アメリカ文学ってみなさんどう思いますか? いやそもそも「洋書」って? 「海外文学」といっても、一筋縄にはいきません。当然ながら日本以外のすべての国と地域の文学が「海外文学」に該当するのですから。
時おり耳にする海外文学の話題も、その国々は様々です。エンタメなのにフェミニズムの装甲を纏った韓国文学があるかと思えば、たとえば2017年にノーベル文学賞を受賞したカズオイシグロはイギリスの作家。イギリスと言えば小澤みゆきさんの『かわいいウルフ』がZINEから大出世したのも記憶に新しい。日本でベストセラーになる。売れに売れた劉慈欣の『三体』は分類するとすれば「中国SF」といったところでしょうか。
ネットでちょっとした「バズ」になるようなキーワードをぶら下げた作品群がいくつかある。
でもほら、やっぱ「海外」って言われたらアメリカでしょ。メリケンでしょ。「洋画」「洋楽」と目に入れたらばやはり脳裏に浮かぶのは赤白青の星条旗。Yes!!
しかし意外にもアメリカ文学の敷居は高い。
いいや正確にはどこからでも足を踏み入れて良いのですが、なにぶん広範囲なため、どこが正門なのかわからないのです, don’t you?
この記事の目次
何処から何処までがアメリカ文学?
300年足らずの歴史しかないはずなのに、新旧合わせた「定番」あるいは「定番らしい」のボリューム数は途方もない。
「これなら自分でも名前を聞いたことがある」と手に取ったクラシックが、意外や意外、アホほど辛気臭くて挫折した経験をお持ちの方もいらっしゃるのでは?(ヘミングウェイ、フォークナー、メルヴィルあたりの作家は恐らくこれに該当するでしょう。わかるわかる。そうなのよ。あれ別に激烈なエンタメってわけじゃないのよ)
読まざる読者は本を開かない
都会の大型書店に足を運べばアメリカ文学コーナーなんてのもあるかもしれない。たしかにこれは取っ掛かりのひとつ。でもそうではなく「体系的に把握しながら楽しみたい」というかつての僕みたいなわがままな読まざる読者もいるのではないでしょうか。
その解決策、僕が考えてみました些細なことですが、どうか参考にしてみてください。
結論:村上春樹と柴田元幸
アメリカ文学をどこから読めばいいの? その入門の勝手口はその出口とは、「村上春樹」「柴田元幸」の翻訳を読み進めていくことです。
藤井風や小林私のカバーをきっかけに往年の名曲に出会うのと同じ仕組みで、彼らのフィルターを通ったアメリカ文学であれば、まずある程度は間違いなく、読み味もやわらかく翻訳特有の堅苦しさもありません。
本当の意味での「体系的な理解」のためにはーー特に古典文学はーーアメリカ史の輪郭にピントを合わせたり、アメリカ文学史の系譜をたどらねばならないのですが、今回は超初級・超入門編ということで「村上春樹と柴田元幸」でお茶を濁すとします。議論はお茶で濁ったけど、注いだお茶は逸品です。ご安心ください。
それでは、以下いくつか僕から村上・柴田両名が翻訳を手掛けたオススメを列挙します!
村上春樹が翻訳しているイイ感じのアメリカ文学
それでは早速紹介していこうと思います。お読みになられると「すごい村上春樹感だな」と驚かれるかもしれませんが、恐らくはその逆で、村上春樹感を醸成したのがこれらの海外文学なのでしょう。
J・D・サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ 』
またの名を「ライ麦畑でつかまえて」です。タイトルは轟きに轟いていますが、未読の方も多いのでは?
あなたがもしまだティーンエイジャーであればオススメの傑作です。反対にもうそうでない場合は一旦保留しておいてください。具体的にはそうですね、「30過ぎてから BUMP OF CHICKEN にドハマりできるか?」みたいな、そういう類の警告です。
トルーマン カポーティ『ティファニーで朝食を』
まず強調しておきたいのはオードリーヘップバーンの映画版とはまったく手触りが異なるということ。映画が好きな人には小説版も体験して欲しいし、あの映画が苦手だったという人も騙されたと思って読んでみてください。揺れるジェンダーやニューヨークという都市などアメリカ文学らしさが漂う1篇です。
カーソン・マッカラーズ『結婚式のメンバー』
名作を再評価して復刊・新約しようという新潮社の企画「村上柴田翻訳堂」でリリースされた最初の作品です。異国情緒を日本語で浴びるという翻訳文学の真骨頂がこの1冊に詰まっている気がします。
柴田元幸が翻訳しているイイ感じのアメリカ文学
続いては柴田元幸が翻訳を手掛けたアメリカ文学の紹介です。
ウィリアム・サローヤン『僕の名はアラム』
こちらも「村上柴田翻訳堂」のオープンに花を飾った作品です。アルメニアからの移民という背景を持つサローヤンが、自身の故郷を舞台に書き上げました。「移民」というのもアメリカ文学やアメリカ映画を読み進めるには必要不可欠なスコップ。何度読んでも発見のある1冊です。
ポール・オースター『ガラスの街』
小説という文字だけの媒体だからこそ実現できた非現実的な抽象ぐにゃぐにゃワールドです。この魅力は原語でも翻訳でも変わりません。俺はこれで卒論を書いた。それくらい好き。
でも好きだから押しつけるというわけではなく、中編でボリューム的にも読みやすく、ミステリー要素やNYらしさもあって読書としてのアメリカ文学の入門にはある意味最適だと思いますよ!
マーク・トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒けん』
少々古典が過ぎるかもしれませんが、ハックルベリー・フィンも挙げておきます。トム・ソーヤーという名前は耳にしたことがあるかもしれません。彼の親友であるハックルベリー・フィンが語り手となるある小説であり、口語体で伝える小説という点において当時も革新的な技法でした。ーーという文学史的にも重要な作品。
子どもはもちろん、大人が精読するにも興味深い1作です。
終わりに
最後までお付き合いいただきありがとうございました。上に挙げた作品群のほか、村上春樹や柴田元幸、あるいは他のお気に入りの翻訳家を通してディグっていくのがオススメです。具体的には先に何度か話題にのぼった新潮社の「村上柴田翻訳堂」であったり(これは装丁も洒落ててカッコイイ!背表紙をビシっと本棚に揃えたいですね!)、柴田元幸が責任編集を務める文芸誌の「MONKEY」から情報をもらうのも手です。
ごめんなさい、最後と言いつつ話が長いですが、これが本当に最後。早口でもう少しだけ補足。
僕なりに入門的なアメリカ文学の作家を羅列します。
ミステリーが好きならエドガー・アラン・ポーをどうぞ。古典ながらもエンタメとして色褪せない名作ばかりです。SFファンであればフィリップ・K・ディックを掘るの楽しいでしょうし、元気が有り余っている人はトマス・ピチョンの奇書なんかにも挑戦して頭を抱えてみてください。(こればっかりは途中で読むのをやめて放り投げても誰も文句を言わないので安心してください)
つまりまとめると、「アメリカ文学」といっても当然アホほど数があるわけですから、気軽に、読めるところから、読みたいものだけ楽しんでください!