藤井太洋『ビッグデータ・コネクト』が示す、ディストピアへ至る道

こんにちは。文芸サークル『思ってたより動くメロンパン』の新士悟です。

今回は昨年4月に刊行された、藤井太洋氏の第4長編『ビッグデータ・コネクト』の紹介をさせていただきます。

まずは著者の紹介から。
藤井氏の商業デビューは2012年、朝日新聞出版『小説トリッパー』に掲載された『UNDER GROUND MARKET』という短編小説です。その後、2013年に早川書房から初の文庫本『Gene Mapper –full build-』を出版。2015年には第2長編『オービタル・クラウド』で第35回日本SF大賞、第46回星雲賞(日本部門)を連続受賞。さらに同年、日本SF作家クラブの会長に就任されています。

このように不断の快進撃を見せる藤井太洋氏ですが、実はデビューの少し前から氏の名はある界隈ですでに話題となっていました。

2012年、ソフトフェア会社に勤務していた藤井氏は、通勤時間などを利用して執筆した『Gene Mapper -core-』を電子書籍で自己出版しました。同作は氏の処女作にも関わらず、他の商業作品を押さえ、2012年のkindle本年間ランキングにて『小説・文芸部門』の1位を獲得するという快挙を成します。

これの何がすごいかというと、ランキング首位を勝ち取ったことは勿論、そこに至るまでの過程すべてが、藤井氏一人の手によって行われたということです。つまり、執筆、編集、出版、さらに宣伝までをご自身で担当され、それでいてしっかり成功するという、まさに超人なのです。

近年、日本でも徐々に電子書籍市場が拡大を見せており、個人による電子出版も現実的になりつつある中で、一つの成功例を打ち立てた功労者と言えるでしょう。

(早川書房より出版された『Gene Mapper –full build-』は自己出版時の『Gene Mapper -core-』を大幅加筆したものになります。)

エンジニアの書いた警察小説

big-data

 

そんな藤井太洋氏の第4長編が『ビッグデータ・コネクト』です。

京都府警サイバー犯罪対策課の万田は、お披露目間近の官民複合施設『コンポジタ』のシステム開発を指揮していた月岡の誘拐事件を担当することになる。
捜査を進めるうちに、かつて世を賑わせたPC遠隔操作事件にて冤罪の汚名を着せられたハッカー、武岱修(ぶだいおさむ)の関与を匂わせる情報が上がってくる。かつて捜査員として武岱の取り調べを担当していた万田は、監視の狙いも併せ、武岱に捜査協力を申し入れる。そんな万田の前に現れたのは、整形によりまるで別人に変化した武岱の姿だった。

果たして、武岱は本当に事件に関与しているのか?

ITエンジニア誘拐事件の真相とは?

行政サービスの民間委託計画の陰に何が潜んでいるのか?

ビッグデータ時代のサイバー犯罪を描いた新時代の警察小説です。
文庫本のあらすじにも「ITを知りつくした著者が描く」と銘打たれているのですが、確かに本書のIT描写には目を見張るものがあります。エンジニア出身ということで、現場の状況を熟知した上でのシナリオ展開がなされています。警察モノとしての魅力は勿論、作中で『エンジニアの地獄』とも呼ばれた現場環境の描写もリアル。現役のITエンジニアが読めば、いっそう深い感情移入が可能なのではないでしょうか。

しかし、ITに疎い人間にも理解しやすい見せ方を工夫してくれるのが、藤井氏の作品の魅力でもあります。
PC遠隔操作事件や、ベネッセの個人情報流出事件、マイナンバー制度、武雄市図書館のTSUTAYAによる民営開始など、現実に世間の話題に上った出来事を出発点として、将来起こり得る問題を分かり易く描いています。

「いま、ここ」に根差していることで、読者に「他人事ではない」という意識を持たせ、作品世界に没入させてくれるのです。

ディストピアSFの一歩手前を描く

本作品の核となるのは、官民複合施設『コンポジタ』の存在です。
コンポジタ内には図書館やフィットネスクラブ、カフェ、各種クリニックなどが併設されており、それらを利用することで民間企業『TAC』が運用するタックカードにポイントが溜まっていきます。
施設の利用は他の市町村の人間でも可能で、マイナンバーカードとタックカードを用いることで簡単に登録できるシステムとなっています。

ここで問題となるのが、公的サービスであるマイナンバーカードの情報が民間のタックカードに紐づけされてしまう、という点です。行政手続番号を難読化したものを書きこみ、個人情報の基本セットは利用者の同意なしには『TAC』に送信することはない、という規約を設定することで、法的には問題のない仕組みが作品の中で構築されています。ところが、この官民の結びつきが後の展開で監視社会のインフラへと化けていきます。

そして本書最大の魅力は、その「化けていく過程」を描いているところにあると私は思います。

世の中にディストピアSFは数多く存在します。たとえばジョージ・オーウェルの『一九八四年』などが有名ですね。それらディストピアSFの多くでは、高度な科学技術を駆使した監視体制が構築されており、その中で生きる人々の苦悩が描かれます。

国中に監視カメラが設置され、行動が体制に把握され続けている。

認証カードなしには買い物も満足にできない。

インターネット上でどのような事柄を検索し、SNSでどのような人と繋がっているのかという情報を収集され、反体制的な発言をすることもできない。

数々のディストピアの様子が小説として描かれ、生み出されてきました。
それらの監視社会を実現させているのは高度に発達したIT技術。
では、そのIT技術は「どのような」人たちの手で形作られ、「どのように」維持されているのか。その点が注目されることは案外少ないのではないでしょうか。

大規模なシステムの運用には膨大な人員が必要となります。完全新規の案件ともなれば、エンジニアに掛かる負荷も多大なものとなるでしょう。
上記でも触れましたが、本書では『エンジニアの地獄』とも呼ばれる過酷な労働現場が紹介されます。

上部からたらい回しに降りてくる大量の業務。

労働者として必要とされなくなる恐怖。

コードに紛れ込む悪意の種。

ディストピアの構築には、そういったある種の泥臭さが根底に存在する。
そう想像させてくれる作品が私にとっての『ビッグデータ・コネクト』でした。
ディストピアSFの一歩手前。そこに至るまでの過程と、それを阻止しようと奔走する刑事たちの熱いドラマ。これを読み逃す理由はありません。

まとめ

今回は藤井太洋著『ビッグデータ・コネクト』の紹介をさせていただきました。
本作品に限らず藤井氏の作品は魅力的なものばかりなので、もし今回の記事で氏とその著作に興味を抱いていただけたなら幸いです。

個人的に『Gene Mapper -full build-』は必読の傑作だと思うので、併せてオススメしておきます。特にエンジニアの方には是非読んでいただきたい作品です。
私は一切コードの書けない人間ですが、存分に楽しめました。
あれ以上の読書体験が得られるのかと想像すると、エンジニアの方が羨ましい限りです(笑)

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