仮構された青春――太宰治『葉桜と魔笛』論――

【梗概】

 五月の半ば、新緑のまぶしい頃、日本海海戦の音が聞こえてくる。妹の看病のことで半狂気の有様であった姉には、それが地獄で打ち鳴らす太鼓の音に聞こえた。草むらで泣き続け、日が暮れかけたころに帰宅すると、妹が呼ぶ声がする。応じると、枕元の手紙がいつ来たものであるかを問われる。この手紙は、妹の文通相手であったM.Tを装い、姉である語り手が書いたものであった。
 妹の身辺を整理していた語り手は、緑色のリボンをかけたM.Tからの手紙の束を見つける。うれしさや胸の疼くような気持ちを感じながら、語り手は手紙を読み進めていく。しかしながらM.Tは、妹が身も心も捧げたにも関わらず、妹の先がもう長くないことを知ると別れを告げたのである。語り手は妹を不憫に思い、M.Tを装い、妹に宛てて手紙を書いたのであるが、妹は知らない人からの手紙だと言う。妹を憎く思いながら、手紙を読み上げると、妹は文通そのものが妹による虚構であったことを明かし、青春へのあこがれを告白する。妹をあわれみ、語り手が妹を抱きしめると、姉が書いた手紙のなかで約束された、軍艦マアチの口笛が、約束の時刻である六時ちょうどに聞こえて来る。姉妹は口笛の音に畏怖のような気持ちを感じつつ、口笛に聞き入り、神さまの存在を確信する。
 三十五年経った今から思えば、自分たち姉妹を哀れに思った父の仕業だったのではないだろうかと思うこともあるが、やはり神さまのお恵みと信じて安心していたい。年を取ると、信仰が薄らいで来て、恥ずかしく思うと、語り手である老夫人は語りを終える。

序論――作品の成立と研究史の流れ

 『葉桜と魔笛』は、雑誌「若草」(一九三九年・六月)に掲載されたのち、単行本『女性』(博文館・一九四二年六月)に収録、刊行された。一九三九年の太宰は、津島美知子との結婚後、その年の九月までは山梨県甲府市御崎町に居住しており、成立の状況については、津島美知子『回想の太宰治』(講談社文芸文庫・二〇〇八年)に次のように書かれている。

 四月太宰が書いた「葉桜と魔笛」(「若草」十四年六月号)は私の母から聞いた話がヒントになっている。私の実家は日露戦争の頃山陰に住んでいた。松江で母は日本海海戦の大砲の轟を聴いたのである。発表後この小説のことを井伏先生がほめてくださったそうで、太宰はふしぎだ、意外だと言っていた。
 「若草」は文学好きの若人を対象とする文芸雑誌で、(中略)「若草」の読者に向くような題材を選び、掲載誌の発売される葉桜の季節を考慮して爛漫の春にこのロマンを執筆したのである。

(「御崎町」二七頁。傍線は筆者による。以下同様。)

 津島美知子は、彼女の「母から聞いた話がヒント」であるとしたうえで、「松江」で「日本海海戦」の「大砲の轟を聴いた」という母の話を作品に取り入れたことが分かる。「山陰」、「松江」という場所がそのまま作品に採用され、「日本海海戦の大砲の轟」を聴く当時二十歳の女性という人物形象に至ったと考えられる。また、「『若草』」の読者層についても触れており、「文学好きの若人」に好まれる「題材を選び」作品を書いたとあることから、奥野健男氏が指摘した、「健全な生活の中で、明るい小市民的な作品をめざす」1態度から出た作品と言えるだろう。つまり、本作はあくまで「文学好きの若人」に受け入れられる作風を試みたものであり、読者に対して太宰治の像を編むことを誘導しない。従来の発表作とは決定的に異なり、作家個人の経験を基盤として、作品を編むという私小説的な態度とは異なった背景から成立した作品であることが指摘できる。
 『太宰治大事典』においては、「評価」として佐々木啓一氏による『太宰治 演技と空間』(洋々社 一九九八年)「Ⅱ 浮遊空間と美少女――演技する太宰治――」から、『葉桜と魔笛』論が紹介されている。
 佐々木啓一氏は論の中で〈家族〉という構造がそもそも虚構的であることを指摘し、「母性原理を欠いているという裏目の部分」2がすべて妹に引き受けられてしまうことに触れたうえで、妹の手紙が果たす役割について次のように述べている。

 事実は、全くの「きれいな少女」として死んだのであるが、虚構の手紙のなかの「心だけのものではなかつた」という印象は、リアルな意味を持っている
このリアルな意味が、父に対する、母不在の家庭に対する最後の抵抗であった。

(八三頁)

