もしコロナがゾンビウイルスだったら…… / 吉川英梨『感染捜査』

映画やゲームなど、今や様々なジャンルに登場する「ゾンビもの」。その中でも、吉川英梨『感染捜査』は、2020年の新型コロナウイルスを発想の起点とした作品です。

『感染捜査』では、ゾンビものに必要な要素はもちろん、新しいゾンビ作品の形や今を生きる私たちへの疑問も投げかけています。

ゾンビマニアと言うほどではないものの、ゾンビ愛好家として数々のゾンビ映画を観て、自作ゾンビもの小説まで書いたことのある私が、本作の魅力をお伝えします。

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作品紹介

2020年、東京オリンピック開催直前。東京湾上の豪華客船の中で、新種のウイルス感染症が発生した。

事件の匂いを嗅ぎ取った東京湾岸署刑事課の天城由羽あまぎゆう巡査長は、同じく警視庁で働く弟の謙介と共に真相を解明しようとする。

ゾンビ化する感染者を撃つべきか、それとも感染者治療の可能性を信じ人権を守るべきか、ゾンビと警察、そして海上保安庁が織り成すパンデミックアクション。

刑事モノ×ゾンビもの×時事ネタが調和した『感染捜査』

「彼らはモンスターでもテロリストでもない。感染者、病人なの! 治療法が見つかればまた元に戻る善良な市民なのよ! 次々と殺害して、あんた、ゾンビゲームでもしているつもり!」

『感染捜査』は「もしコロナがゾンビウイルスだったらこうなるよ」といったものを体現した作品となっています。

物語は那覇港に入港する直前の豪華客船クイーン・マム号から、新型ウイルスの感染者が出てしまうところから始まります。

『感染捜査』の主人公の巡査長は、東京湾岸署刑事課に務める女性警察官。彼女は違法薬物の密輸入の捜査を行っていましたが、ひょんなことからこの新型ウイルスに絡んだ事件に巻き込まれます。

最初は、新種の狂犬病として隔離する程度の対策がされていたウイルスでしたが、話が進むにつれてそれが人間を襲うゾンビになってしまうゾンビウイルスであることが判明。政府は感染者のはびこる豪華客船ごと海上隔離を行い、事件の解決を警察と海上保安庁に託します。

『感染捜査』は、刑事ものとゾンビものという2つのジャンルを掛け合わせただけでなく、ウイルスのモデルに新型コロナウイルスという身近な時事要素を選んで組み込んだという点で、非常に挑戦的な作品だと感じました。

現実のウイルスを元にした「ゾンビウイルス」のリアリティ

「ちなみに、ゾンビにも種類があってな。ロメロゾンビと、ブードゥーゾンビがいるらしい」

『感染捜査』に登場するゾンビウイルスは、典型的な「噛むと感染する」ロメロゾンビを元にしています。しかしその実態は練り込まれており、まるで「本当にありそうな」設定になっています。

「俺が、海に沈めて一旦隠すという愚かな判断を下したから、あんなウイルスが誕生した。ウイルスが、深海で変異したんだ」

国内で民族紛争を抱える某国から奪取したというそのウイルスは、最初は狂犬病ウイルスの致死性を低めた、ただの人工ウイルスでした。しかしそのウイルスが海底の深海魚に感染したことで、狂犬病ウイルスよりもタチの悪いゾンビウイルスに変異したというのです。

豪華客船で新型ウイルスが蔓延、その根源は某国、時期は東京オリンピック直前と、『感染捜査』は様々な部分で現実をモデルにしていることが分かります。ファンタジー要素が強いイメージのゾンビものの作品としてはやや異質なリアリティを感じます。

また、近年の出来事を題材としているため、ややブラックジョークじみた部分はありますが、もちろん本作は不謹慎なギャグとしておもしろおかしく描かれている訳ではありません。

「もう一つの現実」「あったかも知れない現実」として、吉川さんは描いているように感じます。その証拠に、ウイルス以外にもリアリティを感じる場面が多いからです。

ゾンビウイルスに対する人々のリアルな反応

ゾンビという言葉を使った途端に、全てがファンタジーだ、と上月が言い直す。

ゾンビウイルスを知ったことに対する国民の反応は、様々です。政府は東京オリンピック直前ということもあり、最初は民間には隠蔽し一部の専門家や警察などの機関に委ねていました。

