江戸川乱歩『パノラマ島奇譚』歪んだアイデンティティ探しとユートピア

江戸川乱歩という小説家の名前を聞いたことくらいはあるかと思うが、彼の本を実際に読んだことはおありだろうか。

江戸川乱歩といえば、少年探偵団や明智小五郎を想起する人もいろるだろう。推理漫画『名探偵コナン』などにも影響を与えたように(登場人物の名前が江戸川コナン、毛利小五郎など)、日本のミステリー小説を代表する偉大な作家である。

非ミステリー作家としての乱歩

しかし、江戸川乱歩には別の顔もあるのをご存知だろうか。それは、いわゆる変態性欲を大衆化させたような、際どくて奇妙キテレツな世界観。実はこちらの江戸川乱歩から影響を受けたアーティストや芸術家も多い。

私が一番に思い付くのは、人間椅子という日本のヘビィメタルバンドである。人間椅子というバンド名も江戸川乱歩の小説のタイトルであるし、このバンドの曲も、江戸川乱歩の小説から影響を受けているものが多い(他にも、太宰治、谷崎潤一郎、夢野久作など、明治・大正から昭和にかけて活躍した小説家からかなり影響を受けている)。ただ人間椅子の曲には怪人二十面相などのミステリー小説作品から影響を受けているものもあるし、江戸川乱歩の作風をはっきり分けてしまうのも、ナンセンスではある。

また、後述するが丸尾末広という漫画家も、江戸川乱歩の小説を漫画にしている作品が多い。

ミステリーは事件の真相を暴くものだが、こちらの江戸川乱歩の小説は、人間の怖さや異常心理を暴くような、ホラーに近いものを感じる。そんな悪夢を、江戸川乱歩は、そこにどこか艶やかな美を感じさせられるような筆致で紙に描く。中にはドロドロの官能小説じみた内容のものもあるが、そこにも鮮やかな情景描写や密な心理描写が特徴の乱歩節が発揮されており、それがどんなに際どい内容だとしても、ただのポルノ作品では済ませない文学性が乱歩作品には確かにある。そして後に取り上げる作品は、そんな文学性が特に高い作品の一つではと私は見ている。
 
それでは今回は、ミステリー作家としての乱歩ではなく、文学性の高いホラー作家としての江戸川乱歩について探っていこうと思う。

『パノラマ島奇譚』歪んだアイデンティティ探しとユートピア

私が取り上げたいのは、『パノラマ島綺譚』という作品である。内容をざっくり言うと、売れない小説家であり夢想家の男性が、血の繋がりもないのにもかかわらず、自分と瓜二つの金持ちの友人の墓を掘り起こしてその友人になり代わり、以前から自分の思い描いていた壮大なユートピアを、膨大な金と人材で造り上げるというような話である。

そのユートピアというのが、無人島を大改造してそこに家来達を住まわせたパラダイスであり、彼はそこの神として君臨するというものであった。その豪華さや艶やかさは、この世のものとは思えない美しさであり、恐ろしさや狂気を感じる程。この作品を読んでいると、そのむせ返るような美しさについての描写が秀逸で、耽美であるのにどこか背徳的な芸術作品を愛でている感覚がする。

主人公は、何故そのようなユートピアを作ろうとしたのか。その根本的な理由について考えてみたい。これは私なりの解釈だが、主人公が成り代わった友人と瓜二つだったところにまず注目したい。他人と同じ顔を持っているという状況で、彼は自分自身のアイデンティティを探していたのではないだろうか。その中で、自分しか考えつかないユートピアを造り上げることが、自分を証明する方法だと思っていたのではないか。

11章の最後辺りにこんな文がある。

彼がかつて人見広介と名のる貧乏書生であったことは、そのほうがかえって嘘のような気さえするのでありました。

おそらく彼には自分自身という確たるものがなかったのかもしれない。だから友人にも成りきれたのだろう。また、売れない小説家である彼は、うだつの上がらない日々から抜け出したかったのだと思う。何者にもなりきれていない自分から逃れ、何もかもが自分の思い通りのパノラマの中で、そこの神として君臨することが、彼に取っての究極の自己表現だったのかもしれない。