 氏は、「母性原理」を欠いたことによって生じる不都合のしわ寄せが、妹に引き受けられることを指摘し、「きれいな少女」であるはずの妹によって「心だけのものではなかつた」恋を演じさせることが、父に対する抵抗の意味を持つと捉えている。さらに、家族という虚構の上で、姉妹によってなされる虚構の恋愛が、最終的に信仰へ行き着くという点を「太宰の真剣な生き方と、魂の安らぎ」3の表出ととらえ、論を結んでいる。作家論に帰結するきらいがあるものの、佐々木啓一氏の論は、〈家族〉という虚構において母の像を強制される姉と、「母性原理」の欠落による不都合を引き受けざるを得ない妹という構図を導き出した点で興味深い。
 廣瀬晋也氏は「戦争というフレーム・芥川の菊と太宰の葉桜[芥川往還Ⅰ]」(日本近代文学会九州支部「近代文学論集」一九九七年)で、芥川龍之介『舞踏会』を踏襲した構造であり、時代背景に作品を引き付けた読みを展開した。
 神谷忠孝氏は、佐々木啓一氏の論について、「虚構の中にこそ真実があるという太宰の持論にひきつけた読み」4と捉え、太宰の信仰を考える糸口としての作品の切り口を示したうえで、モーツァルトの「魔笛」、ブロンテの「ジェーン・エア」との関連を示唆している5。また、作品生成の課程については、三谷憲正氏が「「葉桜と魔笛」評釈㈢」の中で「ジヤネツト・マアクス「郭公」」と構図の類似を指摘しているほか、作中に用いられる「軍艦行進曲」について詳細な評釈を行っている6
 さらに、木村小夜氏は、作品生成の課程で尾崎一雄『ささやかな事件』が少なからず影響していると指摘している7。木村氏は、『葉桜と魔笛』掲載号の『若草』に同じく掲載された『ささやかな事件』が、『若草』が初出ではないこと、津島美知子の実家である石原家の女性たちが尾崎一雄の読者であることの二点を指摘し、『葉桜と魔笛』の構造は『ささやかな事件』の構造を「意識」8したものであると結論付ける。また、この二作品の構造の類似について、次のように捉えている。

 快癒に向かう兄がまだ始まりもしない弟の恋路の可能性をつぶす「事件」と、死に向かう妹の虚構の恋の終わりを姉がそうとは知らず新たな再生へ導こうとする「葉桜」。例えばこう要約すれば、二つの物語はその初期設定からして正反対を向いているかに見える。(中略)しかし、弟妹の恋に関与する兄姉が、親代わり的な建前の立場と共に、その若さや実際の立場から来る本音を併せ持ち、双方の間で揺らいでいる点は、同じであった。

(木村小夜「「葉桜と魔笛」と尾崎一雄「ささやかな事件」」 五―六頁)

 『葉桜と魔笛』と『ささやかな事件』の二作は、構造を一つにしつつ、「正反対」の方向へ展開する物語であるとしながら、「親代わり的な建前」と「実際の立場から来る本音」の間で揺らぐという共通点を見出している。加えて、成立状況を「明確に辿ることは難しい」と断ったうえで、尾崎一雄が「志賀直哉的リアリズムの小世界から得られた」諸要素を「極めてフィクショナルな世界へと飛躍」させた9作品であると捉えている。
 『葉桜と魔笛』における研究史は、木村小夜氏の論以降、作家にまつわる背景を読解の中心に据える態度から、作品そのものが何を語るのかを明らかにする態度による受容へと変化していったと言えるだろう。一方で、「極めてフィクショナルな世界」を表現した本作が、姉の〈語り〉による回想という結構を取るにもかかわらず、姉妹による虚構、つまり〈語り手〉の回想部分にのみ焦点を絞って論じられている点は、作品の受容において見渡すべき全体像を曖昧にしてしまったという意味においては看過できないだろう。本稿では、本作の語りに着目し、「老夫人」の回想が、どのような意図に添って展開されたかを明らかにしたい。


一 「老夫人」の語りの構造とその特質

 本作は、前述したように、女性の独白文体で書かれている10。さらに、「いまから三十五年まへ」11とあることから、作品の中心となる姉妹のやり取りは回想であることが分かる。
 作品は、主に①老夫人の語り始め、及び、姉妹のおかれた境遇を語る序盤から、妹が手紙を受け取った事を姉に知らせるまで、②妹の言葉を契機として、手紙についての事情が述べられる部分、③姉による手紙の読み上げから「軍艦マアチ」12の口笛が聞こえるまで、④回想から小説的現在へと時制がもどり、「信仰」13へ言及する終盤の四つに分けることが出来る。
 すなわち、本作は小説的現在から姉妹のおかれた状況へさかのぼり、さらに手紙についての回想をはさんで、姉妹の間に起きた事件を語り、小説的現在へと戻るという、回想が回想を招いて展開するという構造を取るのである。
 さらに、〈語り手〉である姉には、次のような言い回しが多用される点にも着目するべきであろう。

妹は、何も知らず、割に元気で、終日寝床に寝たきりなのでございますが、それでも、陽気に歌をうたつたり、(中略)これがもう三、四十日経つと、死んでゆくのだ、はつきり、それにきまつてゐるのだ、と思ふと、胸が一ぱいになり、総身を縫針で突き刺されるやうに苦しく、私は、気が狂ふやうになつてしまひます。

(三五二頁)