しかし、乗客が大量に集まる場で感染者が出てしまい、豪華客船では爆発的に感染拡大が起きてしまいます。

『クイーン・マム号内に隔離されている感染者の安全保障について』
(中略)正当防衛であっても、感染者ひとりに対し、致命傷とはならない手足への発砲を『強く』推奨すると記されていた。(中略)また、致命傷となる頭部、及び脳内損傷を伴う打撃は、一切、禁ずることとする

感染拡大が起きた後も、政府はなんとか事態を穏便に収めようと、訓令13号と呼ばれる、いわゆる「感染者を殺さないで」といった命令を大々的に行います。

感染者の家族を思いやったこの訓令は、警察の機動隊や研究者といった面々がゾンビの弱点を突いて倒すことができず、結果的にさらに感染者を増やしてしまう要因となってしまいます。

こういった政治関係や警察や海上保安庁の縄張り(いわゆるシマ)に関する微妙な関係性、自衛隊を安易に動かせない「政治的な事情」などの描写において、『感染捜査』にはかなりリアリティがあるように感じます。

吉川さんは過去にもテレビドラマ化した推理小説「女性秘匿捜査官・原麻希シリーズ」や「新東京水上警察シリーズ」など、現代の警察や捜査官を描いた作品を数多く生み出しています。

そういった作家の経験や取材に裏付けされた部分が、ゾンビもの・警察ものながらリアリティを出してうまく絡めているように感じます。

現実のウイルスを題材にしたことによる「危機感」

吉川さんがこれだけゾンビものにリアリティーを込めたのは、一体なぜでしょうか。

単なるエンタメ作品でよければ、ウイルスの正体が荒唐無稽な原因でも、人々のリアルな反応を入れることも必要なかったはずです。

『感染捜査』のゾンビウイルスが描くものは、ずばり「危機感」なのではないかと思います。

新型コロナウイルスが中国で生まれた当初、そのウイルスの危険性や実態は隠蔽されていました。そしてダイヤモンド・プリンセス号での船上隔離が行われていた際も、具体的な恐ろしさや対策を知らない私たちはまだ他人事でいました。それがたった数週間ですっかり情勢が変わってしまいました。

2021年7月現在、度重なる延長を終えた緊急事態宣言ですが、コロナウイルスによる危機感はまだまだ足りないように感じます。

『感染捜査』では、テレビやネットの一部の曖昧な印象論に踊らされるのではなく、自身で安全・危険を正しく見極めるという「判断能力」、そして冷静に対処する「危機管理能力」が問われているのではないでしょうか。

本作での感染者は、正しくゾンビというものを理解していれば、対処できるものです。隔離し、軍隊を派遣して、頭部を破壊すればいいだけのことですから。

しかし間違った知識と不安感に踊らされて冷静に物事を判断できない人々がいたり、危機感よりも自身の保身を考える政治家や権力者がいたりするだけで、恐ろしい事態を引き起こしてしまうのです。

ゾンビウイルスが描くものとはなにか

映画史における最初のゾンビ作品は1932年の「ホワイトゾンビ」と言われています。ゾンビという概念の誕生から、かれこれ100年近くもの時間が経っているのです。

最初はゾンビ・パウダーという薬物を使って人間を使役するといったものが、本作のようにウイルス(感染症)として扱う作品だったり、はたまたゾンビをアイドルにした作品だったりと、現代ではいろいろなゾンビ作品やゾンビの形が描かれるようになってきています。

『感染捜査』は時事ネタを放り込んだ現代のゾンビものというだけでなく、ゾンビウイルスについて深堀りしリアリティを追求したことで、「現代人の危機感を問う」というメッセージがあるように感じました。

次もゾンビものがあるなら、ゾンビ愛好家としてぜひ読んでみたいところです。

参考文献(筆者のおすすめ本)

ゾンビサバイバルガイド
ゾンビが現実に大発生してしまった場合、どうやって生き延びるかが書かれています。これをよんでゾンビ・パニックに備えよう!

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大学で学ぶゾンビ学~人はなぜゾンビに惹かれるのか~
学術的にゾンビを研究している大学教授の本。数々のゾンビ作品を比較して、ゾンビという言葉がどんなものを示すのか真面目に分析していて興味深いです。