アマチュア物書きに子どもができたら何が変わるのか、それでも書き続けていくことはできるか


子どもができた

子どもができた。半分は想定内で、半分は想定外だった。

驚きはしたものの、普通に喜んだ。子どもができたからといって小説を書いていくことになんの変化も生じない。今のまま書いていけると思ったからだ。

けれども、そんなことあるわけがなかった。

この記事では私自身の体験を踏まえて、アマチュア物書きに子どもができたらどう変化が生じるか、それでも書き続けていくことはできるかということについて書きたいと思う。これから子どもを育てながら書いていこうと思っている方の参考になればとても嬉しい。

なぜ小説を書くのか

私が文章を書き始めたのは、社会人生活がはじまりそこそこの時間が経った2018年の10月頃。といっても突然そこから小説を書き始めたわけでなく、中高生時代は自身のホームページを作り、そこで日記を書いていた(忍者ツールズ、alfoo、ロケットBBSという単語を出したらどんなものを書いていたか想像がつくかと思う……あと世代も……)。大学生になるとmixiやTwitterなどのSNSに日々思ったことを綴る一方で紙の日記もつけはじめ、社会人になってからは書く場所をブログやnoteに移した。小説ではないものの「書くこと」はいつも身近にあった。

小説を書き始めた理由は好きな作家に出会ったとか色々あるのだけれど、日記を書いてきた流れの延長線上にあるのは確かで、自然なことだった。

小説を書いていたのは通勤時間と、帰宅して家事を終えてから同居人が帰宅するまでの間。書いていくうちに賞をいただき、それがきっかけで感想をいただき、そこから交流が生まれたりした。そんな風にして小説を書く理由はだんだん増えていき、日々の合間を縫って小説を書くことは当たり前になっていった。そうして5本の短編小説を書き半年ほどが経ったところで妊娠が分かった。2019年の3月頃のことだった。

生まれてから分かった「書く」ことの難しさ

出産前は、「子どもが生まれたら小説は子どもが寝ているあいだに書けばいいや」と思っていた。育休に入ったらずっと家に居られるわけで、そうしたらもっと書けるのではと思っていたのだ。けれどもそんなわけはない。

出産して1~2ヶ月のことを振り返ってみる。まず約3時間ごとの授乳がある。授乳もただミルクをあげるだけで終わりではなく、その後げっぷを出させて、オムツを変え、哺乳瓶の消毒をする時点で1時間ほどが経過している。なのでちょっと抱っこしていたら次の授乳の時間がすぐやってくる、というような感じで書く時間どころか睡眠時間もとれなかった。

こんな風に物理的に書く時間がとれないという事情も出てくる上に、精神的な問題も出てくる。

私自身子どもが生まれる前はミルクで育てればいいだろうと思っていたが、母乳で育てたい気持ちが生まれてきた。

しかしそれがなかなか上手くいかない。

母乳は、子どもが飲んだ分だけ次回の分が作られるので、一度に沢山飲んでもらわないといけない。首の座っていない子どもを恐る恐る抱っこし、補助器をつけて飲ませ、補助器無しで飲めるよう練習をすること30分以上。それを1日に何回も繰り返す。肩も腰も痛くなる。

このこと自体がしんどいのはもちろん、さらに気持ちをしんどくさせるのは「ミルクを与える」という「そんなしんどい思いをしなくてもいい、間違っていない」選択肢がすぐそばにあるのに、なかなかそれを選ぶことができないということだ。

育児に「ここまで頑張ったらいい」という一般的な基準はない。だから子どものためならどこまででも頑張らなくてはと思ってしまう。ミルクを与えるという選択をしようとするたび、しんどくてへとへとのくせにもっと頑張れるのではないかと自分を追い込んでしまう。

今になって考えると、ミルクをあげたらいいじゃない、その方が余裕を持ってのびのびと子どもにも向きあえるよ、と思うのだけれども、あの当時はそれができなかった。

こんな風に、明確な基準に判断をゆだねることができないしんどさが日々つきまとうのだ。

自分のしんどさと育児へのこだわりの折り合いをどこでつけるか。それをいろんなシーンで考え、結果的に「子どものため」になるちょうどいい基準を見つけていく。それが育児で、それをしんどいだけじゃなく楽しいともと捉えられるようになるには時間がかかる。

