現代女性作家はどんな小説を書いているのか? ――桐野夏生、乃南アサ、角田光代、姫野カオルコ――

「女流文学」その周辺

〈女流文学〉という言葉がある。しかし〈男流文学〉という言葉はない。それは文壇が男性作家に専従されてきた事実を示す。らいてうの機関誌『青踏』はあれど、女性文学誌は長谷川時雨創刊の『女人芸術』(1928~32年)まで存在しなかった。同誌は林芙美子の『放浪記』で知られるが、同人には山川菊栄と神近市子の女性活動家を筆頭に、プロレタリア女性作家らも名を連ねた。プロレタリア文学運動も女性参政権獲得を標榜する一方で三・一五事件を契機に「婦人同盟」を解散させ、女性活動家に演劇女優を強要し、ハウスキーパーとして扱うなど、多くの矛盾を内包した。ゆえに女性作家のみで固めた『女人芸術』のような唱道の地場を構築する必要があった。

 太平洋戦争に伴い〈日本文学報告会〉が結成される。女性作家では林芙美子と吉屋信子が従軍。ともに銃後の社会を鼓舞する小説を書く。男性兵士に守られる女性作家の姿を描き、戦場における性の役割を強調した〈国策文学〉である。戦場の性といえば、従軍慰安婦や兵士から受ける暴力が容易に想像できるが、集団自決に至った〈ひめゆり学徒隊〉、大政翼賛会の下部組織であった〈大日本婦人会〉、標語「産めよ殖やせよ」に代表される人員補充のための再生産の強要もこれに含まれる。敗戦を喫した日本に進駐軍が上陸すると、東久邇宮内閣が「性の防波堤」を募って〈RAA〉を設置。その実態は国策による売春組織だった。日本初の皇族内閣にして日本最大の売春組織を築いた東久邇宮稔彦王は54日で退任、後の幣原喜重郎に戦後処理を委ねた。1946年4月10日、日本初の女性議員が誕生。マッカーサーが幣原内閣に命じた改革案のひとつで、皮肉にも女性参政権は占領によって獲得されたのである。

 60年代末期に米国からウーマン・リブが到来するが、その前後に起きた学生運動に従事する男子学生の後方には食事を調達する女学生の姿があった。まもなく“Women’s studies”が確立され、〈女性学〉と訳した井上輝子がこの分野を開拓していく。しかし、大学で女性学を学ぶと「お嫁に行けない。就職できない」と言われたのも現実であった。こうした不均等にあらがうように、同時代の文壇では大庭みな子、河野多惠子、富岡多恵子、倉橋由美子らが活躍。社会的、文化的に構築された性差を単純な階級問題として捉えるのではなく、女性の欲望や被傷、その主体の所在に焦点を当てるなど、一線を画す女性文学だった。

 1986年、男女雇用機会均等法が制定される。その土台は「女性の家庭と仕事の両立」ならびに「働く女性の母性の尊重」。労働者の人格より〈生産体〉としての保護が優先されている。2007年に厚労大臣の「子を産む機械」発言直後に改正されるが、タテマエ平等の社会は今なお存立している。東大の集団暴行事件や医科大の女性受験者減点、コメディアンの性産業に対する冒涜、有名編集者が女性執筆者に行ったハラスメント、ジャーナリストによる性暴力とネット上のセカンドレイプ。どれも記憶にあたらしい。

 女性文学の歩みと周辺の史実をふまえ、現代を代表する女性作家たちはどんな小説を書いているのだろうか。今回は、角田光代、桐野夏生、乃南アサ、姫野カオルコ、4人の直木賞作家の小説を紹介したい。

【参考文献】渡邊澄子編『女性文学を学ぶ人のために』(世界思想社2000年10月)

1,国家の罠に陥った女性作家の奮闘を描く、桐野夏生『ナニカアル』(新潮社2010年2月)

