読書家に贈る読書本 / ピエール・バイヤール著, 大浦 康介訳『読んでいない本について堂々と語る方法』

『読んでいない本について堂々と語る方法』は2007年にフランスで出版されたベストセラーであり、翌年日本で出版されたのち現在に至るまで度々話題にのぼる定番の読書本です。

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昨年にはフジテレビの番組「セブンルール」で、東京の書店「文喫」の林和泉副店長(当時)が紹介したことで話題になりました。

番組放映後、出版元であるちくま学芸文庫の公式ツイッターは本書について「読書家ほど必読の書です」とつぶやいています。この言葉ほど本書を的確に表した言葉はないでしょう。

『読んでいない本について堂々と語る方法』が「読書家ほど必読の書」とは、一体どういうことなのでしょうか。

「読まねばならぬ」の正体

「セブンルール」内で林副店長は「1冊の頭から終わりまでを通して、読み切った本のことを『読んだ本』というのだと思っていたので、1日1冊が限界で。なんとかして知識も広げたいし、たくさん読みたいし、情報量を自分の中でも増やしたいと思っていました」と語っていました。(1) 3万冊もの本が並ぶ書店でそう語る林副店長を見ながら私が思い出したのは、毎年8月に行われる下鴨納涼古本まつりのことでした。

下鴨納涼古本まつりは京都のあらゆる古書店が出店する古本市です。糺の森にずらりと並んだ古書たちはおよそ50万冊。一生かかっても読むことのできない古往今来の本を見ていると果てしない気持ちになり、すべての本を読めないのであれば、そのうちいくらかを読んでも仕方ないのではないか?とすら思えてきます。暑さもあいまってどの本を手にすればよいのかさっぱり分からなくなり、結局何も手にしないまま帰るということも一度や二度ではありませんでした。

こうした考えは、『読んでいない本について堂々と語る方法』の言葉を借りると「通読義務」という読書をめぐる規範に基づいているといえます。この規範は私たちが一定の時期を過ごす学校空間と関係があると著者のバイヤールは述べます。

学校では生徒たちが本をちゃんと読んでいるかどうかを知ることが何よりも大事とされており、したがって本(話)を最初から最後まで朗読したり、「何が書いてあるか」を言わされたり、ときに暗記させられたりします。つまり「読了」とは1冊の本を最初から最後まで読み、正しく内容を理解した状態だという規範が、幼い頃より私たちに刷り込まれているのです。

バイヤールは読書をめぐる規範の一つとして他に「読書義務」を挙げています。それは読書を神聖なものとみなし、“神聖とされる本に関するかぎり読んでいないことは許されない。読んでいないとなれば人に軽んじられるのは必至である”とする規範のことです。

本書にも『ハムレット』を読んでいないと公言して終身在職資格を失う大学教授の例がでてきます。この規範が特に働くのは本が重んじられるアカデミックな場だと本書では述べられていますが、SNSが普及し誰もがあらゆる本について意見することができるようになった現在、こうした場は広がっているといえるでしょう。

昨今、特にSNS上で、本や漫画、アニメなどを読んだり観たりすることを「履修」という言葉で表現する場面をよく見かけるようになりました。学校制度になぞらえて単位という学を得るための単語を当てはめるこの現象は上記2つの規範が私たちのあいだに浸透していることを端的に現していると思います。

このような読書をめぐる規範が浸透している場において「必読書」といわれているような本を読んでいなかった場合、私たちはときどき考えます。「もう読んだといってしまおうか」、SNS上であれば「本を読まずしてそれらしいことをつぶやいてもいいのではないか」と。バイヤールはこうした態度を「読書に関する偽善的態度」だといいます。そしてこの態度をとってしまう原因は本を読んでいないことに対して無意識のうちに罪悪感を覚えているからだとし、その罪悪感を本書で解消すると述べています。

実際、本書は番組内で「通読義務」に苛まれていた林副店長を救った一冊として紹介されます。読書をめぐる規範に苛まれ、ともすれば偽善的態度をとってしまいそうになる私たちの肩の荷を、本書はいったいどのようにして下ろしてくれるのでしょうか。

そもそも「本を読んだ」とはどういう状態か

本書の第一部は「読んでいない」という状態をいくつかの段階に分けて考察し、そもそも「本を読んだ」とはどういう状態なのかという問題に迫っています。

例えば最初から最後まで本を読んだとして、私たちはその本の内容を隅々まで覚えていることができるでしょうか。その記憶は読んだ瞬間から忘れられはじめ、1週間も経てば細部はおぼろげになっているでしょう。そういう意味で、バイヤールは「読んだ本」も「流し読みした本」も大した違いはないといいます。

また仮に、むかし通読し現在でも記憶に残るほどの大切な本があったとして、それを再読してみると「記憶していたものと違うな」と感じた経験はないでしょうか。それは本に関する記憶が、私たちがその時々に置かれている状況と、その状況が内包する無意識的価値によって作り替えられているゆえだとバイヤールは述べます。このような個々人が持つ独自の内的プロセスを経た本のことをバイヤールは「遮蔽幕(スクリーン)としての書物」と名付けています。

