「ライトノベル」と「一般小説」の違いってなんだろう?

   

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こんにちは、あとーすです。

先日、「『ライトノベル』と『一般小説』の違いは?」というテーマでアンケートを取らせていただきました。
ご回答いただいた皆さま、誠にありがとうございます。

文学や小説における「ジャンル」というのはとても曖昧なもので、たとえば「純文学」も「ミステリ」も「SF」も、その定義は百人百様でしょう。そんな中、ここ数年で新たに「一般小説」というジャンル(呼称)も一般的になっているように思います。

この「一般小説」という言葉は「ライトノベル」との比較から生まれた言葉という理解から、一体この言葉にどういう意味がこめられているか、そして「ライトノベル」と「一般小説」との違いは? という最初のテーマについて、考えていきたいと思います。

アンケートの結果

まずは、先のアンケートに僕が前文として書いたものを掲げてみることにします。

僕は常々、「ライトノベル」と「一般小説」という分け方が面白いなあと思っているのですが、皆さまはいかがでしょうか。
これまでは伝統的に「純文学⇔大衆文学」というような大別方法があったわけですが、そこに「ライトノベル⇔一般小説」という分け方がここ数年で生まれてきています。

そこで皆さまに質問です。この「ライトノベル」と「一般小説」の違いはどこにあるのでしょうか?
個人的には、「一般小説」というのは特殊な概念だと思っています。というのも、既存の文学的イメージを保っているような純文学・大衆文学の作品は「一般小説」と呼ばれず、若い人たちを想定読者としているような作品(たとえば、『陽だまりの彼女』や『世界から猫が消えたなら』)に対して「一般小説」という呼称があるように僕には思われるのです。

ここには、前述したように「ライトノベル」と区別するという意識が働いていると考えられます。

さて、ここで皆さまに質問です。
「ライトノベル」と「一般小説」の違いを説明しなさいと言われたとき、あなたはどう説明しますか?
また、それぞれどのようなものが代表作として挙げられますか?
「純文学」や「大衆文学」など、他のジャンル分け方法も説明の中に組み込んでいただいても構いません。
皆さまと一緒に考えていきたいと思いますので、できるだけ詳細にお書きいただけますと幸いです。知恵をお貸しください。

というようなアンケートを取ったところ、なんと45件の回答を得ることができました。中には、長文の回答も。ご回答いただいた皆さま、本当にありがとうございます。

その回答の中から気になったものをピックアップし、それにコメントをつける形で問題点を提示するというのを、本記事の目的にしたいと思います。

回答

作者がライトノベルだと思って書いているか、一般小説だと思って書いているか。もしくは、どこの層に向けて書いているか。

最初についた回答がこちらでした。これは、まあ答えといえば答えだと思います。作者がどう思っているか、という問題は他の人にはどうすることもできないので、まあ本人が主張するのならば仕方ない…という感じでしょう。ただ、これまで伝統的にライトノベルだと言われてきたものしか読んだことがなくて、そして明らかにそれらの作品に影響を受けて書かれた小説を「ライトノベルじゃない!」と作者が言っているのだとすれば、それがどんなに素晴らしい作品であっても「いやいやライトノベルだよ…」と諭すしかないと思うのですが、まあ書いた当人にとっては真実なので仕方ないですね。

 

消費されるものがライトノベル、受け止められるべきものが小説だと思います。

アニメや漫画の消費スピードの速さに、ライトノベルも乗っかっている。というようなことは、僕もあるかと思っています。ただ、もちろん好きなライトノベルは何度も読み返すだろうし、別に好きでも何でもない一般小説は消費してすぐに忘れてしまうでしょう。「受け止められるべき」という風に「べき」論で来られるとそうなのかなあと思ってしまうんですが、でも、一般小説にもやっぱり毒にも薬にもならないものはあります。