 林芙美子が南方徴用時に書いたルポルタージュ、という体裁の小説である。

 活字を読んで心を動かされたり、そこに描かれた人物や風景に思いを馳せることができるのが文学の魅力であるが、魔力にもなり得る。逆手に取ってしまえば、戦争を正当化することだってたやすい。「ペンは剣より強し」という言葉は、本来そうした文脈において使われてきた。日中戦争より1年後の1938年「ペン部隊」が結成されると、国民の士気高揚のために多くの文学者が従軍した。林芙美子もそのひとりだった。太平洋戦争から1年後「ペン部隊」は「日本文学報国会」へ発展を遂げる。小説に限らず、詩歌や短歌や俳句、演劇にいたるまで、無数の文学者たちが戦争のため糾合された。徳田秋声は戦時体制を日常の風景に溶かし込み、陸軍班を率いた久米正雄は戦争を通俗化し、高村光太郎は「必死の境に美はあまねく」(「必死の時」『大いなる日に』道統社1942年4月))と真珠湾侵攻を賛美、高浜虚子や水原秋桜子は美しい感性を研ぎ澄ませて花鳥諷詠の軍歌を高らかにうたいあげた。全ての芸術が戦争のために消費されていった。確たる問題はこれらの作品が芸術として優れていたことにある。国家と一体化した芸術は戦争の恍惚をかきたて、大衆の士気を高める役割を担った。

 林芙美子も持ち前の反骨精神から、彼らと張り合うように命を賭して渡航。南京、漢口に従軍、「戦線」(朝日新聞社1938年12月)や「北岸部隊」(『婦人公論』1939年新年特別号)を書きあげる。銃後の社会を鼓舞する作家としての役割を遂行し、男性兵士に庇護される場面を何度も挟むことで、戦場における女性の役割を二重遂行した国策文学の見本というべき作品であった。

『ナニカアル』は、上記の史実に林芙美子の〈私実〉を肉付けして、戦争に翻弄されてなお作家であろうとしつづけた彼女の気概と懊悩を描きだす。日本文学報国会員は戦後に激しく糾弾されたが、どんな作家であろうと、どんなことを書かされようと、戦時体制という奔流のなかで文学と戦っていたはずだ。その底流にあったのは戦争協力者としての態度ではなく、文学者の矜恃であったと信じたい。これを今日的な善悪の規律で語ることはできない。

 芙美子の心に揺らぎを与えるのが「斎藤謙太郎」という年下の新聞記者。二人は恋に落ちるが、戦争はいかなる愛も信じさせない。互いを疑いながら歪な愛憎劇が展開されていく。「国家」のために小説家の役割をまっとうしながらも、この愛のために芙美子は「国家」を激しく憎む。それは恋路の障壁であり、どこまでも二人を利用し、引き離そうとする「罠」の正体だった。

「文壇やその周辺にいる人なら、僕らのことを誰でも知っているよ。きみは有名作家だからな、周知の事実だ。いいかい、芙美子。きみは、それを単なる文壇の噂に過ぎない、と高を括っているんだろう。だが、それは情報というものになって、あるところに集められるんだ。映画界でも政界でも同じだよ。醜聞や犯罪、人々の弱みを掴んで、利用しようとするんだ」/誰が、と聞きたかったが、私は沈黙する。誰かはわかっていた。国家という名の、実体のわからないものだった。実体がわからないのは、一人一人の人間の姿をしているからであり、その人間の悪意や虚偽や底意地の悪さが、まるで国家の吐き出す毒に見えることだった。

(275頁)

 こうして抱き合っていれば、互いの信頼は増して、愛は強靱になるはずだった。愛さえあれば、国家の罠など平気だ、と思う。/だが、私たちはすぐに引き離されてあちこちに連れ回され、そして、また引き合わされるのだ。ボロを出すまで永遠に。このことを屈辱と言わずして、何と言うのだろう。

(353~354頁)

『ナニカアル』は桐野夏生による虚構の物語であるが、膨大な参考文献のうえに築かれた骨太の巨編である。巻末につらなった参考文献の多さは類をみない。桐野は投影の創作によって林芙美子を蘇らせた。欲しいままにペンを振るった清新な芙美子像には、はからずも桐野夏生の面影が潜んでいるようにおもえる。

2,少女が直視した敗戦国日本の隘路、乃南アサ『水曜日の凱歌』(新潮社2015年7月)