本の内容は読んだそばから忘れられ、残った記憶も状況により変質する。ゆえに最初から最後まで読むのも、流し読みするのも、結局は不完全な読書であり、読んだ本と読んでいない本の境界はきわめて曖昧だといえます。

先の章で“「読了」とは1冊の本を最初から最後まで読み、正しく内容を理解した状態だという規範が、幼い頃より私たちに刷り込まれている”と述べましたが、以上のことを踏まえるとこの規範はあまり意味をなさないことが分かるでしょう。バイヤールによれば「本を読んだ」という状態は存在せず、「完全な読書」というものがあったとしてもそれは幻想だということなのです。

結局、本を完全に読むことはできない。ゆえに本は読まずして語れる――。バイヤールのこの主張は、読書をめぐる規範に縛られた私たちの肩の荷を下ろしてくれます。

ただ「本は読まずして語れる」というフレーズを字面どおり受け取って安心するだけでは、私たちはいずれ読書に関する偽善的態度へと流されてしまいます。この後バイヤールは「読んだことのない本について堂々と語る方法」を実践的に教えてくれます。それこそが読書に関する偽善的態度から距離を置くにあたって大切な点であり、この本の魅力だともいえるでしょう。

読んだことのない本について堂々と語る方法

では「読んだことのない本について堂々と語る方法」とはいったいどのようなものなのでしょうか。そこでポイントになるのが「内なる書物」というキーワードです。「内なる書物」についてバイヤールは以下のように説明します。

〈内なる書物〉は、(略)われわれが書物に変形を加え、それを〈遮蔽幕(スクリーン)としての書物〉にするさいの影響源となるものである。

ピエール・バイヤール著, 大浦 康介訳『読んでいない本について堂々と語る方法』筑摩書房,p137

先の章で、独自の内的プロセスを経た本のことを「遮蔽幕(スクリーン)としての書物」というと述べました。つまり「内なる書物」というのは身も蓋もない言い方をすれば、本を読む際の私たちの視点や尺度、もっといえばそれらを生成する私たちの価値観や生き方や慣習といったものだといってよいでしょう。バイヤールは本書で内なる書物のことを「自分自身」「内的宇宙」とも述べています。

バイヤールは“われわれが書物を探したり、それを読んだりするのは、この内なる書物があるからに他ならない”とし、書物は自分自身を探究するフックでしかないと主張します。

このように書物をとおして自身の「内なる書物」を探究し創造する(し続ける)ことが、「読んだことのない本について堂々と語る方法」の肝なのです。そしてバイヤールは、この創造活動は本を読んでいなくても可能である、むしろ読んでいない方がいいと繰り返し述べます。

なぜなら、この創造活動は本のタイトル、本のことを語って聞かせる人間のパーソナリティーなど本の中身以外の部分を元に行うことが可能であり、むしろ一つの本に没入することは「自分自身について考える」ことから目を逸らさせてしまうからだというのです。

バイヤールはそのことを踏まえて以下のように述べます。

良い読者は、書物の各々が自分自身の一部をかかえもっており、もしその書物そのものに足を止めてしまわない賢明さをもち合わせていれば、その自分自身に道を開いてくれることを知っているのだ。

ピエール・バイヤール著, 大浦 康介訳『読んでいない本について堂々と語る方法』筑摩書房,P264

「読んでいない本について堂々と語る方法」というのは、さまざまな本を横断し、本と自分の接点を見つけ、そこから自分自身の考えを創造することなのです。そう考えることで「読んでいない本について語る」という一見ネガティブな状況も、「自己創造の場」というポジティブな状況に捉えなおすことができます。

バイヤールは本を読まない人が良い読者だと述べていますが、逆に言えば「本は隅々まで読んでこそ」と考えている人であっても、本から何かを受け取り自分自身の考えを創造していれば、前者とそう変わらないといえると思います。

そういう意味では本を読んでいようがいまいが同じであり、本を読まないこと=読書の欠如とはならず、逆に読んだという事実をつくるためだけに本を通読して自己の探究も創造もしなければ読んでいないのと同じことだといえるでしょう。

最後に

本や読書に対して関心がある一方で、読書をめぐる規範に苛まれ本を斜め読みし、もしくは人のコメントを見ただけで、本について(つまり自分自身について)考えることなく、それらしいことを言いそうになっている……つまり「読んだことのない本について堂々と語りたく」なっている人に向けて書かれた本書。本書は、できる限り本を読みたい、けれども、だからこそ、読書に関する偽善的態度をとってしまいそうになる私たちがそちら側へと流されてしまう前にバイヤールが張った愛ある網だと思います。その愛は私たちに、そして書物に向けられた愛だといえるでしょう。

網に引っ掛かった私たちに、バイヤールは多様な読書のあり方、そして「探究と創造」という読書の醍醐味を説いてくれます。「読書家」を、本を通読したか否か、どれほど読んだかを問わずただ「本を愛する人」とするのであれば、確かにこの本は読書家にとって必読の書といえるでしょう。

しかしこの記事で語っているのは本書そのものではなく、私自身の「遮蔽幕(スクリーン)としての書物」なのです。本書はあなた自身の「内なる書物」を経てどのような「遮蔽幕(スクリーン)としての書物」に変換されるのか、ぜひ読んで確かめてみてください。

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(1)https://www.fujitv-view.jp/article/post-128298/