美味しいオムレツは文章のなかにありて思ふもの

卵料理と本は、それはそれは深い仲で結ばれている。

まず絵本『ぐりとぐら』には、大きな卵をたっぷりと使ったホットケーキが出てくる。あのホットケーキを食べてみたいと思わなかった子どもはいないだろう。

夏目漱石は胃潰瘍で入院して絶食を命じられていたのに、隠れて卵かけご飯をかき込み、吐血したとういう逸話も残っている。

そんな私たちを魅了する卵料理のなかでも、一人前のシェフになるためには必須の料理と言われているオムレツ。今日は、そんなオムレツと本の関係について取り上げようと思う。

井上ひさし「握手」

オムレツと聞いてまず一番最初に思い出すのは、井上ひさしさんの小説「握手」(講談社文庫『ナイン』に収録)だ。

この作品は、小説に親しみのない方も一度は読んだことがあるかもしれない。なぜならば中学校の国語の教科書に載っていたからだ。光村図書の中学校3年生の国語の教科書に1993~2018年まで掲載されていた。

あらすじはこうだ。ある日、「わたし」は幼少期お世話になったルロイ伝道師に呼び出される。そこで告げられたのは、ルロイ伝道師は故郷であるカナダに帰るということだった。縁があったひとたち1人1人にお別れを言って回っているのだという。しかし「わたし」は気づいた。ルロイ伝道師の死期が近いことを……。

なぜ「わたし」はルロイ伝道師の死期が近いと気がついたか。それは、目のまえに置かれた美味しそうなプレーンオムレツがルロイ伝道師の口に運ばれることがなかったからだ。ナイフとフォークを動かしているばかりだった。

「おいしそうですね」とルロイ伝道師はオムレツのお皿を覗き込むようにしながら、両手を擦り合わせたり、「おいしいですね、このオムレツは」と言って、ただただナイフとフォークを動かす。食べたいけれど、もうプレーンオムレツさえ身体が受けつけない。ルロイ伝道師はどれだけこのオムレツを食べたかったのか、いま再び「握手」を読むと、その切々たる想いを感じずにはいられない。

中学校を卒業して長らく経ち、今読み返すと、この短編はむしろ大人向きの小説のように思う。身近なひとの死に直面したことがある人間にとっては身近な題材だ。ルロイ伝道師のオムレツを食べるという努力がどれだけ大変か、またオムレツすら口を通らないという病に侵された状態を、私は容易に想像できた。

そして憎くもこのプレーンオムレツは美味しそうであることは、私が書くまでもない。

こうして大人になって読み返して、これほど「味わい深い」小説を中学時代に読んでいたのかと思った。

石井好子『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』

大学時代、私は日本文化専攻なのに、フランス文学や映画、思想を勉強しようと一所懸命になっていた。そのとき友人が一冊の本を私に勧めた。その本に私は心を奪われた。フランスの雰囲気を肌で感じる本だ。

「夕食にしましょうか」
 マダムがドアから顔をだした。
 夕暮れどき、中庭に向かったアパートの窓には灯がともって、お皿のふれあう音や、こどものカン高い声が、私の部屋まで伝わってきた。いまから十年前、パリに着いたばかりの私は、マダム・カメンスキーという白系ロシアの未亡人のアパートを借りていた。……
(『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』石井好子 p.3 1963年 暮しの手帖社)

石井好子さんの『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』の冒頭の文章を引用させてもらった。(暮しの手帖社から出ていた『巴里の下~』は現在は河出文庫から手に入れることができる。残念ながら装丁は花森安治さんではないが。)

この石井好子さんの文章で私は自分の胃袋と心を掴まれてしまい、石井好子さんの御著書と本に出てくるレシピをまとめたレシピ本を買うくらいに、石井好子さんのことが好きになった。

石井好子さんのことを知らない方に、簡単に彼女のことを紹介しよう。

石井好子さんは戦後まもなくフランスに渡り、活躍された歌手である。日本のシャンソン界の草分け的存在であり、渡仏中の記憶を元に『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』を書き上げ、1963年に第11回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。続編『東京の空の下オムレツのにおいは流れる』も名随筆だ。

私も卵料理が、オムレツが大好きだ。朝起きて、気分がいいときはグラノーラで済まさず台所に向かう。

キッチンペーパーをひいて冷凍ほうれん草を温め、そして卵2個をボウルに割ってよくかき混ぜる。

ほうれん草はよく水気を取り、ひと口サイズより小さく切って、ボウルの中に入れる。

フライパンはテフロン加工だからあまり油を敷かず、よく熱し、ほうれん草入り卵液を入れる前に弱火にする。

最初は菜箸を使ってぐちゃぐちゃと炒り卵を作るように、卵液が固まってきたらフライ返しで形を整えれば、できあがり。

最近の朝食はこれに簡単なサラダとグラノーラだったが、私は違和感を覚えた。石井好子さんの『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』はもっと美味しそうだと記憶していたからだ。

 フライパンが熱くなってくると、マダムはおどろくほどたくさん(かれこれ1/8ポンドほども)バタを入れた。
「ずいぶんたくさんバタをいれるのね」
「そうよ、だから戦争中はずいぶん困ったわ」
 卵4コをフォークでよくほぐして塩コショウを入れ、もう一度かきまぜながら、熱くなったバタの中に、いきおいよくさっと入れる」
(『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』 p.5)

バターの1/8ポンドはだいたい56.7グラムで、卵は4個という、今ではちょっとカロリーを摂り過ぎなのでは……と心配してしまう。

「故郷は遠くにありて思ふもの」ではないが「美味しいオムレツは文章の中にありて思ふもの」というフレーズをふと思いついた。本当に美味しいオムレツはやはり、文章の中にしか存在しないのかもしれない。1編の小説、1編のエッセイを通して痛感した。そしてやはり「美味しそうな文章」とは現物の食べもの以上に、美味しいと感じてしまうのだ。

森茉莉『私の美の世界』

しかし私は、ひとつだけ自慢できるある本からの直伝のオムレツがある。

それが「パセリのオムレツ」だ。

森鴎外の娘であり、多くの問題作を残した森茉莉さん。森茉莉さんによるエッセイ『私の美の世界』(1984年 新潮社)に収録されている「貧乏サヴァラン」より「卵料理」というエッセイがある。そこに出てくるオムレツだ。

1パセリのオムレツ これはフランスのオムレット・オ・フィーヌ・ゼルブの日本流で、フランスのは香い草入りオムレツといって、いろんな匂いのいい葉類を入れて焼くのである。ただパセリを青い汁が出るほど細かく刻んで卵にまぜて焼くだけである(『私の美の世界』 p.20)

卵の黄色とパセリの緑色が混ざるのは、なんと言っても美しい瞬間でキッチンに立ちながらも、うっとりとしてしまう。菜の花の草原にいるようにいるかのようだ。卵液が熱したフライパンにジュウっと流れる音も綺麗だ。

森茉莉さんは「卵料理」というエッセイで簡単で美味しい卵料理をたくさん紹介してくれている。質素ではあるが倹約や清貧というビンボー臭いものではない。森茉莉さんは美食家であったブリア・サヴァランを慕い、貧しいながら貫いた。

明日の朝食は久しぶりにオムレット・オ・フィーヌ・ゼルブの日本版「パセリのオムレツ」を作ることにしよう。

この記事に登場した本

記事を共有する