ラディカル・ヤオイストはBL界を憂う――日本におけるBLの「始源」・森茉莉 編

「ラディカル」
➀根本的
②過激なさま。急進的。「―な意見」

『広辞苑』より

BL好きのみなさん、こんにちは。普段は百合小説を書いていますが、BLも大好きなラディカル・ヤオイストの柳ヶ瀬舞です。

ヤオイストとはなんだろう、と思われる方も多いと思います。私はBL好きの人を「腐女子/腐男子」という言い方に抵抗を覚えます。私は「やおい」文化が花やかかりし頃、青春を送ったのでヤオイストと名乗らせて頂きます。

「やおい」とは一体なに? と思われる方もいらっしゃると思います。「やおい」とはBLの前身であり、80年代後半にジャンルとして確立した、基本的に同人誌で発表された作品を指します。「もともとは同人作品を自嘲的に評した「やまなし・おちなし・いみなし」(自分の描きたいところだけ描いて、ストーリーの山も落ちも意味もない)の頭文字をとってできた言葉」1です。

私はそんな「やおい」文化のなか男性同士の性愛を学んできました。

私は根本的な、根っからの、ヤオイストです。どのくらいラディカルか、読んで頂ければわかるハズ。ということでさっそく本題に入りましょう。

私は、大学ではサブカル研究専攻で少女マンガを研究しており、周りには研究対象にBLを選ぶ学生もいました。多くの学生たちは、BL作品の元祖が萩尾望都さんや竹宮恵子さんなど、昭和24年(1960年代)に生まれたマンガ家たち「花の24年組」である、とレポートに書いていました。しかし! 私は違う! と激怒しました。BL=「女性が男性同士の性愛を書く」ことの始源は違う、と。

「花の24年組」をBLの「始源」にすることは、大きな間違いです。「女性が男性同士の性愛を書く」ということは、1960年代にすでに日本であったのです。では誰が、どのように書いていたか。

それは名エッセイストにして、日本で女性が男性同士の性愛を初めて書いた、森茉莉さんです。

彼女の略歴に少し触れましょう。

森茉莉さんは『舞姫』や『高瀬舟』などで有名な近代の文豪・森鴎外の長女です。鴎外の愛情を欲しいままにし、16歳で結婚。すぐにフランスに渡り、その最中に父・鴎外が亡くなります。その後の結婚生活もうまくいかず、24歳で離婚。

森茉莉さんは54歳で、鴎外と共に過ごした日々のエッセイ『父の帽子』を表します。そこから大著である『甘い蜜の部屋』を書き上げたり、今でも愛読者が多いエッセイ『貧乏サヴァラン』などを上梓したりしています。

私の手元には一冊の本があります。新潮文庫の『恋人たちの森』(1979年発行)です。ここには今では古典BLと呼べる、3作品が収録されています。

まず表題作の「恋人たちの森」。

作家である、フランス人と日本人のハーフの壮年の義堂(ギドウ)と美少年のパウロ(ギドウにそう呼ばれている日本人)との耽美で奇妙な共同生活が描かれています。
義堂の最初の描写を、少々長くなりますが、読んでみましょう。

 勁い首を持った三十七八の美丈夫で、仏蘭西(フランス)人の特徴が顕著である。だが皮膚の色は浅黒く、日本人の日本語を話している。知識を潜めていることがすぐに解(わか)る額だが、広さはなく、黒い髪が濃い。仏蘭西人によくある大きな、丸みのある眼には何処か剽軽(ひょうきん)な味と一緒に、南洋の島なぞにいる毒のある蛇のような感じがある。その若者(注:パウロのことですね)を見ていると、二重写しのようになって、千七百七十八十年代の仏蘭西の書物にある、アルファベットに林檎(りんご)の枝なぞ絡んだカットが見えてくる。

(『恋人たちの森』p.106〜107)

森茉莉さんの文章は読みにくいと思われる方もおおいかもしれません。しかし私は後半は時代がかったフランスを思わせる、文章がとても耽美だと初読のときに感じました。

さて、義堂はこんなにも熱い目線でパウロをみていたのですが、その後の展開はぜひ文庫で確認してみてくださいね。

2作目の「枯葉の寝床」は森茉莉さんの作品のなかで耽美で退廃的です。そして森茉莉の男性同士の性愛を描いた作品の中で最も有名な作品です。

作家であり教授であり耽美主義者であるギランと少年のようなレオは恋人同士だが、レオの奔放さにギランは、どのような行動を取ったのか……。ぜひ『恋人たちの森』でご確認ください。

一回この作品を読んだら、タイトルを決して忘れられない。そして多くのBL小説家・漫画家が描いてきた「性的に奔放な受けというキャラクター」はこの作品が始源だと思われます。後続にあたる中島梓さんの作品や、中島梓さんと親交が深かった竹宮恵子さんの『風と木の詩』のジルベール・コクトーのキャラクター造形などに影響を与えています。