 姉の語りは、「はつきり」「きまつてゐる」という極端な認識、「総身を縫針で突き刺される」という皮膚感覚を伴う比喩を経て、「気が狂ふやう」という精神的な状態をわれわれ読者へ提示する。引用に続けて、姉である〈語り手〉が「身悶えしながら」14歩く様子、「突然わあつ! と大声が出て」15泣き出す様子が語られており、彼女は〈語り〉を聴く者である読者に対し、〈姉妹の間に起きた事件〉のみならず、〈語り手〉である姉自身をも語りの対象として、非常に具体的なイメージを伴いながら語るのである。
 安藤宏氏は『太宰治 弱さを演じるということ』(ちくま新書 二〇〇二年)の中で、太宰の女性による語りを、「刹那的、直感的な生活感覚」16と分析している。引用した箇所のみを参照しても、「総身を縫針で突き刺されるやう」な苦しさなどは確かに「直感的」と言え、「突然わあつ! と大声が出」る様子などは、瞬間的な様子の描写であることからも「刹那的」と言えるだろう。さらに、氏は同著の中で、「傷つくことへの恐怖」によって「へだたり」を作る男性に対置された語りとして、女性独白文体を捉えた17うえで、『猿面冠者』(一九三四年)を例に挙げて次のように指摘する。

 小説家志望の〈男〉の自意識過剰と、〈理屈はないんだ、ふつと好きなの。〉という少女のことばと。
 (中略)「自意識過剰の饒舌体」と「女性の一人称告白体」とは、太宰の小説を支える重要な二つの文体なのだが、実はこの両者は盾の両面をなしており、片方が常にもう片方を導き出していくような関係にあったのではないだろうか。執拗に自己対象化に拘泥する饒舌体と、これを放擲し、自由に生きることを説く告白体と――(後略)

(一九五頁)

 男性の語りを、「傷つくことへの恐怖」から自己開示を避け、「へだたり」を生む語りととらえ、そうした語りを「自己対象化に拘泥する饒舌体」と規定する。しかしながら、『葉桜と魔笛』においては、女性独白文体の作品であるにもかかわらず、「自意識過剰の饒舌体」とされる男性の語りと、「刹那的、直感的な生活感覚」とされている女性独白文体の二つが共存している。「盾の両面をなしている」はずの二つの文体が、一人の語りの中に存在している本作は、氏の定義するところの構図とはずれが生じているのである。
 この「両面をなしている」はずの文体が共存する箇所として、姉の語りにおいて、「刹那的、直感的な生活感覚」と「自己対象化に拘泥する饒舌体」が混在する箇所を引用する。

私も、まだそのころは二十になつたばかりで、若い女としての口には言へぬ苦しみも、いろいろあつたのでございます。(中略)去年の秋の、最後の一通の手紙を、読みかけて、思はず立ち上がつてしまひました。雷電に打たれたときの気持つて、あんなものかも知れませぬ。のけぞるほどに、ぎよつといたしました。妹たちの恋愛は、心だけのものではなかつたのです。(中略)けれども、その事実を知つてしまつてからは、なほのこと妹が可哀さうで、いろいろ奇怪な空想も浮かんで、私自身、胸がうづくやうな、甘酸つぱい、それは、いやな切ない思ひで、あのやうな苦しみは、年ごろの女のひとでなければ、わからない、生地獄でございます。まるで、私が自身で、そんな憂き目にあつたかのやうに、私は、一人で苦しんでをりました。

(三五五頁)

 以上が妹自身の作り上げた虚構であることを知らず、「M.T」を実在の人物として認識したままに手紙を読んだ当時を振り返って語られる、姉の様子である。
 「妹たちの恋愛」が「心だけのものではなかつた」ことを知り、「思はず立ち上がつ」た箇所、「のけぞるほどに、ぎよつ」とする箇所などは、瞬間的な身体動作であり、また身体動作によって導かれる「雷電に打たれたときの気持」という例えは、受けた衝撃に対して「直感的な生活感覚」がもたらす、感情の言語化であると言える。
 一方で、「思はず立ち上がつて」以降に「立ち上がつ」た理由や様子を二度にわたって説明している。さらに、続く「いろいろ奇怪な空想も浮かんで」以降では、「苦しみ」の形容が「胸がうづくやうな、甘酸つぱい」と言い換えられ、「生き地獄」という極端な比喩を用いて説明する。
 以上のように、二転、三転して自らの感情に対する形容を試み、あらゆる言葉を尽くして胸中を明らかにしていく姉の語りは、まさに「自己対象化」による「饒舌体」であると言えるだろう。本作は、女性独白文体による作品であるにもかかわらず、安藤宏氏が指摘した「〈男〉の自意識過剰」と「少女のことば」とが混在しているのである。


二 『葉桜と魔笛』の示す空間

 これまでに考察した語りの構造が作品に採用された目的について、本作の空間を考察することで明らかにしていきたい。次に、作品冒頭部の回想を引用する。

 (前略)父は、私十八、妹十六のときに島根県の日本海に沿つた人口二万余りの或るお城下まちに、中学校長として赴任して来て、恰好の借家もなかつたので、まちはづれの、もうすぐ山に近いところに一つ離れてぽつんと建つて在るお寺の、離れ座敷、二部屋拝借して、そこに、ずっと、六年目に松江の中学校に転任になるまで、住んでゐました。

(三五一頁)

