李琴峰さんと私――李琴峰単行本4作品レビュー

いま熱い視線が注がれている作家・李琴峰さんの名前を知ったのは、琴峰さんの本の表紙に書かれた著名からではなかった。

2019年、私は「LGBTQA創作アンソロジー Over The Rainbow」という同人誌を主宰し、企画を進行していた。

寄稿をしてくださる方をSNSで募集しており、琴峰さんからリプライをもらった。

それが琴峰さんとの出会いで、私は急いで琴峰さんの作品を購入した。

『独り舞』――堆積し続ける孤独

私が最初に読んだのは、琴峰さんのデビュー作『独り舞』だ。

この作品は第60回群像新人文学賞優秀作に選ばれ、2018年に単行本化された。

心惹かれていた同級生の死別により、幼くして死への想いに取り憑かれ、一方で、性的マイノリティとして、内なる疎外感に苛まれていた迎梅。

女子高での密やかな恋、そして運命を暗転させる「災難」の果てに、日本に半ば逃亡のような気持ちで渡った彼女の葛藤と孤独を描く、若き台湾人作家の鮮烈なデビュー作。

――『独り舞』帯文より

琴峰さんは台湾出身で、日本語が母語ではない。「純度」の高い悲痛さを訴える、美しい文章が眼前にあった。

 文章を書いている自分は、普段の自分じゃないみたいだ。まるで普段の狂乱の自分の魂から、僅かな理性の結晶を抽出して、その理性でもう一人の自分を創り、日記を綴っているような感じだ。お蔭で激しく起伏する感情にあまり影響を受けず、自分自身を理性的に分析できるような気がした。あるいはこれが陳先生の意図なのかもしれない。
 しかし、日記が書けるのは比較的に落ち着いている状態の時だけだ。それ以外の時は、自己壊滅的な絶望に陥るのでなければ、世界と一枚の厚いガラスを隔てて、何でも自分と無関係のように感じられる。

――『独り舞』 講談社 p.95

『独り舞』は孤独が溶けない雪のように積り、息がつまりそうな死を希求する想いへ繋がっていた。

LGBTQという言葉も浸透していなかった時代に、私はセクシュアルマイノリティとしてのアイデンティティに苦しめられた一人だ。同性に惹かれる罪悪感から発生する寄る辺なさ。他者に打ち明けられることもない、解放されることのない想い。足音を立て、笑いながら誘惑する死神。

琴峰さんの書いた一文一文が、黒板に爪で引っかく、聞くに堪えない音を立てた。その音はいつの間にか塞がっていた、自分の切り傷を思い出すに足るものだった。

読了し、本を閉じた瞬間にため息が漏れた。羨望と自分の文章の拙さを反省する、深い呼吸だった。

私は琴峰さんに感想を送った。その文章は読了後の興奮と胸の震えのままに、長い長い所感を感情的に書いたものであった。いま読み返すと顔に熱が籠る。

私が琴峰さんの小説のファンになったのは、言うまでもない。

「LGBTQA創作アンソロジー」の進行は順調だった。寄稿の呼びかけには、本の装丁を担当してくださる方を含め、20名の方が声を上げてくださった。

私はアンソロジーに収録する拙作を書き上げ、調整やリマインドメールの送信などの事務作業に追われていた。

アンソロジーの主宰は、私一人。自分の中のスタンスを崩さないように必死で、それでも自信を持っているフリをしていた。そんな孤独な作業の合間に、嬉しいニュースが舞い込んできた。

琴峰さんの『五つ数えれば三日月が』が第161回芥川賞候補に選ばれた、という報告だった。

『五つ数えれば三日月が』――越境する私たち

台湾出身で日本にて働く林妤梅は、大学院時代の友人・浅羽実桜と久しぶりに東京で再会する。浅羽は台湾で夫と義理の息子と暮らしている。東京での再会に林は台湾で過ごした思春期と日本に来たばかりの時の記憶が蘇る。第161回芥川賞候補作品。クリスマスのイベントとレズビアン・カップルを描いた「セイナイト」を併録。

琴峰さんの小説は夜を彷彿とさせる小説が多い。「五つ数えれば三日月が」は夜の描写、特に月の描写が多い。

月だけは、この場所でも、ここじゃないあの場所でも、常に同じ形をしている。ここの月が丸ければ、あそこの月も丸い。(中略)自分がこの場所で見ている月と、あの場所の誰かが見ている月はいつでも同じものだ。

――『五つ数えれば三日月が』 文藝春秋 p.67

日本出身で台湾にて兼業主婦をしている浅羽は、上記のように述懐する。この場所/あの場所、日本/台湾、母語/異語、過去/現在、大人/子どもetc…….