ただ、ライトノベルに関してはいわゆるオタク文化の文脈でいう「萌え」が入った作品が非常に多いという推測はできます(ここで「推測」というのは、僕があまりライトノベルを読んでおらず、表紙やタイトル、あらすじを見る限り、そう感じるということです)。萌えが前景化した物語は快楽(性的なものに限らず)に重点を置いていて、それが「消費」という言葉に結びつく部分があるでしょう。

 

レーベル。ライトノベルレーベルから出ればライトノベル。それだけ。

この方は、「その他に何か〜」の欄で、このようなことを書いてくれています。

ライトノベルという言葉ができる以前から、内容は現代のライトノベルと差がない小説はいくらでもあった。

文学に限らず、ジャンルやカテゴリというものは、その言葉ができる以前から何か作品なり文化なりがあって、それをあえてグルーピングするために名付けるものですから、「内容は現代のライトノベルと差がない小説はいくらでもあった」というのはある意味当然のことと言えます。また、それを受けて、「レーベル」がジャンルを決定しているというのも、一つの完璧な答えです。すると、僕みたいに「これはライトノベルなのか…?」などと悩む必要がなくなります。

ところでここで気になるのは、「ライトノベル」がやや格が落ちるものとして捉えられているなということです(それを非難しているわけではありません)。僕は、「ライトノベルと差がない小説はいくらでもあった」という文の「差」と「いくらでもという言葉遣いから、そのことを感じ取りました。まあライトノベルをはじめとしてオタク発の文化が格の落ちるものとして見られていたという話は今に始まった話ではなく、たとえ現在、オタク文化の市民権が徐々に認められ始めていると言っても、そのような風潮は残っているのではないかというのが僕の正直な感想です。

 

・ライトノベル
主に10代〜20代前半を対象にした内容の作品で、作風はジャンプやマガジンなど少年マンガに近い。
主人公や中心人物も対象の世代に沿っていることが多く、題材は学園モノやファンタジー系中心。
きわどいサービスシーンも描写されていることが多く、異様にモテたりスケベなハプニングに巻き込まれたり、異世界に転生して能力が目覚めるなど、男性の願望を投影したような描写や展開も多い。

・一般小説
全年齢を対象とした作品で、作風はこれまでの大衆文学を尊守した作品。登場人物の世代もさまざま。
比喩表現も多く、サービスシーンも隠喩されることがある。
日常風景からホラー、時代劇など現実的で、ギミックが凝った設定が多い。

僕の中でもやもやしていたことがほぼ言葉になっているように感じました。

 

私は、大衆文学と呼ばれる小説よりも「ライトな」小説が「ライトノベル」、それ以外が「一般小説」として扱われていると思います。
「ライトな」を言い換えれば「気軽な」「敷居の低い」という感じになるでしょうか。これを悪く言えば「俗っぽい」「低俗な」ということになるかもしれません。
きょうび、大学生の4割が本を読まない時代です。私自身現役大学生なのでわかりますが、多くの若者にとっては読書という趣味自体が「高尚で敷居の高いもの」だ、と捉えられているきらいがあります(私は読書大好きですが)。多くの若者にとっては、世の中の9割の本が「私を読むなら覚悟しなさい」としかめっ面をしていると感じられる、近寄りがたいののようです。その中で、若者に親しみをもって「私を気軽に読みなよ」と微笑んでくれる本が「ライトノベル」なのです。
つまり、多くの若者にとって純文学とか大衆文学だとかいうジャンルはどうでもいいんです。ライトノベル以外は「その他」=「一般小説」と思っている若者が多いでしょう。

「ライトノベル」の定義に「ライト」という言葉を使ってしまうのは反則気味な気がするのですが、その後に言い換えや補足もあり、概ね納得できる内容でした。ただ、この方は「その他に何か〜」の方が面白くてですね…。