 〈語り手〉である姉の回想の序盤で、家族が「島根県の」「お城下まち」に移ったことが語られている。ここで注目したいのは、〈語り手〉の一家が「お城下まち」でありながら「もうすぐ山に近いところに一つ離れてぽつんと建つて在るお寺」という、周囲から隔たった場所を住居としている箇所である。さらに、回想の舞台となるのが「離れ座敷」であることから、「お寺」というコミュニティからも距離を置いた場所であることが分かる。すなわち、この家族は、転居者であるという異質性にくわえて、彼女らが「お城下まち」から隔絶された「山に近いところ」、さらにはその「離れ座敷、二部屋」という閉鎖的な空間に配置されていることが指摘できるだろう。住居という点において、姉妹は物理的に世俗から隔絶されているのである。
 さらに、姉妹は空間のみならず、精神的な面でも閉鎖的な空間へと追いやられていく。佐々木啓一氏の指摘する、「母性原理」の欠落と、父の存在である。次に、母の不在と父の存在によって、姉妹が世俗から切り離されていった要因が語られている箇所を参照したい。

早くから母に死なれ、父は頑固一徹の学者気質で、世俗のことには、とんと、うとく、私がゐなくなれば、一家の切りまはしが、まるで駄目になることが、わかってゐましたので、私も、それまでにいくらも話があつたのでございますが、家を捨てゝまで、よそへお嫁に行く気が起こらなかったのでございます。

(三五一頁)

 〈語り手〉は、「頑固一徹の学者気質」であるために、「世俗のことには、とんと、うと」い父について語る。佐々木啓一氏は、父の傾向を「家庭への無関心」18としたうえで「姉妹が正常な青春を通過することが出来なかった」19原因として指摘している。さらに注目すべきは、父について語る際には「厳格」20、「厳酷」21という言葉がつきまとう点だろう。「無関心」であることに加え、作品発表当時における家父長制的権力関係を前提とすれば、姉妹にとってこの「厳格」、「厳酷」な父は絶対的かつ権威的な存在であったことは想像に難くない。姉妹は、指標とするべき母の欠如と、「無関心」であり、権威的な父の存在、そして妹の病によって、「世俗」ひいては「青春」22から隔絶されていくのである。
 加えて、〈語り手〉が不在の母の役割を担わされた点は、佐々木啓一氏、木村小夜氏の両氏が指摘した通りである。妹が病身であったことも手伝い、〈語り手〉の結婚は「当時としてはずいぶん遅い」、「二十四の秋」23へずれ込む。母の不在、「頑固一徹」の父、病身の妹、という家庭にあって、不在である母、病身の妹は、「よそ」へ出て行くべき姉を「家」へ結びつける存在として作用していると言えよう。
 以上のような「家」という構造と、それに連なる空間によって、〈語り手〉は唯一〈外界〉との接点をもちながら、〈外界〉へ出ることを許されない存在として造形されていくのである。
 ここで想起するべきは、本作が、母の死、妹の死24、父の死25と、家族の死を見送り、一人取り残された〈語り手〉による、「三十五年」を経た時点からの回想であるという点である。すなわち、〈語り手〉は「葉桜のころになれば」「きつと、思ひ出」26すという姉妹の間に起きた出来事のみを語っているわけではなく、「三十五年まへ」の当時それ自体を語っているのである。姉妹が作り上げた虚構と、姉妹が送った「青春」が、いかにして構成されていったかを語るとき、〈語り手〉は母の不在に始まり、父が「厳格」、「厳酷」であったために「青春」から遠ざけられたという因果関係を示している。さらに、病身であった妹のために、〈外界〉へ出ることさえも許されなかった彼女は、家庭という構造によって婚期さえ遅らせていることを明らかにする。こうした「青春」との隔絶それ自体を、語り手は「三十五年」を経て語り出しているのである。すなわち、〈語り手〉が彼女の過ごした「青春」を語るとき、彼女自身をつなぎとめていた家庭の構造をも同時に暴いているのである。つまり、本作は、「自己対象化」による「饒舌体」の語りによって構築された、〈隔絶された環境〉というフレームの中に、「青春」を遠ざけられた姉妹という画を創出する物語として構成されていくと言えるだろう。


三 「信仰」の変遷――「妹」から「神さま」へ

 〈語り手〉による姉妹の回想は、「神さま」27への言及によって閉じられ、さらに〈語り手〉の語りそれ自体もまた、「信仰」28への問題によって閉じられる。回想の終わりにあたっては、「軍艦マアチ」の口笛の音色を「神さま」の存在の確信へとつなげる。

低く幽かに、でも、たしかに、軍艦マアチの口笛でございます。妹も、耳をすましました。(中略)身じろぎもせず、そのお庭の葉桜の奥から聞こえて来る不思議なマアチに耳をすましておりました。
 神さまは、在る。きっと、ゐる。私は、それを信じました。

(三五八頁)

