怖くないけどヒロインがめちゃくちゃゾンビ/鳩見すた『地球最後のゾンビ』

最近ゾンビものいいですよね。
『ゾンビランド・サガ』めちゃくちゃ良かったですし、『がっこうぐらし』実写版も話題です。

私はグロとかマジ無理なんですが、死者が再び動き出すというテーマには思わず惹かれるものがあります。
そんなエモ系ゾンビものが一冊。今日は電撃文庫『地球最後のゾンビ』のご紹介です。

人が死ぬ!すなわちエンタメ!

「人死にはエンタメ」という名言があります。Twitterの怪人が言ってました。
まさにそのとおりで、我々は人が死ぬと泣いたり喜んだりしてしまいます。ひどい話だ。

ひどい話なんですが、冷静になって思い返すと、燃えるポイントはだいたい人が死ぬし、泣いちゃうポイントはだいたい人が死ぬし、叫んじゃうポイントはだいたい人が死ぬんですよね。

それ故、死んでるゾンビがさらに死んだり死ななかったりするお話がおもしろくない筈がないのです。
あんしんしてください。『地球最後のゾンビ』でも人は死ぬ

ゾンビなんかもう死んでるんだから何がどうなっても平気な筈じゃないですか。
足がもげようが首が飛ぼうが、痛くも痒くもないし悲しくもない筈じゃないですか。
でも本作では違うんですよ。人間なんかより、もっとずっと儚いものだと思わされます。
具体的に言うと、ゾンビ死ぬ。ゾンビめちゃくちゃ死ぬ。ゾンビめちゃくちゃエモく死ぬ。

ゾンビものでは、ゾンビを指して「あいつはもう死んでるんだ!」なんて言葉が最低一回は出てくる気がします。我々はそうやってわざわざ言葉に出して確認しないといけないくらい、死者であるゾンビを単なる動く肉塊としては扱えません。ゾンビとは死者が再び歩き出した姿であり、既に死んでいる彼らに対して、私は、あるいは我々は、いつも何らかの意味を読み込んでしまうんですよね。

私が「ゾンビになんかなりたくない!」と考えるとき、それまでの人生や信念、かけがえのないものを思い返します。
私が「ゾンビになりたい……」と考えるとき、これまでの未練や後悔、死の先の未来を想像します。
生きてるんだか死んでるんだか曖昧なゾンビだからこそ、生と死の境界を強烈に問いかけてきます。要するにゾンビは、自分の生死を想像することに直結しています。

我々はゾンビを通して人生を哲学してしまうのです。

そしてまさに、鳩見すた先生の『地球最後のゾンビ』はそういう作品です。
人生を哲学させてくる系のゾンビ作なのです。哲学的ソンビなのです。

女の子が空から落ちてくるのがボーイミーツガール

空から女の子が落ちてくる、というのはボーイミーツガールの基本のキですが、『地球最後のゾンビ』ももちろんそれを踏襲。ヒロインはどう見ても死ぬレベルの落ち方をして、しかし元気に歩き回ります。
だってもう死んでるから。

そういう訳でメインヒロインはゾンビです。
表紙で元気な笑顔を見せてくれているのがメインにしてゾンビなヒロイン、エコちゃんです。

「ゆっくんは、デリカシーがないなあ。支度はすぐだけど、昼間は出たくないの」
 尖った口先が、つまらなそうに続ける。
「腐っちゃうから」

「ユキトの目的地まで****km」より

かわいい。絶賛腐敗中なエコちゃんです。

本作の舞台はゾンビが大発生したパンデミックから五年後の世界です。
ゾンビは腐ります。ゾンビに賞味期限があるのだから、パンデミックから五年も経てばあらゆるゾンビが腐敗して活動を停止するのも道理。

だから、本作のタイトルは『地球最後のゾンビ』なのです。エコこそが、(おそらく)最後のゾンビ。

物語は、世界の人口が千分の一になり、文明の崩壊した世界をサバイバルする主人公「ゆっくん」が、エコと出会うところから始まります。
もちろん、そこはポストアポカリプス。ゾンビが腐りきったところで、世界に秩序なんかありません。
いわゆる世紀末モヒカンに相当する、終末カルト集団「パンクス」が容赦なく生存者を襲ってきますし、「ゆっくん」のかつての友人であるゾンビ絶対殺すマン(ゾンビスレイヤー)もエコを付け狙います。

「意地っぱり。 ゆっくん友だちいなかったでしょ?」
「そうだな。ゾンビの友人はいなかった」
 エコがぐぬぬと歯?みする。
「ゾンビゾンビって言うけどね、わたしは誰も傷つけてないよ。見た目だってちゃんとかわいくしてるし、ほぼほぼ人間でしょ? あえて言うならファッションゾンビ?」
「でも死んでる」
「体はね。でも心は、ゆっくんよりもよっぽど生きてる」