質問文に『個人的には、「一般小説」というのは特殊な概念だと思っています。というのも、既存の文学的イメージを保っているような純文学・大衆文学の作品は「一般小説」と呼ばれず、若い人たちを想定読者としているような作品(たとえば、『陽だまりの彼女』や『世界から猫が消えたなら』)に対して「一般小説」という呼称があるように僕には思われるのです。』と書いてありますが、この文章は、あとーすさんにその意図がなくとも、回答を誘導してしまう文章だと思います。なぜならこの文章には「そう言われればそうかもしれない」と思わせてしまうところがあるからです。

「ばれた!」と思いました。まさに僕は誘導しようとしてこの文章を書いたのです。『人間失格』の「ワザ。ワザ」を読んだ瞬間の気持ちが蘇りました。普通に質問をしたのでは、「ライトノベル」と「その他の小説」に関する回答にしか集まらず、そのとき、「ライトノベル」にまつわる意見のみが集まるだろうと予測されました。それは僕の本意ではなく、今回の主眼はどちらかといえば「ライトノベル」という概念に対する「一般小説」であったので、このような書き方をさせていただきました。もちろん、今回も「ライトノベル」の特徴だけに関する回答も多く集まったわけですが、この方の回答のように、僕の意図を汲み取って「一般小説」に関する意見も寄せてくださる方が少なからずいらっしゃいました。成功か失敗かで言えば、成功だと思います(ばれてしまったのは恥ずかしいですが…)。

この回答を書いてくださった方、もしこの記事を読んでいて興味があれば、当サイトで記事を書いてみませんでしょうか…? ご連絡いただけますと幸いです。

蓼食う本の虫 寄稿者募集

 

正直一般小説は嫌いです。という個人の感情はさておき、一般小説はそういう若い人(というより本を読まない人)向けの小説はビブリオマニアからしたら物足りない内容、ボリュームで、ひどいものだと言葉の意味を間違って使っていたりするものもあります。トリックも技巧もあったもんじゃない。しかし内容は非常にわかりやすく伝えたい事はシンプルに伝わるものだと思っています。一方純文学と呼ばれる文豪達が書かれた小説は、時代が違ったら一般小説レベルだろ、とも思っています。あれはあの時代にあの内容を書かれたから昨今評価されているわけであって、内容自体にわかりやすさがあるわけでもなく、本をある程度読む人でないと読む気すら起きない。読まない人から見たら純文学は見るだけでハードルが高すぎると諦めてしまうものではないでしょうか。そのぶん内容も濃くてきちんとした言葉遣いをしている純文学はとても勉強になります。ラノベは本当にピンキリです。純文学のように濃くて深い内容のものもあれば男性向けの欲望に忠実なだけのハーレム小説はもあります(後者が圧倒的に多いのは気のせいじゃあないかもしれない)しかしすばらしいラノベ小説と出会えた時の感動は何にも変え難いです。発想の突飛さタイトルの秀逸さを重視し、表紙と挿絵の絵柄で選ばれ、大体のものが主人公目線でしか書かない(書けない)のはラノベ特有だと思っています。読者イコール主人公の図が基本となっている気がします。故に感情移入しやすく、中毒になってしまう人が多いと思います。
文字数が多ければ偉いわけでもなく、少なければうすっぺらだと言いたい訳ではありません。ものごとを語弊なくきちんと伝えるにはそれなりの文字数が必要になります。それをちょっと省いて誰にでもわかりやすくしたのが一般小説、省かず全て説明しているのが純文学、読者の気持ちになって(わかりやすいように?)書いてくれるのがラノベ…が、個人的なイメージです。
例として上げるなら、
お題「愛は素晴らしい」
一般小説「愛はあったかくて優しくて、時々切なくなる大切なもの」
純文学「愛情とは複数の種類が存在すると定義されている。親愛から友愛、敬愛、…(略)…捧げる感情だからこそ、同じ愛が星の数以上に存在していても唯一の月の様に輝いて見える。何故なら〜」
ラノベ「やっぱ、愛はすげーよ」

