の席で、取り立てて話すべきこともなく、その居心地の悪さについついお酒を頼んでしまう。誰にでも経験があるであろう一場面が、太宰治の作品を通してまざまざと思い起こされます。この気まずさと誤魔化しが、太宰治にとってのお酒の正体なのでしょう。

酔っ払い・太宰治

それでは、肝心の本人はどのような様子だったのでしょう。山岸外史が書いた『人間太宰治』「浅草」(ちくま文庫・一九八九年)には、二人で飲み歩いたという回想があり、伊馬春部の「悲劇名詞」(『筑摩全集類聚 太宰治全集別巻』筑摩書房・一九七二年)には、よく飲み、よく笑う太宰治の姿が描かれています。

『走れメロス』のモチーフとも言われる熱海旅行を記した、檀一雄の回想「熱海行」(同前)には、「『歯痛だ』といつていた癖に、いつも通りの豪酒振りを発揮しはじめ」、「二十八円七十銭」の会計に太宰治と檀一雄の二人で青ざめたという記述もあります。

津島美知子は、『回想の太宰治』の中で、太宰治の暮らしぶりを記しています。甲府市御崎町に暮らしていた頃にまつわる回想が、彼の酒豪ぶりを明らかにしています。

 毎日午後三時頃まで机に向かい、それから近くの喜久之湯に行く。その間に支度しておいて、夕方から飲み始め、夜九時頃までに、六、七合飲んで、ときには「お俊伝兵衛」や「朝顔日記」、「鮨やのお里」の一節を語ったり、歌舞伎の声色を使ったりした。

『回想の太宰治』「御崎町」(講談社文芸文庫・二〇〇八年)

「三時頃まで机に向かい」「夕方頃から飲み始め」る生活。羨ましい限りですが、その全てを世話していた津島美知子にしてみれば、たまったものではないでしょう。後片付けをしながら「侘しい」という感情を理解したとも書いています。

この回想には、「月に酒屋への支払いが二十円くらい」とあるので、先に挙げた檀一雄との熱海での一晩は恐ろしいほどの飲みっぷりだったに違いありません。

山岸外史、伊馬春部、檀一雄ら友人にとどまらず、妻であった津島美知子さえも、太宰治とお酒との出来事を回想しています。本人がいくら作品の中でお酒に対する恨みつらみを述べていたとしても、決して嫌いというわけではなかったのでしょう。

おわりに

以上に、お酒にまつわる五つの作品と、お酒にまつわる回想を四つ、概観して来ました。

作品で見せたお酒に対する考えと、対照的な友人・妻らの回想。矛盾するかのように見えますが、太宰治の文学には、度々こうした矛盾が描かれます。

一九三九年に発表された『畜犬談』(初出:『文学者』第一巻第十号)では、犬に対する強い嫌悪感を描いていた太宰治。その流れるような犬嫌いの〈語り〉から、実はとても犬想いの〈語り手〉を見出すことができます。翌年の『駈込み訴へ』(初出:『中央公論』第五十五年第二号)では、イエス・キリストを愛するあまり、イエス・キリストへの憎しみを語るユダを描いています。

太宰治の作品の多くが、相反する感情を描いていることからも明らかであるように、いくら憎んでいようとも、書かずにはいられなかったものがお酒だったのでしょう。

だとすれば、次の記述も、少し違って見えてきます。

「リンゴ酒でなくちやいけないかね。日本酒も、ビールも駄目かね。」と、N君は言ひにくさうにして言ふのである。
 駄目どころか、それはリンゴ酒よりいいにきまつてゐるのであるが、しかし、日本酒やビールの貴重な事は「大人」の私は知つてゐるので、遠慮して、リンゴ酒と手紙に書いたのである。

『津軽』「二 蟹田」(初出:『新風土記叢書7』小山書店・一九四四年)

 
日本酒やビールが貴重であるならお酒は要らない、と言うのではなく、あえて「リンゴ酒」を、という所は、お酒好きならではの「遠慮」の作法でしょう。
 

「(前略)実はね、女房の奴が君の手紙を見て、これは太宰が東京で日本酒やビールを飲みあきて、故郷の匂ひのするリンゴ酒を一つ飲んでみたくて、かう手紙にも書いてゐるのに相違ないから、リンゴ酒を出しませうと言ふのだが、僕はそんな筈は無い、あいつがビールや日本酒をきらひになつた筈は無い、あいつは、がらにも無く遠慮をしてゐるのに違ひないと言つたんだ。」

(同前)

太宰治の「遠慮」は、ものの見事に「N君」に看破され、結局日本酒が出されます。

一方で、酔っ払いの本心を見抜く存在が、決まって女性たちだったことを思い起こせば、「N君」の「女房」こそが、太宰治の「遠慮」に隠された本心を理解していたのかもしれません。

太宰治がお酒に向ける感情と、リンゴ酒に対する一筋縄では行かない扱い。太宰治の本心を勘ぐりながら、リンゴ酒・「津輕」を味わうことにします。

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1995年生まれ。修士(文学)。山か海が見えるところで暮らしたい。好きな色は緑色。大学院を卒業後、よりいっそう太宰治のことを考えている。