この文章は、2025年10月5日の文学フリマ福岡で販売を開始する熊本発の文芸誌「游象」創刊号に掲載されている「はじめに」に、適宜リンクを付したものです。
本誌は、「熊本発の文芸誌」として、熊本出身の者、熊本在住の者、あるいは熊本にゆかりのある者に文芸的な活動の機会を提供したいという企図の元に制作された。発行元は「蓼食う本の虫」で、編集は蓼食う本の虫主宰のあとーすが務める。
なぜ、熊本発の文芸誌を制作することにしたのか? まずはそこから説明する必要があるだろう。また、ここからの文章は私が「游象」にどのようなスタンスで臨むのかということについて書かれているが、それを語るためには、私のある程度長い思い出話にも触れる必要がある。そのため、興味の無い方は適宜読み飛ばしていただいてかまわない。
私は熊本出身ではないが、2025年現在は熊本に在住している。大学進学を機に熊本へやって来て、その後は福岡、東京にも住んだが、4年前にまた熊本へと帰ってきた。そう、まさに「帰ってきた」という表現がふさわしい。熊本に居住した年数もやがて合計で10年ほどになり、今となっては出身地である福岡県久留米市よりも、熊本県熊本市が愛着のある都市となっている。もちろん久留米も決して悪い街ではなく、最近も帰省した際に飲みに出かけて「焼き鳥がうまいなあ」「〆のラーメンもうまいなあ」と関心していたのであるが、親元を離れてから一番長く暮らした土地である熊本こそが、私の自我の中に分かちがたく取り込まれている場所なのだと思う。そんな熊本の地で、何かしらの文芸活動を興してみたい。そう思ったのが、この「游象」という誌を制作しようと思った第一の理由である。
しかし、実を言えば別に「熊本発の文芸誌」とする必要は無かった。この企画が形になる以前は、要するに「何か本を作りたかった」という思いをぼんやりと抱いていただけだったのだ。「熊本発の文芸誌「游象」創刊号について」というページを蓼食う本の虫のWebサイトに公開したのが2025年4月27日で、この数週間くらい前から、5月11日開催の文学フリマ東京40で出す本のことを考えていた。この時に作った本は、結果的には40ページにも満たない薄いものとなったのだが、その執筆・制作作業中に、「もう一人で書くのはたくさんだ」「誰かと一緒に本を作りたい」「できれば自分は編集に回りたい」、そんなことばかりを考えていた。何か本の企画を作るにあたって、寄稿者の属性を限定する必要はとくに無かった。事実、以前には『太宰治という私』という本を制作した際には、寄稿者の資格は問わなかった。しかし、本を作るのであれば何かしらの「縛り」は必要だろうと考えていた。そうでなければ、読者は何を基準に本を手に取れば良いのかが分からなくなってしまう。『太宰治と私』の場合は、寄稿していただく原稿の性質を規定することで「縛り」としたわけだが、今回は寄稿者の属性に何か「縛り」を作ってみても良かろうと考えた。そこでふと、「熊本」という自身が生活している場所に思いが至ったのだ。
そんな折に、私は熊本でとある人とお酒を飲むことになった。その席で自身が趣味にしている「ことばの不思議」についてひとしきり話した後に、「熊本でもっとこういうお酒の場があれば良いのに」と思った。私は人とお酒を飲むのが好きだ。しかし、お酒を飲むのには、大抵の場合は理由が必要だ。理由や目的の無い飲み会はむなしい。そしてその「理由」の中で私が最も好むものが「打ち上げ」なのである。
4年前に前職を辞めた時、「どこに住もうか」と考えていた。東京にそのまま住むことも考えたが、会社の近くだからと借りていた渋谷区のワンルームは、月の家賃が7万7千円で、これからしがない根無し草の個人事業主となる私にはあまりに高い金額だった。そこで、もっと家賃を安く抑えられる地に引っ越すことを考えた。そこで白羽の矢が立ったのが熊本だったわけである。熊本は学生時代を過ごして勝手を知っていたというのも、友人知人がそれなりに住んでいるというのも理由としてはあったが、決め手となったのは、国府に本拠地を構える劇団、転回社の存在である。
私と転回社の出会いを書くと長くなるので詳しいことは割愛するが、私が学生時代に所属していた熊本大学演劇部の後輩が転回社の活動に携わっており、その影響でいつの間にか私も転回社に出入りするようになっていた(「出入りする」というの何だか怪しいが、おそらくこの表現がいちばん正しい)。福岡・東京に住んでいる頃も転回社のWebサイトを更新する手伝いをしていて、熊本に帰ってきた今は、公演の写真を撮ったり、受付をしたり、たまに役者として出演したりもしている。しかし、私にとっていちばん楽しみなのは「打ち上げ」だ。打ち上げが楽しいから、転回社に出入りしていると言っても過言ではない。しかし、打ち上げだけに参加するというのは何だか気が引けるものだ。また、他の参加者が公演の大変さなどを労っている時に、こちらが何もしていないのでは申し訳なくてお酒がまずくなる。おいしくお酒を飲むためには、「いっちょ噛む」必要がある。そこで申し訳程度に、Webサイトを更新したり、写真を撮ったり、受付をしたり、出てほしいと言われれば少しだけ舞台に立ってみたりするのだ。また、最近は打ち上げ用のご飯づくりにも力を入れている。転回社の打ち上げは、ビルの3階に所在する「転回社スタジオ」なる場所で行われるのが通例なのだが、そこに自身で作った料理などを運びこんで振る舞うことを楽しみのひとつとしている。はじめは鍋など簡単なものを作っていたのだが、次第に凝ったものを作るのが楽しくなってきて、最近は、刺し盛り、ポトフ、麻婆豆腐、鶏皮餃子、夏野菜と水晶鶏のおひたし、オクラと豆腐の梅和え、などといったものを一挙に作って持ち込み、酒宴を開いている。これが本当に楽しい。
