喪失の先を抱きしめて / 村上春樹おすすめ小説5選

デビューから現在に至るまで唯一無二の作風とスタイルを貫いている作家、村上春樹。彼は作家生活四十周年をこえた今もなお精力的に作品を発表し、多くのファンを魅了し続けている。その世界は小説のみならずエッセイから翻訳に至るまでが共鳴し、ひとつの巨大な星座を生み出している。

今回はその世界の切れ端を覗いてもらうために、短編小説集から二冊、長編小説から三冊を紹介する。

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

鉄道の駅をつくることを仕事とする多崎つくる。名古屋での高校時代、「色彩」を名前にやどす四人の男女の親友と完璧な調和を成す関係をむすんでいたが、大学時代のある日突然、四人から絶縁を申し渡された。なんの理由も告げられずに。死の淵を一時さ迷い漂うように生きてきたつくるは新しい恋人の沙羅に促され、あの時なにが起きたのか探り始める。

長編小説のなかでは比較的短く、かつモチーフやテーマが理解しやすいことから、初めて村上春樹の長編を手にとる人におすすめすることが多い。多崎つくるから一定の距離を保ち色彩を持つ四人とあわせて正五角形をむすぶような三人称小説でありながら、村上春樹の描く「僕」という一人称の物語がにじみ出ているところも好きだ。そして何より、これまで描いてきた「喪失」のその先を見据えた言葉が胸のふかいところへと染み込んでいく。

僕らはあのころ何かを強く信じていたし、何かを強く信じることのできる自分を持っていた。そんな思いがそのままどこかに虚しく消えてしまうことはない

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』p.420

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『スプートニクの恋人』

22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。相手の女性の愛称は「ミュウ」といった。広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった。それは行く手のかたちあるものを残らずなぎ倒し、片端から空に巻き上げ、理不尽に引きちぎり、完膚なきまでに叩きつぶした。

『スプートニクの恋人』p.7

恋に落ちた相手はすみれより17歳年上の既婚者女性、ミュウ。奇妙で切ないラブ・ストーリー。

美しい女性同性愛の作品であると同時に、村上春樹作品に頻出するモチーフ、テーマの総決算のような作品でもある。こちら側とあちら側に分かれてしまったもの、一度変わってしまったものが取り戻されたときの決定的なズレ、音楽、小説、そして井戸。ロシア語で「付随するもの」から転じて「衛星」の意味を持つ「スプートニク」のように、寄り添ってはいるのに孤独は癒えない。村上春樹世界の結晶にふれながら、恋の痛みを追体験できる一作だ。

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『国境の南、太陽の西』

バブル絶頂期の東京。「僕」は一人っ子という育ちに不完全な人間という自覚を持ちながら、成長と共にそれを克服しようとする。義父の出資で開いたジャズを流す上品なバーが成功、二人の子どもを授かり裕福で安定した生活を手にするが、自分の人生ではないような不安を覚える。そんなとき、小学校の同級生で、かつて相思相愛だった島本さんが店に現れる。

順風満帆な人生を送っているように見える男性が実は孤独を抱えている。過去の恋に囚われている。一見よくあるストーリーだが、それが子ども時代、青春時代、そして社会に至るまで、全編とおして流れているところが好きだ。「喪失」は一時的な強い感情ではなく、失い、思い出しながら並走していくものだ。村上春樹のなかでは比較的地味な長編小説だが、孤独と喪失の描き方では最も気に入っている作品のひとつである。

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『女のいない男たち』

舞台俳優・家福をさいなみ続ける亡き妻の記憶、彼女はなぜあの男と関係したのかを追う「ドライブ・マイ・カー」。後天的に習得した関西弁でザ・ビートルズのイエスタデイを歌う男・木樽とその友人女性をめぐる「イエスタデイ」。妻に去られた男は会社を辞めバーを始めたが、あるときを境に店を怪しい気配が包み謎に追いかけられる「木野」、など喪失の先にある物語を描く6編を収録している。

『女のいない男たち』は、村上春樹がずっと描いてきたようにも感じる女性を失った男性という存在を様々な人称や文体で復習し、また更新していく短編集だ。確かにあったはずのものの不在と忘却は静かな寂しさだけではなくもっと奇妙な後味を残してくれる。第74回カンヌ国際映画祭で全4冠を達成した映画『ドライブ・マイ・カー』は前述の同題短編小説のほかにもこの短編集に収録されている「木野」「シェヘラザード」の要素をふくんでいる。是非、原作小説にもふれてもらいたい。

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『東京奇譚集』

孤独なピアノ調律師の心に兆した微かな光の行方を追う「偶然の旅人」。サーファーの息子を喪くした母の人生を描く「ハナレイ・ベイ」。ふいに名前を思い出せなくなってしまった女性の不思議な物語「品川猿」など、見慣れているはずの世界の一瞬の盲点に掻き消えたものたちの不可思議な運命を辿る5つの物語。

村上春樹作品の魅力のひとつは、しばしば主人公も読者も気がつかないほどの一瞬の間にまるで落とし穴に落ちるように世界からなにかが失われていたり、あるいは付け足されていたりすることのように思う。物語はわたしたちの暮らす所謂ふつうの世界から始まるのだが、ふとした瞬間に法則は捻じ曲げられ、大切な人がいなくなっているのだ。そしてその魅力がぎっしりと詰まった濃厚な短編集がこの『東京奇譚集』と言っていい。世界が変わってしまったターニング・ポイントに、気がつくことのできる人間はとても少ない。

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まとめ

ユニークな文体や比喩表現、独特な世界などに焦点を当てられることが多い村上春樹だが、彼の選び抜いた言葉で描かれる「喪失」とそれを抱えたままで先に進んでいく人々のことがわたしは好きだ。愛おしいと思う。

今回はまだ村上春樹を一度も読んだことのない人のために短編小説集と一冊で完結する長編小説を紹介したが、二冊以上に分かれている長編小説『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』『ダンス・ダンス・ダンス』なども村上春樹作品を読み慣れたらすすめたい。

彼の生み出す巨大な星座は果てがどこかはわからない。彼がこれからどんな小説を書いてくれるのか、それを楽しみにできる時代に生まれたことを幸せに思う。

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