 「M.T」を装い、妹に書いた手紙の中で「贈りもの」29の一つとして挙げられた、「口笛、軍艦マアチ」30が、手紙の主が姉であることが露呈された後であるにも関わらず、約束の時刻に「葉桜の奥」から聞こえる。姉妹は「身じろぎもせず」に「口笛」に聞き入り、〈語り手〉は「神さま」の存在を「信じ」るのである。
 この場面での「神さま」への言及より以前に、これまで一貫して自らの心境と妹の様子を語り続けていた〈語り手〉は、「M.T」の手紙ではじめて「神」31、という言葉を用いる。一見して唐突ですらある「神さま」への言及は、姉の欲望の表出であると言えるのではないだろうか。「M.T」の手紙は、はじめ妹一人によるものであるとは知らず、姉がその手紙の束を見つけるところに端を発した。手紙によれば、「心だけのものではなかった」という「M.T」と妹の関係性が、病の進行によって別離を迎えていたのである。姉による「M.T」の手紙は、余命いくばくもない妹から去ろうとする存在であり、他でもない妹が愛した存在を、再び妹に与えてやりたいという〈語り手〉の欲望によって書かれたものであると考えられよう。すなわち、「M.T」という存在を〈理想化〉し、妹に報いてやろうとする姉の願いが、この手紙には託されているのである。
 さらに、この「神」、「神さま」への言及は、東郷克美氏の言葉を借りれば、「極端な省略や飛躍・矛盾などを含むモノローグふうの独特な語りのリズム」32が反映された、太宰治における〈女性独白文体〉の典型と言えるだろう。東郷氏は「観念よりは肉体、論理よりは生理、理性よりは感性のレベル」33に表現を落とし込むことで〈語り〉が生じてくると述べている。つまり、安藤氏が指摘する「刹那的、直感的な生活感覚」とは、「肉体」、「生理」、「感性」に依拠した表現によって作品を展開することで生じているのである。
 すなわち、ここに見られる「神さま」への「飛躍」は、記述を追うことでひとつの像を結ぶはずであるという前提のもとに成立する〈文学〉においてではなく、〈語り〉という方法の選択によってあらわれてくるものであると言える。本来聞こえるはずのない「口笛」が、「妹のことで一ぱいで、半狂気の有様であつた」34という〈語り手〉の「生理」、「感性」と、姉としての欲望とが結びつき、哀れな妹に寄り添い、見守る存在としての「神さま」を「口笛」の音に見出したのである。
 しかしながら、『葉桜と魔笛』の場合においては〈語り〉の方法を取りながら、この限りではない。「神さま」への言及が、〈語り手が創出した物語〉としての回想に対し、要素として機能するためである。このことは、彼女の語りのなかで「M.T」から「妹」へ、そして「神さま」から「父」へと〈理想化〉する対象が目まぐるしく入れ替わっていくことからも言えるだろう。次の引用は、〈語り手〉が「M.T」を装った手紙を読み上げた後の、妹についての言及である。

「姉さん、心配なさらなくても、いいのよ。」妹は、不思議に落ちついて、崇高なくらゐに美しく微笑していました。「姉さん、あの緑のリボンで結んであつた手紙を見たのでせう? あれは、ウソ。(中略)姉さん、青春といふものは、ずいぶん大事なものなのよ。あたし、病気になつてから、それが、はつきり分かつて来たの、ひとりで、自分あての手紙なんか書いてるなんて、汚い。あさましい。ばかだ。(中略)姉さん、あたしは、今までいちども、恋人どころか、よその男のかたと話してみたこともなかつた。姉さんだつて、さうなのね。姉さん、あたしたち間違つてゐた。お悧巧すぎた。ああ、死ぬなんて、いやだ。あたしの手が、指先が、髪が…………、可哀さう。死ぬなんて、いやだ。いやだ。

(三五八頁)

 姉である〈語り手〉には、妹が「崇高なくらゐに美し」く映っている。一方で、妹の言葉は「汚い。あさましい。ばかだ」と「感性」「生理」の段階で心境を語る。さらに、「あたしの手が、指先が、髪が、」と彼女の言葉は「肉体」の段階へと移行していく。言い換えれば、妹の言葉は、「三十五年」後にこの出来事を語る「老夫人」が言う「物慾」の段階に引き下げられているのである。
 すなわち、「M.T」との「心だけのものではなかつた」恋愛、つまり「肉体」を伴う恋愛を〈語り手〉に印象付けた一方で、その恋愛への諦観と迫る死期によって「肉体」を失いつつある妹は、東郷氏による〈語り〉の定義を引用すれば、「観念」の段階に引き上げられているために、〈語り手〉の眼に「崇高」に映っていたのである。姉の手紙が「M.T」からのものであることを装う際に、「神の寵児」という語を用いたことも、「M.T」の実態が不明であり、姉にとっては「観念」の段階に存在する対象であるため、つまり「肉体」を所有しない人物であるためと考えられるだろう。
 ところが、手紙にまつわる虚構の告白に至って、妹は自らの「肉体」を取り戻し、〈理想化〉された「崇高」な対象から、〈理想化〉によって語られない「肉体」を所有する対象に変わるのである。〈語り手〉の「そつと妹を抱」35く行動もまた、「崇高」な対象への振る舞いではなく、庇護するべき対象への行動であり、妹と〈語り手〉が同じ水準に並んだことを意味すると言えるだろう。さらに、「M.T」が架空の人物であること、そして「肉体」の段階で自らを語ろうとする姉妹が「M.T」という虚構に成り代わっていることの二点が、〈語り手によって創出された物語〉であるはずの姉妹の空間から、〈理想化〉する対象を不在にしたのである。〈理想化〉する対象の不在が、「青春」へのあこがれを募らせながら死へと向かう妹を見守る存在としての「神さま」という、絶対的な〈理想化〉の対象への言及を導いたと考えられるのではないだろうか。
 


