山田詠美の傑作選を書くということで、私は手が震えている。
山田詠美は1985年に『ベッドタイムアイズ』で第22回文藝賞を受賞してから、日本文学の最前線立つ、麗しのビッチ(誉め言葉)のお姉さま。『ソウル・ミュージック・ラヴァーズ・オンリー』(1987年)で直木賞を受賞。そのほか今回紹介する小説でも読売文学賞、谷崎潤一郎賞、野間文芸賞を受賞している。そして2003年上半期第129回以降の芥川賞の選考委員を務めている、雲の上の、上の、天国に近い場所にいる存在。
そんな山田詠美さんを、エイミーと馴れ馴れしく呼ぶのは間違っているのかもしれない。しかし私は山田詠美さんをエイミーとあえて呼びたい。彼女の書いた小説やエッセイや対談に、書かれたもの全てに、愛と尊敬を込めて。エイミーの作品はどれも私の心を大きく動かした。エイミーの初期作品群は、アメリカの文化と分かち難い関係にある。エイミーとは山田詠美のアメリカ風の呼び方だ。その山田詠美詠美さんを野暮ったく、おもねって呼びたくはない。エイミーの小説の舞台はバリ島だろうと、N.Y.だろうと、私のそばにあった。私がエイミーと呼ぶのはリスペクトだとご理解頂きたい。私はエイミーのおかげで、自分の欲望が好きになれたと言っても過言ではない。
エイミーを知らない、またエイミーに偏見を持っている人も多いと思う。そんな思い込みを吹っ飛ばし、エイミーを知らない読者たちに向けて、新鮮で、瑞々しく、果実から汁がしたたって、それで渇きを癒すような、小説5作を選ばせてもらった。
この記事はエイミーの入門である。エイミーの小説の本質を伝えられれば幸いだ。
もしこの記事の読者で、心が飢えていると感じる人がいるならば、心の滋養のためにエイミーの小説をぜひ読んでいただきたい。
『ベッドタイムアイズ』(河出文庫)
『ベッドタイムアイズ』は1985年に発表された、エイミーの短編デビュー作だ。
この作品はスプーンと呼ばれるG.I(アメリカ兵)と少女キムの愛の日々を綴った小説である。
この短い小説のなかで語られる愛の言葉は、一般的な「愛の言葉」からは遠い。
スプーンは私をかわいがるのがとてもうまい。ただし、それは私の体を、であって、心では決して、ない。
(『ベッドタイムアイズ』 河出文庫 p.7)
上の文章は『ベッドタイムアイズ』の書き出しだ。エイミーの渾身の一文のように今でも感じる。『ベッドタイムアイズ』はセンシュアルな描写が多いが、エイミーの描く官能は、露悪的でも、煽情的でもない。動物的だ。プリミティヴな欲望にキムもスプーンも従順で、食べること、セックスすること、そして生きることを愛している。
そして別れが近づくと、スプーンはこう言う。
「オレたちが愛して来た事って、いつも欲望だけだったね」
(『ベッドタイムアイズ』p.129)
あまりにも的確すぎる、スプーンのその言葉は、キムを動揺させる。スプーンのことを「知りたい」とキムは焦る。知性的であり、冷静なスプーン。キムはこの時、スプーンにかわいがられることを望んだろう。体ではなく、心をかわいがって欲しい、という極めて人間的な欲望を発露させている。
『ぼくは勉強ができない』(新潮文庫)
『ぼくは勉強ができない』は高校生・時田秀美が主人公の連作短編小説だ。新潮社から1993年に出版された。
「時田秀美です。最初に言っておくけど、ぼくは勉強が出来ない」
生徒たちは笑い転げた。ぼくは、どうしてうけちゃうのかなあと呟いて頭を掻いた。
「おまけに字も下手だ」
増々、皆、笑い転げた。
「それなのに、どうしてぼく、書記になんかなっちゃうの」
