江戸時代版キテレツ大百科? 石川雅望『飛騨匠物語』

hidatakumi  

はじめに

こんにちは、『思ってたより動くメロンパン』の真実無目むゆです。

ある時、僕は、バイト先の塾に通っている高校1年生の男の子にこう話しかけられました。
「先生! 最近、俺、『ガリヴァー旅行記』と『不思議の国のアリス』を読んだんだけど、今から200年近く前の小説とは思えないほど面白いんですよ、これが!」
かなりの熱弁ぶりです。読書家であることは知っていましたが、海外の古典作品にも手を出しているとは知りませんでした。僕は相槌を打ちました。
「『南総里見八犬伝』とかも同じくらいの時代だけど、かなり面白いよね」
「はっけんでん……?」
その時男の子は、その作品の名前を初めて聞いたような顔をしていました。

また、ある時、春から高校3年生になる妹に質問をしてみました。
「古典作品を思いつくだけ挙げてみろ、って言われて、何が思いつく?」
妹は小首をかしげて少し考えた後に、指を折りながら、
「『源氏物語』、『枕草子』、『徒然草』、『土佐日記』、『方丈記』とか?」
と、受験生らしく多くの古典作品の名前を挙げてくれました。しかし、
「『南総里見八犬伝』とか、『東海道中膝栗毛』とかは?」
と加えて質問してみたところ、
「あー……、名前くらいは」
と、イマイチぴんと来ていない表情を浮かべていました。

この2つのエピソードを通じて僕が感じたことは、「昨今の中高生は教養が無くてけしからん」ということでも、ましてや僕の妹の作品名を挙げる時の仕草が愛くるしいということでもありません。
あ、やっぱり、江戸時代の古典って知名度低いよね。
そういうふうに無性に納得してしまいました。
江戸時代の古典作品は、平安・鎌倉時代などの古い時代と比べて出版量が膨大であるためか、あるいは明治時代に入って坪内逍遥らが近代小説という全く新しい形を打ち立てたためか、他の時代の日本の作品や同時代の他国の作品に比べて知名度が低いような気がします。

でも、これは少し勿体ないことです。
それは、教養を積むために江戸時代の古典も読むべきだ、なんて、お堅い理由ではなく、実際この手の江戸時代の古典は純粋にエンターテインメントとして面白い場合が多いからです。
1000年もさかのぼる『源氏物語』などと比べて時代が近いことも勿論ですが、江戸の大衆向けに書かれていたという性質上、惚れたり惚れられたり、斬ったり斬られたり、幽霊や妖怪の類がわんさか登場したり、現代人が見ても「これは面白いぞ」と思わず唸ってしまう要素が多く含まれています。

そんな江戸時代の古典の面白さを少しでも知ってほしい。
こういうわけで、江戸時代の古典作品、中でも「読本」と呼ばれる現代の小説に最も近いジャンルに属する古典作品を、独断と偏見に満ち満ちた個人的チョイスのもと、紹介したいと思います。

SF作品としての『飛騨匠物語』

『キテレツ大百科』という作品をご存知でしょうか?
藤子・F・不二雄さんが描いた漫画作品で、アニメ化もされた人気作です。
発明好きの少年・木手英一(通称・キテレツ)が、先祖に当たる偉大な発明家・奇天烈斎の残した「奇天烈大百科」をもとに、コロ助を始めとしたさまざまな発明品を造り、それによって巻き起こるハチャメチャな騒動を描いたSFコメディ。
僕も小学生の時にドラえもんの親戚みたいな感覚でよく見ていました。

この『キテレツ大百科』によく似た(と僕が個人的に思っていて)、巷(僕と僕の周りの数人の友人の間)で「江戸時代版キテレツ大百科」と呼ばれて話題沸騰している『飛騨匠物語(ひだのたくみものがたり)』という読本があります。
作は石川雅望(いしかわまさもち)、絵は葛飾北斎という当時においても有名な二人のタッグによるもので、江戸の大衆の話題をさらったに違いありません。1808年の刊なので、同時代で他国の作品となると、例えばメアリー・シェリーの名作『フランケンシュタイン』が1813年に出版されています。
石川雅望という名前に聞き覚えがない方でも、もしかすると、宿屋飯盛(やどやのめしもり)という狂歌師としてのペンネームを聞いたことがあるかもしれません……ないかな?
知らなかった方はググってみてください。
「歌よみは下手こそよけれあめつちの動き出してはたまるものかは」という狂歌が代表作としてヒットするはずです。

『飛騨匠物語』のあらすじはざっくりと次の通りです。

飛騨の名工猪名部(いなべ)の墨縄(すみなわ)が弟子の檜前松光(ひのくままつみつ)とともに蓬莱山(ほうらいさん)の神仙から工技を授けられ、武蔵(むさし)に下って美少年竹芝山人を助けて女一の宮との間を取り結び、やがて山人と一の宮はもと仏界を追われた人であることがわかって、ついに3人とも登仙する。
(小学館『日本大百科全書:ニッポニカ』|「飛騨匠物語」の項 より引用)

こうしてあらすじだけ見ても、なんとなく小難しそうであまり面白くなさそう……。
たしかに古典作品なだけあって、話の展開自体は平安時代の日記文学『更級日記』に伝わる伝説をモチーフにした、一見お堅そうな話ではあります。
しかし、僕が最も注目して欲しいポイントは本作の重要なカギを握る「機関(からくり)」の数々です。もうこの字面だけで心が躍りませんか?

名工・墨縄は家を造る匠としても超一流ですが、その腕前が最も発揮されるのは彼が「機関」を造る時です。ゼンマイ仕掛けも無しに泡を吹きながら壁をはい回る蟹の機関や、吐き気を催すほど精巧な人の生首模型、持ち運び可能で簡単に組み立てられる橋、そして極めつけに、彼の自宅は機関によって地上3メートルから地下まで上下に自在に動くのです。その様は、まるで現代におけるエレベーターのよう。
しかも、ただでさえ一流の匠なのに、彼は仙界で木工の得意な仙人から秘伝の道具と奥義を授かって、さらにパワーアップします。

そんな墨縄は、超絶技巧の機関を以て、山人と一の宮の恋を応援します。
山人は貧しい田舎人、一の宮は時の天皇の娘と、まるで『ロミオとジュリエット』を彷彿とさせるような結ばれない、そして結ばれてはいけない恋に二人は苦悩します。
また、二人の仲を引き裂こうとする悪者たちも次から次に登場します。
なんてピンチ! かわいそうな二人!
しかし、そんな窮地も「墨縄えもん」がいれば大丈夫!
魔法と見まがう機関で何でも解決してくれます。

結局二人は墨縄のおかげで、幾多の困難を乗り越え、無事に結ばれることができるのです。
『キテレツ大百科』のように、墨縄の機関はピンチを救う魔法の道具でもありながら、物語を推進していく原動力にもなっています。
キテレツのご先祖様であり、世紀の発明書「奇天烈大百科」を書き残した奇天烈斎は、もしかすると、墨縄に通じているのかもしれません。

研究者の松尾修氏は、この作品を「貧困な日SF史の欠落を大きく補う作品」として評価しています。一方で、「生きているような馬」「生きているような人形」「生きているような蟹」のような「生きているような」系の機関が多く登場するなど、その想像力には少しSFとしては物足りない部分もあります。SFに興味のある方は、日本SFのルーツを探るためにも是非手に取ってみてはいかかでしょうか。
国書刊行会から出ている『現代語訳江戸の伝奇小説3』に、細かい注釈付きで現代語訳が収録されています。