前編・後編では、金沢市内の文学館をご紹介させていただきました。番外編では、金沢を舞台とした作品の中から、そのほんのごく一部をご紹介したいと思います。ここで取り上げた作品以外にも、金沢ゆかりの作品はたくさんあるので、ぜひ探してみてくださいね。
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書を携えよ、旅へ出よ 文学旅行記・金沢編(前編)
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書を携えよ、旅へ出よ 文学旅行記・金沢編(前編)
『病む月』唯川恵
はじめは、金沢生まれ・金沢育ち、生粋の金沢っ子という唯川恵さんの作品から。
『肩ごしの恋人』で直木賞を受賞し、女性の心理を巧みに描くことに定評のある唯川さんは、金沢を舞台とした作品も多く執筆しています。加賀友禅作家との恋愛を描いた『夜明け前に会いたい』もおすすめですが、ここでは全編金沢を舞台とした短編集『病む月』をご紹介します。
女性の本音と現実を巧みに描いた10篇が収録されており、複雑な恋愛のどろどろした感情を描いたものから、じんわりとぬくもりが広がり終わり方に希望が持てるものまで、とてもバラエティーに富んだ短編集となっています。そのリアルさに共感したりぞっとしたり、読者の感情も大きく揺さぶられることでしょう。女の表の顔と裏の顔がテンポよく描かれているため、非常に読みやすいおすすめ本です。
唯川さんは学生時代をずっと金沢で過ごし、その後も地元の銀行に就職して10年間勤めたそうです。作品の中でも、そんな金沢の空気が隅々まで行きわたっており、生の土地の空気を感じることができると思います。金沢の食べ物も要所要所に登場するので、その土地の名物が知りたい!という方もぜひ。
『ボトルネック』米澤穂信
お次は売れっ子ミステリー作家・米澤穂信さんの『ボトルネック』です。
米澤さんは岐阜県出身の方ですが、金沢大学の文学部卒業生です。金沢の街で大学生活を過ごし、作中でも市の中心部の様子が詳しく描かれています。
主人公・リョウは一年前に亡くなった恋人を弔うため、彼女が亡くなった福井県の東尋坊を訪れます。しかし、そこで何かに誘われるように彼自身も崖から墜落してしまい……金沢市内のベンチにて目を覚ますのです。疑問を抱えながらも家に戻ると、そこには見知らぬ女性が。しかも、その人は自分こそがこの家の子供で、リョウのような子供はこの家に存在しないと言います。どうやらこの世界では、彼は「生まれておらず」、その女性は彼の世界では存在しない「姉」ということになるらしいのでした。
『氷菓』に始まる古典部シリーズなどで青春のままならなさときらめきをミステリーと絶妙に絡めて描き、大人気の米澤穂信さん。しかし、この作品では青春の残酷さと絶望がひりひりするようなリアリティーを持って描かれています。出会うはずのない他者に出会うことで、自分が持っていたささやかな矜持がぽっきりと折れてしまう時……人はどういう選択をするのでしょうか。若者の心をえぐる、ビターな青春ミステリーです。
『ユージニア』恩田陸
『蜜蜂と遠雷』で史上初の直木賞&本屋大賞をW受賞し話題となった恩田陸さんの、日本推理作家協会賞受賞作です。とある地方都市K市で起こった、大量毒殺事件。地域でも尊敬され、慕われていた名家・青澤家が襲われたのはなぜ? 阿鼻叫喚の現場で生き残ったのは、たった一人の少女でした。しかし、彼女は幼少期に視力を失っていたのです――。
物語は様々な人の証言から、じわじわとその輪郭をあらわにしていきます。事件に取材した本を執筆した女性に始まり、現場で毒を飲むも生還した青澤家のお手伝いさん、この事件を担当した老練な刑事、犯人と目されていた青年と親しくしていた男性、などなど。しかし、話が進めば進むほど、事件はたった一人の女性の話へと戻っていきます。その女性とは、青澤家で唯一生き残った少女・緋紗子。その美しさと気高さで人を引きつけずにはおかない彼女は、事件後の取り調べで、いきなり「青い部屋」のことを話し出しました。なぜ、目の見えない彼女は視力があった頃の話をし始めたのか。そして、現場に残されていた詩のような文面にある『ユージニア』とは一体なんなのか?
作中ではK市とあるのみで金沢という地名は出てきませんが、日本海側の気候、二つの川とひとつの丘という地理、そして兼六園をはじめとした観光名所など、舞台となった金沢の土地が見事に描写されています。また、物語のキーとなる「青い部屋」は、兼六園内の成巽閣に実際にある「群青の間」とつながり、意外な様相を展開します。フィクションと土地が混ざり合う不思議なミステリー体験を、ぜひご一読ください。
『金沢』吉田健一
吉田健一は文芸評論家・英翻訳者・作家で、内閣総理大臣であった吉田茂の息子です。金沢を愛した文学者としても有名で、48歳から65歳で死ぬまで、毎年金沢を訪れていたほどでした。
そんな吉田がこよなく愛した土地の名前を冠したのが、この小説です。金沢の路地にさりげなく家を構え、銘酒に酔い、土地の食べ物に舌鼓を打ち、焼き物を眺め、人々と語らう内山という男。しかし、さて、彼がこうした時を楽しんでいるのは、本当に金沢なのでしょうか? 内山は時間も距離も飛び越え、中国風の高楼にいたかと思えばフランスの館でお茶を飲み、郊外の珍味を出すという店に行ったかと思えば森の中におり、次々と仙人的な境地に遊びます。全く具体的でないイメージに富んだ不思議な会話、うねるような酔うようなぐにゃぐにゃした文体、そして赴いてはいつのまにか帰っている自由自在の風景たち。既存の文学を悠々と飛び越え、大きな力に身をゆだねて世界を味わうその境地は、しかし吉田が愛したもっとも純粋な金沢の姿なのかもしれません。
一文が長く意味があいまいという独特の文章は、好き嫌いが分かれるかもしれません。しかし、その文体だからこそ描ける時間感覚をぜひお楽しみいただきたいところです。ありふれた文章に飽きてきたという方に、特におすすめ。
おわりに
以上、『書を携えよ、旅へ出よ 文学旅行記・金沢編(番外編・金沢ゆかりの作品の紹介)』でした!
金沢ゆかりの作家の文学館、そして小説作品はいかがでしたでしょうか。実際にその土地へ行ってみることで、より作品の雰囲気がわかることも多いことと思います。また、すでに読んでいる作品でも、実際にその土地へ行ってみたあとで読み返してみると、新たな発見があるかもしれません。
今現在は旅行に行くこと自体がなかなか難しいご時世ですが、その土地の文化や風土を描いた作品を読んで、本での旅行を味わうのも一つの楽しみだと思います。その旅行に、この記事がお役立てできれば嬉しく思います。