自分の中ではこんな印象です。

長々とすみませんでした。読んでくださってありがとうございました。

あまりにも熱く語られていたので、「その他に何か〜」のみ紹介させていただきました。
いわゆる「純文学」系の小説を読むことが多い身からすると、確かにめんどくさいものが多いと思います。「純文学」の例文が「純文学」を体現できているかというと少し異議を唱えたくなる部分もあるのですが、でも、端的に差異を捉えるには十分であるように感じられました。

 

「一般小説」(個人的には「一般文芸」のほうが馴染みがありますが)という呼称には単純に「ライトノベル以外の作品」という意味しかありません。あくまでラノベ読者(もしくはほとんど小説を読まない人)の側が用いる言葉であり、基本的にラノベと対比してのみ使われる言葉であります。
ただし、SF読者やミステリ読者からすると「一般文芸」は「SFやミステリのようなジャンル小説以外の作品」を指すとも聞きます。いずれにせよ少なくとも十年以上前から使われている言葉です。
さておき、そもそも「ライトノベル」の定義が曖昧なので「ライトノベル以外」の範囲も曖昧になります。ただ何となく「これはライトノベルじゃないな」と思う作品を「一般文芸」と呼んでいるのです。たとえば「ラノベ作家がハヤカワで書いたSF小説」をライトノベルとするか一般文芸とするかは微妙な問題で、人によって見解が分かれるところだと思います。ことほどさように漠然とした言葉であり、人が「一般文芸」という言葉を使うとき、その具体的な範囲を想定していることも少ないでしょう。
「純文学・大衆文学の作品は一般小説と呼ばれず、若い人たちを想定読者としているような作品に対して一般小説という呼称がある」とありますが、実際のところは純文学なども「一般文芸」に含まれると思います(ラノベじゃないですからね)。若者向けの小説だけが「一般文芸」と呼ばれがちなのは、ライトノベル読者(ひいては若い読者)がそれらの作品を話題にすることが多いというだけでしょう。
そういうわけで、「ラノベと一般文芸のそれぞれの代表作」というものは挙げにくいところです。つまるところ「一般文芸」は単なる補集合であって、そこに「ライトノベルでない」以外の共通点はないからです。

随所で断言されているところに好感が持てました。「『ライトノベル以外の作品』という意味しかありません」というところにハッとすると同時に、「あくまでもラノベ読者(もしくはほtんど小説を読まない人)の側が用いる言葉」という点には僕も考えが及んでおらず、確かにそうなのかもしれないと納得してしましました。
また、十年以上前からあるというのも参考になりました。一応「数年前」という形でぼかしていたのですが、「十年前」と来られると誤魔化しきれませんね。ライトノベルがジャンルとして分化する過程をもっと勉強しなければなりません…。
ただ、この文章を読んでもなお、僕は「『一般文芸』は単なる補集合」ということに異議を唱える余地は残っていると考えています。ただ、大変申し訳ないのですが、僕はまだ「異議があるぞ!」と断定できるだけの材料を持ち合わせておりません。

 

ライトノベル:アニメ化されやすい物。一人称で、各登場人物の性格や身体的特徴をある程度のカテゴリー化ができるもの。例えば[天然、ツンデレ、眼鏡、女性の場合巨乳か貧乳か、男性の場合マッチョであるかモヤシか等]
一般小説:一人称、三人称のどれかである。視点が様々であり、形式も様々である事。映像化される場合は映画かドラマで、登場人物(主に主人公)の外見をあまり具体化せず、鍵となる人物にはしつこいくらいに具体化する。

キャラクターをカテゴライズしやすい、というのは、ライトノベルひいてはオタク文化全体と特徴と言えるのではないかと考えています。一般小説の定義は、やや特殊なような気もしますが…。

 

面白そうなアンケートなので、書き連ねてみようと思います。あくまで主観的な意見ですが、あしからず。

なお、私は小説家になろうでの趣味の執筆のみ、出版なし、10年程度の執筆歴と追記しておきます。

さて。
文字というものがなかなか手に取られないご時世、更には発行される新刊の数も星のよう。その中で、ジャンルわけをするのは、効率的に読みたい本を探す、求めている層に宣伝するためにも必要不可避な作業と思われます。
私自身、他の方からオススメを聞かれた時に、どの辺りを勧めるのか悩んだことは一度や二度ではありません。