「五つ数えれば三日月が」は越境――つまり境界を超越すること――を題材にしている。そして特徴的なのは、林も浅羽も過去の出来事に服従することではない。過去から逃げるのではなく、一所懸命に「人生の先」を切り開くために、過去があるのだ、と、この作品は教えてくれる。

マージナルな存在としての林と浅羽。同じような立場にありながらも、食い違うもどかしい会話。それも琴峰さんの筆力にかかれば、現実で起こりそう、と想像力をかき立てられる。

しかし私が何よりも注目したのは、「五つ数えれば三日月が」に出てくる料理だ。

台湾のかき氷は、日本のお祭りの時の屋台のかき氷のようではなく、マンゴーのシロップと果肉がたくさん盛られていることを知った。日本の屋台のかき氷も夏休みの特別さを感じて私は好きだが、マンゴーたっぷりの台湾のかき氷にも挑戦したい。

そして今、私が一番に食べたいと思う「五つ数えれば三日月が」に出てくる料理は「羊肉泡馍(ヤンローパオモー)」という料理だ。

この料理の詳細な説明は、ぜひ「五つ数えれば三日月が」を読んで確認して欲しい。私から言えることは、焼肉やお好み焼き・もんじゃ・しゃぶしゃぶ料理など、親しい人と会話を交わしながら、食べたい料理が「羊肉泡馍」だ。

料理のあり方もまた、越境的だ、と感じさせるメニューが出てくるのも、この作品の魅力だ。

また琴峰さんの「五つ数えれば三日月が」は第41回野間文芸新人賞にもノミネートされた。私は、光栄にも、野間文芸新人賞発表日に琴峰さんと過ごすことになった。

琴峰さんからお声がかかったのだ。

私が新宿2丁目のカフェバーで、気を張りながら琴峰さんを待っていた。初めて会う人、特に私が尊敬する人には委縮してしまう私がいた。しかも野間文芸新人賞発表日に候補者である琴峰さんと過ごせるなんて恐悦至極だ、と想った。

隣に座った人と軽口を叩くように、会話をしていると、トントンと階段を上ってくる、女性の足音が聞こえた。きっと時間的にも琴峰さんだ、と思うと鼓動が逸る。

琴峰さんが立っていた。webの記事とは違って眼鏡はかけていなかった。

「琴峰さん、初めまして! 柳ヶ瀬舞です!!」

最高潮に緊張すると人間は大声になってしまうのだなあ、といま思い出しても顔から火が出そうな勢いを持って言った。
そして図々しくも『独り舞』のサインを頂いた。

『ポラリスが降り注ぐ夜』――夜に接続する女たち

多様な性的アイデンティティを持つ女たちが集う二丁目のバー「ポラリス」を舞台に、国も歴史も超えて、想い合う気持ちが繋がる連作短編集。2021年芸術選奨新人賞受賞作品。

私は琴峰さんとたくさん喋ったような気がする。恥ずかしながら記憶は、頭の中が真っ白になっていたので、ほとんど飛んでしまっている。

しかし琴峰さんが野間文芸新人賞を逃したとき、スツールに座り直す態度は、沈痛な面持ちではなく、冷静そのもので、淡々とそのニュースを私に知らせた。

「ムール貝の白ワイン蒸しが美味しいところ、あるんですよ」と私は言った。

『ポラリスが降り注ぐ夜』の「日暮れ」に出てくるカフェのモデルになっているところだろう、と私は思う。私はそこで食事をとりたかった。

しかし琴峰さんは魚介類が食べられないと言った。偏食なんです、琴峰さんは付け加えた。私は意外に思った。前作の『五つ数えれば三日月が』では、あんなに食の表現が豊かだったのに、と。

お目当てのカフェが開店していなかったことから、琴峰さんと私は、バーに移動した。

その日は、琴峰さんと私はバーに行った。

1軒目、私はカレーを食べ、琴峰さんは羊肉を食べた。

2軒目から本格的にお酒を飲み始めた。私はまだ緊張していたので、アルコール度数が低いピーチ・ウーロンを飲んでいた。琴峰さんは『ポラリスが降り注ぐ夜』に出てくるようにマリブ・リキュールがベースになっているカクテルを飲んでいた。

私は琴峰さんの『独り舞』の一節を読み上げ、恋愛とはいったい何か? という話をした(しかしその内実は、気を良くした私の惚気話だった)。

「それは何ですか?」ゆーはかりんのカクテルを指さして訊いた。
「マリブサーフ。夏の味がしますよ」
 とかりんは言った。「ゆーさんは夏が好きなんでしょう? 飲んでみたら?」

