JR新宿駅東口を出て、とりあえず紀伊國屋書店の方へ向かう。そのまま本屋の前を左手に通り過ぎ、伊勢丹と明治通りがぶつかるところで、しばし信号待ち。右に見える世界堂の看板を通り過ぎたら、もう少しだ。ひたすら真っ直ぐ道を進み、タリーズコーヒーが見えたら、次の角を左に曲がる。歩みの遅い私ではだいたい、新宿駅から15分ほどかかるが、ほぼ直線なので迷わないのが、この道順のよいところ。
そこが新宿二丁目のメイン通りの仲通りだ。日本随一のLGBTタウンへ、あなたもようこそ!
新宿二丁目は昼は閑散としたオフィス街だけれども、夜になると一斉にネオンの花が咲く。ゲイ、レズビアン、トランスジェンダー、ドラァグクィーンたちが街を闊歩できる数少ない場所だ。
セクシュアルマイノリティと呼ばれる人間たちは、友人を作るため、恋人と過ごすため、踊り明かすため、お酒を飲むため、慰めを求めるため、自分のなかのまだ知らない何かのため、二丁目に訪れる。理由はその人たちの数と同じに存在する。
そんな二丁目を本とともに巡ってみようと思う。
一軒目「オカマルト」
まず一軒目は「オカマルト」さんで美味しい紅茶を飲みながら、本をめくろう。
「オカマルト」さんは新宿二丁目にある、ブックカフェだ。蔵書は一万冊を超え、LGBT関係の本が所狭しと店内に並んでいる。
店主はマーガレット様こと小倉東さん。ゲイ雑誌として名高い『バディ』の初代編集長でもある。マーガレットという名前は、小倉さんがドラァグクィーンに扮するときに使うもので、常連には「マー様」の愛称で親しまれいる。
「オカマルト」さんではマー様の淹れる紅茶がとても美味しい。フランスの有名銘柄マリアージュ・フレールの黒い瓶がカウンターにずらりと並んでおり、すべてのフレイヴァーを制覇するには二十回くらいおとずれなくては……と嬉しい悲鳴が心のなかで上がる。
そしてお茶請けには季節のフルーツ、そして可愛らしいお菓子などを出してくれる。本に囲まれ、隣の席に座ったひとと話すのも良し。マー様はお客の邪魔をしないので、ひとりで黙々と本を読んでも良し。マー様に人生相談をするのも良し。友だちと熱く文学について語り合うのも良し。万能なブックカフェだ。
「オカマルト」さんはセクシュアルマイノリティのひとだけでなく、ヘテロセクシュアルなひとも入店可である。あるとき隣に座った男性をゲイだと思って、話しをしていたらどうもかみ合わない。尋ねてみるとその方は異性愛者だった。そんなどんなひとでも受け入れる、「オカマルト」さんの、マー様の懐の深さに、私は感嘆のため息をもらす。
ちょっと小腹が減ったので、カフェ・ダイニングでごはんを食べて、本を読んでいたら、あっという間に夜も更けてしまった。せっかく二丁目に来たのだからお酒を飲んで帰ろう。
二軒目「A Day In The Life」
二軒目は「A Day In The Life」さんでお酒を飲もうと決めた。
「A Day In The Life」、通称「アデイ」さんは作家・評論家である伏見憲明さんがオーナーを務めるゲイバーだ。
伏見憲明さんは2003年に『魔女の息子』で第四十回文藝賞を受賞されている。最近では新潮新書から『新宿二丁目』という新宿二丁目とゲイバーをめぐる文化と歴史の本を出版された。
最近は女性が入ることができるゲイバーもあるので、邪魔にならないように、端っこでお酒を飲んだり、話に混ぜてもらったり、ときどき店子(みせこと読む。スタッフのこと)さんが料理を作ってくれて、それに舌鼓を打ったりする。
グラスを傾けつつ、伏見さんの本の内容を思い出していた。
戦前にもゲイバーというものがあり、詩人・萩原朔太郎や江戸川乱歩なども足を運んだ、と伏見さんは『新宿二丁目』で書いていた。江戸川乱歩に心酔していた中井英夫は昭和三大奇書として有名な『虚無への供物』で冒頭にゲイバーを登場させている(台東区の龍泉寺近くだが)。
アルコールで霞んだ思考で脳内の本のページをめくる。
黒天鵞絨のカーテンは、そのとき、わずかにそよいだ。
(中井英夫 新装版『虚無への供物』 講談社 2004年 p.10)
『虚無への供物』の冒頭である。幻想的で耽美。ビロードを漢字で書くところも重要で、まさしく中井英夫の哲学がぎゅっと詰まった一文だ。
文学とゲイバーは切っても切れない関係であるらしい。文壇バーとしても機能していたゲイバー。そこには岩田準一や田中貞夫、そして三島由紀夫の名前が鎮座する。
ゲイバーとは由緒正しい文学の場なのだと、思うと眩暈がしたので私は目を瞑った。そして少し経ってから目を開き見渡すと、明るい店内でお兄さんたちが談笑している。「アデイ」さんには黒天鵞絨のカーテンはないが、私の心のなかの襞はわずかにそよいだ。