そこで私はまず、大ジャンルとして3つに分けています。
・純文学(近代文学、芥川龍之介や宮沢賢治など。教科書に載っている方々。もしくはその書き方に近しい文体のもの)
・ライトノベル(挿絵がある、キャラクタ、世界観の説明があるなど、本文のみで形成されないもの)
・携帯小説(媒体は紙でも電子でも構わないが、総じて横書きであり、顔文字などの使用も認められるもの)
と分けます。
今回の場合、ライトノベルと一般小説の違いということですので、そこに絞って書いていきます。
本の虫である友達によれば、そもそもライトノベルとは挿絵のある本を指していた、とのこと。狭義的には間違いかも知れませんが、外れた意見でもないと思います。
その上でライトと一般の区別とあらば、挿絵の有無となるでしょう。
しかしながら、最近では挿絵は当たり前になりつつあり、世界観の想像を付加するような役目を持つ挿絵もあると思われます。
なので、私なりには、本文の文字以外で作品を語る何か(挿絵、説明、その他)があればライトノベル。それが無く、作中の場面を絵として書き上げたものを一般とすべきと思います。
例を上げるならば、本文も始まらないのにキャラ挿絵、地図などがあるものはライト、本文だけで分かりにくい部分を絵で補足的に描くのはライト、逆に、物語の景色や、印象付けたい部分を一つの「写真」的に描くのが一般ではないかと思います。
ただ、もちろん挿絵のない物で純文学にも当たらないというものも有ると思いますが、これはなかなか分けにくいと思います。
それも強いて分けてしまうならば、物語を作品内のみで描くのが一般、補足を作品の合間に書くのがライト、でしょうか。
簡単に判断するなら一ページ目に本文があるかどうか、ですね。

長くなりましたが、取りまとめるとこんな感覚です。趣味とはいえ文字書きであるのに、文字数を纏められないのは技術の程が露呈しそうですが、まぁ何らかの意見の端くれにでもなれば幸いです。

「純文学」「ライトノベル」「携帯小説」という3分類が新しいというか、個人的には「ライトノベル」と「純文学」の間に距離があるように感じしてしまうのですが、しかし大別するとそのようになるのかもしれませんね…。

ライトノベルというのは、親切に不親切な世界を書ける矛盾許容的な場であるという印象です。軽い(ライト)ではなく、軽やか(ライトサム)なんです。その「サム」の部分に作家はいくつでも趣味を持ち込むことができて、その趣味が作品をより軽やかにしてゆく。読者は作家のエアポケットに入り込み、一緒に宙を旅するような、そういった読書体験ができる気がします。だからこそ、中高生に向いているし、大人になったいまでも軽やかに(エアリー)飛びたいときは、ライトノベルを読みたいです。
一般小説というのは、ライトノベルの運動性とは異なり、芸です。にんげんの業の部分を肯定してゆく、文芸の道成。あるいは文章における物語つきの余芸。
ただこの二項対立は、どちらもそこまで更けているものではないので、いまのところ大した役には立たない気がします。便宜的で、形式的。お互いを浸食する気配なんてなくて、あっちとこっちの位置の見取り図。そのあたりが純文学、大衆小説という分け方との根本的な意識のちがいかなとおもいました。まあ、ライト文芸とかも出てきたし、
これからですよね。

「役に立たない」という視点で言うと、確かにそうだと思います。僕も、「一般小説という呼称はなんだ?」という素朴な疑問からこのアンケートを始めております。侵食する気配はなく、あくまでも「線引きが曖昧」程度なのも考えると、やはり「一般小説」は「ライトノベル以外」という定義がもっともらしいような気がしてきました…。ここで示されている「一般小説」は「芸」であるという言葉を、僕はまだ掴みかねています。それが、ひとつの答えになっているかどうか。