四 変容する「父」の像

 〈語り手〉によって理想化される対象は先述のとおり、作品の終結部で、妹から父へと移行する。対象における「肉体」の喪失が対象を〈理想化〉した語りを可能にしていく以上は、この〈語り〉が「父」の死を見送った「十五年」後に展開されるという作品の構造によって、「父」の〈理想化〉を惹起させていることは明白である。
 ここでは、作品終結部における「父」の存在がいかにして〈理想化〉され、語られていくかを明らかにしていきたい。

 いまは、――年とつて、もろもろの物慾が出て来て、お恥ずかしうございます。信仰とやらも少し薄らいでまゐつたのでございませうか。あの口笛も、ひよつとしたら、父の仕業ではなかつたらうかと、なんだかそんな疑ひを持つこともございます。(中略)父が在世中なれば、問ひただすこともできるのですが、父がなくなつて、もう、かれこれ十五年にもなりますものね。いや、やつぱり神さまのお恵みでございませう。
 私は、さう信じて安心してをりたいのでございますけれども、どうも、年とつて来ると、物慾が起り、信仰も薄らいでまゐつて、お恥ずかしう存じます

(三五九頁)

 〈語り〉そのものの終わりに、〈語り手〉は「三十五年」前の段階で「神さまのお恵み」として理解した「口笛」について、「父の仕業」という〈小説的現在〉における考えを明らかにする。「信仰が薄らいでまゐつた」ために「神さま」よりも現実的な対象として「父」を挙げ、その「父」が姉妹を「ふびんに思ひ、(中略)狂言した」36という「疑ひ」を、聴き手である読者へ提示するのである。
 少女であった〈語り手〉によって「信仰」の段階で語られていた「神さまのお恵み」を、〈老夫人〉となった、「半狂気」ではない現在の時点において、いわば即物的に解釈した「父の仕業」として、「物慾」の段階に引きつけている。彼女は「やつぱり神さまのお恵み」であると、「父の仕業」を一度はくつがえすものの、やはり作品の結末では「信仰が薄らい」でいることを明らかにしているが、これは〈語り手〉によって〈理想化〉される対象が、実在した「父」であるか、絶対的であるが実在を問わない「神さま」であるかの差異に過ぎない。つまり、実在していた人物が不在になることではじめて、対象を〈絶対化〉した語りが可能になるというプロセスを、彼女の言葉は明らかにしていくのである。このことは、彼女の「信仰」や「神さま」といった語が、必ずしも宗教的な意味合いにおける「信仰」として用いられる語ではなく、〈語り手が創出した物語〉において〈理想化〉する対象を指す語であると考えられるだろう。
 妹の死から「三十五年」、父の死から「十五年」の時間を経て、この語りが展開されるとき、「厳格」、「厳酷」という言葉によって表現されていた父は、姉妹を「ふびんに思」い「口笛」を吹くという「狂言」によって姉妹の恋愛を成就させる父親に変容させられている。〈語り手〉によって形象された「父」の像は、佐々木啓一氏の指摘する「無関心」な父親像とは大きく異なっていると言えるだろう。〈語り手〉は、対象である「父」の死から「十五年」の時を経て、「父」の像をも〈理想化〉して語るのである。言い換えれば、「無関心」かつ「厳酷」、「厳格」であったために、姉妹を「青春」から遠ざけ、〈語り手〉を「家」へと縛り付けていた「父」を、姉妹の「青春」を実現させるために「狂言」を打つ、あるいは、姉妹の悲劇に関心を寄せ、そこへ参画する「父」の像へと変容させられているのである。すなわち〈語り手〉は、「青春」へのあこがれを吐露する余命いくばくもない妹と、妹の願望を叶えようとする姉が望んだ「M.T」の存在を虚構から現実へと転換させるべく、「口笛」を吹く「父」という、彼女自身の「物慾」、つまり欲望を反映した「無関心」ではない「父」の像へと変容させて語るのだ。三谷憲正氏の「『葉桜と魔笛』評釈㈢」37によれば、このとき演奏された「軍艦マアチ」は、「昭和十三年二月十九日付の『読売新聞』」38の記事を挙げたうえで、次のように解説されている。

 これは「葉桜と魔笛」発表より一年ほど前の記事である。この中で「明治、大正、昭和三代を貫いて、いまなほ事変下の全日本にいよく力強く奏でられる」と言われていることは暗示的である。「葉桜と魔笛」は明治期の日本海大海戦の日の出来事である一方で、日中戦争という時代に発表されている点を考慮すれば、ここで口笛として「軍艦マアチ」は戦時色の濃い時代において時宜にかなったものと言えるだろう。

(二九五・二九六)

