世の中にはたくさんの小説指南書が存在するが、松岡圭祐の『小説家になって億を稼ごう』は異色の指南書だと言える。
というのも、ほとんどの小説指南書にはプロットの立て方や新人賞の一次選考に通りやすい書き方などに多くのページをあてる。むしろそれらの説明がメインになると言っても良いかもしれない。
しかし本書はそのいずれにも深く言及しないし、小説の創作作法についても独特。
更にはデビュー後の心構えから編集者との付き合い方、ベストセラー作家になった後の映画化やドラマ化への対応の仕方まで話は及ぶ、ユニークな小説指南書だ。
小説の執筆が中々捗らない作家志望者や、これから小説を書いていきたいと考えている人には必読の書だと言える。
松岡圭祐について
松岡圭祐は1997年にホラーサスペンス小説『催眠』でデビューした後、瞬く間にベストセラー作家となった。当時は鈴木光司著『リング』が話題になり空前のホラーブーム。後発のホラー作品は『リング』の影響を受けざるを得ないような雰囲気の中、松岡氏はまったく異質のホラー作品を打ち出したと言える。『催眠』はまたたく間に話題になり映画化、ドラマ化された。
その後も『千里眼』『万能鑑定士Qの事件簿』などヒット作を発表。ホラーやミステリー、時代小説などジャンルの垣根を超えた創作活動を続けている。
しかし松岡氏はなぜここまであらゆるジャンルの作品を書き上げ、いずれも完成度の高い作品にすることができるのだろうか。しかもそのほとんどがベストセラー作品である。
「小説家は儲からない」は嘘
松岡氏は本書のまえがきで唐突に、「当面の目標は一億円以上に置いてください」と述べる。多くの作家志望者はこの言葉に驚くかもしれない。
そもそも小説家は儲からない。なぜなら現代人は本を読まなくなったため、出版業界は不況に陥り本が売れなくなったから。中でも小説などはもってのほか。最も過疎化しているジャンルだ。こういった話は作家志望者なら一度は耳にしたことがあるはず。
しかし松岡氏は本書で、「小説家が儲からないのは嘘」と主張する。
「本当は小説家は儲かる」という事実について、実際に儲かっている当事者らは沈黙を守りがちです。しかし「小説家は儲からない」という風説ばかりが広まると、せっかくの才能のある人々が小説家になるのを断念してしまいます。それは文学全般をつまらなくし、出版不況に拍車をかけてしまいます。
松岡圭祐『小説家になって億を稼ごう』p.5
この言葉だけでも松岡氏が多くの作家と異なる主張をしていることは明白である。要するに小説は儲かるし、儲けることを肯定するべきだということを言っている。
そもそも「文芸」とは、言語によって表現された芸術表現のことを言う。そのため小説が「芸術」であるという考えに間違いはない。そして芸術の世界においては、金儲けは邪道だという考えをもっている人も一部に存在する。松岡氏はその点について理解を示しつつ、まずは商業的に稼げる作品を書き、一方で自分の好きな小説も書いてはどうかと提案しているのである。
小説を「ビジネス」と「芸術」とに分けて考える、というスタンスをとる作家は松岡氏だけではない。おそらく三島由紀夫も同じような観点に立って小説をうまくを書き分けていた。
三島由紀夫は『金閣寺』や『禁色』、『豊饒の海』といった純文学作品(芸術)を書く一方で、『夏子の冒険』や『命売ります』といったエンタメ作品(ビジネス)も多く発表していた。そのため三島は、大衆の間での知名度をあげ、小説で「金儲け」する一方で、自身の本領である純文学作家としての活動も続けて世界的名声を得たのである。
松岡圭祐の小説作法「想造」とは
松岡氏の提唱する創作方法は独特である。著者は小説指南書でよく見かける「アイデア」「プロット」「ストーリー」という、起承転結の理論を前提にした方法は既に手垢がついていると述べる。読者は常に変化しているため、現代の読者はより純粋で直情的だと分析した上で、技巧にとらわれない「想造」という方法を示す。
この「想造」というのは「想像」や「創造」とは違い、「空想に浸る」という意味である。つまり脳内で物語を進行させること。作家志望者である以上、みな空想することは得意なはず。小説作りの肝は執筆ではなく空想、すなわち想造にあると松岡氏は主張する。
本書の一番の見所はこの創作方法だろう。松岡氏は読者に、まず好きな俳優を七人選び、顔写真をネットからダウンロードするように述べる。男女比も明確に四対三と決まっているところがわかりやすい。男女のどちらをひとり多くするかは作者の自由。更に画像をWordに貼り付け、趣味や特技、性格など大雑把で構わないので書き込んでいく。
サブのキャラクターは七人ではなく、五人と決まっているようだ。メインキャラクターと同じように俳優の顔写真をダウンロードしていく。更に舞台設定となる風景写真を三枚プリントアウトする。その後人物と風景写真を普段に目に入る壁に張り付ける。壁には何も書き加えず、因果関係などのメモもとってはならない。
あとはひたすら毎日、それらの写真を眺めることに徹する。すると次第に情景が浮かび、人物は自発的に動き出し、お互いに会話を始める。現代を生きる私たちは、映画やアニメ、ドラマなど多くのフィクションに触れている。作家志望者であれば更に多くのフィクションに触れているはずである。そのため、こうした「想造」を続けていれば必ず登場人物に命が宿り、物語は動き出すのだと松岡氏は述べる。しかし、物語が動き出しても、結末が見えるまでは決して何も書いてはならない。脳内で物語の冒頭から結末まで目で追えるようになってから始めて執筆に取り掛かるのだと。プロットはその後。しかも結末から順に出来事の因果をさかのぼっていく「逆打ちプロット」という方法が効果的なようだ。
これらの内容だけでも、いかに従来の小説指南書と比べて異質であるかがわかる。
デビュー後の指南について
本書の目標は小説の創作方法を指南することだけではない。目標は更にその先、億を稼ぐベストセラー作家になること。そのため、デビュー後の活動の仕方についても詳しく書かれている。これもこれまでの小説指南書にはなかった点だろう。
松岡氏はデビュー直後に行う手続きについて、つまり開業届けや確定申告、作家協会への入会まで細かく説明する。さらには、編集者との付き合い方といったかなり実務的な話まで細かく展開されていく。著者は読者に向けて、創作方法だけに限らず、デビューした後の未来をよりリアルに想像するように促しているのである。
まとめ
本書は創作方法を記した指南書であり、同時にビジネス的な実用書である。私はこれまで多くの小説指南書の本を読んできたが、創作方法からデビュー後に行うこと、更にはベストセラー作品執筆後について書かれた指南書は一冊もなかった。松岡氏は言う。
人それぞれに個性があり、みな特別な存在です。貴方が『想造』によって紡ぎだした物語は、貴方の性格や経験、知識、嗜好などが結合した、けっして他人には想像しえないものになります。面白くないはずがありません
松岡圭祐『小説家になって億を稼ごう』p.39
ただの金儲けのための指南書では決してない。松岡氏は作家志望者の人生や個性を尊重する。本書には氏からの、将来作家になるであろう読者への熱いエールを感じる。また、本来なら企業秘密に該当するであろう創作方法を余すところなく公にされた、貴重な小説指南書であることは間違いない。