自己実現には二つあると思う。まず、彼のように自分の外に何かを作ることで、自分の想いを実現させること。もう一つは、自分の内面を見つめ、自己とは何かについて考えたりすることである。彼の作り上げたパノラマは、膨大な資金と何百人もの家来を使った豪華絢爛な世界であるが、彼の成り代わっている友人の妻がそのパノラマを訪ねた時、彼女はそのパノラマに何か恐ろしさを感じる。何故か。それは多分、そこが全て人工の楽園であったところにあるのではないか。本物の人間そっくりの人形などに何か違和感や薄気味悪さを感じるように、彼も他人の成り代わりであり、パノラマも作り込まれた「嘘」であり、所詮はただの張りぼてでしかない。どんなに壮大で立派な楽園を造り上げても、「作ったもの」の域を越えることはできないのである。

彼は自分の想像を常識では考えられない方法で創造に変えたわけではあるが、結局は他人の立場を嘘をつくことで借りているにすぎず、詰まる所それは彼自身の欺瞞から生まれた利己的であり自己満足の世界でしかないのである。華麗な世界の裏側に潜む、創設者の異常な理想や、作り込まれたものが醸す「偽の匂い」に友人の妻は無意識的に拒否反応を示していたのではなかろうか。そして壮大であればある程、そこにはどこか虚無感のような感覚が付き纏う。遊園地などの娯楽施設に、楽しさと同時になんとも言えない淋しさを感じてしまう人もいるのではないだろうか。作られた楽しさ、美しさ、壮大さ、豪華さには、必ず嘘が隠されているのである。

彼は結局「嘘の世界」から抜け出すことが出来なかったのではないだろうか。自分の空想を叶えた後の、自分がそれをどう自分の人生に活かしてゆくかが実は一番大切なのだと思うのだが、彼はそれが出来ない。何故ならば、他人の立場を借りているからである。それが自分の力だけで叶えたものであれば、そこにはまた別のパノラマが出来ていたのではないか。自分が本当に愛せる楽園、そして他人に認められる自分自身が、そこには堂々とあったのかもしれない、と私は考えている。

この『パノラマ島綺譚』は、先にも書いたが『丸尾末広』という漫画家がコミカライズしている。この作品の漫画化は実現不可能とも言われていたが、なんと2009年第13回手塚治虫文化賞で「新生賞」を受賞してさえもいる。

丸尾末広は漫画家になったころから、この作品を漫画にしたいと思っていたのだという。猟奇的で残酷なエログロ要素の強い作風が特徴の漫画家ではあるが、このパノラマ島綺譚ではその要素はかなり抑えられている。その分、パノラマの竜宮城のような豪華絢爛の世界が圧倒的な画力で描かれており、悪魔的な美しさ、芸術性がかなり高いものとなっている。丸尾の絵に興味がありながら残酷な描写が苦手な人にも、お勧めできる作品だ。

まとめ

さて、江戸川乱歩の『パノラマ島綺譚』という作品について語ってきたわけであるが、作者・江戸川乱歩は何を読者に残したかったのか。もしかすると、このパノラマは江戸川乱歩自身が思い描く理想郷だったのかもしれない。いや、誰しもその人なりの理想や夢見ているものはある。しかしその理想を現実にする場合、その実現の方法を誤ってしまうと身を滅ぼすことになるのかもしれない。

人の想いの奥に潜む快楽の楽園。あなたが実現するのなら、どんな世界を創るだろう。ぜひ、乱歩の描くユートピアに浸りながら考えてみてほしい。

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普段は詩やコラム、絵などをかいたり、 ものづくりをしています。 一番好きな詩人は寺山修司、小説家は江戸川乱歩です。 言葉の力を日々実感する毎日。 まだまだ未熟ですが、 その面白さを伝えていけたらな、と思います。