 文部科学大臣賞を受賞した乃南アサの代表作『水曜日の凱歌』。敗戦と同時に14歳の誕生日をむかえた主人公「二宮鈴子」の目線から、大森海岸と熱海に存在した特殊慰安施設協会“Recreation and Amusement Association”(以下、RAA)のオフリミットまでの7ヶ月間を描く。敗戦国日本が最初に執りおこなった国策は、進駐軍のための売春施設の設置だった。8月15日から進駐軍による暴力が横行し、その対策は急務とされた。

 ドウス昌代は、RAAは「国体維持のため」に作られた施設であり、「対策の基本線は、慰安所を作って防波堤を築く。と同時に、一般女性には、しっかりと貞操を守らせる。その根底には、民族の純血を頑ななまでに守り抜こうとする民族意識がある(『マッカーサーの二つの帽子 特殊慰安施設RAAをめぐる占領史の側面』(講談社文庫1985年8月27頁)と書いている。

 つまりRAAは「民族意識」に基づいて「特殊な女性」と「一般女性」を峻別する機構に他ならない。鈴子の口癖は「ずるい」なのだが、『水曜日の凱歌』では日米間における戦後処理のズルさが、感受性豊かな14歳の文体で綴られる。こうした鈴子の「ずるい」は、母「二宮つたゑ」にも向けられた。鈴子の父は戦時中に軍用車で事故死、長兄は戦死、次兄は戦地に赴いたまま行方不明、姉妹は空襲で死んでいる。「つたゑ」は戦争に奪われた夫や子どもたちをおもって毎日泣いていたが、通訳者としてRAAに勤めると様変わりする。進駐軍の将校「デイヴィッド・グレイ中佐」と懇意になり、洋装に着替え「鬼畜米兵」の言葉を操り、金色のライターで「ラッキーストライク」をふかし、思想もアメリカナイズドされていく。これは石川淳が「黄金伝説」(『黄金伝説』中央公論社1946年3月)で描いた戦争未亡人の変転と似ている。

 先鋭化していく母の姿に、とうぜん14歳の鈴子はついていけない。「ずるい」という感覚だけが鈴子の心を刺激した。批判の目は鈴子自身にも向いた。誰もが貧しい暮らしをしているなか、母とグレイ中佐のおかげで、衣食住に満ちたりた生活をしている私はいったい何者なのだろう? 彼女は何度も問い直すのだ。思春期の鈴子を主人公に設定したことが、戦後の日常の欺瞞をストレートに表象することに繋がっている。

 同い年の外国人の子どもらと会食後、鈴子はこのように気付くのだった。

 鈴子は絶対にアメリカ人の子どもと同じようにはなれないと分かっている。なぜなら、鈴子はおそらくもう二度と、今日会った子どもたちのように、屈託なく笑い転げることなどできないからだ。あの子らとは見てきたものが違いすぎる。経験してきたことが、あまりにも悲惨だった。明日も生きていられる保障などどこにもない毎日の中で、ひたすら頭も心もからっぽにして、ただお母さまと逃げ回った日々は、遠い日の夢でも何でもなく、つい数ヶ月までの現実だ。あんな日々を、アメリカの子どもたちは想像さえ出来ないことだろう。家も家族も喪って、歯を食いしばって耐え忍んで暮らしてきた挙げ句に戦争には負けて、その上に新たな危険があるからと男の子の格好までさせられた日々など。

(316頁)

 初潮をまもなく自らの身体が男性に求められるであろうことを他者の視線によって知覚したとき、鈴子の意識に萌したのは「一人で生きていかれるように」という自立心だった。

 一人で生きていかれるように。/パンパンでは駄目だ。ダンサーも駄目。身体を酷使して、疲れ果てて、挙げ句の果てに花柳病にかかるような、そんな仕事は長く続けられないに決まっている。(中略)人に後ろ指をさされることなく、悪い病気にかかる心配もない、たとえば匡お兄ちゃまが復員してきても、いつでも笑顔で再会できるような、そういう仕事につけるようにならなければいけない

(429頁)

 RAAの内部に鋭く切り込む作品でもなければ、売春の是非を問うような作風でもない。占領期という被投的な空間を背景に、鈴子の身体性に立脚した〈気付き〉を描いた作品なのである。