「エコの目的地まで1355km」 より

体が死んだ女の子・エコと、心が死んだ男の子・ゆっくんの出会い。
本作は紛れもなく、ボーイ・ミーツ・ガールの物語なのです。

そうはいってもゾンビなヒロインくらいありふれているのが昨今の世の中というもの。
では数あるゾンヒロ(※ゾンビヒロイン)の中で、彼女の個性を際立たせるものはなんでしょうか。

それがこちら。

「裸を見られたほうがましだよ!」
 エコが涙目になりながら、頭からワンピースをかぶった。やがてうつろな表情をして、ぶつぶつ言いながら柱から出てくる。
「秘密ヲ知ラレタカラニハ生カシテオケヌ……」
「お、落ち着けエコ。おまえは自分の体をアルコールで洗浄し、細菌や微生物を殺菌消毒している。体内 から血を抜いて、代わりに腐敗防止の薬液を注入している。つまり、自分に『エンバーミング』を施して、 腐敗を抑制しているんだろ?」

「エコの目的地まで1299km」 より

防腐処置してるから、腐らない。
エコは世にも珍しい、自分で自分をエンバーミングするゾンビだったのです。

ラッキースケベ展開はボーイミーツガールにありがちですが、まさかラッキー防腐処理展開を見られるとは思いませんでした。
そんな訳で、ゾンビのくせにとにかく明るいエコちゃんです。けれどもちろん、ゾンビですから賞味期限がある訳で。

だから二人は北海道を目指します。寒いと腐りにくいから

さて、ゾンビであるエコには、「死ぬまでにやりたいこと」がありました。

あまりにメリバ!続きはない!

☆わたしがやりたいこと☆
1.家に帰る 学校に行く
2,犬を飼う
3.風を感じるくらい思いきり走る
4.おねえちゃんと温泉に行く
5.スカイダイビング……?
6.積もった雪にどさっと倒れる
7.ドラマーデビュー!
8.悪い人をだしぬく
9.人助けする
10.男の子とデート

「ユキトの目的地まで****km」 より

ゾンビものの魅力の一つは「死を再考させる」ところにあります。
本作も、エコちゃんの軽妙な語り口でぐいぐい引き込みながら、強烈に死を考えさせてきます。

上の「☆わたしがやりたいこと☆」リストを見て、胸騒ぎを覚える方も多いでしょう。だってこれ、埋め終えたら絶対死ぬやつじゃないですか。もう死んでるエコちゃんに、さらに死亡フラグが立っています。

「死ぬまでにやりたい10のこと」をゾンビになってから埋めていくエコ。一つひとつ埋めていく度に、ゾンビとしての死が近づいていく訳で……。

本作の推しポイントは、「ラノベらしくない」展開にあります。具体的にいうと、明確に1巻で終わってます。
すべてのラノベが「1巻完結を前提としている」わけではありませんが、しかし現在のラノベは人気が出れば続巻が出るのがセオリーでしょう。しかし『地球最後のゾンビ』は、はどう考えても続きが出ない終わり方をしています。

有り体にいえば、メリーバッドエンド。所謂メリバ、不可逆な結末。

広義のメリバとは、見方によってはハッピーエンド、見方を変えればバッドエンドな結末のこと。
狭義のメリバとは、共依存的な関係の二人が、悲劇的な結末を迎えること。

本作がどちらのタイプのメリバか? と問われると、私にはわかりません。
本作は本当にメリバなのか、仮にメリバなのだとすればどういうメリバなのか。教えてほしいくらいです。

一つ言えるのは、我々はやっぱり人が死ぬと泣いたり喜んだりしてしまいますよね、ということです。
「人死にはエンタメ」。まったく皮肉なことですが、これはそういう話です。

なにこれラノベ?

・人が死ぬ
・人は死ぬ
・ヒロインがゾンビ
・ヒロインが軽妙
・しかし重い
・なにこれラノベ?

これまで紹介してきた『地球最後のゾンビ』の推しポイントをまとめてみるとこんな感じです。

そもそも著者の鳩見すた先生がヤバくて、デビュー作が『ひとつ海のパラスアテナ』シリーズなんですが、これ、いわゆる海洋冒険小説なんですよね。

どう考えても今どき盛り上がりそうもない海洋冒険モノなんてジャンルで電撃小説大賞を受賞している時点で只者ではないのですが、この『ひとつ海のパラスアテナ』もこれまた斜め上にめちゃくちゃ面白い話なのです(その話はまたいつか)。

とにかく、ひとあじ違うライトノベルです。

いつもと違った味わいを求める方、どうぞ読んでみてくださいね。

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