 三谷氏によれば、「軍艦マアチ」は「日中戦争」という「事変下」を意識したものであるほか、作中の出来事が「日本海大海戦の日」に起きている点で適切なものであるとされている。さらに、「軍艦マアチ」が「明治期」にはすでに広く親しまれていたことは、姉が手紙に取り入れた点からも推測できる。以上の点から、「軍艦マアチ」の「口笛」の主は父ではなく、姉妹に全く関係のない第三者であると考えるのが妥当である。しかしながら、〈語り手〉は、最後まで「口笛」の主が明らかになることのない「魔笛」として語り、「神さま」あるいは「父の仕業」としてこの「口笛、軍艦マアチ」を受容するのである。〈語り手〉は、この偶然の一致に、余命いくばくもない妹を見守り、寄り添う存在として、それを可能にする理想像である「神さま」を見出したのである。
 さらに、先述のとおり、「妹」から「神さま」へ、そして「父」へと〈理想化〉が変遷していく過程においては、対象が「肉体」を所有していない必要がある。「父」が「十五年」の時を経て〈理想化〉されるのは、父が死によって「肉体」を失ったためであり、「神さま」という実在を問わない絶対的な対象から、実在していたものの「無関心」と「厳酷」という性質であったために〈語り手〉の理想から遠く隔たっていた対象である「父」へと、対象を〈理想化〉しようとする語りが移行したと言えるだろう。
 語り手は、〈姉妹の物語〉に父を参画させることで、〈姉妹の物語〉から〈家族の物語〉へと回想を組み替えていく。一方で、「信じて安心してをりたい」と言う〈語り手〉の言葉にも明白であるように、妹を見守り、導くことを可能とする絶対的な存在である「神さま」にその「口笛」を託すという究極的な欲望をも未だに保持し続けていると言えるだろう。「口笛」の主を「神さまのお恵み」であるとする〈語り手〉の最終的な語りの帰結は、最も大きな欲望の表出として作品集結部に据えられるのである。


五 〈語り手〉によって物語化された「青春」

 以上のように、〈語り手〉は、妹、「神さま」、父と、その〈理想化〉による対象を様々に移行して語りを進めてきた。本作における回想は、物理的に周囲から隔絶された空間と、「無関心」な父が中心に立つ「母性原理」を欠いた家庭という二つの条件によって導かれた、〈語り手によって創出された物語〉であることは、先述した通りである。家族を〈理想化〉して語るという〈語り手〉の方法は、母の役割を背負わされることによって遠ざけられていた〈語り手〉自身の「青春」を〈理想化〉して語る性質のものであったのではないだろうか。
 こうした〈語り手〉の企図するものが、「M.T」を装う手紙に顕著にあらわれている。彼女の「M.T」を装った手紙を再び引用し、〈語り手〉が彼女自身の「青春」をどのように位置づけようとしているかを考察する。

あなたの不幸が大きくなればなるほど、さうして僕の愛情が深くなればなるほど、僕はあなたに近づきにくくなるのです。(中略)僕は、あなたに対して完璧の人間にならうと、我慾を張つてゐただけのことだつたのです。僕たち、さびしく無力なのだから、他になんにもできないのだから、せめて言葉だけでも、誠実こめてお贈りするのが、まことの謙譲の、美しい生き方である、と僕はいまでは信じてゐます。

(三五六頁)

 「M.T」の手紙の中で、〈語り手〉は病という問題を解決する手段を持たないことが、「M.T」を妹から遠ざけさせたとして、「言葉だけでも誠実込めてお贈りする」という姿勢を明らかにしている。「M.T」を演じる際、〈語り手〉は妹を「あなた」と表記しているが、この「あなた」を「青春」として読み替えることも可能なのではないだろうか。すなわち、この手紙に書かれている内容そのものが、〈語り手〉の失われた「青春」に対する弁明として位置付けられるのである。
 つまり、〈語り手〉は、「青春」への憧憬が「深くなればなるほど」、不可逆である「青春」を惜しむことになり、「青春」への隔たりを意識することになっていくと言えるだろう。〈語り手〉は、妹の看病と、「一家の切りまはし」に割かれた自らの「青春」が、「完璧」なものであればよかったという「我慾を張つて」いたのである。一方で、手紙の後半になると、「せめて言葉だけでも、誠実込めてお贈りする」という心境の変化が見られる。
 「せめて言葉だけでも」という部分が、「言葉」以外の何かが欠落していることを示しているのは言うまでもない。この欠落こそが、姉妹が本来ならば歩むべきであった、「男のかたと、うんと大胆に遊」39び、「からだを、しつかり抱いてもら」40い、「よその男のかたと話」41すことのできる「青春」である。そうした「青春」が、「無関心」かつ「厳酷」、「厳格」な父と、「母性原理」の欠落によって遠ざけられていたことは、すでに指摘した通りである。欠落が生じたまま、「老夫人」になった〈語り手〉は、「三十五年」の時を経て、自らの「青春」に対し「言葉だけでも誠実込めて」、向きあおうとしているのではないだろうか。このことは、彼女が「M.T」を装い詠んだとしている和歌に包含されている。

待ち待ちて ことし咲きけり 桃の花 白と聞きつつ 花は紅なり

(三五七頁)