誰もやりたくないからよ、という声が飛んだ。ぼくは、その声の方を指差して言った。
「違う。ぼくが人気者だからだ」(『ぼくは勉強ができない』新潮社p.11)
秀美は終始このように、自分の魅力に気づいている、人気者だ。屈託がなく、純粋で、病弱な黒川礼子にも、異性関係が派手な武田真理にも、分け隔てなく接する。その姿は確かに人気者そのものだ。
秀美もまだ高校生で、年上の恋人である桃子さんには頭が上がらない。また編集者である母・仁子と祖父である隆一郎を大事にしている。
勉強ができなくても、偏見や思い込みがない純粋で素敵な秀美だが、女の子に平手打ちを食らったりもする。自然体で可愛い女の子である山田舞子に秀美は告白されるが、「人に好かれようと姑息に努力する人が嫌い」と言い放つと、舞子に頬をぶたれたのだ。
「何よ、あんただって、私と一緒じゃない。自然体っていう演技をしてるわよ。本当は、自分だって、他の人とは違う何か特別なものを持っているって思ってるくせに。優越感をいっぱい抱えてるくせに、ぼんやりしている振りをして。あんたの方が、ずっと演技をしてるわよ。(後略)」
(『ぼくは勉強ができない』p.147)
秀美が思い悩む姿もまた魅力的に描かれていて、まさしく思春期ならではの悩みを抱えた姿は、筆者には眩しく見える。
エイミーはこの本を大人になってから読んで欲しい、と「あとがき」で書いている。時代のまっただなかにいる者に、その時代を読み取ることは難しい、と書いている。確かに筆者も思春期の頃にこの作品を読んだが、よくわからなかったというのが正直な感想だった。しかしはるか前の高校生時代を思い返しながら、『ぼくは勉強ができない』を読み返すと、エイミーの書く通り、大人になると進歩させるべきでない心の領域があるのだ、と知る。
『A2Z』(講談社文庫)
『A2Z』は2000年に講談社から発行された、いわゆる「不倫」小説である。第5回読売文学賞受賞作品。
たった二十六文字で、関係のすべてを描ける言語がある。
(『A2Z』講談社文庫p.7)
エイミーはこう豪語する。母国語のことを「マザー・タン」と英語で言う。恋人の舌は? と「不倫相手」の成生に尋ねられると、主人公の澤野夏美は考え込んでしまう。「恋人たちの舌」はAからZの単語を通して、語られる。
この物語は夏美の夫である一浩の不倫の告白から始まる。一浩は恋人の冬子に「魂が抜かれた」状態で、夏美とは別れられないが、冬子とも別れられない状態である、と伝える。
しかし夏美は仕返しのために、浮気をするような軽い女性ではない。郵便局で働く成生とは恋に落ちてしまった、というのが正しい。
「ほら」
彼は、自分の飲みかけのグラスを少しだけ移動させた。白ワインを通した陽ざしが、私の指に金色のラインを引いた。その一番光輝く点が、私の薬指に落ちた。
「夏美にやる。この指輪」
それは、本当に指輪のように、私の手を飾っているのだった(『A2Z』p.203)
こんな粋なことができてしまう成生に、恋に落ちない理由はない。『A2Z』はこのように粋で、お洒落な出来事に満ちている。35歳の夏美は、夫の一浩、恋人の成生、そして編集担当の新人作家・永山翔平と、3人の贅沢だけれども、一筋縄ではいかない男性たちに囲まれて過ごす。ちなみに『ぼくは勉強ができない』に出てきた秀美くんの母・仁子が編集の仕事の先輩である。
豪華なひとびとに囲まれ、仕事もできる夏美は35歳を過ぎた筆者にも憧れである。
『風味絶佳』(文藝春秋)
『風味絶佳』は2005年に文藝春秋から発行された短編小説だ。肉体の技術をなりわいにする人々をテーマにした連作で、第41回谷崎潤一郎賞受賞作品。