ゲイバーの歴史にあてられて、私は「アデイ」さんを後にした。そしてミーハーな私は今日も伏見さんとお顔を合わすことができなかったことを悔やんだ。私は伏見さんのことを直接は存じ上げない。『新宿二丁目』や『魔女の息子』の他にも『プライベート・ゲイ・ライフ』というカミングアウトについての本を書かれた伏見さんは、私にとって身近な存在だ。いつか挨拶がしたいと思う。
私は仲通りに再び戻り、目線を少し上げると、HIV/AIDSの予防啓発の広告が目に入った。NPO法人の「akta」さんの運動の一環のものだ。「akta」さんの運動は面白い。クラブイベント会場やゲイバー(「アデイ」さんも例外ではない)のお手洗いなどでコンドームを置いている。私も実は何個か頂戴したことがある。二丁目のこうした草の根運動に救われた方も多いだろう。
そんな「akta」さんの看板を背にし、交差点を渡る。ラーメン屋さんの間に小さい路地があって、そこを通って右側のドアを開いた。
まず急な階段が目に入る。それを上った。ここが私の「行きつけ」と呼べるレディースオンリーのバーだ。私の「秘密基地」なので、店名などは伏せさせてもらう。店主であるアイ(仮名)さんとは10数年来の付き合いをさせてもらっている。
レディースバー、またはレズビアンバーと呼ばれる店に男性が入ることは、ゲイバーに女性が入店する以上に難しい。男性入店OKなビアンバーもあるが、ゲイバーに比べ、女性のためのバーが圧倒的に少ない。アイさんの店も男子禁制のバーである。
カウンターが8席、ソファ席は2つの店内には、いま流行りの百合アニメのPVが流れていて、私は嬉しくなって店子のカナ(仮名)ちゃんにどうしてPVを流しているのか聞いた。百合アニメファンによるオフ会が店であったらしく、好評で今もこうしてTVに映している、という答えが帰ってきた。
「舞ちゃんは何にする?」
とアイさんは私に尋ねてきた。さきほどまで「アデイ」で飲んでいたし、度数が低くいつも飲んでいるピーチウーロンを飲もうかなと私は思ったが、はたと気づいて、私は違うお酒を頼む。
「マリブコークをお願いします」
私はそう言うと、女の子たちの喧騒の海のなかに思考を静かに沈めていく。
マリブコーク。マリブというココナッツ風味のリキュールをコーラで割ったカクテルを、私は飲んだことがなかった。このお酒を二丁目で、飲む必要がどうしてもあったのだ。
「お待たせしました」
「ありがとう」
私はアイさんに礼を言い、マリブコークに口をつけた。
その瞬間に、台湾のむわっとする熱気、中国のどこまでも続くような広い地、シドニーのひやりとした潮風、鳴沢氷穴の冷気。そしてこれが李琴峰さんの『ポラリスが降り注ぐ夜』の味か、と納得した。二丁目の架空のレズビアンバー「ポラリス」を舞台にしたこの作品には、マリブ系のカクテルが何回も登場するので、疑似プルースト効果のような反応をしたのだ。
プルーストの書いた『失われた時を求めて』。冒頭にマドレーヌを紅茶を浸けて食べた味から過去の記憶が蘇ってくるお話だ(ちなみにプルーストもゲイだった)。
どこか南国を思わせるマリブコークは、確かに李さんの『ポラリスの降り注ぐ夜』にぴったりだ。私は『ポラリスの降り注ぐ夜』に出てくる場所には、ほとんど行ったことがない。それでも文章を通して、肌で感じることができるのは、李さんの文章の至妙によるものだろう。
『ポラリスの降り注ぐ夜』では伏見さんがあえて語らなかった、レズビアンバーの歴史も描かれていて、ゲイバーで感じたこととはまた違った意味で、歴史を感じる。李さんも書いている。
(前略)あらゆる歴史は現代史であり、あらゆる理解は誤解であるということを。
(李琴峰『ポラリスの降り注ぐ夜』筑摩書房 2020年 p.264~265)
味わい深い李琴峰さんの文章をもっと読みたい方は、『独り舞』(講談社)、『五つ数えれば三日月が』(文藝春秋)もぜひ読んで欲しい。李琴峰さんの台湾/日本、異性愛/同性愛という越境文学こそ、私たちに足りない想像力を刺激してくれるだろう。
はっと我に変えると、時計がひと回りしていた。女の子たちのざわめきは変わらないが、そろそろ私は終電の時間なので、アイさんにお会計をお願いした。
「また来てね。おやすみ」
「アイさんも良い夜を!」
そんな挨拶を交わしながら、少し酔っている脚で、慎重に急な階段を降りる。
小路から仲通りに出ると、まだまだ夜の二丁目は元気で、左手にはドラァグクィーンのお店が見え、みんなが元気に飲んでいる。仲通りをそのまま真っ直ぐ歩きながら、私はポラリス、こぐま座が見えないかどうか夜空を確かめてみる。しかし地上が明るすぎるのか、星はひとつも見えない。
仲通りを歩き終え、行に来た新宿駅に続く道とぶつかる。ここで二丁目は終りだ。私の「本と共にある新宿二丁目案内」はいかがだったろうか? 二丁目の歴史を勉強したり、自らのフィールドワークで得た知識たち。それでも、10年以上この街に慣れ親しんでも、二丁目は全貌を明かさない。新宿二丁目。そこは懐かしく、謎めいている小さな街だ。