 米兵の暴行から沖縄女性を守るために風俗を作るべきだと放言した府知事がいたが、その発想の根幹はRAAと何ら変わらない。このような「ずるい」を注意深く拒むためにも、私たちは鈴子の肉声に耳を傾け、彼女の〈気付き〉を察する必要があるだろう。

 ラストシーンは「水曜日」にあたる1946年4月10日を切り取り、日本で初めて39名の「婦人代議士」が誕生する場面を描く。女性らの凱歌が響きわたり、その読後感は心地よい。しかし、2020年4月10日時点の女性国会議員数は46名。未だ女性比率10%に満たないというのが、この小説に描かれなかった後日談である。

【参考文献】ドウス昌代『マッカーサーの二つの帽子 特殊慰安施設RAAをめぐる占領史の側面』(講談社文庫1985年8月)

3,母性の再考を促す、角田光代『八日目の蝉』(中央公論新社2007年3月)

『八日目の蝉』は、2章構成の長編小説(正確には〈プロローグ〉に該当する「0章」がある)。前半では不倫相手の乳児を奪って「薫」と名付け、小豆島へ渡った誘拐犯「野々宮希和子」の三年半に及ぶ逃亡劇が描かれ、後半では誘拐によって実の母親「秋山恵津子」を母と認識できない娘「恵里菜=薫」の葛藤が描かれる。

 実の母親以上に愛情にあふれているという希和子の人物設定が〈母性〉という幻想への再考を促し、〈母親〉に対する社会からの無言の圧力を浮き彫りにする。その設定を強固なものにするため、語り手は希和子に数々の試練をあたえる。シングルマザーに注がれる好奇の目、健康保険証なしの医療サービス、薫の就学、逃亡犯となった希和子が直面する問題は、逮捕への恐怖より社会的サービスを受ける権利喪失の方がおおきい。試練を乗り越えていく前半の逃亡劇を通して、血縁に基づく母性の神話が覆されていく。しかし、後半では希和子と薫が築き上げた〈理想郷〉が希和子の逮捕によって崩れ去ってしまう。希和子は「犯罪者」になり、薫は「被害者」になった。それまで二人は親子だった。両者のあいだには〈血縁〉がなかった。

 出所した希和子が心の中で薫の名を呼び続けるのとは対照的に、恵里菜として生きる薫は幼時の記憶を実母と暮らすために忘れようとする。数々の書評やブックレビュー、論文にいたるまで、家事労働を放棄して不倫する恵津子に対する「実の母親なのになぜ?」といった多くの批判が見受けられた。しかし、そうした言説がすでに母性の神話を矛盾のうちに再生産していると気付かされる。角田光代はこう語っている。

 もともと私が『八日目の蝉』を書こうと思ったきっかけは、世の中にある無言の圧力が女性を苦しめている、と感じていたからなんです。たとえば、子どもの虐待事件が起こると、父性は話題にならないのに、母性は必ず問われますよね。「実の母親なのになぜ」と。(中略)でも母親なら必ず母性に満ちていると、世間では思われる。それって本当なのか、と。

(『婦人公論』中央公論社2011年4月」)

 恵津子もまたこうした母親の苦しみを代弁する人物として表象されたはずだ。母性や産む性の神格化は、一方で女性を苦しめることにも繋がりかねない。恵津子も希和子もまったく等しく母親である。

 語り手は前半において希和子に試練を与えたが、後半では恵里菜に試練が与えられる。恵里菜もまた、母親の問題と向き合わざるを得ない。不倫相手「岸田」の子を宿し、シングルマザーになる覚悟を決めた以上、希和子と同じ道を歩んでいかねばならないからだ。

 物語の最後、恵里菜は小豆島を再訪し、希和子も小豆島行きのフェリー乗り場に向かう。希和子は足がすくみ、ベンチから立ち上がることはできなかった。しかし、ふたりは心の中で同じ風景を見つめるのだった。