 

わたしは、頭の中で登場人物を思い浮かべたとき、3次元の人間か2次元のキャラかどうかで判断しています。
ライトノベルを書く友人たちと話していると、登場人物を考えるときにアニメキャラのような造形という前提で作っているみたいなので。
一方で、一般小説は現実の人間を前提にした登場人物が作られているが、ストーリーや文章構成が易しい。またはアニメのようなキャラだが、ストーリーや文章構成が大衆小説や純文学のようなテンポで書かれている。
といった感じで、感覚的には「アニメ」と「若者向けのドラマ」かなと思っています

僕も他人の小説に軽率に「ラノベっぽい」というときは、この基準で判定しているように思います。

 

自分の中でのライトノベルの特徴(分類の基準)
①主要な登場人物の年齢が若い(ほぼ10代~20代前半。学生であることが多い)
②「描きたいテーマを浮き彫りにする物語」でなく「作者が描きたい題材」が表に強く出ている
③世界観の設定が、特殊性の強い一定の範囲内(学園内、都市内、あるいは主人公をとりまく同族コミュニティなど)に収まり、社会性が低い
④どこの誰にでも起こりうるような偶然性がない(あくまでも主人公だからこそ巻き込まれる、主人公には問題を解決できる能力がある等の理由があり、同時に必然性や作者の意図がみえる)

文体の影響は絶対的に存在すると思うのですが、それ以外の要因として上記をすべて兼ね備えている場合もしくは③④が顕著である場合は、レーベルやカテゴリが一般小説であっても、読んでいて「ライトノベルだなぁ」と感じます。
あえて魔法や超能力という単語を出さなかったのは、例えば、自分が持つ特殊能力について葛藤したり、周囲とわかりあえずに苦悩する少年が他者とわかりあっていくような物語だと、自分の中では青春小説に分類されるからです。けれどそれが集団になるとライトノベル感が強くなります。

「青春小説」という新たなワードが…。

 

 ラノベと一般小説の違いは、基本はレーベルだとは思いますが、例えば講談社BOXはラノベ的なものと一般小説が混在していますので、そのくくりに入らないものも多くあるような気もします。

 他の分け方としては、私の持っている漠然としたイメージ論なのですが、読者の持ってるオタク語彙のライブラリを利用できるのがラノベっていうくくりもあるのではないでしょうか。
 例えば「勇者」や「魔王」、「スキル」のようなゲーム的な用語や、キャラクターの特徴を表す「ツンデレ」みたいな用語、あるいは流行りのアニメや漫画のネタ、というようなその時々のオタクの中では共通認識クラスの常識になっている語彙を、作中の地の文で説明なしに使っても問題ないのがライトノベルで、その用語の説明からいちいち始めないといけないのが一般小説という括りです。

「おたく語彙のライブラリ」というのが非常に面白いなと思いました。個人的な話になってしまうのですが、僕は小説を読むときにその作者が言葉を使うときに「怠けているか」ということを考えます。ある特定のキャラクターを「ツンデレ」と表現していると、僕は「怠けている」と思います。そういうのが許される空間というのは心地いいと思いますし、僕はそういうのを物語の外に求めるのですが、そういうものを物語にも求めるのが「ライトノベル」ということなのでしょうか。

 

ライトノベルと一般小説は違う点がそれなりにあると思っています。以下は私が考えるライトノベルです。

ライトノベル:表紙や挿絵にアニメ調の絵がある・タイトルが特徴的(長い文章であるなど)・装丁の色使いが鮮やかでカラフルなことが多い(そうでないものもあり)・出版社が電撃文庫やガガガ文庫、富士見ファンタジア文庫、一迅社など…(まだまだ多くある)・中高生などの若年層向けであることがほとんど・内容がファンタジーだったり転生モノだったりすることが多い・読みやすい娯楽小説・テーマが重くない

