島田荘司『占星術殺人事件』に学ぶ探偵の動機


ミステリにおける「探偵の動機」問題

ミステリを書く上で、「トリック」は必要不可欠ではない。僕はそう考えています。

トリックとは、いわば「秘密」を隠すための装置です。たとえば、犯人に犯行時刻のアリバイがないという「秘密」を隠すために、死亡推定時刻を誤認させる「トリック」を使うことになります。

しかし、「トリック」を使わなくても「秘密」を隠すことは可能です。たとえば、事件現場に残った重要な証拠品を燃やすという単純な手段でも、秘密を隠すのには十分でしょう。ただし、こんな単純な手段を登場させるだけではミステリになりません。ミステリに「トリック」は必要ではありませんが、何かしらの「謎」は必要です。

トリックなしでも生み出せる謎の例としては「犯人の動機」が挙げられます。犯人が理由もなく人を殺し、トリックも使わず証拠品を燃やしただけの物語はミステリになりませんが、「なぜ犯人は被害者を殺したのか?」といった謎を用意すれば、それを追求することで物語はミステリたりえると、僕は考えます。

ただしこの場合、犯人の動機が「ただ人を殺してみたかった」だとミステリにはなりません。トリックがメインである話ならともかく、動機を謎として成り立たせるためには、「そんな動機だったのか!」という驚きを演出する必要があるからです。

また、読者に驚きを与えるには納得感も重要です。「実は犯人は宇宙人で、地球を侵略するために殺人を行った」では到底読者を納得させられません。そのため、犯人の人間らしい側面を描き、リアリティのある動機を提示することも重要となってきます。

そして物語の納得感を出すために、「犯人の動機」以上に重要なものがあります。

それが、「探偵の動機」です。

探偵を推理マシーンにしないために

ミステリの中で、探偵が謎を解明する。この当たり前の構造を成立させるためには、探偵がなぜその事件を解決したいのか(=探偵の動機)を作中で描く必要があります。人は理由もないのに面倒事に首を突っ込んだりはしません。たとえ「犯人の動機」がしっかりしていても、探偵が事件を解決する動機に筋が通っていなければ、読者の納得感は薄れてしまいます。

シンプルに「好奇心」だけでも一応の動機にはなりますが、たとえば、その探偵が好奇心旺盛になった背景(エピソード)を絡めれば、キャラクターはより立体的になります。僕の知る限り、いわゆる「本格ミステリ」と呼ばれる作品たちでは、元より人間らしさを描かない選択肢も多くとられてきました。しかし最近のミステリには、よりキャラクター文芸の側面が強い作品が登場している印象があります。

たとえば気鋭の若手・阿津川辰海による『紅蓮館の殺人』では、探偵役の過去を緻密に描くことでキャラクターの複雑な苦悩を読者に共有しており、「このミステリーがすごい!」2020年版国内篇他多数の賞で第一位に選出された相沢紗呼『medium 霊媒探偵城塚翡翠』の探偵役は、ある種の「あざとさ」が強調して描かれ、またそれ自体が物語の仕掛けにも作用する領域にまで達しています。探偵のキャラクター性が、そのミステリ作品の質を決定づける重要なものになってきている、ということです。

どう描くにせよ、探偵役の動機はキャラクターを立たせるうえで重要です。しかし、探偵役の見せ場は意外と多くありません。解決編でこそ探偵はスポットライトを浴びますが、やはりミステリが紙幅を割いているのは「事件」です。事件の調査は基本的に地味なので、探偵役の見せ場を探る必要があります。

そんな探偵役の貴重な見せ場が、「事件に遭遇したときの対応」です。ある日突然事件に巻き込まれるにせよ、探偵事務所に依頼人がやってくるにせよ、探偵が遭遇した事件に対して「なぜそれを解決しようとするのか」を描くことで、探偵役の個性が明らかになります。繰り返しますが、探偵の動機を描くシーンは大きな見せ場です。ゆえに、普段のミステリ読書の中で、その描き方のパターンを収集・蓄積することは、ミステリを書き進める上で大きなヒントになると考えました。

さて、ここで本題に入りましょう。今回はゴッド・オブ・ミステリーとの呼び声も高い島田荘司のデビュー作『占星術殺人事件』を手に取ります。本作の探偵役である御手洗潔の動機がどのように描かれているのかを整理・分析していき、探偵の動機の描き方を学んでいこうと思います。

