『宝石商リチャード氏の謎鑑定』の魅力と宮沢賢治の『貝の火』

私は「ミステリー」というジャンルをほとんど読まない。

昭和の奇書と呼ばれる『虚無への供物』や『ドグラ・マグラ』は大好きだし、ミステリーの名を借りた奥泉光さんの『鳥類学者のファンタジア』や『神器ー軍艦「橿原」殺人事件』の純文学作品なら読んだことがある。日本探偵小説の父と呼ばれた江戸川乱歩の作品は、どちらかというと『人間椅子』や『屋根裏の散歩者』など怪奇小説が好きだ。たまに「ミステリー」を読むとしたら、相沢沙呼さんの『小説の神様』や『medium 霊媒探偵城塚翡翠』だったり、三上延さんの『ビブリア古書堂の事件手帖』くらいのものだ。

なので、世では「ジュエル・ミステリー」と謳われている『宝石商リチャード氏の謎鑑定』を、「ミステリー」というジャンルを読まない私が紹介するのは、すこし腰が引ける。しかし私は冒険をしたい。ページをめくる手がとまらず、終りには出来事の点と点が繋がりあい、まるで夜空に浮かぶひとつの星座を見つけたような気分にさせてくれる『宝石商リチャード氏の謎鑑定』を紹介するという冒険を。この作品には大がかりなトリックはない。しかし小説として十分に魅力のある作品だと私は確信している。

辻村七子さんによる『宝石商リチャード氏の謎鑑定』。2015年から集英社オレンジ文庫から発行されているライト文芸だ。シリーズ累計発行部数は60万部を超え、2020年にはアニメ化もされ、さらにコミカライズ単行本第1巻が発売されている。

イギリスから来た絶世の美男子で宝石商のリチャード・ラナシンハ・ドヴルピアンと国家公務員を目指す「正義の味方」とも呼べる実直な大学生・中田正義が宝石と宝石を持つ者の「謎」を明かす。

第1部(1巻~5巻)は短編オムニバス形式で、2020年6月に完結したばかりの第2部(6巻~10巻)は長編形式をとっている。

リチャードと正義を結びつけたのもの、それは宝石だ。

夜間のテレビ局の守衛のバイトをしていた正義は、酔っ払いに絡まれていたリチャードを助ける。交番から解放されたあと、正義はリチャードに以下のように言う。

「……すごく嫌な目にあったのはわかっています。でも頼みます、この国のことを嫌いにならないでやってください。あんなバカばっかりじゃないんです」
「よく知っています。大きな枠組みだけで人間を判断するのは愚かなことです。あなたが恐縮することではありません」
 愚か。久しぶりに聞く言葉だった。俺より流暢に日本語を操りそうな金髪の男は、トランクではなく後部座席にキャリーケースを載せた。不思議な出会いが終わろうとしている。
 こんなチャンスは今しかないかもしれない。
「すみません、もう一つだけ! リチャードさんは、宝石の鑑定の仕事もするんですか。たとえば、指輪とか……」
 リチャード氏は初めて、驚いたという顔をした。交番で観たサファイアのように青い瞳が俺を見ている。運転席のドライバーが閉めますよと嫌そうに言うと、リチャード氏はぬっと足を一本出し、アスファルトにぴかぴかの革靴をついた。懐の財布から名刺を取り出し、片手で俺に差しだす。『ジュエリー・エトランジェ』。エトランジェって何だろうメールアドレスと電話番号。
「いつでも電話してください。日本橋あたりなら比較的会いやすいかと」
「でも」
「またどこかで。正義の味方さん」
 リチャード氏はにこりと笑った。何も言えなくなったのは、多分、問答無用できれいだったからだろう。顔立ちだけでなく、彼の仕草の全部が。」

(『宝石商リチャード氏の謎鑑定』(集英社オレンジ文庫)p.14〜15)

長く引用してしまったが、10巻まで読んで改めてこのシーンを振り返ると、多くの内容がぎゅっと凝縮されていることに驚いた。リチャードが働く宝石店の名前に使われている「エトランジェ」はフランス語で「異邦人」を意味しこの言葉はこの物語の核になっている。