以上がぱっと思い浮かんだライトノベルの特徴です。もちろん、当てはまらないものもあるし、一般小説に分類されるものが当てはまる特徴もあります。
ただ、一番ライトノベルらしいものといえば、「テーマが重くない」という特徴だと思います。ほとんどのラノベでは、主人公が魔王を倒したり、超能力者のあれやこれやに巻き込まれたり、事件に巻き込まれてそれを解決していったり、と非常にゴールが明確なテーマであることが多いです。読んでいて自分の人生に照らし合わせることは難しいです。なぜなら、主人公は完全なる善であることが多く、葛藤しても彼らは正しい答えを導き出すからです。結末では世界を救ったり、事件を解決したり、一見、何も問題を残していない完璧なエンドであることが多いです。一方で一般小説はラノベの主人公より人間味があり、自分に置き換えやすいと思っています。また、ゴールが明確でないテーマであることが多く、結末も家族と向き合うだとか、辛かった過去を乗り越えるだとか、問題を残しつつ終わることもままあり、ラノベほど完璧な終わりという感じがしません。
と、ゴチャゴチャ書いてみましたが、やはりラノベと一般小説の大きな違いといえば、物語を自分の人生に投影できるかどうか、ではないでしょうか。

※当然、一般小説でもファンタジーやSF、スパイなどといったテーマを取り扱うものは存在し、それらの場合、物語を自身の人生に投影することは難しいです。

「主人公は善である」というのはなんだか水戸黄門ぽいですし、最近は逆張りの物語が多いのかなと思っていたのですが、そんなことはないのでしょうか…? 最後にぽっと出てきてしまいますが、「大きな違い」と書かれている「投影」についても気になるところです。ライトノベルを読むとき、僕らは彼らに何も投影することなく、完全なフィクションとして読んでいる…?

 

一般小説は作者自身が面白いと思ったアイデア、ストーリー或いはメッセージを書き上げるのに対し、ライトノベルは作者が市場のニーズを意識して書く場合が比較的多いのではないかと感じています。(勿論作品を個別に見れば逆になってるものも多いですが)
それ故にラノベ市場にはそのときどきで様々な「傾向」が現れます。やたら長いタイトルだとか、ネトゲの中に閉じ込められて奮闘するストーリー、転生ものが流行るというのがそれです。登場人物(特に主人公)についても、読者の等身大のキャラが苦難を乗り越えて強くなるというものから無気力キャラ、最初から無双するキャラ、周囲から低評価を受けるが実は評価基準に組み込まれていない部分で絶大な能力を持っているキャラなどへと流行りが移行しています。
対して一般小説にはこういった流行り廃りがあまりないように思います。ある作品が爆発的にヒットしたとしてもそれと似た作品が頻出する事はありません。その作品はその作品として売れています

ラノベはストーリー、キャラ、設定等々をラノベという集団の中でグループ分けする。
一般小説は作品が他作品とまとめられることなく個々として存在する。

すみません。全然うまくまとまりませんし質問の趣旨とはずれてる気がしますが、上記のような違いがあるのではないかと感じています。
乱文失礼しました。

ライトノベルはマーケティング思想がかなり入り込んでいるような気がします。もっと純文学とかもマーケティング頑張ればいいと個人的にはいいと思うのですが、それでは純文学ではなくなってしまう…? みたいな声も聞こえてきそうですが。

まとめ

今回、アンケートの回答に面白くて長いものが多かったので、読み込んでいて、他の方の意見を取り込んで消化して、なんだか気持ち悪くなってしまいました。それは、まだ僕が皆さまの意見をぜんぜん消化できていないことの証明なのかもしれません。

今回は、皆さまの意見に僕の簡単なコメントをつけるだけとなってしまいましたが、今後もう少し「ライトノベル」と「一般小説」について考えてみて何か書いてみようかと思います。

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あとーす
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蓼食う本の虫 主宰。文芸同人「無間書房」で短編小説や140字小説を書いています。

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