子どもが生まれると、そうした「自分」と「子ども」との関わりあいの上に「自分」と「書くこと」の関わりあいが置かれることになる。そうなるともちろん以前のように書くことはできない。

私が実際に書くことができたのは、子どもが生まれてから5ヶ月後のことだった。

同人誌を作ろう

5ヶ月経ったところで、今まで自分の書いた掌編小説をまとめた同人誌を作ることにした。

文章を書き、集めたお気に入りの素材とあわせて配置し、それをネットに掲載した中高生の頃の個人サイトの体験は、自分の本を作りたいというぼんやりとした憧れになり、ずっと自分の中にあった。それが小説を書き始めて同人誌を作られている方々が身近になり、やっと実行に移そうと思い、年度内に1冊の本を作るという目標を子どもが生まれる前に立てていた。

実際に作ろうと決めたのは2月。目標の期限まであと2ヶ月だったのでそろそろ作りはじめないとと思ったのだ。

ドタバタの毎日で、憧れだけでは実行に移すことは難しい。目標や計画が自分を引っ張ってくれることもあるとその時知った。

この頃になると子どもも夜間まとまった時間寝るようになり、私自身安定した睡眠がとれるようになったことも大きかった。母乳も上手く飲んでくれるようになり、ミルクを足す分量も分かるようになり、生後1,2ヶ月の頃に比べると気持ちに余裕が生まれていた。

作業時間は子どもが昼寝をしている間の1日1,2時間ほど。印刷所の選び方やデータの作り方、入稿の仕方をその都度調べながら作った。表紙を依頼したのが2月頭、実際に手元に同人誌が届いたのが4月頭。2ヶ月かかって1冊の同人誌を作った。

子どもができても小説を書き続けることはできるか

子どもができたらアマチュア物書きは続けられない。それはノーだ。ただ今までと同じように書き続けられるかというとそれもノーなのだ。

同人誌を作った後、1年の計画を立ててみた。その計画に沿って、上手くいったりいかなかったりしながら、現在も同人誌を作ったり小説を書いてコンテストに応募したりしている。

小説を書くことは日常に組み込まれ当たり前のようになっているのだけれど、それでも時々考えてしまうことがある。なぜ書いているのだろうと。

子どもを育てていると、子どもを育てあげたらもうそれで人生を終えてもいいと思う瞬間が何度もある。いつか川上未映子氏がテレビで「自分を育ててくれた母に何か返さないといけないと思っていたが、母はあなたが元気でいてくれるだけでいいと言ってくれた。自分に子どもができてその気持ちが分かるようになった」というようなことを語っていたが、まさにそうなのだ。結果や見返りがなくていい。それだけで一生を過ごしていい。そしてそう思うとき、同時に「別に書かなくてもいいのではないか」とも思うのだ。

これは「育児」を「仕事」や「学業」や「恋愛」なんかに置き換えてもいえることだと思う。別に書かなくても生きていける。アマチュアということはそういうことだ。

ではなぜ書くのだろうと私は度々考える。楽しいから、とか頭の中の想像を形にしたいから、とかその時々の答えが出るのだが、やっぱりまた考えてしまう。

子どもの寝顔を見ているとき、子どもの「はじめて」に立ち会ったとき、しあわせで泣きそうになる一方で「書かなくたって生きていける」ことを叩きつけられる。そんな日々の中で、なぜ書くのかを考える。でも答えはでなくていい。考え続けることが大切で、考え続けることが書き続けることなのではないかと思っているからだ。

アマチュア物書きが物書きでなくなるとき。それは子どもができたときではない。なぜ書くのかを考えなくなったときなのではと思う。

だから私は今日も考えている。答えは出なくてもいい。むしろ出ないほうがいいかもしれない。そう思っている。

 

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