澁澤龍彦「黒魔術の手帖」のススメ


便利なネットなどもない昭和の時代に、古今東西の奇怪で異端な文化や歴史、思想、文学、芸術などなど、ジャンルを問わず壮大なスケールの知識量を有し、鋭く尖ったナイフのような独自の睨みで、斜めから、背後から、裏側から切り込むエッセイ本(小説もあります!)を多く残している澁澤龍彦。知るひとぞ知る文筆家であり、アングラやサブカルが好きを中心に、今も密かで確かな人気を誇っています。

私個人の話になりますが、自分の読書趣向が澁澤に流れ着いたのは、高校時代に寺山修司の詩集に出会ったことで、アングラな世界に徐々に引きづり込まれていった結果だったと思います。

私は、澁澤の本には未だに読めていないものもまだまだ多く、自分ごときが澁澤の魅力を伝えるのは全くの勉強不足。しかしそれでも書くことを許されるなら、ここで彼の評論シリーズである「手帖シリーズ」をご紹介したいと思います。

この手帖シリーズには「黒魔術の手帖」「秘密結社の手帖」「毒薬の手帖」があります。中でも個人的に一番好きなのが「黒魔術の手帖」。今回はこの本について少し紹介させていただこうと思います。

「黒魔術の手帖」とは

黒魔術の手帖が初めて発表されたのは、1960年代。かつて日本で一時爆発的に流行した「オカルトブーム」が1970年代頃だったので、その前にすでにオカルトブームの先駆的なエッセイを書いていたことになります。ヨーロッパの神秘思想の歴史的系譜を、初めて日本に紹介したとも言われています。ちなみに占い研究家の鏡リュウジさんも、若い頃にこの本を読んで大きな刺激を受けたそうです。

黒魔術の手帖の内容を端的に表した文章があるので、ここに引きましょう。

中世暗黒時代を中心に妖術師や権力者らが繰り広げた黒魔術の数々。カバラ、占星術、タロット、錬金術、サバト、黒ミサ、自然魔法、そして史上名高い幼児殺戮者ジル・ド・レエをめぐる様々なエピソードを紹介した本書は刊行後、世間に強烈なインパクトを与え、三島由紀夫に「殺し屋的ダンディズムの本」と嘆賞された。
(参照:Googlebooks

三島由紀夫は澁澤龍彦と友達で(三島が澁澤の3歳年上)、お互いを敬愛し理解し合える仲だったと言われています。三島の死に対しても、澁澤は「彼の行動を全て肯定する。友人だからだ」と言い切っていたそうです。

この「殺し屋的ダンディズムの本」という表現の意味を探ってみることにしましょう。

改めてダンディズムとは「身なりや巧みな言葉遣いや余裕さを意識し追求しながらも、あくまでそれに無頓着な様子でいつつ、そんな自分に陶酔している精神」のこと(参照:Wikipedia「ダンディズム」)。これは私見ですが、確かに澁澤の本を読んでいると、ダンディズムの精神に近いものが根底にあるように感じます。澁澤は、文章の中では決して自分を良い人に見せるような表現を使わず、その反面、良い意味でとてもナルシストな人だと思っています。

あるエッセイでは「自分は左利きで矯正して文字は右手で書けるが、左利きには頑固者やつむじ曲がりが多く、これは当たっているようである。しかし犯罪者も多いようで、これはどうだろう」というような趣旨のことを書いており、かなり失礼ですが、少数派の自分になかなか酔っているような表現に思えた記憶があります(出典:私の少年時代)。

まあ、それだけで自分に陶酔しているとは申し訳ないですし恐れ多い話です。しかし澁澤の膨大な知識量と頭の良さ(東大仏文科卒業)、そして物事を深く広く推敲していく力は本当に脱帽もので、凡人には一生かけても辿り着けない境地に澁澤は行くことができていたんだろうな、と私は考えています。

メジャーで誰にでも受け入れられるようなテーマは採択せず、世の中の暗部にスポットを当てた、当時としてはマイナーで異端なテーマを追求することを貫いていただけあって、澁澤がこの世に残した偉業は、真にナルシストな人間でしかなし得ないことだったのでしょう。そこを澁澤の良き理解者であった三島は「ダンディズム」と言い当てたのではないでしょうか。

「殺し屋的ダンディズム」の話に戻りますが、「殺し屋的」というのは、やはりこの本の「黒魔術」というダークさに関連付けた表現なのではないかと思います。

ジル・ド・レエについての記述

ただこの本での黒魔術は、ダークなものに限らず広い意味で使われています。黒魔術の暗く怪しい内容かと思いきや、本を開けば、文化人類学や宗教学に通じるものがあったり、芸術や歴史の深い知識が含まれていたり、題材に秘密結社や占いなどまでも取り上げられるなど、一冊読むだけで様々な知識に触れられます。表題から敬遠してきた人も、ただのインチキくさいオカルト本だと思っていてはもったいないはず。

特にこの本の中でページを多く割いて取り上げられていたのは、中世のフランスの貴族であり軍人のジル・ド・レエ侯についてです(およそ1404年頃 – 1440年10月26日)。4章に分けて書かれていたジル・ド・レエの考察がなかなか深かったので、その内容を紹介しましょう。

ジル・ド・レエは、フランスの詩人シャルル・ペローが原作を書いた「青髭」の物語に出てくる恐ろしい殺人鬼・青髭のモデルとなった人物と言われています(諸説あり)。モデルとされるジル・ド・レエも、一説によれば生涯で200人以上もの子供を殺したと言われ、史上最も兇悪無残な大量殺人鬼として有名です。