だから、ここでひとつ、何かほかにも酒宴のきっかけになるような活動をしても良いだろうと思った。それも、できれば文化的なものが良い。そう考えた先の帰結が、熊本発の文芸誌「游象」なのである。
飲み会が楽しみだというのは不純な動機ではあるが、これはある種切実なものでもある。というのも、おそらく熊本には「文芸的なシーン」「文芸的なネットワーク」みたいなものはおそらく存在しない。少なくとも私はその存在を知らない。もちろん存在を知らないだけで、実はあるのかもしれないが、「いっちょ噛みたい」症の私としては、私が存在を知らない限りは、私が作り出すしかないだろう、と考えた。しかし、熊本に文芸の基盤が無いわけではない。熊本には、文学部を持つ国公立大学として、熊本大学と熊本県立大学がある。また、その両方の大学に文芸部もある。このうち熊本大学の文芸部は、私が大学時代に所属していた文芸サークル「セピア」が、現在は大学公認の部活動となったものである。部員も、私が在学した頃とは比較にならないほどに増えているらしい。また、熊本の文芸誌の先達としては、橙書店が発行する『アルテリ』がある。また、昭和23年創刊の同人誌「詩と眞實」もある。文学賞としては、熊本日日新聞が主催する「熊日文学賞」、熊本県文化懇話会・文化協会が主催する「熊本県民文芸賞」がある。市内の公民館に行けば、短歌の講座も開講されている。だから、熊本に文芸シーンが全く無いとはいえない。しかし、そのシーンは決して強固なものではない。ゲンロンから刊行されている『いま批評は存在できるのか』の東浩紀氏による「はじめに」によれば、「関西の批評・文芸愛好家たちのあいだには、東京にはない親密なネットワークがある」らしい。熊本にも、そんなものがあれば良いな、とぼんやり考える。繰り返しになるが、もしかしたらもう熊本には文芸シーンが存在しているのかもしれない。しかし、それをもっと大きくしたいと夢想しても良いだろう。そしてそれに資するために、熊本の文芸シーンにまだ「いっちょ噛み」できていない私が新たな試みををはじめたとて、それをとがめる者はいないだろう。この活動を始めたことで、既存の文芸シーンとの繋がりが生まれ、さらに大きな文芸的なうねりを熊本に起こせるかもしれない。はじめは飲み会からで良い。というか、飲み会すらも贅沢で、まずは原稿を交換するだけでも良い。実際、創刊号となる今回の寄稿者の中には、まだ顔を合わせたこともない方もたくさんいる。だから、寄稿者のメンバーと飲み会をすぐに開催するというのも、今のところ現実的ではない。しかし、それで良い。そもそも、創刊号は「とりあえず出してみる」ことが目標だったのだから。創刊号を制作してみて、この「游象」というものに興味のある方が少なくとも6名はいることがわかった。そうであれば、ぜひ第二号を出してみたいという気持ちも湧く。実物が1冊できあがったことで、活動の内容も説明がしやすくなった。もっと大々的に寄稿者を募ることもできるだろうし、たとえば読書会や合評会といったイベントを開くことだってできるかもしれない。創刊号の告知をする時は「本当に誰か寄稿してくれるんだろうか」「誰からも連絡が無かったらどうしよう」という暗い気持ちがあったが、1冊作り上げてみて、なんだか自信もついてきた。
以上が、私の思い出話や気まぐれと分かちがたい「游象」成立の経緯である。個人的には寄稿者の方とお酒を飲んで盛り上がりたいというのが第一のモチベーションであるが、それは私以外の方にとってはどうでも良いことである。酒宴なんてまっぴらごめんだという方もいるだろう。だから、本誌はあくまでもひとつの現象だと捉えていただき、それぞれに都合の良い形で使ってもらえればと思う。
このような形で立ち上がりつつある「游象」という活動であるが、もし少しでも面白いと思っていただけたのであれば、ぜひ温かく見守っていただきたい。そして、この活動が継続できるように力を貸していただきたい。「力を貸す」というのが具体的にどのような行為を指すのかであるが、まずはこの本を手に取っていただき、寄稿者の方々の文章を丹念に追っていただけるというのが、望外の喜びである。そのうえで、感想などもお伝えいただければ嬉しい。感想は、ぜひ半公的な場で、すなわちインターネット上に公開する形で行っていただけると、常にエゴサーチをしている私の元に届くし、まだ「游象」のことを知らない方にも知っていただけるきっかけにもなり、一石二鳥である。そして、もしあながた熊本にゆかりのある方なのであれば、ぜひ寄稿も検討していただきたい。寄稿者の募集については、今後も蓼食う本の虫のWebサイト上で告知を行う予定である。なお、創刊号には小説、随筆、戯曲をご寄稿いただいたが、創刊号の原稿募集要項には「原稿の内容としては、主に創作・批評・研究を想定しています」と記載しており、第二号でもこれは変えない予定である。興味のある方は、ぜひとも創作以外の原稿もお送りいただきたい。