 知っている、と気づく。思い出す必要もないくらい私は知っている。あの日、知らない人に連れられてこの場所に着いたとき、すっと消えた色とにおいが、押し寄せるようにいっぺんに戻ってくる。その勢いに私はたじろぐ。/橙の夕日、鏡のような銀の海、丸みを帯びた緑の島、田んぼの縁に咲く真っ赤な花、風に揺れる白い葉、醤油の甘いなつかしいにおい、友達と競走して遊んだしし垣の崩れかけた塀、望んで手に入れたわけではない色とにおいが、疎ましくて記憶の底に押しこんだ光景が、土砂降りの雨みたいに私を浸す。薫。私を呼ぶ声が聞こえる。薫、だいじょうぶよ、こわくない。/そんなものは何ひとついらなかった。凪いだ海も醤油のにおいも別の名前も。何ひとつ望んでおらず、何ひとつ選んだわけではない。それなのに私は知っている。自分からは一度も訪れたことのない場所の記憶を、こんなにも持っている。こんなにもゆたかに持ってしまっている。

(329頁)

 希和子は歩きながら、両手を空にかざしてみる。なぜだろう。人を憎み大それたことをしでかし、人の善意にすがり、それを平気で裏切り、逃げて、逃げて、そうするうちに何もかも失ったがらんどうなのに、この手のなかにまだ何か持っているような気がするのはなぜだろう。いけないと思いながら赤ん坊を抱き上げたとき、手に広がったあたたかさとやわらかさと、ずんとする重さ、とうに失ったものが、まだこの手に残っているような気がするのはなぜなんだろう。

(345頁)

 母親であるまえにひとりの人間であり、娘であるまえにひとりの人間だ。きっと希和子と薫が親子として再会を果たすことはないだろう。ふたりは別々の人生を歩んでいく。しかしここには、ともに見た小豆島の風景を心の拠り所にしながら生きていくことが示されている。それは血縁という血潮より濃く、へその緒より靱やかな、人と人の紐帯であるにちがいない。

 角田のもうひとつの代表作である『紙の月』(角川春樹事務所2012年3月)では、聖人のような価値観で横領に手を染めていった「梅澤梨花」の犯行と逃亡が描かれる。中絶を強要された愛人「野々宮希和子」は正妻の子を誘拐して孤島に流れつき、夫に従属してきた銀行員「梅澤梨花」は顧客の定期預金を横領して海外へ飛び立った。主体を奪われてきた彼女らは、ある日を境に衝動的に奪う側にまわってしまう。日常の裂け目に迸った衝動によって主人公が客体から主体にスライドしていく瞬間を、語り手は丁寧に描く。その衝動の根源には〈自由でありたい〉という人間の普遍的な欲望がある。束の間の理想郷や制限つきの自由のなかで、彼女らは何を手に入れ、何を失ってしまったのか。切り口の広いこれらの作品から、読者それぞれの解釈が生まれてくるはずである。書店で手にとって確かめてほしい。

4,学歴社会の人文軽視を告発する、姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』(文藝春秋2018年7月)

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文藝春秋

 賛否両論あった上野千鶴子による東大入学式の祝辞で紹介された、実在の強制わいせつ事件を題材に取った小説である。なぜ上野はあの祝辞らしくない祝辞を、わざわざ新入生にむけて寿いだのか。そう感じた人にこそ、この本を読んで欲しいとおもう。

 主人公の「竹内つばさ」と彼を取り囲む「國枝」「和久田」「譲治」「エノキ」ら五人。彼らは文化資本に囲まれて育った東大生。最短ルートで受験勉強を攻略し、東大のブランドネームに甘んじて傲岸にも青春を謳歌している。

 語り手はそうした人物を「つるつるぴかぴか」の感性の持ち主であると書く。そこには皮肉や怒りもこめられているが、世間的にはまっとうな感性である。この作品が示しているように、性差や学歴、家柄を含むあらゆる格差を肯定し、ステータスを上昇させていくことが、社会における生産性の向上に繋がっているからだ。「坂口安吾」と一緒に「堕落」するために東洋大学に行った人物「山岸遙」にみられる文学的感性は、彼らにとっては嘲笑の対象でしかない。作中の言葉を借りれば「そうした機微に気を取られるような愚かな人間は、熾烈な受験競争を勝ち抜けない」からだ。しかしもう一人の主人公「神立美咲」の身体に対する凄絶な野蛮は、その延長線上に生起したのである。

