僕は別に詩というものがそれほど好きなわけではないけれど、最果タヒ氏の書く詩は好きです。
特に、今のところ彼女の最新刊である『夜空はいつでも最高密度の青色だ』は特に良かったと思てっています。僕は熊本に住んでいるのですが、前回の文学フリマ東京の際に本を買うためだけに渋谷に行き、サイン入りの『夜空はいつでも最高密度の青色だ』を買いました。そして、その日のうちにその詩集を読んでしまいました。今でも、折に触れて読み返しています。その余韻は僕の中に深く残って、とある同人誌に感想めいた文章まで寄稿しました。そこでは、彼女の言う「愛」について、僕の思うことを素直に書いてます。
ところで、この詩集が2017年春に実写映画化される予定なんだそうで。そんなニュースを聞いて、もう1ヶ月以上が経ちます。彼女は小説家としての側面も持っていて、『渦森今日子は宇宙に期待しない。』や『少女ABCDEFGHIJKLMN』などの作品を僕もこれまでに読んでうます。いい監督に巡り合うことができれば、この小説たちはきっと映画になるにちがいないという確信はありました。しかし、まさか、詩集の方が。まだ、僕は困惑しています。
ここ数年くらい、「実写化」という言葉にネットが(というかTwitterが)敏感になっているような気がしていて、それまでも少女漫画や青年漫画の実写化は頻繁に行われていたような気がするんだけど、2000年代以降の「オタク文化」を作り上げてきた漫画の実写化がかなり叩かれているような気がします。さっきGoole検索で「実写化」を検索したのですが、サジェストには「実写化 なぜ」「実写化 一覧」という言葉が並んでいました。
2015年に園子温監督の発言がネット上で炎上したのを覚えている方がいるでしょうか。トリンドル玲奈主演の「リアル鬼ごっこ」について、彼は「原作を読んでない」という旨の発言をしたのです。
この「原作を読んでない」というのがいいことか悪いことかはひとまず置いておいて、この発言は、ある一つの実態を浮き彫りにしたように僕は思っています。それは、原作と違っている実写化映画があまりにも多すぎるということ。これはアニメ化の際にも起きることかもしれませんが、それでも、実写化ほどには原作からの乖離が少ないように思います。漫画の場合は、アニメと同様のビジュアルを使用せざるを得ないからということも関係しているのでしょう。「週刊少女野崎くん」の漫画を見た後に、同名のアニメを読んで、あまりにも話の流れが同じすぎて笑ってしまいました。しかし、小説の場合は、原作のイメージからかけ離れてしまうものも多い。これは、原作ではビジュアルの表現をほとんど担うことができないからという理由も大きいのだと思いますが、それにしても……というものは多いと思っています。
そして今回、『夜空はいつでも最高密度の青色だ』の実写化。いったいどうするつもりなんだろう。この詩集はあくまでも詩集であって、一つひとつの詩が物語をなしているわけでもなければ、そもそも個別の詩が物語をなしているのかも怪しいところなのです。それを実写化するというとき、そこに物語を創り出すとすれば、やはり原作の雰囲気を壊してしまいやしないかという懸念が生まれてしまいます。
このことに関しては、作者の最果タヒ氏もTwitterで言及していたりするのですが、かなりポジティブな発言をしています。もちろん、原作者の許可なしにこんな話が前に進むわけもなく、彼女が喜んでいるのは必然なのですが。
わーい!詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』映画化が決まりました✨✨💫✨監督は石井裕也さん、主演は石橋静河さんと池松壮亮さんです。なんかもうすごい。どういうことだ。どきどきです。来春公開予定です🍓🍓🍓🍓https://t.co/9DGaWcl92l
— 最果タヒ(Tahi Saihate) (@tt_ss) 2016年8月2日
常日頃、詩の解釈は読む人によって違っていてほしいと思っているのですが、今回の映画でも、そうしたゆらぎをとてもとても大切に制作していただいています。詩のなかの登場人物を描写するというより、詩を中心にして、その外側に世界を作っていくような、そんな映画になりそうです。楽しみ。
— 最果タヒ(Tahi Saihate) (@tt_ss) 2016年8月2日
最初にお話もらったときは、驚いたしどうなるのかイメージつかなかったんだけど、ひとつひとつ本当に真摯に作ってもらえているし、不安だとかはまったくないです。ひたすらありがたい。詩集をきっかけにして、また別の新しい作品が生まれるなんてとんでもなく幸せなことだね。
— 最果タヒ(Tahi Saihate) (@tt_ss) 2016年8月2日
僕はいろんなメディアが融合していって、新たな価値を創り出していくというのには基本的に賛成なので、「詩の実写化」という突飛な発想にはわくわくしてしまう自分がいるのもまた事実なのです。だから、そこの葛藤がずっと残っていると言えます。僕は実際、この「詩の実写化」ということが、いつかどこかで叩かれてしまうのが怖いのかもしれません。『夜空はいつでも最高密度の青色だ』の映画は絶対に見たい。見たいんだけれど、その試みが失敗してしまうのが見ていてとても恐ろしくて、なんだか素直に応援できないでいます。
ただ、いまは待つしかない。そう考えています。彼女自身が言うように、映画は詩集とは「また別の新しい作品」になるのだと思います。
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