口に出して読ませたくなる日本語『曽根崎心中』

こんにちは、『思ってたより動くメロンパン』の真実無目むゆです。

前回に引き続き、日本の古典文学に関する記事です。

『曾根崎心中』のリズム

眼もくらみ、手も震え、弱る心を思い直し、脇差を取り直しても、なお震え、突こうとはするが、切っ先はあちらへはずれ、こちらへそれ、二、三度ひらめく剣の刃、「あっ」とおはつの一声とともに、喉笛にぐっと通るがいなや、「南無阿弥陀、南無阿弥陀、南無阿弥陀仏」と、

(近松門左衛門集『新編日本古典文学全集』小学館 p41‐42 より引用)

これは、江戸の美文と名高い、近松門左衛門作『曾根崎心中』の最も盛り上がるクライマックス、徳兵衛とおはつの二人が世をはかなみ心中する場面の一部分です。

これは口語訳ですが、それでも最期を迎える2人の壮絶さが伝わってくるように思います。

それでは、この部分を原文で見てみると、どうなるでしょうか。

眼(まなこ)もくらみ、/手も震ひ、/弱る心を/引き直し、/取り直しても/なほ震ひ、/突くとはすれど、/切先は、/あなたへはづれ、/こなたへそれ、/二三度ひらめく/剱(つるぎ)の刃(は)、/あつとばかりに/喉笛に、/ぐつと通るが、/南無阿弥陀、/南無阿弥陀、/南無阿弥陀仏と

(近松門左衛門集『新編日本古典文学全集』小学館 p41‐42 より引用)

/(スラッシュ)は実際は原文にはなく、私が後から加えたものです。

では、みなさん、このスラッシュで区切りながら文を声に出して読んでみてください。

 
 
 

…………

 
 
 

…………

 
 
 

YO! YO!

 
 

眼もくらみ! 手も震ひ! YO!

 
 

弱る心を、引き直し! YO!

 

 

と、思わず口ずさみたくなりませんか?

ちなみに、私はなります。

最後辺り少し苦しいような気もしますが、この文章、実はだいたい七五調のリズムになっていて滑らかに口ずさむことが出来るのです。

江戸期の他作品のリズム

それでは、こうした散文の中のリズムは『曾根崎心中』や、その作者である近松門左衛門に特有のものなのでしょうか。

……実は、これ以外にもあるんです。

又義実(よしさね)も/いふがひなし、/赦(ゆる)せといひし、/舌も得引(えひか)ず、/孝吉(たかよし)に/説破(ときやぶ)られて、/人の命を/弄ぶ。/聞(きき)しには似ぬ/愚將也(なり)。/殺さば殺せ。/児孫(うまご)まで、/畜生道に/導きて、/この世からなる/煩悩の、/犬となさんと/罵れば

(『南總里見八犬傳』本文テキストデータ第六回 より引用)

言わずと知れた名作『南総里見八犬伝』(曲亭馬琴)です。

義実は玉梓という稀代の悪女を捕えるものの、一度は彼女を許そうとします。しかし、家臣からの諌めによって玉梓を処刑すると決めます。玉梓は義実を深く恨み、彼と彼の子孫に永遠の呪いをかける。八犬士をめぐる全ての物語がここからスタートする、『八犬伝』中でも屈指の名場面です。

ここでもやはり、口に出すとリズムを感じることができます。

次は、私がいろいろとリズム探しをしてきた中で、最もノリノリで口ずさむことができた珠玉の一節、キングオブ・七五調を紹介します。

帰名頂礼(きみょうちょうらい)/立山(たてやま)の、/賽(さい)の河原の/地蔵尊、/十よりうちの/をさな子が、/小石を集めて/塔に組む、/一重(じゅう)つみては/父の為、/二重(じゅう)つみては/母の為、/三重(じゅう)つみては/兄弟の、/我身(わがみ)の為を/つむときは、/呵責(かしゃく)の鬼が/かけ来たり、/組みたる石を/踏みくだく。

(繪入文庫第十九巻『千代曩姫七変化物語・阥阦妹背山』p190より引用)

完璧ですね。隙のない七五調。

初めて見た時は惚れ惚れとしてしまいました。

これは進鷺亭主人(しんろていしゅじん)作『千代曩姫七変化物語(ちよのうひめしちへんげものがたり)』という読本の一文です。

かなりマイナーな作品のため悩みましたが、あまりに凄い出来だったのでついつい紹介してしまいました。

リズムに乗ってポップに読み上げることの出来る一文ですが、内容は、幼くして死んだ子供が送られる賽の河原について述べたとても重いものになっています。

この場面も、二人の姉弟が母の仇に捕えられて涙をこらえる、という物語で重要な部分になっています。

こうして見ていくと、江戸の小説家(当時、今でいう小説という言葉はないけれど)たちは、物語の大事な盛り上がる場面において、散文の中に韻文を仕込んでいたのではないかと思えてきます。

散文と韻文の混在

ここまでに挙げたいくつかの作品は、韻文っぽくなってしまうだけの理由がそれぞれにあります。

例えば、『曾根崎心中』の作者・近松門左衛門は浄瑠璃作者で、浄瑠璃では物語は声に出して読みあげられます。『南総里見八犬伝』の曲亭馬琴は、『平家物語』や『太平記』のような軍記物の語り口調を意識していたようです。「祇園精舎の鐘の声~」から始まる冒頭は韻文を意識したものになっていますよね。また『千代曩姫七変化物語』の振鷺亭主人は、自らの作品に歌舞伎の筋を取り入れることを得意としていました。

しかし、このようにリズムを意識する理由があるからといって、散文の中に韻文の要素を取り入れようとすることは現代ではなかなか考えられません。

現代の日本では韻文なら詩・短歌・俳句、散文ならば小説、といった具合にはっきりと分離しているものが、今からたった150年ほど前まではその2つが混在していたのかもしれませんね。

小説をメインに執筆されている方も詩・短歌・俳句といった韻文にたまには触れてみてはいかがでしょうか。また、さらにそこから一歩踏み込んで、小説の一番盛り上がる場面をリズムに乗せて書いてみるのはどうでしょうか。

……かなり難しいとは思いますが。

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