本谷有希子『静かに、ねぇ、静かに』/僕の神様だった彼女は“大人の寓話作家”になった

本谷有希子が群像に新作を発表した。2018年3月号だ。

あの芥川賞を射止めた「異類婚姻譚」が群像に掲載されたのが2015年11月号で、それから本谷有希子は小説を発表していなかったから、2年4ヵ月ぶりだ。読んだ。おもしろかった。しかしそれ以上に、とてつもないさみしさが、僕を襲った。なぜさみしかったか。書いてみる。前提として、僕は本谷有希子が死ぬほど好きだ。

 

あらすじ

本谷有希子の新作は、連作短編だった。『静かに、ねぇ、静かに』という題のもと、「本当の旅」「奥さん、犬は大丈夫だよね?」「でぶのハッピーバースデー」の三つの短編が連なっている。

「本当の旅」

「本当の旅」の語り手・ハネケンは、友人のづっちん、ヤマコと三人で、クアラルンプールを観光する。この三人は昨年の流行語ともなった“インスタ映え”にわかりやすく取り憑かれており、旅のあらゆる場面で、自分たちがいかに“楽しそう”に見えるかを追求する。自撮り棒を振り回し、スマホに齧り付き、写真を動画をネットに投下し続ける。そんな痛々しい彼らが四十歳前後の中年であるのがまたグロテスクだ。旅の終盤、“楽しそう”に縛られた彼らの陥る結末は、SNS映えと切っても切り離せないわれわれ現代人にとって、決して他人事ではないだろう。

「奥さん、犬は大丈夫だよね?」

「奥さん、犬は大丈夫だよね?」の私は、夫とその同僚、妻の四人でキャンピングカーに乗る。同僚夫妻はキャンピングカーのオーナーに内緒で愛犬を車内に連れ込んでいる。同僚と夫はさほど仲が良いわけでもないようだ。閉鎖的な車内に押し込まれた四人と一匹の、奇妙な道中は続く。夫はかねてより私にネットショッピングを禁じているが、私はそれをやめることができない。ネットショッピングに依存する私と、“不便”を愛する同僚夫妻の会話は噛み合わない。駐車場にキャンピングカーを止め、宴会をする。私がまた禁を破ったことに苛立った夫は、私を置いて出て行ってしまう。ラスト、現代の行き過ぎた“便利”に巣食われた私の狂気にぞっとする。

「でぶのハッピーバースデー」

「でぶのハッピーバースデー」は、勤務先の倒産により職を失い、ハローワークに通う中年夫婦の物語だ。語り手である妻「でぶ」は、太っているうえに乱杭歯でひどい容姿をしており、なかなか面接に受からない。夫はでぶの乱杭歯を「俺達がいろんなことを諦めてきた“印”」と捉え、でぶを無理やり歯医者に連れて行く。矯正のため歯を抜くことを提案されるが、でぶは拒み、折よくステーキレストランのバイトに受かり、働き始める。幸福に転じるかに見えた夫婦の日常だが、次第に雲行きは怪しくなってくる。夫はでぶの陰惨な“印”を動画に撮影し、全世界のみんなに見てもらおうと考える。歪に展開していく物語は、これもやはりホラー調で、どこか身につまされるような暗い読後感を残す。

本谷有希子ver.1は死んだ

で、本題だが、僕が読みたかった“本谷有希子”はこんなのではない。こんな「現代社会を鮮やかに切り取った」物語を、本谷有希子の筆で読みたかったわけではない。切り取って欲しくない。本谷有希子には、書く対象を“切り取る”なんてことは一生して欲しくなかった。僕が好きだった本谷有希子は、全身火だるまになりながら、書く対象に突進していたはずだ。対象を切り取ろうとして、うっかり自分も切り刻んでしまっていたはずだ。僕が死ぬほど好きだった、僕の神様だった本谷有希子は、どこへ行ったのか。結論から言うと、たぶんもういない。

本谷有希子が変わったのは、今になって思えば、『嵐のピクニック』(初出は群像2012年3月号)からだ。当時は誌面でわりとおもしろく読んでいたが、振り返ってみると、あそこが分岐点だった。『ぬるい毒』(新潮2011年3月号)以前が「本谷有希子 ver.1」、『嵐のピクニック』(群像2012年3月号)以後が「本谷有希子 ver.2」だ。もう明確に違う。本谷有希子 ver.1は既に死んで、本谷有希子 ver.2が存命している。

本谷有希子の造型する人物は、概ねエキセントリックである。これは本谷有希子が長らく劇作家としてキャリアを積んでいたことに由来するかもしれないが、とにかく人物のアクが強い。舞台映えしそうな、魅せる人物が多い。かつてはそれが前面に出ており、ここ数年は鳴りを潜めつつあると感じる向きもあろうが、人物はやはり変である。本谷有希子 ver.2の代表作である『異類婚姻譚』の旦那はド変人であるし、最新作のハネケン一行も過剰なインスタ映え行動が明らかにクレイジーだ。“私”のネットショッピング依存も過激だし、でぶの容姿は哀しいモンスターだ。そこは、ver.1とver.2で変わりがない。では、何が決定的に違うのか。端的に言えば、本谷有希子 ver.2には“寄り添ってる”感がない。

本谷有希子 ver.1は、エキセントリックな人物たちを悲惨な境遇にぶち込みシニカルに描きながらも、はっきりと肯定していた。通奏低音として、圧倒的な“肯定”が常に鳴っていた。本谷有希子 ver.1の主人公は、全員はち切れそうな自意識を持て余し、爆発寸前である。承認を強く求める、精神的な病理を抱えている。澄伽も寧子も明里も巡谷も熊田も、自意識に攻め入られ死にかけている。本谷有希子 ver.1は彼女たちを舞台で踊らせながらも、常に彼女たちの一番近くに寄り添い、彼女たちのぶざまな生き様を肯定していた。現代社会特有の精神病理を、客観的には描き切れず、一緒になって爆発していた。そこが好きだった。僕は。そんな本谷有希子 ver.1に、どれほど救われたか、どれほど肯定してもらったか、どれほどお前は生きていていいんだと何度も耳元で叫んでもらったか。

本谷有希子 ver.2は、風変わりな人物たちを、あくまでシニカルに描き切る。描き切ってしまう。そこには肯定が鳴り響いているわけではなく、至極客観的に、人物は人物として現実に照射される。リンデもサンちゃんもハネケンもでぶも、現実世界の奇妙な一面を炙り出すための、寓話の一登場人物に過ぎない。そう、本谷有希子 ver.2の書く小説は全て“寓話”なのである。三島賞を射止めた『自分を好きになる方法』初出時の創作合評(群像2013年6月号)で島田雅彦氏が本作を「小説というより寓話」と評していたが、まさにその通りで、本谷有希子 ver.2はいわば“大人の寓話作家”となってしまったのである。そしてそれらの作品群は、どれも円熟した傷のない筆致で綴られ、有り体に言えば“めちゃめちゃうまい”。それが僕にとってはどうしようもなくさみしい。胸がくるしい。新作を読むたびに、本谷有希子 ver.1はもう死んだのだなあ、とつらくなる。この気持ちはどうすればいいんだ。やはり本谷有希子だけあって、全部、おもしろいことには違いないのだけど。

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猫

会計士。小説と演劇が好きです。たまに自分でも書きます。