また、宝石の描写も美しい。

「……リチャード、俺ルビーを見るの、これが初めてだ」
 店主が気にしないでくれるので、俺は遠慮なくブローチを眺めた。一際目をひくのは、やはり中央の赤い石だ。俺のピンク・サファイアの倍の大きさは余裕であるだろう。
 ここで働き始めて一カ月、実質の労働はたった五日だけれど、その間に『一度は聞いたことのある名前』の宝石が、幾つ目の前に滴り落ちてきたことか。でもルビーは、一度玉手箱に入っていなかった。
「ほんっとに赤いんだな……鶏肉にポチッとついている血の塊が、こんな色をしてるかな」
「ジョーク? それとも知っていて言っているのですか?」
「ん? 知っているって何を」
 ピジョン・ブラッド、とリチャードは発音した。ピジョンは鳩だ。鳩の血?
「最上級のルビーを形容する言葉です。非常によいサファイアの青を『コーンフラワー・ブルー』と、ヤグルマギクの花にたとえたたりしますが、ルビーの場合は鳩の血です。最上級のルビーの、鮮やかな赤。何も知らずに言ったのなら」
 グッフォーユー、とリチャードは流麗に言った。意味は『よくできました』。

(『宝石商リチャード氏の謎鑑定』p.81〜82)

小説は形や色彩をイメージするのが難しい。宝石が美しいと思うのは正義の意識であり、その意識は小説なので言葉で表現される。素朴なところから着想し、それが広がってルビーの鮮血のような赤を言葉によってイメージできるのは、作者の力量の大きさによるものだろう。

『リチャード氏の謎鑑定』で扱われる宝石の数々は点であり、線はひとの想いである。それが繋がりあったとき、物語の全貌が立ち現われる。特に第1部は前述の通りオムニバス形式になっており、そのすべて読むと、大きな星座が私の前に立ち現われた。私は「ミステリー」に必要なのは大がかりなトリックでもなく、死体でもなく、ひとと宝石を繋ぐ「星座のような物語」を読者に示せるかどうかだと思う。

さてここからは、第1部のオムニバスから、宮沢賢治の『貝の火』をモチーフにした「巡りあうオパール」という短編を取り上げたい。

まず、賢治の『貝の火』という短編から紹介しよう。

「今は兎たちは、みんなみじかい茶色の着物です。
 野原の草はきらきら光り、あちこちの樺の木は白い花をつけました。
 実に野原はいいにおいでいっぱいです。」

(宮沢賢治『貝の火』 青空文庫)

牧歌的な書き出しだが、『貝の火』は『セロ弾きのゴーシュ』や『注文の多い料理店』とは違って、非常に難解な物語だ。

子うさぎのホモイは川に落ちたひばりの子を命からがら助ける。ところが思いがけなく「貝の火」という尊い宝石を送られ、動物たちの敬意を集めると、思いもよらぬ増上慢心のこころがホモイをむしばむ。そしてきつねの悪行の加担すると、宝石は曇りついに砕け彼方へと飛び去り、ホモイの視力もまた失われた。

こう言う風に書くと「因果応報」の物語として読める。しかし賢治はこの原稿に「因果律を露骨ならしむるな」と書いている。

「因果応報」ではない例として、ホモイの元に宝石が置いて行かれるさまは急で、宝石を持ってきたひばりの親は持て余してしまうから、といった感じでホモイに宝石を押しつけるていく。そして一番最初にホモイを称えるのは馬だが、ひばりの子を助けたからではなく、宝石を持っているからだ。キツネは宝石を持っているホモイを恐れたりせず、逆に利用しようとかかる。

宝石に狂わされるようなホモイは視力を失う。そしてお父さんにこう言われる。

「泣くな。こんなことはどこにもあるのだ。それをよくわかったお前は、いちばんさいわいなのだ。目はきっとまたよくなる。お父さんがよくしてやるから。な。泣くな」

(宮沢賢治『貝の火』 青空文庫)

作品の中で、「いちばんのさいわい」という言葉は(例えば『銀河鉄道の夜』などにも登場する。しかし賢治は、いずれの作品でも「いちばんのさいわい」が何なのかを断言したことがない)。はたしてホモイの視力は回復するのだろうか、と謎を残したまま釣鐘草の鐘の音だけが響く。