御手洗潔が調査を開始した経緯

『占星術殺人事件』のメインキャラクターは二人。探偵役・御手洗潔(作中では占星術師という設定ですが、便宜上探偵と呼びます)と、助手役である石岡和巳です。

まず、御手洗が事件の調査に乗り出すまでの流れを簡潔に説明します。

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作中時間で約40年前に起きた未解決事件について、助手の石岡が解説するところから物語は始まる。この段階で御手洗は推理に積極的ではあるものの、それは単なる好奇心から来るもののように思われる。

事件の謎について議論を交わしていく二人。この議論の前段階として、飯田という女性によって、ある事件関係者が残した手記が持ち込まれている。40年かけて世間の素人探偵やジャーナリストたちが洗いだした情報に手記の情報を加え、推理は新しい領域へ進んでいく。

尚、手記を読んだ御手洗は下記のように語る。

「この人は手記を残した。燃すことができなかったとは思えない。よほどこの事件を誰かに解いてほしかったんだ。一生をかけて築いた自分の名誉と引き替えにしてもね。この人の最後の勇気を間違いにしちゃいけない。誰だってそう思うだろう。この手記を読んだ者の義務だ」

そんな中、竹越という刑事が現れる。手記を残した男性の息子にあたる人物だ。手記の公開を巡り、御手洗と竹越刑事は対立する。横柄な態度で手記の返却を要求する竹越刑事に御手洗は、一週間で事件を解決したらこの手記は闇に葬ってもらおうと啖呵を切る。絶対に無理だと嗤う竹越刑事。御手洗は事務所を飛び出し、本格的な調査を開始する。
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調査の推移や鮮やかな種明かしについては世に素晴らしいレビューが溢れているので割愛しますが、もしあなたが未読であれば、ぜひネタバレを踏む前に読了されることをおすすめします。某漫画の影響でネタ自体は既視感を覚えるかもしれませんが、それを差し引いても、犯人との対面シーンは充分に衝撃的です。

動機の分析

さて、調査開始までに読み取れる御手洗の動機は、下記の三段階に分類できます。

1.面白そうな事件だ、という好奇心
2.故人の名誉を守ろう、という正義感
3.傍若無人な刑事を打ち負かしたい、という闘争心

ここで重要なのは、上記いずれかの動機に着目することだけではありません。それぞれの動機が階層的に描かれているという点にも、大きなヒントが隠れているように思います。

まず「好奇心」について。これは、言ってしまえば世に蔓延る探偵役の基本属性です。物語の構成上、冒頭ではキャラクターよりも事件の詳細にフォーカスされているため、この段階ではまだ好奇心以上の動機は見えてきません。付き合いの長い助手の石岡くんが話してくれているから仕方なく耳を傾けている、という惰性すら感じられます。「好奇心はある」というキャラクターの基礎を提示しつつ、事件の説明の進行をまずは優先しています。

次に提示されるのは「正義感」です。手記の内容は非常にセンシティブな内容であり、故人は世間の目に触れるリスクを覚悟のうえでこれを書き残したのだと御手洗は解釈します。手記を残した人物は、それほどまでに事件の解決を望んでいたのです。引用したセリフからも、御手洗がその覚悟に感化されたことが伝わってきます。故人の名誉を守るために立ち上がる御手洗はまさしくヒーローの質感を得て、読者に憧れを抱かせるように描かれています。この動機を僕は「正義感」と表現していますが、実際は敬意や使命感も内包しているようにも読み取ることが可能です。

そしてダメ押しとばかりに「闘争心」です。横柄で人の心の機微に疎い無骨な刑事を敵として描き、読者にストレスを与えます。そのうえで御手洗に大見得を切らせることで、「こんなヤツに負けるな!」と応援する気持ちを湧かせるよう工夫されています。探偵と読者の共通の敵を登場させることで、共感(あるいは一体感)を演出しています。

基礎となる「好奇心」、憧れを抱かせる「正義感」、そして共感を生む「闘争心」。

このように、それぞれの動機がそれぞれの意味を持っています。

ひとつの動機が刺さらなくとも、別の動機で刺しに行く。一刺しでは終わらない仕組みになっているため、読者は御手洗という探偵に愛着を持ちやすい。

そのような仕掛けが施されているのだと、僕は解釈しました。

探偵の動機で、読者を引き込む

以上、『占星術殺人事件』を例にとり、「探偵の動機」について分析を行いました。言うまでもなく、『占星術殺人事件』はあくまでも一例にすぎません。「探偵の動機」の提示の仕方には、様々な方法があるでしょう。

ただ、書き手の目線から探偵の動機を読み解いた際、複数の動機を階層的に提示することで探偵役は魅力的に映りやすくなり、読者を物語に引き込んでいくのではないかと思い至った次第です。

ささやかな気付きで恐縮ですが、これを読んでくださったあなたにとって、少しでも有意義な時間になっていたら幸いです。

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