 レオの手が頬から顎にかかり、薄紅い脣が稚(おさな)い技巧(テクニック)を見せて、吸い寄せられるようにギランのそれに合わさる。脣を話す小さな音がし、レオは紅みのさした頬を男の頬にくっつけ、陶酔(うっとり)とした眼をあげ、その眼を落とすと、細い人差し指がギランの鼻の線を辿り、脣の合わせ目に落ちる。男の脣が素早く指を銜(くわ)えこみ、軽く当てた歯が強くなる。
「駄目、駄目ったら……接吻(キッス)してあげるから放してよ」
 ギランは撓やかな指を太い指に支え、二度、三度歯をあてたが、今度は青年の顔に手をかけて、言った
「アロン、アンプラッス」(さあもう一度)

(『恋人たちの森』 p191〜192)

このように官能的な描写も多いです。またギランとレオは「サディスト/マゾヒスト」という関係を示唆する描写が散見されます。

天下の新潮文庫でこのような小説が読めてしまうことにお嘆きされるかもしれませんが、同社からはアナイス・ニンの官能小説『小鳥たち』が出版されています(また森茉莉とアナイス・ニンの共通点を書いた矢川澄子の『「父の娘」たち 森茉莉とアナイス・ニン』(平凡社)という本があります)。恐るべき、新潮文庫です。

閑話休題。

3作目「日曜日には僕は行かない」を読んでみましょう。

作家の杉村達吉は伊藤半朱(ハンス)と映画の試写会の前日、再会を果たす。達吉は半朱とある女性が婚約中であることを知る。ふたりはおのれの欲望に気づきながらも、半朱の結婚式の日取りが迫ってきて……。

半朱は、森茉莉さんの好きな、美少年として描写されています。

 広い、一寸おでこの額の下で、透(すきとお)った褐色(ちゃいろ)の眼を凝(じっ)とさせているのを横から見ていると、小鳥が青年に変身したらこんなではないか、そんな気がしてくる。皮膚は白く、女のように綺麗だが、女の皮膚よりは心持荒く、一寸ひっかかりのある感じがある。

(『恋人たちの森』 p300)

前の2作とは、じゃっかん耽美さは薄れて、散文的な描写が見られます。森茉莉さんの「恋人たちのの森」三部作のなかで、唯一、女性が登場します。それは半朱が両性愛者であることを意味しています。美少年が青年になることが達吉には耐えられないのでしょう。

森茉莉さんの描く美少年とは決して大人にならない、性未分化の天使のように描いています。この美少年像は3作品に通底しています。

三作品は、文化度の高い壮年男性と青年と少年の間のような若く美しい男性同士の性愛が、耽美的に描かれています。壮年と美少年同士の性愛も森茉莉さんの小説の大きな特徴です。

森茉莉の小説の設定が前述の通りになった理由は、フランスの映画俳優・ジャン=クロード・ブリアリとアラン・ドロンのスナップ写真をイメージにして小説を書いていたからです2。そういう意味では、元祖「二次創作BL」と言えるかもしれませんね。

そして文学的な評価ですが、当時はほぼ無視されました。しかし三島由紀夫さんは森茉莉さんの小説を高く評価したことは、明記しておいたほうがいいでしょう。

三島さんは森茉莉さんへの手紙に以下のように書いています。

 森さん、貴女は文学の楽園に住んでをられます。小生をはじめ、すべての文士は失楽園の責苦のなかで、あるひは失楽園の安逸の中で小説を書ゐています。もつとひどいのは、楽園をすでに追ひ出されてゐるのに気がつかないで書いてゐる連中です。(これが一番多い)。
 何といふ恩寵でせう。貴女はまだ楽園の中で文学をやつてをられる。(中略)むしろ、貴女の小説といふものの精妙無類なVirtuoseであり、言葉の精煉度と技巧練達において、凡百の小説家をはるかに抜いてをられます。それでもなほ貴女は楽園に住んでをられる。多分貴女は一生この楽園を追放されないといふ、たぐひ稀な恩寵に恵まれておいでなのです。

(『文藝別冊[総特集]森茉莉』河出書房新社 2003年 p169)

戦後以降、日本の社会では同性愛は異常なもの、迫害すべきものとされていました3。そしてそんななかで「女性が男性同士の性愛を書く」という始源は森茉莉さんの「耽美」、「壮年と美少年」、そして「サディズム/マゾヒズム」を書いたことは、特筆されてしかるべきでしょう。まさしく日本におけるBL小説の「始源」でありましょう。

この森茉莉さんの小説たちが、いかに後続の作家たちに影響を与えたか。これも重要なお話です。

次回は森茉莉さんに多大な影響を受けた、中島梓さんと「JUNE」について書いていきたいと思っております。森茉莉さんがBLの歴史的な「始源」、おあばあちゃんであるならば、中島梓さんはおかあさんといったところでしょうか。

さて、ひるがえって世界文学のなかでの「BLの前のBL」はどうだったか気になる方も多いと思います。

そんな方には平凡社さんから出版されている前述の『古典BL小説集』をおすすめさせてください。森茉莉さんはもちろんのことラシルドなど読み応えのある「女性が書いた男性同士の性愛」を堪能することができます。


1 『BLの教科書』 有斐閣 2020年 p9
2 笠間千波・編『古典BL小説集』 平凡社ライブラリー 2015年 p340
3 「LGBTの戦後史」という壮大なドキュメンタリーが6/16、Eテレで放送 2018-6-13 https://www.outjapan.co.jp/lgbtcolumn_news/news/2018/6/5.html (2020-8-19閲覧)

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