しかしこのジル・ド・レエ、ただの恐ろしい幼児虐殺者なだけではありませんでした。彼は実はとても教養深く、ラテン語がペラペラで、芸術や文芸、珍奇なものの大好きな純粋な芸術家でした。座右の書を金文字や微細画で装飾し、自ら絵を描くこともあるほどのクリエイティブな才能の持ち主だったそうです。また神秘思想を持ちながら、悪魔崇拝や錬金術の熱心な探求も行なっていた、とこの『黒魔術の手帖』で澁澤龍彦は語っています。

ジル・ド・レエは、そのあまりに残虐な大罪を犯したことから、恐ろしい怪物的なイメージが強く、彼が元々どんな教養深い芸術的人間だったのかはあまり注目されません。澁澤は彼を4章に分けて、ジル・ド・レエ自身の闇と光が混在する内面までも深く掘り下げています。

「聖女と青髭男爵」の項では、聖女をジャンヌ・ダルクとして、彼女の右腕時代だった頃のジル・ド・レエが、いかに騎士道精神と聖女崇拝の傾向があったかを述べています。その中で、ジル・ド・レエの心の内部での淫欲やサディズム精神との葛藤を、性病理学原理によって説明しています。「宗教的感覚も性的感覚も、発展の極限に達すると、相似を表すものだ」という趣旨の「性病理学」(クラフト・エビング著)の文章を引き合いに、神秘思想と悪魔礼拝の紙一重さを論じています。

「水銀伝説の城」の項では、ジル・ド・レエが隠遁生活を決め込んだチフォージュ城での錬金術の研究生活を紹介。15世紀の文化人が皆錬金術に熱中した中で、ジル・ド・レエもここで実験に明け暮れたといいます。

「地獄譜」の項では、悪魔についての考察や、悪魔崇拝にジル・ド・レエがのめり込んでいく様を、そして「幼児殺戮者」の項では悪魔崇拝とサディズム、性的倒錯、男色の切っても切れない関係を述べています。そして澁澤はジル・ド・レエのことを「現世を悪魔の楽園、暗黒のパラダイスたらしめた世界史上唯一の天才的犯罪者ーそれがジル・ド・レエである」と示しながらも、最後にはジャンヌ・ダルク崇拝の神秘主義に立ち返り、神の慈悲を求めながら、喜んで火刑台にのぼったのである、と締めくくります。

しかし、何故澁澤は黒魔術の手帖の中で、ジル・ド・レエを4章にも渡って考察していたのでしょう。これは全くの私見にすぎませんが、澁澤自身も、このジル・ド・レエに対して、何か似たもの、共通するものを感じていたのではないだろうか、と考えています。芸術好きでエリートで、広い教養を持ちながら、内面では闇に惹かれている部分が、もしかして澁澤本人にリンクするものがあったのかもしれない。実際、澁澤の著作で取り上げる内容は、世の中の暗部を照らしたダークなものが多い傾向にあります。また、先にも書きましたが澁澤も東大卒など、かなりのインテリでした。

この長く論じてあったジル・ド・レエの章を読んで、私が思うことは、芸術的なものを好きな心と、残酷なものに惹かれてしまう心は、もしかして表裏一体の関係にあるのかもしれないということです。そしてどんなにエリートで優秀でも、心に猟奇的な想いを隠している人は、それを実行しなくても、案外世の中に多いのかもわからないのです(澁澤龍彦がそういう人だとは決して言ってません。語弊があったらすみません)。

私自身も、美しいものやアートが好きで、大学で美術を学んだりもしました。可愛いものや綺麗なものに惹かれる想いは、どんな人間でも少しは持っている感覚だと思います。その反面、どす黒いものやグロテスクなものや気持ち悪いものなどが好きな心も、同時に私は持っていると自負しているのですが、これも私だけには限らないと思っています(だからこそ澁澤龍彦を読むのですが)。

このジル・ド・レエの項を通し、澁澤は、人間なら誰しもが持つ二面性や複雑さ、残酷さを読み手に提示したのではないでしょうか。そして「黒魔術」というものが人間の内部に潜む闇の部分を形に表した行為であり、美しくも残酷な人間という存在そのものの歴史を表しているのではないか。さらに言えば、この「黒魔術の手帖」という本自体が、人間の暗黒部分をさらけ出す、ある種の儀式と言えるのではないか、と読み手の私は考えるのです。

このジル・ド・レエの話はトリとして書かれています。血生臭い内容ですがとても興味深い考察でした。また、それまでの章で取り上げる内容も面白いものばかりです。薔薇十字団といった秘密結社の話も取り上げており、澁澤は秘密結社の手帖も書いているので、黒魔術の手帖で秘密結社に興味が湧いたら、そちらの手帖も読んでおくと楽しいと思います。

おわりに

魔法や神秘的なものが好きな人はもちろん、文化人類学や中世ヨーロッパの歴史に興味がある方などにも面白い魅力が詰まった黒魔術の手帖。約半世紀前に書かれたオカルトブームのさきがけ的名著を、ぜひ一読してみてはいかがでしょうか。

以上、ぬいでした。

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ぬい

普段は詩やコラム、絵などをかいたり、 ものづくりをしています。 一番好きな詩人は寺山修司、小説家は江戸川乱歩です。 言葉の力を日々実感する毎日。 まだまだ未熟ですが、 その面白さを伝えていけたらな、と思います。