この短編集の中で、筆者の一番のお勧めは、「夕餉」だ。ゴミ回収員の恋人・紘の帰りを待ちながら、まさしく夕食を作るだけの話なのだが、それがシンプルで美しく、料理好きなエイミーの一面も覗わせる、チャーミングな短編だ。
私は、男に食べさせる。それしか出来ない。私の作るおいしい料理は、彼の血や肉になり、私に戻ってくる。
(『風味絶佳』文藝春秋p.45)
このシンプルな一文こそ、エイミー節と言えるだろう。エイミーが次々と鋭い短編を残しているのは、切れ味の良い短い文章を大事に書いているからだ。
また「夕餉」では、アルファベットを模したマカロニを茹でたときに、手元のマカロニで単語を作ると紘と美々。紘が「FORGET」を作り、美々が「ME」になった。「フォーゲット・ミー」。「私を忘れて」という単語ができると、美々は気落ちした。しかし紘は「NOT」という単語を足した。英語で「忘れな草」という意味だよ、と照れながらも紘は言う。このくだりが筆者は大好きで、なんていじらしい二人だろうと思ってしまう。
『ジェントルマン』(講談社文庫)
『ジェントルマン』は2011年に講談社から発行された、ピカレスク長編小説だ。第65回野間文芸賞受賞作品。この小説には性暴力描写が含まれるので、読まれる方は注意して頂きたい。
「山田詠美の小説って男女の色恋沙汰ばかりで、つまらなさそう」と思っている方も多いかもしれない(エイミーの書く色恋沙汰なら私はいくらでも読めるのだが)。しかし、この作品はゲイの男の子が主人公だ。
宮下夢生は高校時代に、坂井漱太郎と出会う。漱太郎は眉目秀麗、文武両道。誰もが羨む美貌と底なしの優しさを兼ね備えている。しかしある嵐の日、漱太郎の残酷な本性を夢生は見てしまう。紳士然としている漱太郎は、恐ろしい犯罪者だった。夢生はそんな漱太郎の背徳に魅せられる。漱太郎の本性を知っているのは自分だけだ、と思い、彼への想いを心に秘め続けているが……。そんなあらすじだ。
「ねえ、漱太郎は、いったい、なんだって、ぼくを呼んで、家族の団欒を見せつける訳?」
「え? だってさ」肉を頬張りながらの漱太郎の言葉には何の屈託もない。
「うちの白々しさを見れば、おまえが幸せな家族に劣等感を持つ必要なんて、なくなるだろ?」
その通り。もう、継父も母も、夢生を煩わせることはない。ここを訪れるたびに、死んだ両親は、何度でも何度でも、改めて、死ぬ。(『ジェントルマン』講談社p.96)
ダークな印象が強いのがこの作品の特徴だ。漱太郎の爽やかさは、彼が残酷な罪人であるがゆえに、ジキルとハイドのように、くっきりと印象的に浮かび上がってくる。そして夢生はそんな漱太郎の存在に救われているのも事実だ。
エイミーの小説には同性愛者が脇役として出てくることが多々あった。先に挙げた『A2Z』の主人公・夏美にはゲイの同僚が出てくるし、長編小説『アニマル・ロジック』ではレズビアン・セックスも描写されている。しかし同性愛者が主人公に据えられることはこれまでなかった。エイミーは当時54歳にして、また新しい扉を開いたのだ。
まとめ
筆者はエイミーの小説を全て読んでいる。多作なエイミーの小説から、5作品を選ぶというのは、かなり難しい問題だった。新作が出るたびに新しいことにチャレンジしているエイミーには、本当にリスペクトしかない。読者を飽きさせず、文学の最先端を行くエイミーはとても鋭い文章を書く。
エイミーならきっとこう言うだろう。「トラッドなものってヴァンガードなのよ」と。筆者はいつも心を焦がしながら、エイミーの新作小説を待っている。