 ここでも、「桃の花」を「青春」の暗喩として捉えることは不可能ではない。いつか歩むべきであった「青春」を「待ち待ちて」いたものの、自らが見出した青春は通り一遍の「白」ではなく、父母と妹によって妨げられ、「白」からは遠ざかってしまった「紅」の「青春」だったのである。すなわち、「言葉だけでも誠実込めて」補完しようとした「青春」は、姉妹が「神の寵児」であったために、歩むべきであったはずのものとは異なった「青春」の像を呈してしまうのである。
 〈語り手〉は、「妹」と「父」を〈理想化〉して語ることによってはじめて彼女自身を納得せしめる「青春」の像を結ぶことを可能にしたのではないだろうか。〈語り手〉の「物慾」は、「神さまのお恵み」を「父の仕業」として語るのみならず、自らが手に入れることのできなかった「青春」そのもの、ひいては自らを縛り付けていた〈家族〉という構造そのものを〈理想化〉して語ることによって「青春」を補完しようという試みに発展していくと言えるだろう。こうした〈語り手〉の試みが、「神さまのお恵み」と「信じて安心してをりたい」という言葉に見られるように、「神の寵児」としての姉妹の像をも作り上げていくのである。
 「父」の「無関心」と、「母性原理」の欠如によって、彼女が〈少女〉から〈女性〉へと成長する過程で生じた「青春」への憧憬と欠落は、「三十五年」の時を経てなお埋めがたい隔たりとして彼女に認識されていると考えられる。〈語り手〉の語りは、「妹」から「神さま」、そして「父」へと移り、やはり「神さま」へと〈理想化〉の対象が揺れている。これは、〈語り手〉の希望と現実との間の摩擦を解消しようとするために生じる揺らぎであると言えるだろう。こうした揺らぎが、姉妹を物理的、精神的なフレームの中に配置していくのである。さらに〈語り手〉は、一連の出来事を、一枚の〈画〉に姉妹を配置することで〈回想〉から〈物語〉へと昇華させる。彼女は自身の「青春」それ自体を、病身の妹と献身的な姉に起きた奇跡として、〈美しい物語〉へと再構築していくのである。


結論――〈語り手〉の欲望

 太宰治『葉桜と魔笛』は、これまで作中の姉妹の物語に焦点を絞った論が多く、〈語り〉による構造についての言及は少ない。本稿においては、本作が回想の物語であることに着目し、〈語り手〉が企図するものを導こうと試みた。
 〈語り手〉である「老夫人」の言葉は、安藤宏氏が指摘した「自意識過剰の饒舌体」と、「刹那的、直感的な生活感覚」とが共存している。この共存が、「老夫人」の「青春」を自ら再構築しようとする〈語り〉であることを明らかにしている。
 くわえて、「まちはづれの、もうすぐ山に近いところに一つ離れてぽつんと建つて在るお寺の、離れ座敷、二部屋」という、徹底して「世俗」から隔絶された場所に姉妹を配置することによって、この回想の物語がより虚構性を帯びてくると言えるだろう。さらに、東郷克美氏による〈女性独白文体〉の性質から本作の語りを読み解くことで、「肉体」の喪失が〈理想化〉の契機となることを明らかにした。妹が姉と同様「肉体」の段階で語るとき、本作からは一時的に〈理想化〉する対象が不在となる。この不在が、〈理想化〉するまでもなく絶対的な対象である「神さま」への言及を導き、本作の語りが「信仰」を基調としたものへと転換していくことになるのであるが、父が「肉体」を失うことによって、再び〈理想化〉して語ることを可能にする。
 このようにして、さまざまに〈理想化〉された〈語り手〉の「青春」は、「M.T」の手紙によってその企図するものを明らかにする。すなわち、本作の語りそれ自体が「青春」そのものを「神さま」によって愛された「青春」であったと〈理想化〉しようとするものであることを、手紙によって告白しているのである。
 以上のように、『葉桜と魔笛』における〈女性独白による回想の語り〉は、「青春」という自らの得られなかったものを得ようとする「物慾」の表出であり、その「物慾」は、〈語り手〉自身を縛り付けていた〈家族〉という構造に対する反駁ではなく、むしろ極端なほどの馴致によってのみ満たされるという皮肉をわれわれ読者の前に呈するのである。

〈参考文献〉

本文テキスト
太宰治 『太宰治全集 第二巻』「葉桜と魔笛」(筑摩書房 一九八九年)

事典
三好行雄編『太宰治必携』學燈社 一九八一年
神谷忠孝・安藤宏編『太宰治全作品研究事典』勉誠社 一九九五年
志村有弘・渡部芳紀編『太宰治大事典』勉誠出版 二〇〇五年

書籍
津島美知子『回想の太宰治』人文書院 一九七八年
『新潮日本文学アルバム19 太宰治』新潮社 一九八三年
日本近代文学会九州支部編『近代文学論集』日本近代文学会九州支部 一九九七年 廣瀬晋也「戦争というフレーム・芥川の菊と太宰の葉桜[芥川龍之介往還Ⅰ]」
佐々木啓一『太宰治 演技と空間』洋々社 一九九八年
細谷博『太宰 治』岩波新書560、一九九八年
津島美知子『回想の太宰治』講談社文芸文庫 二〇〇八年
東郷克美『太宰治という物語』筑摩書房 二〇〇二年
安藤宏『太宰治 弱さを演じるということ』ちくま新書 二〇〇二年
新潮文庫版『新樹の言葉』新潮社 二〇〇八年 奥野健男「解説」
山内祥史編『太宰治研究16』和泉書院 二〇〇八年
山内祥史編『太宰治研究18』和泉書院 二〇一〇年
山内祥史編『太宰治研究19』和泉書院 二〇一一年
山内祥史編『太宰治研究21』和泉書院 二〇一三年

お忙しい中、親身にご指導いただきました佐藤裕子先生に、心より感謝申し上げます。

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1995年生まれ。修士(文学)。山か海が見えるところで暮らしたい。好きな色は緑色。大学院を卒業後、よりいっそう太宰治のことを考えている。