――『ポラリスが降り注ぐ夜』「日暮れ」 筑摩書房 p.29~30

「LGBTQA創作アンソロジー Over The Rainbow」では「二丁目の日暮れ」、『ポラリスが降り注ぐ夜』では「日暮れ」という題で収録されている。

私はこの「日暮れ」を20回ほど読んだ。アンソロジーの主宰であることと、主宰者権限で琴峰さんの文章を覗きたかった。

琴峰さんの原稿はほとんど手を入れる必要のない、綺麗な原稿だった。私は結局、一ヵ所しか訂正する所がなかった。

『ポラリスが降り注ぐ夜』は、今回挙げる4作品の中で一番読み易く、エンターテインメント性の高い作品だと私は思う。新宿2丁目から出発して、台湾、中国、オーストラリア、そして日本の富士五湖。それらの場所を旅しているような気がする。熱気と土埃と雨とヒンヤリとした空気。そこに「いる」ということ。そして「ポラリス」というバーに、実は行ったことがあるのかもしれない、という想像が頭の中をよぎった。

そして「LGBTQA創作アンソロジー Over The Rainbow」に「日暮れ」は収録された。

『星月夜』――幾重にも引き裂かれる2人の女性

アンソロジーは無事、2020年3月には刷り上がり、あとは5月の即売会を待つだけになっていた。

しかし問題は発生するものである。COVID-19の爆発的感染で、同人誌即売会はほとんど開催されなくなっていた(そして2021年4月末現在も、猛威を振るっている)。

そんな暗澹たる日々を過ごしていると2020年7月に琴峰さんの新刊が発売された。『星月夜』だ。

両親の反対を押しきり日本で日本語講師の職についた台湾人・柳凝月。
新疆ウイグル自治区出身で、日本の大学院を目指す留学生の王麗吐孜。
二人は惹かれ合い恋人同士に。王麗吐孜の日本語習得を陰で支える柳は、一緒に日本で暮らす将来像を思い描く。しかし王麗吐孜の心は決まらない。
共通の言語を持ち、幾夜も語り合ったはずなのに、柳は王麗吐孜が背負うものの重さを知らずにいたことに気付く――。

――『星月夜』帯文より

私は、単行本化されている琴峰さんの作品の中で、『星月夜』が一番、文章が流麗と感じ、大好きだ。

私は「五つ数えれば三日月が」は越境的だと書いた。しかし『星月夜』は越境の果てに、いったい何が待ち構えているか。それは台湾/ウイグル、母語/異語、過去/現在、大人/子ども……etc.という二項対立に引き裂かれる主体である。そしてその引き裂かれた主体からしか語れない事が、たくさんあることをこの作品は気づかせてくれた。

言葉が届かないということは、過去が伝わらないとういうことでもあります。

――『星月夜』 集英社 p.134

王麗吐孜の友人は柳宛てにそう書いた。ここでは母語/異語に加え、過去/現在に、登場人物の3人は切り裂かれ、心から鮮血を流している。アンビバレンツな2つの困難に束縛され、それでもなお辛抱強く立ち向かう主人公たちには、好感を抱くと同時にタフネスさを見習わなくてはならないと思う。

そして『星月夜』の次の単行本は『彼岸花が咲く島』である(2021年6月刊行予定)。この作品は第34回三島由紀夫賞候補作品に上がっている。

日々意欲的にかつコンスタントに作品を発表し続ける琴峰さん。作家として熱い視線を向けられるのも納得できる。

おわりに

COVID-19が落ち着いたら、また新宿に飲みに行きましょうと琴峰さんと約束をした。

私は琴峰さんの小説が殊更「特異なセクシュアルマイノリティ小説」と強調しない。したくない。恋愛小説といえば異性愛の恋愛を安易に想像してしまう、私(たち)がいる。

琴峰さんがセクシュアルマイノリティ「だけ」を書いていると思ったら、大間違いで、琴峰さんの小説の真価は決して理解できないだろう。

琴峰さんの小説のエッセンスは、まず言わずもがな、多様なセクシュアリティである。しかしそれだけではない。コラムに書いた通り、孤独や越境、引き裂かれる主体。それらがセクシュアリティと分かち難く絡まり合い、琴峰さんの作品は、小説の官能世界へ、私(たち)を導く。その官能こそ、琴峰さんの小説の真髄である。

私・柳ヶ瀬舞が主宰し、琴峰さんが寄稿した「LGBTQA創作アンソロジー Over The Rainbow」はこちらで購入できます

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