田舎の町と清々しい悪人たち/町田そのこ『52ヘルツのクジラたち』

『52ヘルツのクジラたち』は、大分の海辺の町にやってきた「キナコ」という女性と、親から虐待を受けている少年「52」との交流を描いた物語である。著者の町田そのこ氏は、第十五回 女による女のためのR-18文学賞を「カメルーンの青い魚」で受賞し、デビューした作家だ。

 実は僕は、町田氏のことをこれまで知らなかった。本書を読んだのは、ライターで小説家のカツセマサヒコ氏がトークイベントやインタビューなどでしきりにお勧めしていたのがきっかけだ。『52ヘルツのクジラたち』という美しく不思議なタイトルに心惹かれた。

 読み始めは、都会の生活に疲れた20代の女性が、時間のゆっくり流れる村で人の心を取り戻す話だろうか……と思っていたのだが、物語はどんどん劇的な方向に進んでいく。よく考えたら、開始2行目で人の顔面に平手打ちを繰り出すような小説が、そんなスローライフ的な小説になるわけがない。本書は、以下のような書き出しで始まる。

 明日の天気を訊くような軽い感じで、風俗やってたの? と言われた。フウゾク。一瞬だけ言葉の意味が分からなくてきょとんとし、それからはっと気付いて、反射的に男の鼻っ柱めがけて平手打ちした。ばちんと小気味よい音がする。

町田そのこ『52ヘルツのクジラたち』

 クジラは本来、10ヘルツから39ヘルツの周波数で鳴く。しかし中には、52ヘルツで鳴くクジラもいるらしい。そのクジラは、いくら一生懸命声を発したところで、それが他のクジラたちの元に届くことはない。孤独なクジラ。その姿が、本作の中では重要なメタファーとして機能しており、結果としてタイトルにも採用されている。

 そんなタイトルの抒情性とは裏腹に、本作の特筆すべき点はその構成にあるだろう。読み進めていくうちに、「キナコ」と「52」二人の人生に何があったのかが徐々に明らかになっていく。特に「キナコ」の人生は、回想という形で古い記憶から順番に再生されていく。物語の序盤で、彼女のお腹には刺し傷があることが示されるのだが、いかにしてその傷が生まれたのか、そこに至るまでの経緯が語られていく。それを追っていくときに感じる気持ちが、どことなくミステリを読むときの快感に似ているのだ。

 また、本書の「悪人」と呼べる人物たちにも僕は好感を持っている。いや、好きではないのだけれど、気持ち良すぎてなんだか好きになってしまうというか……。とにかく、この本に登場する悪人は徹底的に性格が悪いのだ。それはもう、全く善意の付け入る隙がない。人間は、基本的には良いところも悪いところもあって、それがないまぜになっている姿が描写されているからこそ、小説にはいじらしさが宿るのだと思う。もちろん『52ヘルツのクジラたち』でも、「キナコ」にはそういったタイプのいじらしさがある。でも、たとえば彼女の母親や「52」の母親は、清々しいほどのクズを地でいっている。その思い切りが気持ち良い。

 なんだか登場人物の悪口を書き並べるようになってしまったが、この小説は、しっかりとした構成の上で抒情的な物語を紡いでおり、とにかく読んでいて安心感がある。個人的には、眠れない夜に一気読みすることをおすすめしたい。

執筆者

蓼食う本の虫 主宰。文芸同人「無間書房」で短編小説や140字小説を書いています。

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