きっとあなたも魅了される平野啓一郎おすすめ作品6選

平野啓一郎は1975年生まれの小説家である。近年『マチネの終わりに』『空白を満たしなさい』『ある男』等、多くの著作がメディア化され、話題を呼んでいる。

デビュー作は1999年大学在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』。この作品で第120回芥川賞を受賞し40万部のベストセラーとなる。その後も今に至るまで多くの多彩な小説、エッセイを執筆している。

この記事ではテレビドラマや映画などで平野啓一郎作品に触れ、原作も読んでみようと思った方向けに、おすすめ作品6冊を紹介したい。

『私とは何か 「個人」から「分人」へ』

まずはじめに、エッセイを紹介したい。この『私とは何か 「個人」から「分人」へ』では2014年から現在に至るまでに刊行された平野啓一郎作品の中核をなす概念「分人主義」について解説されている。「分人主義」を理解していれば、このあとに紹介する小説もより深く楽しめるに違いない。

「分人主義」とは、唯一無二の「本当の自分」があるという考え方を否定し、対人関係ごとに見せる複数の顔すべてを「本当の自分」であるとした考え方である。

例えば、家族や恋人と一緒にいる時の自分と仕事先の人と一緒にいる時の自分では、話し方や会話の内容、性格までも少なからず変わるだろう。分人主義ではこの2つの「自分」を対比して家族や恋人と一緒にいるときの自分が「本当の自分」で、職場の人と一緒にいる時の自分は外向けの「嘘の自分」である、などといった考え方を否定して、両方「本当の自分」であると考える。

この「分人主義」の考え方には、この世で生きていくにあたって対人関係から逃れることのできない私達にとって、対人関係に関する課題やモヤモヤを解消するためのヒントがあるように思う。

そんな「分人主義」を履修したところで、早速小説の紹介に入っていこう。

『空白を満たしなさい』

2022年6月にNHKでドラマ化され、話題になった作品。舞台は現代の日本。死んだはずの人間が生き返る「復生者」のニュースが報じられている世界での物語である。3年前に死亡した主人公も「復生者」のひとりであった。生き返った主人公は自分の死因が自殺であることを知らされ、驚愕する。しかし、当時愛する家族に囲まれ、仕事にも打ち込んでいた主人公に自殺する理由などあろうはずもない。自殺に見せかけて誰かに殺されたのではないか? 主人公は自分の死の真実を追う。

私はこの「空白を満たしなさい」という作品から、自分との向き合い方において大きなヒントを得た。

自分のことが大好きだ、と胸を張って言える人は少数派かもしれない。私たちは日々、自分に失望するし、
自分のことが嫌になる出来事にも見舞われる。

しかし、「嫌いな自分」とは果たして自分のすべてだろうか?

探してみれば、「好きだ」と胸を張れる自分もいるのではないだろうか。「嫌いな自分」は数ある自分のたった一面にすぎないのではないか。好きだと思える自分でいられる誰かと一緒にいる時間を軸として生きていけばいいのではないか。

物語の終盤、主人公は自分の死の真相にたどり着く。意外な真相とは何だったのか。自分との向き合い方で悩んだことのある人すべてに知ってほしい。

『ある男』

主人公の里枝には、難病を患っていた次男を2歳の時に亡くし、当時の夫と別れた過去があった。長男を引き取って故郷である宮崎に戻った後「大祐」と再婚し、大祐との間に生まれた女の子も含めた4人家族で幸せな暮らしをしている。

しかし、ある日突然「大祐」が事故で亡くなってしまう。そして悲しみの中にいる主人公に、「大祐」の名前や年齢がすべて嘘偽りであったという衝撃的な真実が突きつけられる。

「大祐」は一体何者だったのか。何故大事な家族に嘘をついていたのか。里枝は真実を追う。

「ある男」を読んで、ひとりの人間を愛するということの複雑性について考えた。ひとりの人間を愛しているというのは一体どんな状態を指すのだろう。そもそも、愛している人をその人たらしめているものとは一体何なのだろう。何故、自分に向けられているたった一面しか知らないこの人のことを愛しているとなんの疑問もなく言えるのだろう。

ストーリーが進むにつれて、きっと大事な誰かとの関係性を問い直したくなる作品だ。

『本心』

2040年代の日本を舞台にした物語である。物語の中では、自由死、いわゆる尊厳死を選択することが合法的に認められている。主人公の青年は、事故で亡くなった母親の「VF(ヴァーチャル・フィギュア)」の作製を依頼する。VF(ヴァーチャル・フィギュア)とはホログラムとAIを組み合わせたもので、特定の人物の姿かたち、声等に似せたホログラムに性格や口癖等も付属のAIに学習させることによって、まるで本人と触れ合っているかのような体験ができるものである。

主人公は母のVFと生活することで、生前に自由死を願った母の本心を知ろうとする。

私たちは、身近な他者、例えば家族や恋人といった人々のすべてを知っていると不遜にも思い込んでしまってはいないだろうか。ひとりの人間を理解しようとするにはあまりにも多くの要素がありすぎる。大事な誰かについて理解しようとすればするほど、その底知れなさを前に呆然とする。

舞台である近未来の様子も非常にリアルで、登場人物に感情移入して小説の世界に入り込むことで世界観を楽しむことができた。

『一月物語』

物語の舞台は明治30年の日本。気鬱を紛らわすためにあてもない旅に出た主人公の青年は、毒蛇に噛まれて瀕死になっているところを僧侶に助けられる。僧侶の住む山奥の寺にしばらく逗留する主人公は、ひとりの女と不可思議で運命的な出会いをする。擬古文で書かれた幻想的な雰囲気の中編小説である。

一月物語は平野啓一郎の初期の作品であり、今までに紹介した他の作品とは全く趣の違った小説である。ストーリーはさることながら、読書体験自体が素晴らしく、非常に豊かなひとときを得ることができた。全体を通して荘厳な擬古文調による豊かな風景描写と細やかな心理描写が美しい。

前半の夢とうつつのはざまを彷徨い続ける幽玄な描写に恍惚と見入り、後半の焼け付くような熱情に駆動されて一瞬で駆け抜けるようなスピード感のある描写には思わず息を呑んだ。

『高瀬川』

小説家と女性編集者の京都での一夜を描く表題作「高瀬川」をはじめ、4編の短編小説が収められている。

母を亡くした少年と不倫を続ける女性の人生が並列して進行する「氷塊」や、幻想的な詩のフォーマットを採用した作品「追憶」等、斬新な技法を用いた作品が肩を並べている。

4つの短編のうち、「高瀬川」と「清水」は京都を舞台にした作品である。この京都の描写が印象的だった。あの独特の湿度、肌にまとわりつくような空気がまさにそこにあるようだった。四作品通じて言葉によってつむがれる光や匂いや温度を感じて、文章でこれほどまでに五感を刺激されることに驚くだろう。

おわりに

はじめに後期の平野啓一郎作品の根幹をなす概念である「分人主義」についての新書を紹介したが、この分人という考え方はもしかしたら小説にも当てはまる考え方ではないかと思う。

その小説がどんな小説であるかは読み手によってきっと変わる。今回紹介した5作品は、それぞれ多くのテーマを含んでいる作品である。私は各作品に触れて、勇気づけられたり考えたりすることが多くあったが、それは私の過去の経験や知識をもって、受け取ったものである。
あなたは何を受け取るか、ぜひ、その目で確かめてみてほしい。

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服と深夜ラジオと文学が好きな会社員です。私の本との接点が、誰かの読書の道標になればいいなあという思いで文章を書いています。