 彼らは美咲を強姦したのではない。強姦しようとしたのでもない。彼らは彼女に対して性欲を抱いていなかった。/彼らがしたかったことは、偏差値の低い大学に通う生き物を、大嗤いすることだった。彼らにあったのは、ただ「東大ではない人間を馬鹿にしたい欲」だけだった。

(464頁)

 この「馬鹿にしたい欲」を持った人間は彼ら五人には限らない。事件が報道されると、インターネット上で「神立美咲」に対するセカンドレイプが始まるのである。無数のネット人格が「東大生」であるつばさら五人を擁護し、「水谷女子大生」の美咲に非難を浴びせた。ところで、2015年に起きた電通事件では、過労自殺した東大卒の女性会社員に対するバッシングの方が多く見受けられた。

男性の価値と成績のよさは一致しているのに、女性の価値と成績のよさとのあいだには、ねじれがあるからです。女子は子どものときから「かわいい」ことを期待されます。ところで「かわいい」とはどんな価値でしょうか? 愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、絶対に相手をおびやかさないという保証が含まれています。だから女子は、自分の成績がいいことや、東大生であることを隠そうとするのです。

(上野千鶴子『平成31年度東京大学学部入学式 祝辞』から引用)

 小説のモデルになった事件より六年前、ある大学の〈ドブスを守る会〉というサークルが人権侵害事件を起こしている。文壇から都知事にのぼりつめた政治家がつくったその大学には、どういうわけか文学部がなかった。

 この作品では「人文」という言葉が何度も用いられる。人文……それはたしかに非合理で生産性を欠いた学問なのかもしれない。しかし、他者の痛みを肉感的に感じられる可能性を秘めた学問でもある。語り手は「人文」という言葉を連呼して、生産至上主義に根ざした社会の人文軽視が事件を誘発させる要因のひとつになったのではないかと問いかける。

 そしてラストシーン。「つばさ」と「山岸遥」を向かい合わせたところに人文学の可能性が仮託される。遙はつばさに「リケジョリカ」という架空の漫画をすすめる。つばさの人生観を、漫画の滑稽化された主人公にたとえ、諭そうとするのだ。つばさは「リケジョリカ」を電子書籍で購入するが、この漫画を「見る」ことはできても「読む」ことはできない。そもそも彼は他者の心が読めないので、なぜ遙が「リケジョリカ」をすすめたのか「わからなかった」。作品は次のように締めくくられる。

 つばさの視線は、コスモスが秋の微風にそよぐのを、ぼんやりと追う。/「野草研究会で摘んだの、か」/耳の奥に残った声を、つばさは口に出した。「え? なに? 知らない。教えて」。コスモスの花言葉を、意外なことに美咲が知らず、つばさが知っていた。朝倉か南の女子マネから聞いたことがあったからだ。それぞれの色によって異なるらしいが、美咲が持っていたのはピンクで、つばさもその色についてだけ知っていた。/「乙女の純血」。教えると、美咲は「すごーい、やっぱり東大は何でも知っているんだね」と言っていた。“下心”などというものではなく、無邪気に褒めてくれていると、つばさも感じたはずだった。/「巣鴨の飲み会で、なんで、あの子、あんなふうに泣いたのかな」/つばさは、わからなかった。

(473頁)

 この作品を読み終えたとき、決して平坦ではないであろう「神立美咲」の行く末を思い、直ぐにはテクストを閉じることができない。それはこの作品が実在の事件を扱ったからではなく、テクストの向こう側に続いていくであろう、未完の「美咲」や「つばさ」の物語を想像し、見届けなくてはならないと思ってしまうからだ。美咲へのセカンドレイプは事件が風化しようとネット上のいたるところに残り、何度でも彼女を苦しめる。一方、大学院を退学になろうと東大卒である「竹内つばさ」の人生は華々しいことだろう。末尾の一文から、なにもわかぬまま、なにくわぬ顔で生きていく彼の未来が読み取れる。他者の痛覚を知ることのできない「つばさ」らに、せめて自ら踏みにじった美咲の身体の被傷を知覚する「人文」の機会を求めたいと願うのは、あまりに難しい要求だろうか。

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2015年、文学修士号取得。 クライアントの意向に沿って商業や美容に関する文書を作成するゴーストライター。生計を立てるためにビジネス文書を作成しながら、生きていくために好きな文学のことを書きたい。