賢治はこの作品を「因果律の中で慢心を持った者が転落する」というモチーフでこの『貝の火』を書いたという見方もある。上の図は原稿にこのような図を書いていたという再現だ(『どんぐりと山ねこ 新装宮沢賢治童話全集 3巻』p.154(岩崎書店)参照)。

『宝石商リチャード氏の謎鑑定 エメラルドは踊る』(2巻)に収録されている「巡りあうオパール」では、正義が『ジュエリー・エトランジェ』でのバイト生活にも慣れてきたころ、中学時代の空手教室の先輩・羽瀬啓吾と再会する。

羽瀬と正義が旧交を温める中で、正義は宝石の話題を挙げた。そして羽瀬は宝石店を探しているというので、さりげなく『エトランジェ』の連絡先を混ぜておいた。きっと他の店で用が足りるだろうと思って。しかし『エトランジェ』に羽瀬は来て、正義とそっくりな宝石を手にした話(case.1「ピンク・サファイアの正義」を参照)をして、手元にある宝石を売りたいという。キッチンに隠れて話を聞いていた正義は訝しげに羽瀬に何か困っていることはないかと尋ねた。そして『かいのし』というキーワードを聞き出す。

羽瀬は入居者の女性から『うさぎ』というあだ名で呼ばれていることを打ち明けた。

この『かいのし』こそ「貝の火」、ファイアオパールだ。羽瀬はデイケア施設で働いていて、ファイアオパールは認知症を患った女性から譲り受けたものだった。女性は「ひ」という言葉をうまく発音できなかった。なので『かいのし』という言葉になった。そして羽瀬は女性の家族から宝石泥棒の汚名を着せられ、結果的に職を失うことになる。

羽瀬はホモイであるということは明白だ。羽瀬は「入居者の女性に親切にする→ファイアオパールを手に入れる→売ろうとする→退職」。ホモイは「ひばりを助ける→貝の火を手に入れる→慢心する→失明する」と話が重なる。

注目すべきは子うさぎのホモイが中心で語られていた賢治の『貝の火』と違って、主人公である中田正義はうさぎでなく、羽瀬がうさぎだというところだ。失意にある羽瀬は正義につらく当たる。正義も理解はできるが、納得はできなかった。

 仏法説話の要素がある、という説明が添えてあったけれど、どういう説話なんだ。どうすれば救われる話なんだ。いっそのこと、こんな石を受けとらなければよかったのか。いや断れない雰囲気だった。ひばりの王さまのおつかいで、渡せなければ切腹しなければならないと使者はうさぎに迫っていた。
 じゃあ、いっそひばりを見殺しにすればよかったのか?
 そんなはずはない。駄目だ、頭が働かない。

(『宝石商リチャード氏の謎鑑定 エメラルドは踊る』p.253)

そんな混乱している正義に当人である羽瀬は苛立ちを隠せなかった。心が折れそうになった正義の前にリチャードが愛車のジャガーに乗って現れる。車を走らせながら、リチャードは正義に言葉をかける。

「あなたは間違っていない」
「……え?」
「正しくあろうとする人間は、孤独です。誰しもが同じ道を歩けるわけではありませんし、まぶしすぎるものは時々疎ましくなります。空疎な理想論で後ろ指を指されることもあるでしょう。それでもあなたは間違っていない。あなたの正しさの根底にあるのは、己の道を押し通そうとする頑迷さではなく、暗闇の中でも他者に優しくあろうとする気高さだからです。私はそういうありかたを尊いと思います。心から。時には羨ましくなるほどに」

(『宝石商リチャード氏の謎鑑定 エメラルドは踊る』p.260〜261)

苦しんでいる当事者じゃないからこそ、助けたいと思うことは、傲慢なのかもしれない。しかし目の前で苦しんでいるひとがいたら、手を差し伸べるのは間違いでは決してない。リチャードはきっとそう言いたかったのだと私は理解した。そしてリチャードも正義の美徳に敬意を払っている。リチャードと正義はこの段階ですでに理想的な相棒関係が構築されていると、再び読み返して思った。

いくつもの宝石が点となり、多くのひとの感情が線となっている『宝石商リチャード氏の謎鑑定』。第2部の最終巻である『宝石商リチャード氏の謎鑑定 久遠の琥珀』を読み終え、第3部はいったいどんな星座がみえるのだろうか、と今から筆者は続きを心待ちにしている。

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