分かり合えなさが愛おしい 島本理生おすすめ小説5選

2001年、17歳という若さで『シルエット』が群像新人文学賞を受賞し鮮烈なデビューを飾った作家、島本理生。小学生のころから小説を書き始め、15歳のころ『ヨル』が『鳩よ!』掌編小説コンクール第2期10月号に当選、年間MVPを受賞するなど早くからその才能を開花させている。

多くの読者を魅了したみずみずしく豊かな感性は時を経てすがたを変えながらも、一貫して彼女の作品のなかにあふれている。彼女の作品に触れてから、わたしのなかの恋愛小説の読み方が変わってしまったと言っても過言ではない。

今回はその20年の軌跡を振り返る意味も込めて、特に映像化されていない作品を中心におすすめの5冊を紹介したい。

シルエット

今をともに過ごす人々とのやりとりのなかでかつて好きだった人の新たな現状を知っていく女子高生を描いた短編「シルエット」、恋人の帰りを部屋で待っている女性を描写した掌編「植物たちの呼吸」、恋人と別れたばかりの少女が夜の古本屋でクラスメートから一冊の本をもらう掌編「ヨル」の三篇を収録。どれも島本理生が十代のころに書かれた短編である。

初めてこの短編集を手にとったとき、物語はかならずここで始まりここで終わらねばならなかったのだと、この言葉はここに現れるしかなかったのだと感動したことを覚えている。恋愛小説ではあるがどれも激しいドラマというよりもむしろ、感情と五感、そしてそれらのための言葉が緻密に積み上げられ紙の上に広がっている印象だ。人生のある瞬間を切り抜き、脳裏につよく美しく、しかし静かに焼きつける。そんな短編としての魅力が十分につまった一冊。冒頭の降りやまぬ雨が、短編集を通じて印象的にしみわたっていくところにも注目してほしい。

大きな熊が来る前に、おやすみ。

暴力をふるう父親、彼氏からの暴力、育児放棄の母親、動物虐待をする元彼。「大きな熊が来る前に、おやすみ」「クロコダイルの午睡」「猫と君のとなり」。短編につけられた動物たちの名前はそれぞれの暴力を暗示し、それが心に落とした影をなぐさめるかのように、おやすみ、午睡、といった眠りが寄り添っている。愛情と恐怖、強硬と脆弱、安寧と破壊、慈愛と攻撃、すべてのための封印と瓦解。暴力と対話という相反する行為たちのなかで、相反する感情たちが寄せては返す描写が淡くつづいていくも残される感情は重く厚い。

彼と私は基本的に考え方や性格がすべて微妙に二十度ぐらいずれていて、だから日常会話の細かいところで突っかかることも多く、石だらけの舗装されていない道を歩いているみたいで、二人でいることはまるで我慢比べのようだとたまに思う。

(「大きな熊が来る前に、おやすみ。」より)

引用のように、価値観の違いを二十度ぐらいと表現するところも秀逸だ。一度刺さってしまった棘はもう二度と抜けないが、どこかに刺さったままで少しずつ癒えていくような、そんな優しい不穏さを感じる三篇だった。

七緒のために

恋愛小説がその大部分を占める島本理生のなかでは珍しく、女子高生の淀んだ青春を描き出した一作。以前通っていた女子校に馴染めず、東京の中学校へ編入してきた主人公。新しいクラスで出会った本好きの少女、七緒に誘われて美術部に入り、予測のつかない彼女の言動に翻弄されながらもきらめく日々をともに過ごす。しかし次第に七緒がクラスから浮いていること、彼女の言葉に嘘が多いことに気づきはじめる。

他者とのまじわりのなかで、ふたりが共有した真実と嘘の間で揺れ動く雪子。純粋な少女たちがせまく閉じたコミュニティのなかで物語を共有し続ける危うさ、きらめきのなかに淀む真実。『一千一秒の日々』のなかでも女性同士の関係を描いた島本理生だが、それとはまた異なった後味が読後の心を染め上げていく。女性同士のどうしようもない分かり合えなさを描き出す殺伐百合というジャンルが注目を集めているが、本作品はその一つと言える。

夏の裁断

第153回芥川賞ノミネート作品。絶えず恋愛小説を書いてきた島本理生だが初期からの持ち味であるしっとりと美しい関係性の表現や文体、丹念な言葉選びはそのままにエンターテインメント作家としての実力も遺憾なく発揮している。女流作家である主人公と彼女をたぶらかす編集者の破滅的な、恋愛とも言えない関係性。

本の、自炊、すなわち裁断に対して嫌悪感を抱く主人公がそれでも本に刃をいれていく描写は、思い出したくもない過去に立ち返らざるをえない、そして決して分かり合えない恋に踏み込んでいかざるをえない心情を表しているように感じられた。季節とともに移り変わっていく鎌倉の情景と、人々の心のありようが繊細に綴られている。

あなたの愛人の名前は

直木賞受賞後第一作。満たされているように見えるのに、外見はどこか完璧ですらあるのに、満たされることのない男女を描く6篇の短編集。不倫、結婚、出産。どれも現実でよく見る単語であり、驚きも新しさもないのに繰り広げられる感情のやりとりが、言葉の数々の輝きが色あせることはない。恋愛小説がいつの時代であっても読まれ続ける、誰かに必要とされ続ける訳が分かる一冊だ。

特に「あなたは知らない」「俺だけが知らない」の二篇は同じ部屋で同じ時を過ごしながらも絶望的に理解しあうことのない男女を描き出す対になった作品で、相互不理解が一つのテーマともなっている島本理生作品の集大成と言えるだろう。ひとつひとつ丁寧に積み上げられた不和が瓦解もせず解決もせず、最後に収録された表題作へと至る道になっているところが面白い。

おわりに

島本理生の作品は2014年に刊行された『Red』を境に大きく変化したように感じる。自分の過去と自分の現在、そして目の前にいる好きな人にだけ注がれていた眼差しは深みと厚みを増し、罪や祈り、結婚と出産、世界のしくみへと向けられていく。わたしはそれを「彼女が大人になった」と言ってしまいたくはないが、彼女が一人の人間としても小説家としても経験を積み、新しい視点を手にいれたことも確かだ。

だがその魅力は『シルエット』さらには『ヨル』のころから決して変わっていない。島本理生は恋愛を描く。それは決して甘くとろけるようなものだけではないことを教えてくれる。時に過去の傷をえぐり、時に傍にいるはずの人間を絶望的なまでに理解できず、時にそのきらめきが虚構であることを知っている。そんな島本理生の作品が、わたしはどうしようもなく好きだ。

20年の時を経ても書きたいものを書き続けている島本理生。その更なる活躍にも期待している。

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映画と本を吸って小説と詩を吐き出す生きもの。百合とSFと言語が好き。